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特異鬼制教導機関  作者: 美音 樹ノ宮
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二度目の朝、初めての朝

~特異鬼制教導機関~







エアコンから届く冷房と淡い息遣いの響く静かな一室が、気持ちよく日光に満たされていく。

開いたまぶたのその先には、少しだけ見慣れて落ち着いた気分になれる何とも自宅らしいシーリングライトと、一面真っ白でも高級感のある天井が映っていた。

忙しさや焦りとは無縁の、ゆっくり流れる時を具現化したかのような光景。

まるで運ばれてくる朝の活気ある雰囲気も、次第に湧き立つ「起きなければならない」という義務感もスッと溶かし、身体を拘束してくるかのようである。

なんて、ひどく澄み渡った心地に包まれた裏人(うらひと)はその内情を胸にゆっくりとその場で両腕を伸ばし、大きなあくびをして見せた。



「...はぁ。」



綿にでも包まれているのかと思えるほど軽く、それでいて奥にはしっかりと安定感もある最高品質のマットレス。

肌触りも滑らかでひんやりと冷たく、長時間触れていても熱を含むことない掛け布団やシーツ。

寝返りをうつたび頭から肩までを完璧な姿勢で支え、且つ他の寝具ともどもこちらの体温を感知しては性質を変えて睡眠の質を向上させてくれる枕と枕カバー。

そんな、どれもが最高級の目覚めを提供してくれる完璧な品質と完璧な快適さを誇る中―――――

値の張る物はそれ相応の質の高さを誇示しているのだと再認識した上で、その限度を遥かに超えた寝具へと呆れかえったような微笑みを露わにする彼は意識を保つよう咳ばらいを一つついた。



「(これじゃ、二度寝をしない方が難しいかな。)」



ベッドから起きたくとも起きることができないのは、決して自身が睡魔に負けているからというわけではない。

枕が、掛け布団が、マットレスが、全身全霊でこの身を掴み、放そうとしてくれないのである。

とそんな脆弱な思考に任せ、欲深く更なる心地を探求しようだなんて今一度瞼を閉じる裏人(うらひと)は、次いで襲いくる睡魔に抗わず彼らを受け入れる姿勢を見せ始めていくのだった。

これまでの人生を振り返り、起床時に頭痛がひどかったり、焼けるほどに喉が渇れていたり、寒暖差に息苦しさを感じることが多く勝手に目が覚めては、嫌悪感を抱いていたこの睡眠という行為を含め―――――

寝坊で授業を遅れてきていた過去の友人たちへと謝罪し、同調するような想いを抱きながら。



「(お前らの気持ちが、今ようやく理解できたよ。)」



睡眠とはまるで恐ろしいものである。

いや、最高品質の寝具で浸る、休息のひとときとはまるで計り知れないものである。

眠るという行為自体がこれほどまでの安らぎを与えてくれるものだとは思わなかった、なんて。

馬鹿正直に金に物を言わせ、優越感にすら浸ろうとする彼は寝ぼけた頭でそんなよくわからない思考を浮かべては、また大あくびをして文字通りの全てをこのベッドに預けようと全身の力を抜いていった。

それに散々な過去を経験してきたんだ、今は堕落し切ったって誰も文句は言わないだろうと自分自身の境遇を卑下しては、生ぬるい状況にまで浸ろうと試みてみるのであった。

がしかし、次いでそうやってこれまでのことを思い返した裏人(うらひと)は付随して湧き出た意志の強さまでを回想し、その想いに則ってはこれ以上周りに迷惑はかけられないだなんて内情を浮かべ、この世界に目覚めたことを告げる様子を見せていくのであった。

ほんの少しの微動を以て、この場にいる皆が目を覚ましたのだという気配を感じとっては、誰からともなく掛かる朝の挨拶へと返答する姿勢を見せて。



「...おはよう。」


「...おはよう、ございます。」


「んー...ぉはよ。」



片やひんやりと冷たく、片やポカポカ暖かい、甘くてふわふわと浮ついた感覚。

そんな左右から挟み込まれる、本能で女性だと認知させられるような柔らかな存在感から、間もなくしてしっとり(なまめ)かしく色っぽい返答を受け取った裏人(うらひと)は少しだけ肩身を狭めて静止した。

なぜ自身がこんな状況におかれているのか、そしていつこの家に戻ってきたのであろうか。

その記憶は昨日の深夜、天道(てんどう)から話を受けた通り、きれいさっぱりと覚えていないようであった。

だがしかし帰って来れていることには安心した、なんて続く二人の会話から意識がハッキリしていく裏人(うらひと)は次第に安堵の表情を浮かべていくのであった。

衣擦れの音や、身動きで沈み込むマットレスの感触から二人の身動きを感知して、その仲睦まじ気な様子に温かみのある心情を浮かべて。



「んーッ...はぁ。

 準備、します。」


「朝ごはん?

 ...あー、てか私だ。

 瑚々(ここ)ー、連れてってー。」


「もう、しっかり、起きてくださいよ。

 これからは、手助けしませんからね。」


「じゃあ、朝ごはんは抜き。」


「初日から諦めないでくださ、いーッ。

 んーもう...裏人(うらひと)さんも何か言ってあげてくださいよ。」


「すげぇ寝心地いいよな。

 さすが高いだけある。」


「ね、私もこれで寝始めて結構経つけど、いつまでも慣れないわ...いい意味で。」


「...起きないとこちょばしますよ?」



明らかに寝起きの様子でも、一段階上擦(うわず)って聞こえる彼女たちの声音は何より元気で明るく、楽し気な印象がひしひしと伝わってくるものであった。

そこから伝染する活力も、彼女たちが動くたびに舞い上がるバニラのような甘い香りも全てを巻き、この最高な目覚めはさらに色づく表情を見せていく。

あれだけ疲弊していたのにも関わらず、心身ともに更生してはこの活気ある雰囲気を自分のものだとばかりに主張する様子すら見せ始めた内情―――――

それが、楽観主義ゆえに生まれたのか、はたまたそれ相応の力がこの朝にあるのかはわからないが、過去から続く負の連鎖を断ち切ってくれそうな、そんな予感を受け取ることができた。

と、集落でのことを忘れ、改めてこの新天地で生きていくことの覚悟を決めた裏人(うらひと)は、救い出された現状と自身の置かれた立場を心にとめ、口元に柔らかな印象を張り付けて見せるのだった。

繰り返し独りぼっちの世界に取り残されるのではないかと不安視していた空想がパッと澄み渡り、誰かに認知され誰かに支えられているのだという事実を色濃く感じつつ―――――

自分以外にちゃんとした、生命活動を維持している他者の気配を存分に感じ取りながら。

そして隣から響く仲睦まじ気な会話の一部に、しかと自分自身の存在が含まれていることも察し、その暖かさを噛み締めるべく今度は声に出して微笑みを漏らすと、ついで彼女たちから視線を外し窓外へと目を向けるのだった。

年頃の女性たちの身支度をのぞき見しないよう紳士的な心持と共に、一面ガラス張りの窓から78階より見下す下界の様子をしかと堪能するために、と。



「あれ、これ瑚々(ここ)のじゃない?」


「サイズ、いくつですか?」


「えー...あー、一応裏人(うらひと)くんいるけど...言っていい?」


「あッ、えっと...。

 はい、私のです。」


「だよね、なんか大きいと思った。」


「―――――...スーッ、はぁ。」



真の意味でずっと一人ぼっちだった過去。

知らないままでよかったのに、一度(ひとたび)その現実に気付いてしまえばやるせない気持ちがふつふつと湧き上がり、ゆえに孤独感を抱かされていた辛酸(しんさん)な記憶。

生きていた者全て、触れていたモノ全て、空気や水に新緑も、信じて疑わなかった全ての存在が幻だった...なんて。

心にぽっかりと二度とふさがらない大穴でも出来てしまったかのような空虚感に見舞われる、誰にも理解されないであろう思い出がいくつも脳裏を()ぎっていく。

いくら気付かないふりを決め込もうと、そんな必要がないくらいにあっけらかんとしていようと、その事実を思い返し受け入れようだなんて考えれば途端に言葉にしようもない感情が胸の内を突いて出る。

そんなところはやはり自身も人間なのだろうと回想を浮かべ、大事に思っていた祖母も友人も確かに好きであった異性の存在すらもう手が届かないモノとなってしまった現実に、諦めからくる呆れた心情をも顔を覗かせてしまっていた。

改めて何度思い返しても、今後一切その恐ろしさが消えるようなことはないのだろう、遠いようで何より近しい過去のこと。


だが、今のお前はどうだ。

この瞬間を生きているお前自身は、どんな気分だ。

いつまで経っても過去のことに縛られ続けるなんて、馬鹿らしく思えないのか?


なんて、格好いいセリフを言わんとばかりに目前へ控える広大な青空は、街並みは、新緑は確かにそこへと広がっていて、自身の心を奪おうとでもしているかのように晴々(はればれ)として映っていた。

まるで世界の広さに比べれば、お前の抱く悩みなど大したものではないのだろう、と励ましてくれるかのように。

また、「まだ生きていてもいいんだよ」と無気力に包まれていた心地をいい意味で現実に引き留め、苦しい過去を塗り替えるが如く「好きなように生きろ」とでも助言してくれているかのように。

ゆえに漏れ出た微笑みは自然と鼻頭を熱くさせる心地へと至り、それでも嗚咽するだなんて情けないところを見せたくなかった裏人(うらひと)は、二重の意味で彼女たちの気配から顔を背け、そうやって後の時間を過ごしていくのであった。

今日という素晴らしき予感のする一日に思いを馳せ、何より辛い経験をした自分よりも優先して彼女たちに気を遣わせないようにとの配慮まで出来るなんて、そんな自身へと「世界で一番カッコよくないか?」なんて自惚れた内情を浮かべつつ―――――

改めて思い返してもこちらを慮ることのない二人の会話にいい意味で呆れた微笑を漏らして、スッと空気を吸い込んだ。

そして逢花(あえか)の遠ざかっていく気配を何となく寂し気な心情で見送り、その後の静寂に大きく息を吐くと窓外の景色共々、緩やかに過ぎる朝の雰囲気を嗜む様子を見せるのであった。



「それじゃ、準備してくるわ。」


「はい、お願いします。」


「(...裏人(うらひと)くんの事、後はよろしくね。)」


「(はい、わかってます。)」



裏人(うらひと)だけに届かない、そんな気遣いのアイコンタクトを残して―――――。

時刻は朝の『7時20分』を指していた。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




ちなみに自身が瑚々(ここ)逢花(あえか)の二人に挟まれるようにして眠っていた理由についてだが、どうやらこちらのことを気遣ってのものではなかったらしい。

後になって聞いたことには、ベッドの下に護身用の武器を置いていて、何かあればすぐ手に取れるよう二人とも端っこで寝ていたのだとか。

つまりはなんだかんだ気が知れた仲とは言ったものの、まだ出会って一日も経っていない関係を、彼女たちは何よりよく理解したまま接してくれていたようであったのだクソが。

別段、手を出すつもりなんてものはなかったにしろ、それを信用されていないというのは少し悲しくも思ったりする。

と、昨晩の話し合いで「裏人(うらひと)くんが裏人(うらひと)くんで、よかった。」なんて優しく迎えてくれていたらしいセリフが、ギリギリ頭の片隅へと残っていた裏人(うらひと)はその差にいった心地に包まれるのであった。

心なしか頭痛が痛くなってきたような...そんな『気のせい』を微かに(・・・)感じたかのような気に陥って。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




「...裏人(うらひと)さん、裏人(うらひと)さん。」


「ん?」


「お体の具合は、いかがですか?」


「まぁ...変わりなく、どうした?」



なんだかんだで規律の取れた生活を全うしていそうな逢花(あえか)がいなくなったことにより、部屋の中には緩く生きていたがりな、二人の似通った雰囲気が流れ始めていった。

周囲の空間へと響き淑やかに消えていく、彼女を丸ごと象ったかのような朗らかな声と共に。

その声音によって尋ねられたお体の具合とは、一体何のことを指しているのだろうか。

また、真剣にこちらの様子をのぞき見する、彼女の瞳から伝わる言いようもない説得力とは何を訴えようとしているのだろうか―――――なんて。

目前に捉える光景から、その問いかけの背後にありそうな含みまでを察するべく裏人(うらひと)は、小難しい表情を浮かべては真剣に彼女へと向き合う姿勢を見せていくのであった。

何となく、ここで浮かべられた気遣いの正体が、昨晩の遊宴郭(ゆうえんかく)での交流に際して疲弊したこちらを労ってのものではないと、そんな気がしたから。

そして現状において触れて欲しくないと思っている事象について悪気も企もないまんま、何の気なしに触れてきそうな、そんな予感がしたから。

故にあれやこれやと予防線を張ろうとしていた裏人(うらひと)だったのだが、たちまち動き始めていく状況はそんな彼をよそにどんどんと悪い方向へと進む様子を見せ―――――

結果として間も無く、こちらを嘲笑うかのように散々な展開を作り出してくれるまでに至ってしまうのであった。

心の奥底に根ざす、脆くか弱い部分を突き刺すかのような...こんな声掛けを以てして。



「どうしたもないですよ。

 ボク、目が不自由な分、人の気配を感じ取るのは何より得意なんです。

 ...ここにはボクしかいませんから。

 無理はなさらないでください。」


「―――――ッ...。

 いや...まぁ、別に。」


「...ふふっ。」



瑚々(ここ)の瞳に映る景色、それは他人と少しだけ異なっている。

だからこそ顔を背けているはずの自身の今の表情は...彼女に見られていないことを願うばかりであった。

盲目、そしてそこから続く、欠点を他の要素で補おうとする万物に備わった先天的な能力―――――

それは、瑚々(ここ)に人知を超えた感覚という選択肢を授け、彼女自身の努力と才能も相まっては今や『特殊』な域にまでその能力が昇華されている。

結果、彼女の前では気配から全てが見透かされてしまい、放つ言葉や一つ一つの所作には真に心の底に触れて優しく抱きしめてくれるかのような包容力が垣間見えるのであった。

勝手に彼女を信頼し自身の悩みを吐露しては、「全て受け入れてくれるだろう」と無条件に期待を寄せてしまうなんて、この上ない暖かさと優しさを以てして。

と、そんな自身を取り巻く環境に図星を突かれた裏人(うらひと)は、瞬く間に何もかもを吐き出して早く楽になりたいだなんて、甘えた思考に塗れるまでに至ってしまうのだった。

自身の中に根差すものが、誰かに聞いてもらうと、ただそれだけで救われてしまうほど大袈裟に見繕った小さな苦悩であったから。

そしてこれからの人生の長らくを共にするであろう友人として『隠し事』をしてはならないと、その常識的な約束をただ果たすだけの軽い事象のはずであったから。

故に口を開いてその心傷を吐き出そうとした刹那―――――

その(すんで)のところで突如として今度は無意識が邪魔をし始め、本心が言葉にならないことを察した彼はハッとして思い止まり、なんとか弱気で情けない自身を晒さずに済むのであった。

事の大小は存在すれど、今回のことが取り返しのつかない事象であることに変わりなく、それを隠そうとしたのもまた事実。

加えてその事情を瑚々(ここ)に伝えてしまうのが、彼女にどれだけの苦労を掛けさせるのか分かったものでもない。

だからこそ自身の問題...つまりは過去のことについては何にも口にすることはなく、これ以上彼女たちを巻き込むわけにもいかないと、そう...。

瑚々(ここ)から続くさらなる質問を受け取りながら裏人(うらひと)は、自分一人が追い込まれればそれだけで片が付く今件についてはそういう形で決着をつけるとの結論を固め、彼女には一切を悟られないよう尽力していくのであった。

この素晴らしき朝と瑚々(ここ)たちが作り上げてくれた文句の一つも出てこない、180度一転した心洗われる現況のことを想って。

頬を伝う一筋の雫に覚悟をのせ、(しがらみ)から解放されたいと思う胸の内を深呼吸にてねじ伏せながら。



「昨晩のお食事は、美味しかったですか?」


「...ふぅ、うん。

 すごく美味しかったよ。」


逢花(あえか)ちゃんが張り切って作っていましたから。

 裏人(うらひと)さんもいっぱい食べてくださって、よかったです。」


「もちろん。

 それに、あんな美味しい料理なら、これから毎日が楽しみだよ。」


「...やはり裏人(うらひと)さん。

 昨晩のことは...何一つ覚えていらっしゃらないのですね。」


「―――――、え?」



目を見張る裏人(うらひと)はその言葉を皮切りに発熱していく身体の異常を感じ取り、失態を犯した際に胸の内へと膨らんでいく、ストレス性の吐き気のような心地に身をやつしていった。

「やってしまった」と、何もかもを悟った状況で一人緊張感を抱きつつ、瑚々(ここ)の方へと振り向いては今度こそ驚きの表情を露わにして。

どういうわけか見抜かれてしまったのだ、言及されたくなかった自身の過去...つまりはつい五時間ほど前(・・・・・・)までの出来事についてを―――――

また加えて、特に何をいうでもなくただそれをひた隠しにしようとしていた、卑しい心の内までも。

ゆえに閉塞感に苛まれた裏人(うらひと)は、頬を伝っては首筋にまで流れていく脂汗(・・)を拭うこともできずそのままに、また取り繕うように言葉を重ねるのだったが。



「何が―――――」


「あーあ、逢花(あえか)ちゃんがあんなに張り切って作ってくださった御馳走でしたのに。

 裏人(うらひと)さんが覚えていないなんて、逢花(あえか)ちゃん可哀想ですね~。」



喜びや平穏で表す感動もなく、ただひたすらに呆れられることを恐れた焦燥感のみが胸へと膨らみ、押し黙らされてしまうまでに陥るのだった。

実のところ彼は、昨晩(さくばん)を経て今日(こんにち)の朝より瑚々(ここ)たちから向けられる厚意が、一層親しげになっているその理由を全く覚えていないのであった。

二人から贈られたであろう最高級の関係値も、そんな彼女らの笑顔溢れたもてなしも、一体自身が何を喋ったのかすら。

まるで実在していない記憶を掘り返そうとでもしているかのように、あまりの捏造を受け入れきれず曖昧な言葉を吐き出してしまいそうになる感覚が襲い来る。

故に起床時より嘘を徹底していた裏人(うらひと)だったのだが、現況はまるでそんな自身を見透かしたかのような展開を作り上げ、ついには後戻りできないところまで来てしまっていた。

女の勘も千両役者の方便もまるで意味をなさない、こういう状況においては唯一無二で最強な瑚々(ここ)の御前という立ち位置へと。



「...。」



こちらの様子を窺ってくる、彼女の瞳が見えないはずの真実までを見通そうするかのように向けられ、何もかもが無意味であったことを悟ってしまう。

またこうやって焦った際の、後のことまでを考えずに行動してしまう自分自身は未だ健在であるようで、そんなところにも呆れたため息が漏れ出してしまう。

と、あれやこれや想像し、一人で追い込まれる裏人(うらひと)をひとしきり堪能したのか、次の瞬間―――――

堪え切れないとばかりに突如として微笑み露わにした瑚々(ここ)が、彼だけが張り詰めていると思っていたその場の空気感をゆっくりと明かる気な印象へと作り変えていく、そんな様子を展開していくのであった。

そしてそれに対し、今度は一瞬で事の顛末を悟った裏人(うらひと)瑚々(ここ)からの声かけと同じくして状況を理解していくと、寝起きの一時が終わりを告げるようなそんな活力が辺りに満ちていくのを肌で感じ取っていくのだった。

人生でたった一度しかない『出会い』という瞬間を忘却した自身に、つとめてカラッと澄んだ声音と軽々しいほど能天気な印象を送り。

ただからかってみたかっただけだと、満足したから事態の収束を急ぐといった様子で、朝の忙しさを取り戻しながらそれでも楽し気に笑う様子を見せて。



「...ふふッ、なんて、冗談です。」


「―――――...はぁ、もう。」


「この件については、すでに天道(てんどう)さんからお話をお伺いしています。

 それに、天道(てんどう)さんのお力は、ボクもきちんと理解していますので。

 記憶が不確かになっている方を目にするのは、何度も経験がありますし。

 ...焦りましたか?」


「寝込むよ、このまま。」


裏人(うらひと)さんの喜び以外の感情が見れたのは、とても喜ばしいことです。

 とても美味しかったですよ、焦りと恐れの感情。」


「これが、『方相氏(ほうそうし)』ですか。」



美味しかったとそう言ったのは、『方相氏(ほうそうし)』が他者の負の感情を糧として力を振るっていると、その説明に準ずるところであろう。

そしてまんまとしてやられた裏人(うらひと)は、瑚々(ここ)の思い描く通りに彼女へ養分を差し出していたということになる。

まぁだからと言って、こちらの寿命が削られるわけでもなければ、至って何ら変化のない事情ではあるのだが。

負の感情を浮かべていたと、そう悟られてしまうのはこそばゆいというか、恥ずかしいというか。

なんとも言えず歯がゆい心情を浮かべさせられた裏人(うらひと)は、そうやって続く瑚々(ここ)の説明を受けながら、失われた記憶を繋ぎ合わせるよう後の時間を過ごしていく姿勢を見せていくのであった。

そうして彼女が渡してくれた衣類に身を包み呑気な寝間着姿に別れを告げると、逢花(あえか)の調理が終わるまでの間をそうやって二人の作戦会議の時間としていくのであった。

もちろんその話し合いとは、昨晩のおもてなしを全て率先してくれた逢花(あえか)のことを想って、事情を知っている瑚々(ここ)の助力と共に彼女を悲しませないようにするためのものである。



「それでは、昨晩のメニューから―――――」



事の大小は存在すれど、この『出会い』という瞬間は二度と訪れることはない。

例え小さなことで深く考え過ぎなのだとしても、それは自分が結論付けていいものではなく、逢花(あえか)の受け取り方次第で重みの変わるものなのだ。

だからこそ、誠心誠意やるべきことはやる、なんて―――――

変なところで男気を見せる彼は、今後の人生において二度とないほど、この瞬間に最もな集中力を見せるのであった。

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