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特異鬼制教導機関  作者: 美音 樹ノ宮
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再会と祭り

~特異鬼制教導機関~







今でも静まり返った部屋のなか、ベッドに横たわる裏人(うらひと)の姿がここにはあった。

どれくらいの時間、そうしていたのかわからない。

なんせ部屋を出るのはトイレに行く時くらいな生活を繰り返しているからだ。

それ以外は特に何をするでもなく、何かをする気も起きないでこうして眠らないまま横になっていた。

勉強をしようにも乗り気になれず、外出しようにも気持ちが億劫。

結果学校に行くこともせず、祖母との会話も自身の口数すら減り、心配そうに見つめてくるその視線が何故か無性に腹立たしく思ってしまう、そんな心境に陥っていた。

それでも一生懸命にご飯を作り、また理由も知らずに一生懸命慰めようとしてくれていた気持ちは伝わっている。

だから嫌な気もしないし、少しは心が軽くなったような気さえするときもあったのだが、それでも浮かぶあの泣き顔に再度気持ちが連れ戻され、また祖母に八つ当たりのような感情を浮かべてしまう。

まるで情緒不安定かのように、身体を動かしていないのに心が様々な感情を浮かべるせいで疲れがいつまでも取れない。

だからとれない疲れをとるように、そして先の見えないままの時間が、いつまでも過ぎ去ってしまうのを待つかのように、起きては寝てを繰り返していた。

そのまま時も忘れ、室内に差す日の光から過ぎる日にちを見送って、部屋に響くノックの音も聞かないふりを繰り返していたのだった。



「はぁ。」



また部屋に響くため息。

いつも通りで何も変わらない、聞きなれてしまった幸福を逃す音。

この後は決まって祖母が一度扉をたたき、無言の返事を行うことで夕飯までの時間を流すことに尽力するだけ。

のはずだっただが、今日ばかりはこの先の展開が違っていた。

ドシドシを大きな音を立てて廊下を歩く祖母の足音がこちらに迫ってきているのを感じ取った裏人(うらひと)

何事か、と突如その音を受け取って、寝転んだ体勢のまま驚きの表情を浮かべていると、当たり前のように部屋の扉が大胆に開かれた。

そしてそのまま彼女が傍まで駆け寄ってくる音が聞こえる。

対して裏人(うらひと)は面倒くさそうな表情でやり過ごそうと考えていたのだが束の間、腕をつかんできた祖母に有無も言わさず部屋から連れ出していったのだった。

突然の出来事に、状況把握が追い付かない裏人(うらひと)はもちろん唖然。

と同時についに堪忍袋の緒が切れたのかと、別の意味で内心をドキドキさせていた。

この(かん)一切声でのやり取りはない。

だが、怒っているというような雰囲気はないことにすぐ様気が付くことができた。

それは連れていかれる状態で後ろから見る祖母の横顔が、優しさに満ちたような表情を浮かべていたからだ。

その様子に、何かを言うでもなく口を噤まざるを得なかった裏人(うらひと)は、それでも内心のどきどきを落ち着かせて、改めて人のぬくもりはここまで暖かかったのかと再確認した。

そして、そんな彼女についていくように部屋を後にして、リビングへと足を運んでいった。

先程まで体を覆っていた布団の温もりが寂しそうに肌を離れていく。

とは言っても、今は夏ゆえに冷房の効いていない廊下では、布団の熱など早く冷めきってしまえと思えるほどに蒸し返っている。

その感覚に、たったの数日の事ではあるが、言いようもない懐かしさを感じ、また気持ちが少しだけ軽くなるのを受け取った裏人(うらひと)

そして間もなくついた居間にて、祖母が用意してくれたとあるものを視界に捕らえ、これまた驚きに沈黙。

続いてすぐさま久しぶりの祖母の顔へと視線を移して口を開いていった。



「これって。」



そこにあったのは男性物の浴衣。

地味な見た目だが、浴衣の浴衣らしい派手さと品性は顕在で、大人っぽい印象を色濃く残したそれ。

室内に存在するだけで、まるで夏の暑さや息苦しさを遠のけてくれるかのような雰囲気を放っている。

そんな青地に藍色の模様が施された浴衣に近寄って、裏人(うらひと)がその生地に触れている光景を見ながら、祖母が返事を返してきた。



「今日の祭り、それを着て行かれ。」


「...祭り。」


「お前さんが寝とる間にもう一週間が過ぎたわ。

 今日は金曜日じゃ、予定があるんじゃろ?」


「...そう...、どうだろう。」


「まぁ、あんたの予定があろうがなかろうが、祭りには出てもらうからもう着ておかれ。」



そう言って祖母は裏人(うらひと)の横を過ぎ、手早く着付けの準備を行ってくれる。

あまり乗り気でない、というよりもどうせ行ったところで、と思っている裏人(うらひと)にとってはどうでもいいようなことではあった。

ただ、その瞬間、あの約束事が頭の中に響いた。

何かを示唆しているのか、それとも自分の都合のいい結末にまだ高望みしようとしているのか。

自分自身の事ではあるが、その真意がわからない。

そんなあやふやな状態であったとしても、キッチリと百咲(ももさき)の声だとわかる声音でこう―――――



「それじゃあ、あの池の前に集合で―――――」



まだ笑顔を浮かべていた時の情景で、改めて彼女の微笑みに胸が締め付けられる。

自分はいつからこんなに女々しくなってしまったのかと、そんな自分に嫌気がさしながらも、ただ何となくの無意識で服を脱ぎ、気が付くと祖母が構える浴衣に自ら袖を通し初めていた。

そして無性に流れてくる涙を、歯を食いしばることで必死に堪えつつ、彼女の着付けが終わるのをじっと動かずに待っていった。

部屋を見渡した裏人(うらひと)の目に映った時計は、間もなく16時を示す頃合い。

こんなに時間が過ぎていたのか、と思う一方で緊張の念も次第に湧き上がってくるのを感じる。

どんな顔で会えばいいのか、そもそもまた会うことができるのだろうか、そしてもし会えないのであればどんな顔をして祭りを、学校を、今後を過ごしていけばいいのだろうか。

と胸の中で何度も自問自答を繰り返してみても、答えが出るはずがない問いにすぐさま区切りをつけ、その場でそっと目を閉じる。

そのまま流れてくる涙に知らんぷりをしながらも、なぜか大丈夫だと思ってしまっている自分がいることにも気が付かないふりをして、帯が絞められていくのを体感で感じ取った。

心なしか気持ちも引き締められたのは、この状況においては好都合なことではあった。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




「あッ―――――」


「あ―――――」



口をついて出た、吐息程度の発声に、お互いの心音が跳ね上がっていく。

それは心構えをしてようやく対処できるほどの出来事に、まるで心構えする前に出会ってしまったかのような緊張感であった。

ここは裏人(うらひと)の実家の裏、今も少しずつ準備を始めていた夏祭りの会場となる神社を背に坂を下った土道の終着点。

そこより先の舗装された道から見て、片方は山に登り、もう片方は別の住宅地へと続く、分かれ道のちょうど中間部。

そんな場所で浴衣を着た二人の男女がただただ時間を忘れ、何かを言うでもなくお互いを見つめ合ったままの状態で立ち尽くしていた。

誰かと言えば当然、言うまでもないほどに裏人(うらひと)百咲(ももさき) 愛悠(あゆ)である。

そんな二人が分かれ道ゆえバッタリと会ってしまったこの状況に、嬉しさ半面恥ずかしさ半面という複雑な心境で口を噤んでいた。

もちろん感じているのは互いに気まずさである。

いい意味としても悪い意味としても内心の変化がないこの感情を前に、どっちが先に声を掛けようか、と頭を悩ませているための沈黙だった。

計測上数秒間、ただ体感では十数分にも感じることができるこの時間は、夏の暑さではない所からくる息苦しさを感じさせるには十分すぎるものであった。



((ど、どうしよう...。))



二人の想いが交差する。

なんせただの同級生というわけではなく、一週間前に直接告白した者と告白され尚且つ断った者なのだから。

それも片方は別に恐怖の念を抱いており、もう片方はこれ以上ない大号泣を見せつけた。

こんな運の悪いことがあるだろうかと過去と今を振り返り、なぜかお互いに着こんだ浴衣をソワソワと揺らしながら、それでも外せない視線を両者顔へ留めたまま、咳ばらいを一つ。

薄暗くなり始め、遠くでは祭囃子が調子よく鳴っている情景が、より一層高揚として緊張の念に重くのしかかってくる。

それは互いに着込むものが、一体何を思って身に着けているのか嫌でもわかってしまうところから広がった想いだ。

またこれがすぐに見つかるはずの『掛ける言葉』を、さらに遠のけてしまう要因になっているのだった。

だがそれでも、これまで歩んできた人生を振り返り、自分を制することと演じることに長けていた百咲(ももさき)が、先に沈黙を破るために行動しようとの姿勢を見せた。

そしてすぐさま声を出し、久しぶりに再会する同級生へと向け、まずは欠席に際した体調不良の気遣いをするために、用意しておらずとも定型文となって記憶の残る言葉を放ったのだった。



「体調は、大丈夫?」


「あ、えっと...うん、平気。」


「そっか、一週間も休んでたから、その...。」


「あぁいや、百咲(ももさき)さんのせいじゃないッ...ていうか、そうじゃなくて。

 あの、本当に、ただの風邪だったから。」


「あぁうん、そっか...その、あの時はごめんね。」



謝られる気配を感じたため、彼女の言葉を遮ってでも欠席の真意を隠したのに、筋を通す百咲(ももさき)の性格からやっぱり謝罪をされ胸が苦しくなる裏人(うらひと)

もちろん彼女に悪気があった訳ではなく、また裏人(うらひと)の欠席の理由が告白を断ったことによる気まずさからではないということも誤解してくれている様子。

となれば変に気恥しさを感じるのは申し訳ないか、とそれでもぎこちないままの裏人(うらひと)が、次に話題を見つけ言葉をかけるのだった。



「今日は、なんで浴衣を?」


裏人(うらひと)君こそ、どうして、なのかな?」


「えっと―――――ッ」


「私は...あごめん。

 その、約束を果たすために―――――

 ごめんね、その...裏人(うらひと)くんが来てくれるなんておこがましいこと考えてたんじゃなくて。

 一応、行ってみようかな、みたいな感じだったから。」



そこで裏人(うらひと)のことをチラチラ見る百咲(ももさき)の視線に気が付いた。

それは自身を見ているという感じではなく、どうやら浴衣の方に向けられているような様子。

となれば彼女の言葉からもわかる通り、ここで返すべき言葉は決まったも同然。

百咲(ももさき)の全てを断っておきながら、今もこんなこと思うのは彼女が彼女自身をおこがましいと思っている以上に、おこがましい事ではあるが。

ある意味、自身もそれを望んでいた裏人(うらひと)は、一切を包み隠すことのない真意だけで構成された返答をするのだった。

もちろん百咲(ももさき)を喜ばせるためにという自意識過剰で痛々しい意味だけは、自身でも気づかないふりをしながら。



「僕も...約束を守るために。」


「ッ...そう、それじゃ...ふふッ。

 行こっか、裏人(うらひと)くん。」



予想以上に嬉しそうな笑顔を浮かべる百咲(ももさき)に、病み上がりの裏人(うらひと)はこれでもかと胸を高鳴らせる。

かく言う百咲(ももさき)も、信じられないくらい顔を赤くしているのだが、それには気付くことはできなかった。

そんな二人の言う約束とは、当然隣町の祭りへと二人で行くことを指している。

集合場所までは厳守することができなかったが、まぁそれは仕方ない事として。

というよりも、バッタリと出くわした現状の方が、うまい事関係の軌道修正が出来ている気がして安心した。

池に集合していれば、今頃どんな顔をしていただろうか。

はたまた池で待つ彼女を遠目で見て、会いに行ける勇気が自分にあっただろうか、と思う裏人(うらひと)は一旦視線を下に落とす。

そして彼女に気がつかれないよう短く息を吐き切ると、それを自身の中で決意として、再度彼女に向き直った裏人(うらひと)は当然に決まった言葉を返した。



「うん、行こう。」



すでに日は落ち始めている。

その証拠に、赤暗い山の表面から反対側の空には、薄っすらと月が顔を見せていた。

遠くで聞こえる祭囃子や人の声が、先程とは違って今度はいい意味で二人を包んでくれている。

そんな気がする裏人(うらひと)百咲(ももさき)は、すでに気まずさのような感情は残っておらず、これから行われる約束事に楽し気な想いを馳せていった。

まぁ気恥しさが無くなったかと言えば、それはハッキリ、ノーである。

未だ緊張の念や身体の熱は健在で、ともすれば震える手を必死に抑えなければならないほどには心も浮かれ切っているのだった。

だがそれも、ある意味では関係が元に戻せるかもしれない状況になったのだという事。

そのことを百咲(ももさき)も考えているのかどうかはわからないが、裏人(うらひと)は心の中でガッツポーズを作るのであった。

そして数日学校を休み、ある意味では心の靄が晴れた現状にて、これまでの恐怖を忘れてしまったからこそ、彼女のことをより濃く意識してしまうのであった。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




池に沿って続く道路に、一人の男が立っている。

よく言えば人柄がいい、悪く言えば何を考えているのかわからない、そんな笑みを浮かべたスーツ姿の若い男。

掛けている細縁の眼鏡の鼻にかかる中央部を右の中指でクイッと持ち上げると、きらりと光らせたレンズの後ろで細い目がゆっくりと開く。

そして目の前、というにはあまりに距離がありすぎるが、ここからでも見える目前の光景に意識を向けた。

そこには二人の男女が仲睦まじそうに話をしている様子が映っていた。

祭囃子が届いてくる。

だが、人通りは表道へと集中し、夏祭りの会場からすれば天国と地獄ほど暗くなったこの場所で、何やら青春の風を感じる。

雰囲気のいいこの場所で、人目を憚ったようなこんな場所で、仮病にて学校を休んだ少年と、学園のマドンナと呼ばれる美しい少女が、浴衣を着て話し込んでいる光景。

それを見た教師、伝槙(つたまき) 柏伯(はくのり)はニヤリと微笑みを浮かべる。

そして距離と声量にて、二人には絶対聞こえないよう小さな音で、こう呟いた。



「あぁ、ダメじゃないか裏人(うらひと)くん。

 言ったでしょ、離れろって。」



最後の方は丁寧でも、余所行きという言葉を忘れたかのように低く優しさの込められていない地声に変わっていったその言葉。

同時にカンッ―――――と響いた高音は、その教師の足元から放たれていた。

眼鏡に向けられた右手でなく、地面に垂らされた左手の方に、暗がりでよく見えないが金属バットのような鈍器が握られている。

かなり長く、重量感のあるそれが、地面とぶつかり合って鳴った音が周囲一帯に響いていった。

そして、それがゆっくり消えていくタイミングに合わせ、男の姿もスッとその場から掻き消えていった。

まるで夜闇に溶け込んでいくかのように...ニヤッと浮かべた、微笑みだけを最後に残して―――――




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




原動機付自転車を二人乗りすることができるのか。

答えは否、出来るわけがない。

だが、原動機付自転車なるものの存在すら危ういような人生を送ってきた裏人(うらひと)にとっては、そんな心配お構いなしというような感じになっていた。

また、こんなド田舎においては警察やお巡りさんが巡回することなんて滅多にないがゆえ、彼以外の誰もがある意味やり放題となっている、暗黙の了解がここら一帯に存在していた。

さて、何の話かというと山の中腹を下る、百咲(ももさき)が運転する原付の後ろに、裏人(うらひと)が彼女の腰を抱きしめた状態で乗っている光景を、言葉に表したものだった。

それはまさに二人乗り。

両者ヘルメットを被り、守るべきルールは守った上でのそれは、浴衣で乗っていたり一般的には男女逆の座り位置であるなど、おかしなところは多々あるにせよ、祭りのため一山越えるには必要だと判断した移動手段なのであった。

だから仕方ないことだ、と半分裏人(うらひと)の膝の上に座ったような状態で、腰をしっかり抱きしめられている百咲(ももさき)は運転どころではない緊張した様子を見せている。

なぜこんな状況に陥ってしまったのかというと、互いに浴衣を着るところまで想定できなかった百咲(ももさき)の失態であった。

山を登るには、やはり自転車では困難。

であれば自身の原付に二人乗りをすればいい、と当初の甘く想定し過ぎていた計画を実行した百咲(ももさき)

だが浴衣の性質上、足を曲げることはできても左右に広げることができず、自転車の二人乗りのような体勢では到底一緒に乗ることができないことに、出発直前で気が付いてしまった。

そのため裏人(うらひと)の限界まで開いてもらった股の間に座ることで、両者が乗り心地の悪さを感じることのない二人乗りの構図が出来上がるようにしたのだった。

この臨機応変な想像力、それが今までの自分を支えてくれていた、と改めて自身の思考に感謝する百咲(ももさき)

ただそれが後になって、今までのどの出来事よりもいい意味で自身を苦しめることになるのだとは、これまた想定できなかった事に今更ながら後悔する羽目になるとは思いもしないで。

何かというとこの状況、ある意味太ももから腰、お腹に背中、そして首元辺りまでの全てを彼に晒し切った状態になってしまっていることだ。

簡単に言えば全身を包まれた感覚に近い。

それは出発した瞬間は、とてもじゃないが想定できなかった事象。

何せ安全運転第一に怪我や事故なく目的地に向かうため集中してハンドルを操作していたからだ。

もちろん免許を持っていて、これらすべてが悪いことだとはわかっているのだが、それでも一生懸命に裏人(うらひと)との関係を取り戻そうとしたがための過ち。

だからこそ、自分に対しては正当化し、特に制止を掛けてこなかった裏人(うらひと)の行動にも感謝をして今だけは目を瞑り、悪行を行っているのだった。

だが、途中裏人(うらひと)が姿勢を正すため少しだけ動いた際、その艶めかしい体の接触によって、無意識に体の熱がドンドンと上がってしまった。

もちろん浴衣を着ているから直接的な接触はない。

それでも、お尻や太ももに感じる裏人(うらひと)の男らしい筋肉質の感触や、お腹側に回された腕が離れないようにとの想いで強く締められる、その瞬間的な強い抱擁が五月蠅いほどに胸をドキドキさせてしまった。

それは違反しながらの運転による戒めとは違う、別ベクトルで湧き上がる、戒めなければならない(よこしま)な感情の現れ。

ゆえに緊張や興奮に、羞恥や思慕の念で内心がおかしなことになってしまい、今更ながら後悔している心情へと直結したのだった。

身体を動かすことなく風を浴びているのに、変な汗が止まる所を知らない。

それに身体の熱もドンドンと高くなっていき、服の上から感じる裏人(うらひと)の体温が冷たいとすら思えるほどに発熱している。

首筋を伝う汗が彼にバレないことを願うばかり。

自身の熱が、匂いが、吐く息が、すべて裏人(うらひと)に向かっていくのだと思うと、もう頭が変になりそうなくらい思考が鈍ってしまっている。

こんな状況での運転では、全てを正当化しようとしている目的すらも達成できずに最悪の事態を招いてしまうかもしれない。

心の中で「早く着いて...」と願う百咲(ももさき)の想いは裏人(うらひと)には当然届かない。

だが、やはり普段の行いか、見放されなかった神からの恩恵として、段々と祭囃子が耳に届き始めたのに気が付いた。

現状を見て何が善行か、とは思うところがあるのだが、今はそんなこと言ってられないと、隣町の夏祭り会場が近づいてきたことに一先ずは安堵を浮かべる百咲(ももさき)

そしてそんな彼女の想いを今度は感じ取った裏人(うらひと)は、風に煽られながらでも彼女の耳元で会場の発見を伝えた。



百咲(ももさき)さん、あれだよね。」



コクッと頷くことで返事とし、早々にこの一方的にマズい状況を打破するため、近くの駐輪場を探して会場に入る前に原付を手放すよう行動する。

その様子を、また感じ取った裏人(うらひと)が周囲を見渡して、先に見つけた駐車スペースを指さして、彼女に移動を促した。

阿吽の呼吸とでもいうのか、今の裏人(うらひと)の気遣いがまた有難くも嬉しくも思った百咲(ももさき)

と同時に、その際自身の二の腕に当たる、裏人(うらひと)の腕の感触に体をビクつかせては呼吸が荒くなっている状況に、流石の危うさを感じてすぐさまその方向へと向かっていった。

会場からはそれなりに離れている。

だが、少しずつでも増えてきた人通りに、何故か微笑ましそうな視線を送られてはこれまた恥ずかしそうに身体が発汗する。

そんなこんなで重くなる心情を抱いたまま、やっとの思いで原付を止め終えて、祭りの警備員に見つからないようすぐに準備を始めた。

不自然に二つあるヘルメットを隠したり、少しだけ崩してしまった浴衣を即座に正したり、そんなこと。

そして改めてしっかりと地面に足を付けた状態で二人向き直り、照れ笑いを浮かべる百咲(ももさき)に対して手を差し出した裏人(うらひと)は、先に声を放った。



「じゃ、行こっか。」



その掛け声に、百咲(ももさき)はしっかりと一呼吸置いてから「うん。」と、元気でもテンションの上がった下品さを感じさせることのない品性を内包させた返事をした。

そうしてこの流れに(あやか)り、手を握り返しては赤くなった顔を見せないよう、そして見ないように先を進んでくれる裏人(うらひと)の後ろで、髪の毛をサラサラと手櫛で()かしていった。

やっぱり彼の手はひんやりと冷たかった。

原付に乗っていた時の影響か、それとも自身の熱が影響か。

そんな何でもないことを考えて、裏人(うらひと)の横顔を後ろから笑顔で見続けながら、いつの間にか汗が止んでいることに気が付いた百咲(ももさき)はフッと一呼吸。

続いてこれから行われる今までの人生で最高の夏を満喫するため、これ以上ない緊張をこれ以上ない微笑みで隠してから、裏人(うらひと)の隣を歩くためにスピードを上げていった。

カランッ、と音を鳴らす風情のいい下駄の音が、最高の星空に響き渡っていく。

そしてしばらくあたりを浮遊した後、味わい深い祭囃子の中に消えていくのだった。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




姫奈(ひめな)先輩、ちょっと待って下さい。」


「早くしてよ、時間ないんだから。」



楽し気な祭り会場で、片やその雰囲気を満喫し、片や荷物持ちとしてげんなりとした表情を浮かべた二人の男女が歩いている。

彼らが身に着けているのは、ここらでは到底見かけない学校指定の制服だろう。

そして互いの呼び合いから、二人の関係はその学校の先輩後輩であるらしい。

中でも、内容から案外打ち解けた間柄だという様子が垣間見えていた。

そんな仲睦まじい二人の、文句の言い合いを繰り返すようなくだらなくも楽し気な会話が、周囲の喧騒に負けじと浮かべられていく。



「俺も楽しみたいんすよ。

 こんな祭りそうそう来れるわけじゃないんですし。」


「十分楽しんでいるように見えるのだけれど?」


「全部あんたの荷物でしょうが...。」



言ってしまえば場に不釣り合い、そんな雰囲気を醸し出す二人の出で立ちは都会の若者といった感じ。

となれば田舎の星がよく見える夜空の下、趣深いド定番の大きな祭りと言えば、心躍るようなものなのだろう。

まぁ、その田舎の祭りの常連である他二人にしても、この上なく楽しんでいるのだから間違いない。



「―――――...喉渇いてない、百咲(ももさき)さん?」


「ううん、大丈夫よ。」


「喉渇いたらすぐ言って。

 せっかく来たんだから、夏バテにならないようにね。」


「ふふッ、ありがと...―――――」



すれ違う者達はカップルばかりで楽しそう。

そう思ったのは当然、祭り会場で唯一この場を楽しめていない後輩男子だ。

手に持つわたがし袋や指に絡ませた色とりどりの水ヨーヨー、頭に付けられた般若のお面を揺らしながら、目の前を歩くお団子ヘアの先輩に視線を向けた。

これら全ての戦利品が自分のものであったなら...どれほど楽しい事やらと、空腹を叫ぶ腹の虫を必死に抑えながら、香るたこ焼きやイカ焼きの匂いに生唾を飲む。

そして我慢の限界だとばかりに聞こえるか聞こえないかの瀬戸際で...いや敢えてほんのり聞かせてやる程度の音量で、彼女へ向けため息をついてやった。



(ゆう)の考えてること、すぐわかるよ。」


「お、じゃあ話が早い。

 早速この荷物―――――」


「一生持っとけ、失礼な。」



こんなことだから彼氏の一人も...という内に秘めた想いまで感じ取ったのかと、驚きの表情を浮かべる(ゆう)と呼ばれた後輩男子。

そして前を歩く姫奈(ひめな)と呼ばれた先輩女子はさっそく歩幅を広げ、怒ったようにズカズカと屋台の道を歩いていく。

その様子に再度ため息をついた青年は、またいいように召使いらしき役として、彼女の後をついていくのだった。

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