店内にて
~特異鬼制教導機関~
ガヤガヤ―――――
洒落たBGMに落ち着いた談笑と、控えめな様子で賑わう店内は少しだけ薄暗く、大人びた印象を展開していた。
外のお香のにおいと打って変わり、気分を害さない程度で満たされる酒とタバコと料理の香り。
それが誰の感受性によっても同じ『気持ちのいい渋さ』を引き立たせると、自然を心を鷲掴みにされるようなふわっとした感覚が、胸に流れて静かに消える。
すると後に残るのはただこの場に訪れた客であるという自覚だけになり、結果緊張という邪魔な二文字を完全に取り払ってくれて、身体が軽くなっていくような心地までを受け取ることができた。
とそう、天道 修二の後をべったりと追う裏人は、彼との『居た堪れなくも思ってしまいそうだから』という理由で近づいていた感覚を少し開け、一人で歩みを進める様子を見せ始めていくのだった。
広くも狭くもなく、ちょうどいい間隔で作られた店内の間取り。
まぶしくもなく暗すぎるわけでもなく、ちょうどいい明るさに保たれた輝度の照明。
うるさくもなく、だが静かすぎるわけでもない、耳に入って心地いいと思える雑多な声。
この場の一部になれたことが、これほどまでにうれしいと思える店なんて、存在するものなのかとすら思えるほど実家よりも気分のいい後継が、なんとも謙虚に自分たちを謹んで招待してくれている様すら感じ取れる。
と、まさしく経営者としての、完璧すぎる店づくりというやつを見せられた裏人は、そんな分不相応なことを考えながらも楽しんで、この場を満喫するようなつもりの内情を浮かべるのであった。
間もなく席に着いた自身のもとへと接客に来る、三人のまっこと美人なウェイトレスのうち一人の姿を目で追って、後に続くいたっていつも通りの店員さんとお客さんのコミュニケーションへと身を投じながらにして。
「いらっしゃいませ、お冷です。」
「ありがとう。」
「失礼ですが、お連れ様のご年齢を確認させていただいてもよろしいですか?」
「あぁ大丈夫、未成年だが今日は私も飲みに来たわけではないから。
ヲ解君、忙しそうかい?」
「...ッ!
マスターですか、少々お待ちください。」
いくら店内の様子がただの飲食店に遜色なかろうと、やはりこの場は遊宴郭。
年齢確認をされるのは業務上の義務であり、至極真っ当なことでもあった。
しかしながらその声かけがされるたび、裏人は少しだけ居た堪れない気持ちに苛まれると心の中だけで「すみません。」と謝意の念を浮かべ、ちょっとだけ背中を丸めて小さくなる様子を浮かべるのであった。
特に悪いことはしていないのだが、どうしても場違い感は否めない、なんて。
自身の状況を俯瞰して、やはり『変』の一言に落ち着いてしまうである現況に、恥ずかしさによるものなのか歩き疲れたことによるものなのか、背中を伝う一つ筋の汗の感触までを一人静かに味わっていく。
だがそんな景色を横目に、別段気にもしていないようなウェイトレスの美女は次いでこちらにペコリと頭を下げると、小走りにバックヤードへと戻る姿を見せた。
その後ろ姿に何となく、不思議そうな顔をするのはその言動を起こさせた天道 修二本人であった。
そしてゆっくりとカウンターに置かれたお冷へと口をつけると、裏人の方へと視線を向け、その言葉を独り言ではなく会話の切り口として消化させるような雰囲気を見せてくるのだった。
「ふむ、まだ顔を覚えられていないのか。」
「いや、というか。
その格好だからじゃないですか?」
「あぁ、そうか。」
何を素っ頓狂なことを言っているのか、なんて自身も今の今まで忘れかけていた天道 修二のもとの姿を思い出しながら、それでも「本人が忘れるなよ。」なんて内情を浮かべる裏人はジトっとした目を送る。
それを受け取った彼は「ハハッ」と乾いた笑みで返答すると、次いで納得させるような説明を放ちながら早々に席を離れるべく、立ち上がる様子を見せてくるのだった。
そして二言、三言、言葉を残すとその場から、慣れた足取り手お手洗いの方へと向かって消えていくのであった。
「普段は気に掛けるような人もいないから忘れていた。
じゃあちょっと、席を外す。
ヲ解君が来たら、少し待ってもらうように言っておいて。
あと、気にせず好きなもの頼んで食べててもいいから、そんなに時間は掛からないと思うけど。」
「あ、はい。
いってらっしゃい...。」
後に残った心境は、それでも心細くなんて思うことなく、店内の様子に呑まれるよう落ち着いた心地が広がっていた。
耳へと訪れるのはジャズの響きであろうか。
本当に、もっと騒がしいものを想定していた自身にとっては、この雰囲気が主体なのであれば認識自体を改めなければならないか、なんて―――――
店内を見渡しながら大人のお店に対する意識を変え、そんな取るに足りない思考を浮かべた裏人は次いで自分以外の客へと視線を送ると、流れのままテーブルの上に目を向けていくのだった。
卓上に広がっているのはこんもりと盛られた酒やタバコの残り...などではなく、至ってシンプルにおいしそうな料理の数々。
そしてそれをつつく者たちは、外の街並みから眺めていた『バカ騒ぎする客』なんて様子はなく、気分よさそうに盛り上がる礼儀正しい者たちばかり。
それが心底落ち着く居心地の良さを相乗させ、この場においては違和感にも近しい雰囲気を増幅させている一要因へと至っているのだった。
まるでこの店が酒場ではなく、負けず劣らずの酒類を展開した『食事処』なのであろうと、そう思えてしまうほどの印象が。
しかし隣客との距離は近いために居酒屋のような垣根を超えた親しみやすさも残っており、それでも酒より料理に意識が向けられているため、場の話題へ上がるのは酒場にあるような奇想天外なものではなく、普段通りの柔らかな雑談に落ち着く。
ゆえに、皆が一様に酒やタバコなど料理以外の嗜好品に手を伸ばしながらも、誰もがそれを非難することなく、好きなように好きなこと楽しんでいる雰囲気を保ち、皆にとって居心地のいい空間を作り上げているのだった。
何度だって言おう、この一部に溶け込むことができて、自分は幸せ者である、と。
すでにその場の雰囲気に呑み込まれそんな内情すら浮かべた裏人は一人、カウンターで二人の優男を待ちながら少しの店内観察の後、卓上に用意されたメニューへと目を通す様子を浮かべていくのであった。
表情へ宿した心情通りの笑みを見せ、ジャズの音色に心奪われること足元に仕草として表現し、リズムをとるその言動に合わせてお品書きの硬い表紙を、添わせた指で突きながら。
そうして一通り読み終えると最初のページに戻り、再度興味を惹かれる食事へと当たりをつけていくのであった。
間もなくして投げかけられる、ひとつの声音が響くまで―――――
「いらっしゃい。
君が、裏人くんかな。」
「―――――ッ!?」
ガタンッ―――――
少し高めのカウンターチェアが空を切る。
そして床と触れ合うと、皆がこちらの方へと振り返るほどの不快な音が店内全域に鳴り響いていった。
刹那、聞きなれた吐き気のするような男の声が耳へと届き、飛び退いた裏人はそうやって椅子を倒すと、後退する様子を見せたのだった。
自身がトラウマにもなってしまっている、あの集落で聞いた―――――
鋭く突き刺さるようにも、心の奥底を掴んでくるようにも思える、あの声を聞いてしまったから。
スッと耳から入り、聞く者すべてを格下であると、そう断定するかのようにニヤけた印象を含んだそれと再会してしまったから。
「ふぅ、あんま煩くせんでくれんかな。
んん...皆さん、失礼しました。
続き、食事を楽しんどくれやす。」
周囲からの視線を一手に引き受けた裏人は恥ずかしくも店内で、全身全霊の敵対意識を持ちつつ目前の人物との距離を保って不慣れな構えの姿勢をとってみせた。
その声音と...頭に残る記憶とは少しだけ異なった、一切ニヤけることなく真剣なまなざしでこちらを見つめてくる、あの伝槙 柏伯と同じ顔の男の前で。
「とりあえず座んなさいな、取って食ったりせぇへんから。」
ちょっとだけ怒ったような、それでも精一杯にこちらを気遣うといった様子を浮かべた男はそう言うと、もう一度カウンターの席に座るよう裏人を誘導するべく、手招きをしてみせた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「どや、うまいやろ?」
「はい、とても。」
「落ち着いて食べな。」
「――――おや、さすがヲ解君、手懐けるのが早いねぇ。」
天道が席に戻ってくると、カウンターには周囲の客と同じように料理へとがっつく裏人の姿があった。
そしてその美味しそうに頬張る彼へと向けて、優しそうにも嬉しそうにも微笑みを浮かべる目的の人物の姿も。
ゆえに早急に足取りを速めた、元の姿に戻った天道は裏人の隣の席へ向かうとそこに座り直し、改めて旧友との会話へと花を咲かせる様子を見せて...行く予定だったのだが。
「ありがとうね、ヲ解君。」
「...。」
「すまない、少しばかり―――――」
「お水、ついどくな。」
「あ、ありがとうございます。」
「ええよ。
ご飯も、足りひんかったら、またいいや。
作ってあげる。」
「すみません、で...あの。」
「ん?」
「天道さんが―――――」
「デザート?
ほな持ってくるわ、ちょっと待ち。」
そう言い残すとするりとカウンターを後にする時一葉 ヲ解。
して残された裏人は、なんとも気まずそうに二人の動向へ意識を向け、様子を探っていく姿を見せた。
完全に無視を決め込んでいた、ヲ解は別に怒っているような気もしなかったが、あからさまな対応を見せたのも事実。
その背中を最後の最後まで見届けて、「二人は仲が悪いんだろうか。」なんて考えても無駄な疑問を心のうちに浮かべていく。
そして、気まずさを紛らわすように目前へ置かれている器に運ぶ箸を進ませ、なんとも長く感じてしまう時の流れを味わっていくのであった。
そんな最中もずっとこちらに視線を向ける、隣の席の天道の気配を横目に感じながら。
(なんで、笑顔で見てるのだろうか―――――)
「どう、裏人。
美味しいだろう、彼の料理は。」
「え、えぇとても。
...あの、天道さん?」
「ん、どうした?」
「ヲ解さんは、いつもあんな感じですか?」
「料理の腕かい?」
「いや、その―――――」
「なんて、冗談だよ。
さぁね、ちょっと機嫌が悪いみたいだ。
さては、裏人...何かしたのかい?」
「...僕じゃないと思うんですけど。」
「おかしいな、それじゃあ私にも見当がつかないや。
じゃあ、一人で勝手に―――――」
「キミがまた、うちの顔を勝手につこうたからやろ。
ん?」
「こーっわ。」
のんきにそんなことを言い、聞かれたらまずいのではと、二人の内情を知らずともそんな察しがついていた裏人は次の瞬間、身体を硬直させた。
はたと気が付くと、元居た位置にデザートの器を持って戻ってきたヲ解の姿があったからだ。
静かなる怒り、それが先ほどまで浮かべていたものと同じで、自分はその激情に気が付かなかったのだと思うと―――――
ヲ解への第一印象...は最悪だったから、第二印象として受け取ったあのただひたすらに優しい男性のイメージから、認識を変えなければならないと彼は震える様子を浮かべるのであった。
大声を出して怒る人よりも静かにキレている人の方が断然怖いと、あの心情が共に顔をのぞかせてはその改心に拍車をかけていく...「(もうヲ解さんの顔を見ることなんてできないかも。)」
とそんな心情を露わにして、続き箸が進んでいく裏人の様子をよそに、カウンターを挟んだその場には言い合いをする、二人の恐ろし気なやり取りが展開されていくのであった。
まぁこれで仲が悪いわけないか、と次第に誤解が解けていくよう肩の荷が下りた裏人の静かなため息が漏れるまで―――――
気の知れた間柄での言葉遣いを用いたあっけらかんとした様子と、だからこそ静かにキレていく、わかりやすい二人の印象を流して。
「釈明。」
「いやぁ、私が知る限り―――――
君より裏のあるような恐ろしい顔の人は見たことないからね。」
「会計100割増し。」
「いやぁ、今日は支払いが嵩んだからねぇ、つけといて―――――」
「1000割り増し。」
ヲ解の作る料理は、記憶の中にある祖母のものに負けず劣らずの美味であった。




