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特異鬼制教導機関  作者: 美音 樹ノ宮
32/37

昼間の時間と夜の時間

~特異鬼制教導機関~







「そうだ、聞き忘れていた。

 昼間の買い物はどうだった?

 『グランドモール』に行ったんだろう。」



路地裏を抜けてから一つ隣の大通りに差し掛かり、先程に比べては酒飲みが増えて呼び込みの女性陣が減った、居酒屋がメインとなる道へと顔を出す。

目的地となる場所まではあと少しというところまで来たらしい。

そこで天道(てんどう)裏人(うらひと)の二人は、思い出したかのような言葉から始まった会話に花を咲かせつつ、足取り軽やかに大股で歩く様子を見せていた。

随分と減った好奇な目と、代わりに向けられるようになった彼への...いや彼女への下心込められた何とも下品な視線を一手に引き受けながら、時間がないと先を急ぐようとあるお店へと向けて。



「はい、もうめちゃくちゃ広かったですよ。」


「向かったのは家具屋と衣料店だけかい?」


「それと、見ての通り美容院です。」


「あぁ、凄くかっこよくなったね、本当に見違えたよ。」



『グランドモール』。

この日本国で最も大きく、最もよくその名が知れ渡っている超大型のショッピングモール。

その広さは簡単に言えば丸一日かけて走り回っても15分の1程の範囲も見ることができず、買い物をしようものなら特定の入口から特定のルートを前日までに計画しなければならないほど、規格外のものとなっている。

加えてその方針通りに動いたとて、脅威の集客率から成人の大人でさえ当たり前のように迷子にもなり、駐車場からモールの入口までは下手をすれば数時間の道のりとなるため、『グランドモール』で買い物をする前の準備をする...前の準備をすることまでが当たり前のように要求されている、恐ろしい施設である。

その影響は他の総合スーパーやネットの通販ですら巻き込み、グランドモールに赴くための品が置かれている専用コーナーや特設ページが存在するほど。

中身は子供が迷子にならないよう持たせておく、他の電波をキャッチすることがない工夫が施された一対一専用のGPS―――――

携帯性を捨て去り、飲み物を数十時間保温、保冷するために全力を注いだ造りの水筒―――――

特定の区画に制限され配信されている各都道府県に点在する全『グランドモール』の電子上の地図に、人気店などの人が溢れかえりそうなお店の整理券―――――

また近くの駐車場に止めれなかった際モールまでの移動手段として公式に推奨されている、従来の自転車や原付のハンドル操作のようにして速度を増す四足のホバリングしたキックスケーターに―――――

同じく四足でホバリングする自転車のように座るタイプの乗り物と、それら軽車両を車に積むために必要となる付属品の数々―――――

そして極めつけは、最も目を引き最も異様に思える、駐車場から『グランドモール』まで続く地下鉄の定期券など。

そんな、(いち)ショッピングモールへ赴くために本当に必要かと疑えるほどの準備を、モール以外の専門店や各鉄道駅(てつどうえき)など含めた商業施設で行わなければならないとなると、どれほどこの『グランドモール』という場所が馬鹿げているか、理解しやすいだろう。

計画を練るための時間とお金を浪費し、そこまでの支度を済ませたとしても結果、全体の20分の1ほどの範囲しか見て回ることができないモール内―――――

約30階建ての建物の外観は遠くにいても広々として目に映り、20近くある一階部分の入口は一度開けば花火のような大盛況が館内から漏れ出す様子を見せている。

また映画館やフードコートに、ミュージアムや高級レストラン、大型のフィットネスクラブや最高峰のランクを与えられたブランドショップは十数ヵ所存在し―――――

一般的なレストランからブランドに食料品、各衣料店や美容院に雑貨屋、カフェ、家具屋、専門店とフードコートなど、多種多様なお店はそれ以上に姿を見せ、モール内に人と活気を呼び込み続けている。

そしてこの京都含め、全国の限られた『グランドモール』には水族館や遊園地などテーマパークが併設されている場所もあり、そこを含めて限られた施設を省いては全区域24時間営業を掲げ―――――

連続の日程で行動計画をしているものにとっては、何より有難く思える宿泊施設までを完備しているときた。

そのためこの『グランドモール』では、仰々し過ぎる準備を必要としたとしてもそれを気にも留めないとばかりに途絶えることのない国内外問わずの観光客が連日(れんじつ)波のように押し寄せ、いつの間にか日本国を代表する『眠らない観光地』としての人気を博しているのであった―――――



「それに、楽しめたのならよかった。」


「まぁ、歩き疲れはしましたけど。」


「だけど、確かそんなに遠くはなかっただろう?

 澪玲(れれい)の行きつけの美容院から家具屋に衣料店は。」


「いや、なんというか。

 結構こだわって...選んでくれたので、服も家具も。」


「なるほどね。」


「それと、思った以上に信号と列車待ちが…。」


「あぁ…。」



楽しめたことに違いはない。

だが、それ以上に痛感してしまった疲労を思い出すよう口にした裏人(うらひと)へ対し、その場に天道(てんどう)の同情するような乾いた笑みが響いていく。

なんとも有意義であった昼間のひと時。

その情景を振り返り、より鮮明に脳内へと姿を現すのは、広々とした通路を走る何とも場違い感の拭えないモノレールや路面電車などの公共交通機関であった。

『グランドモール』のメインとなる大通り。

そこには行き交う人々の群れと共に、彼らが目的地までの移動手段として利用する列車のレールや線路が悠々と走っており、気持ちの良い汽笛や心地よい踏切の音を響かせてモール内を駆け巡るなんてそんな姿を見せてくれていた。

東西南北へ伸びる線路には路面電車が、『グランドモール』をぐるっと一周囲むようにモノレールが、またメインとは別の細々(こまごま)とした通路には可愛らしい線路に可愛らしい車体へと縮小された、屋根の上に乗るタイプのミニSLが配置され、それぞれ乗る人に楽し気な雰囲気と愉快な情景を運んでいる。

なんてそれら多種多様な全ての交通機関は、当然ながら一般客との安全性を確保するため、様々な整備が施されているのだが―――――

そのうちの一つである踏切は、モール内の通路へ等間隔で設置されており、横切って向かい側のテナントへと横断するだけでもタイミングが悪ければ数分間の足止めを食らってしまうといった煩わしさを見せているのだった。

かなり広めに作られている大通りは、もしかするとこの線路を(もと)として、人が歩くスペースを確保しているのではないかと思えるほどの存在感を露わにしつつ。

それゆえ、初めは興奮によって気にならなかった足や身体の疲労が信号に阻まれる(たび)掘り返され、その浮き沈みによっては余計な疲れを感じてしまうまでに至るのだった。

見上げれば低所恐怖症に陥ってしまいそうになる、馬鹿げた高さの各階層が見下ろしてくる吹き抜けの広場―――――

モールの中心部にて広々と造られた、テナントが取り囲む様に周囲を埋め尽くす縦横(たてよこ)にとてつもない広さを見せるドカッと(ひら)いた空間―――――

そのトンネルのような景観の中へ建てられた高速道路とその上を行き交う東西、南北へと『グランドモール』を突っ切って走る一般車両―――――

そしてそんな様子を周囲の店の、ガラス張りになった座席から眺めては、本当に見えてるのか十数階同士の向かい側から手を振りあう一般客など。

そんな思いもよらず、また机上の空論だとも言えるほど奇妙にも新しくも面白くも思える造りを見せる異様な情景によって得た高揚感が、疲れを全て取り払ってくれるよう五感全てで自身を含めた一般客を楽しませようとしてくれていたのに...

それが何度も何度も信号に阻まれることによって逐一思い出さされるとしたら、ショッピングモールにある電車と踏切なんて聞くだけでも楽しめそうな『非現実』を実際にはムカついてもしまう要素へと発展してしまったのだった。

ゆえに『グランドモール』の観光という行為においてそこまでのイレギュラーを想定していなかった裏人(うらひと)は、予想外のところで悪い意味でのリアリティーを感じさせられ、今この場でもため息を零れさせるまでに至ってしまうのだった。



「タイミングの悪い時に行ってしまったのか。

 波があるからね、あそこは。」


澪玲(れれい)さんも言ってました。

 昼食後は分かりやすいほど路面電車が活発になるって。」


「でも凄いだろう、あの景色は。

 下は路面、上はモノレール...裏人(うらひと)くらい世の中のあれこれを知らないままだと尚更。」


「怖かったですね。

 車両が隣を通るのも、通路を左右に渡るだけで信号待ちをさせられるのも、あと反響する踏切の音も。」


「広いからねぇ。

 だから『グランドモール』は、(いち)都市としての認識をした方がいいと言われているんだ。」


「確かに、あれはショッピングモールではないですよね。」


「そう。

 まぁちなみに踏切とか館内の列車とかは、『グランドモール』以外の複合商業施設にはないものだからね。」


「やっぱりそうですか。

 あそこが異常なんですね。」


「そゆこと。

 それで、結局買い物にはいくらぐらい使ったんだい?」


「あッ...え、えーっと。

 2百...くらい、です―――――すみません。」


「―――――おや、思ったよりも使わなかったんだね。

 ちゃんと全て買えたのかい?」


「えッ、そりゃもう...。

 必要なのかどうか疑うほどには。」


「そうか、ならいいんだ。」


「...2百は、天道(てんどう)さんの中では使わない方なんですね。」


「一応1千万ほどは用意しておいたからね―――――


「―――――1千万!?」



先の話題から想起して、興奮冷めやらぬ内情のまま話す裏人(うらひと)の驚いた声に対し、なぜか重ねて驚いたような言動を見せるのは天道(てんどう)の方であった。

頭の中に存在する知識...この日本国という国のことと、人としての当たり前についての認識が異なっているのだとしても、おそらくその額は常識を遥かに逸脱した援助だと断言できようもののはずなのに。

「意外と使わなかったんだ」なんて、拍子抜けな雰囲気で放たれる声音が逆に不気味に思えてしまい、その言葉を以てして『グランドモール』の認識と同様、天道(てんどう) 修二(しゅうじ)という男への態度を改めなければならないかと彼は引き攣った笑みを浮かべるまでに至るのだった。

とてもではないが澪玲(れれい)のように「天道(てんどう)さんは金持ちだから後で多めに請求する。」なんてふざけたことは裏でも口にできないと、そう思えるほどの怖さがこの人にはある、なんて。

内心ビクビク怯えながら目前の人物との距離感を図るべく、まずは物理的な空間を確保しようと試みてみるのだが―――――



「うん...あと、はいこれ。」



次いで手渡されたとある物によってさらに内情を煽られるまでに至り、距離感のことを無にするどころか貫通した驚愕の念によって自身の中にある確固たる常識すらもバグってしまうと、そんな心地を抱くまでに追い詰められてしまうのであった。

一瞬にして先の興奮も冷めきり、代わりに冷や汗が止まらなくなってしまうといった、異常なほどのリアリティを孕んだプレゼントによって。



「なんですか、これ。

 ―――――え、通帳...?」


裏人(うらひと)の預金通帳。

 私が用意したものだ。」


「いや...え、受け取るんですか?」


「そう。

 ほら。


「はぁ...ありがとう、ございます。

 これは、何のために?」


「中を見てごらん。」


「えッ!?

 桁...一、十、百、千、万、十万、百万...―――――

 正気、ですか?」


「何がだい?」


「この額ですよ。

 頭、バグりそう。」


「何を言うか。

 君が住む『柊荘(ひいらぎそう)』の賃料は、一ヵ月でそこにあるお金の50分の1が飛んでいくよ。」


「えッ、5百...!?

 なんでそんなところに。」


「私たちにもいろいろ事情があってね。

 まぁそれと、君たちの生活費も諸々そこに入っている。

 残念なことに、瑚々(ここ)はそういう日常生活のところはからっきしだから。

 見たでしょ、彼女のあの天然っぷり―――――

 だから、家のことも含めて全て、君に任せておく。

 わからないことがあれば私や執朗(とろう)君か、後は澪玲(れれい)に聞いてくれ。」


「ちょ、ちょっと待ってください。

 こんなの、今渡されたって―――――」


「それもそうか。

 では、帰りに渡すとしよう、覚えておいてくれ。

 それと...これもついでに。」


「今度は...何ですかこれ。」



思った以上に長く、また思った以上に手厚い信頼と愛情の込められた会話を受けた後、間髪入れず手渡されたのは例の携帯電話と似つかわしい金属質の棒であった。

しかし、今度は円柱のものとは違い四角形を縦に伸ばしたような四角柱で、重さはメタリックな外観からは想像もできないほどに軽い。

また長さは約十五センチほどで真ん中に一つ切れ込みが入っており、そこから上下を互い違いに捻ると淡い白色の光がほんわかと灯るといった、先のものとは異なった特徴を見せている。

そして手元で軽く振ってみた感触ではやはり内部が空洞になっているようで、重厚感の絶えない見かけからチープなイメージが沸き上がり、どことなく気持ちの悪い印象を与えてくれる。

とそんな謎に包まれ異質な雰囲気を放っている物体を渡してきた天道(てんどう)は、不思議そうにひとしきり眺めている裏人(うらひと)を少しの間待ち、答えが出ないことを見越しては次いでこのように答え合わせを続ける様子を見せるのであった。

渡したはずのそれをひょいッと奪い取りながら、近くに停めてあった誰のものとも知らない車に向けて先程裏人(うらひと)が手遊びをしていた通りに真ん中の区切りの位置から上下を捻るような仕草を見せて。



「万能キーだ。」


「万能キー...って何ですか?」


「車の鍵だね、ほら。」



ピッ―――――



「え、あれ天道(てんどう)さんの車ですか?」


「いいや、違う。

 誰のかも知らない。」


「じゃあ何で鍵開いたんですか?」


「それが、『万能キー』だ。」


「犯罪ですか、お返しします。」


「こら―――――」



話を聞くにその万能キーとやらは、現代社会の全車両に備わっている『とある信号を受信することによって強制的に施錠の開閉や走行中の緊急停車などを作動させる』といった操作を、簡単に引き起こすことのできるシステムであったらしい。

凶悪犯の逃走車両や暴走車、危険信号を発した病状者の乗る車など、特定の場合にのみ特定の人物だけに所持、使用することが許された特殊道具である...らしいのだが。

そのシステム上、犯罪者やそのおそれがある者に渡ってしまえば大変な事態に陥ってしまうが故、特定の人物とはこの日本国において治安の維持に努めている捜査官の組織のトップや軍事のトップ―――――

人間国宝に認定された医療従事者に各国会の首脳と8名の総理大臣、そして唯一の皇室のボディーガードなど、人の命を救い、守り、大切に思う全ての心技体が揃ったものにしか授与されないものであった。

それをなぜ天道(てんどう) 修二(しゅうじ)が持っているのか、その凄さがわかっていない裏人(うらひと)そんな単純なことを考えては、次いで浮かべた内情をそのまま尋ねるよう呑気なことを口にするそぶりを見せるのだった。



「それじゃあ、何で僕に?」


「必要になるからだ。」


「ということは、僕も車を―――――」



至って一般的な人間は本来、変なジンクスによって自身の思い描く通りの展開が壊されないよう、敢えて事実とは真逆のことを言ってその場を濁すものである。

小難しいことを言ったが、例えばこれまで過ごしていた場所から突如として引っ越しを迫られるようになった際、その先が豪邸だとわかっていても「狭い場所の方が落ち着くのにな。」などと敢えてスカしたことを言い、喜びを押さえつけようとするものなのだ。

この場合で言うと「どうして鍵を?」とか「天道(てんどう)さんの助手席はちょっと危なそうですね。」なんて『自分の車』という単語をいかに自身の口から発さず、彼の口から言わせるかといったところ―――――

誰にでも経験のある、恥ずかしくて陳腐で、子供っぽくてもなぜかやってしまうあの思考...なのだが。

今の裏人(うらひと)にとってはそんな当たり前が通用することはなさそうで、感覚が麻痺したことにより自身の思い描く通りの展開を自ら口走ってしまうまでに至るのであった。

これではまるで、澪玲(れれい)の運転する姿を見て自身が車両を操る姿を想像し、年甲斐もなくそれではしゃぎ回っている大人気(おとなげ)ない人間みたいではないか。

と、少しだけ残ったプライドにも反して、事実子供っぽい姿を見せたことによる恥ずかしさを感じながら、それでも口を突いて出た喜びの表現を止めることができないと自信満々に全てを言い切る姿を見せて...。



「―――――んッ、なわけないですよね流石に。」



―――――なんてまぁそうやって色々考えてはいたが、この羞恥心も含めた取るに足りない思考も現況においては何の役にも立たないのであろうことには正直察しがついていた。

何かのフラグも、何かのジンクスも、全くもって意味をなさない。

事実、引越しに関しても豪邸に住まわされる羽目になり、友人も同居人も同じ人間とは思えないほど人ができた者たちで、巨額のお金さえ手に入ってしまった状況を振り返ると、何をどう控えて振る舞ったとしても気持ちの悪いくらい自身の都合のいいようにことが進んでいるのだ。

それが何を意味しているのか、謙虚さなどが皆無であろうと、今の自身の意思などは全く反映されておらず、ただ欲望のままに欲するものが与えられるなんて瞬間に身を置いてしまっているのだ。

つまりはこの後、おそらく自身の望み通りに渇望するものが容易く手に入る、なんて罰当たりにも思える未来が待っているのだろう。

と、これまた呑気に無抵抗のまま展開に沿って進んでいく裏人(うらひと)は少しだけニヤける口元を押さえながら、想像とは真逆の意味の言葉で先の文言を上書きしつつ、ただひたすらに天道(てんどう)の放つ言葉だけを待つ姿勢を見せていくのだった。



「あぁ、用意してある。」


「―――――そんな...いただけませんよ。」


「顔は、しっかりニヤけているけどねぇ。」


「...―――――」


「まぁまぁ、実を言えば嬉しいだろう。

 わかるよ、私も好きだからね、こういうのは。」


「いや別に...それに僕免許とか持ってないですし。」


「じゃあいらないかい―――――」


「―――――もらいますけど。」


「うん、君はもっと、そうやって欲を出した方がいい。」



このままでは一度捕まえた大きな獲物を逃してしまうことになる...なんて。

もうどうでもいいと情けなくてくだらないプライドを瞬く間に捨て去った裏人(うらひと)は、その場で天道(てんどう)の言葉へ重ねるようすぐさま欲を出しての返答を行なってみせた。

するとそれに対し、彼から送られてきたのは想像通りの嘲笑の言葉...などではなく、逆に我が子へと送る寵愛の念が込められたような思った以上に親切心溢れる賞賛のものであった。

何が「もっと欲を出した方がいい」なのか。

別段いつも通りで振る舞っていた裏人(うらひと)は、その返答に(言っている意味が理解できない。)と呆気に取られたような表情を露わにしてしまうまでに至った。

過去のことを取り繕っての笑顔を浮かべているだなんて思われていたのだろうか、それともこれまでの可哀想な生活を天道(てんどう)さんなりに気遣ってくれたのだろうか。

そう、あれやこれやと考えてみても皆目見当もつかないにない思考へ陥りそうになりながら、精一杯に自身の姿を俯瞰して。



「それは、どういう。」


「いや、もっと子供らしくしてもいいんじゃないだろうか、とね。」


「はぁ。」



腑に落ちない回答は、彼の十八番なのだろうか。

と、何度も何度も経験したそういうモヤモヤする返答へと、「それならこちらも気にせずいこう」だなんて対抗する気の彼は次いで首を横に振り、自身の中で落としどころを作っては冷静さを取り戻すような素振りを見せていくのであった。

そっと天道(てんどう)から視線を外しつつ手に持つ『万能キー』とやらを見よう見まねで操作していき、先の車へ向けて鍵を閉めようと試みるなんて慣れた所作を演出しながら―――――

「一体、他人の車を奪えるような装置なんていつ使うんだ。」と、もしかすると自身はこれから相当危ない世界に連れ込まれるのでは、なんて余計なことまでを思い浮かべ、いたって正常に作動してくれた車の様子を眺めて―――――

そうして続く天道(てんどう)の言葉を待つ前に、この場で起きた一通りの言動に対して溢れそうになっている子供っぽい内情を隠すため、自分から声を放つことで現況を動かそうとしていくのであった。



「でも、僕本当に免許とか持ってないですよ?」


「大丈夫、それに関しても一応用意してあるから。

 ...よし、ついたよ。」



だがしかし、自身の名誉を取り戻すべく続けたその会話はすぐに途切れることになり、代わりに天道(てんどう)からは左手を大きく広げ、目前のお店の看板を見るよう促してくる仕草が送られることになった。

そしてそれに釣られるよう顔を上げた裏人(うらひと)は、夜の街に映える綺麗なネオンを用いた装飾で『蝶契(ちょうけい)(いと)』という浮かび上がった文字を目にするのであった。



「それも含めて中で話そう。

 さぁ、おいで。」



慣れた足取りについていく未成年は、今一度この場で実感する羽目に陥ってしまう。

緊張を解くために話を続けてくれていたのかと、大きすぎるその背中を視界一杯にとらえ―――――

『大人の店』に入店するとの心の準備ができていなかったために流れてくる冷汗を、なぜかどの瞬間よりも生々しく感じてしまうといった緊張感に包まれながら。

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