『柊荘』にて
~特異鬼制教導機関~
「なんか、すごいね。
本当に夢みたい、これ。」
「ふふ、驚きですか。
嬉しいです、裏人さんの面持ちに変化が見られて。
これまで、どこか浮かない顔をしたままでしたので。」
「え...そう、だったっけ。」
「はい。
表情の違いはありましたけど本心では元気がないような、そんな雰囲気がしていました。
疲れていますか?」
「あー...まぁ疲れてないことはないかな。」
「もう少しなので頑張りましょう。
後...55階で着きます。」
「長いなぁ。
何階だっけ?」
「―――――78階です。」
「おぉ...夢だ。」
スーツを着込んだ社会人に立派な仕事着と所作を身につけた一流ホテルマン。
皆が一様に社長秘書だなんて風貌を見せるキャリアウーマンたちに、私服でも貫禄の見て取れる起業家の方々など。
日常会話なのか商談なのか、案外この時間でも賑わいを見せているロビーには、誰からともなく放たれる和気あいあいとした活気があふれていた。
広々とした間取りと高い天井、豪勢なインテリアと大理石で作られたフロントデスク、それらすべてを支える無数に伸びた巨大な石柱に煌めきの漂っているような晴れ晴れとした雰囲気の空間。
そんな壮観な表情を見せるエントランスホールから続く廊下にも、当然のごとく壮観な景色が用意されており、心地のいい絨毯と壁面の柔らかな手触りに、温かみのある照明と高級感を孕んで漂う香りがこれでもかと展開されていた。
まるで最高級のホテルの最上級のスイートクラスにでも足を運んでいるかのような、目まぐるしい華やかさが迫力として圧し掛かってくる。
と、それら多種多様ながらも合致して大人びた雰囲気が辺りを包む中、合間を縫って進んでいた二人...というより裏人は彼らが向けてくる視線によって明らかなる場違い感とやらを感じるまでに至っていた。
無性に恥ずかしくも思ってしまうのは、彼にとっては無賃でここに住もうとしているという事実が、現実味を帯び始めてきたからであろう。
また、隣を歩く見目麗しい少女と繋いだ手から、ほんの少しだけ上がった体温をも感じ取ってしまったからであろう。
それが行動したことによる発熱なのか、彼女が自分と同じように恥ずかしさを抱いてしまったことによる発熱なのかはわからない。
だが、事実として現実味のない状況とやつは手の内や目前へと姿を見せ、視界いっぱいに映るように人の皮や光景そのものを被り、裏人の緊張に包まれた内情を追い込むかのように広がっていた。
だからこそ口にした「夢」などという馬鹿げた言葉もあながち間違いではないのだろうと、この場に相応しくないような自身の存在を排除すべくそれら全てが、見下し見下ろししてきているような心地までを体感してしまうのだった。
まぁ家賃を払うわけでもなく、ただ歩き眺めていただけでとんとん拍子に進む現状を受け入れてしまっている自分のことゆえ、その息苦しさは当然といえば当然のものではあるのだが。
でもこの際だからはっきり何度だって言ってやろう、集落から出た外の世界は狂っている、と。
この場に訪れるまでに通ってきた教導機関然り、道中車内から眺めていたまるで現実離れして見えるほど巨大な駅然り、そこから発車される宙へと浮いて見える多数のモノレールの存在然り。
車や人だかりに高層ビルなどの物理的なものから、実際に輝いて見える雰囲気や常に緊張感の漂う空気などの精神的なものまでにおいて、『リアリティが感じられない』との一言で溢れかえっているのだった。
もうその感覚とは何度も繰り返している通り、別の国ではなく別の世界へと迷い込んでしまったかのよう。
と、そんな考えを半分ほど傷心気味に感じ取っていた裏人は今、先のそれらの景色を思い返しながら瑚々と二人、エレベーターにて佇む様子を見せているのだった。
廊下の突き当たりに存在する、外観に黒色の大理石を用い、入り口を通れば床以外が全面ガラス張りで造られている、総勢十二台もの昇降機の一つ。
スケルトンになっている内部からは、タワーマンションの高さが故見渡せる府内の美しい街並みを見下ろせ、高所恐怖症であればガクガクと震えてしまうほどの『自身が高所へと昇っているのだ』という感覚をも間近に体感することができる。
また冗談めかしく言いつつも、緊張なのか物理的に空へと近い場所に向かっているからなのか、息苦しさが本当の意味での空気の薄さへと発展しているような心地まで受け取れるまでに至っていた。
そのため高所恐怖症でもない裏人は理解不能な現状への恐ろしさを感じ、それを払拭すべく何とか瑚々から掛けられる妙に落ち着いた雑談にて心を満たすような様子を見せているのだった。
大袈裟に突っ込んでみたり、彼女の横顔を直視してみたり、少し視線を外しガラスの外へと向けてみては、グーッと引き寄せられるような感覚に襲われ、またそれを振り切るように冗談を言ってみたりの繰り返しの中で。
そんな姿は、彼女から見て変に映ったのであろうか。
彼女の言葉に含まれていた、「元気がない」との発言通り心配させてしまう要素になってしまったのであろうか。
なんて一応の気遣いや体裁を保つための装いなどを駆使し、78階までの到着を待つ彼はあろうことかエレベーターで寄ってしまうような心地を受け取りながら、必死に堪える様子を見せるのであった。
「そうでした裏人さん。
先に紹介しておきたい人がいるんです!」
「ん、なに。」
「藤咲 逢花ちゃんという女の子です。」
「はぁ、その人...が?」
「覚えておいてください。
逢花ちゃんです。」
「逢花さん、ね。」
「ふふ、そうです。」
澪玲先輩の車から降りた時の、あそこから続くこの違和感は何なんだろうか。
とは裏人の心境。
瑚々とずっと一緒にいて、ずっと一緒に喋っていて、ずっと繋いだ手を見ても、一切気が付くことができないそのモヤモヤが胸の内に残っている。
何か気が付いた方がいいのだろうけどもその一端すら掴めず、ただ気が付かないといけないようなそんな焦りだけが内心を締め続け、それが変なところで緊張を増幅させている要因へと繋がっていた。
だがそうやってあれこれ考えている今も、その違和感には気付くことができないままでいる。
そして続き瑚々からの声を聞き、それに答える素振りを見せるだけで結果、いつも通りの様子に止まっていた。
「本日の夜更けは天道さんとお会いするのでしたか?」
「あーうん。
そのつもりだけど。
夜更けだったっけ、20時くらい。」
「あ、そうでしたか。
少し早いんですね。
それでは、夜中の12時くらいにはお帰りになられますか?」
「んーどうだろう。
まだ何するのか聞いていないんだよね。」
「ボクが聞いた話では時一葉さんに会いに行くとか。」
「時一葉さんっていうと...ヲ解さんで合ってる?」
「はい、天道さんの気の知れたご友人の方で―――――」
「え、ちょっと待って...。
さっき、お帰りになられますかっていった?
「えぇ、はい。」
「あー...ん、どういうこと?」
「えっと...鍵を開けておかなければならないので。」
「...。」
「いいですか、エントランスで受け付けの方にお部屋の番号とこの居住証明カードを見せて、先程登録した通り指紋のチェックと鍵を―――――」
「ちょちょっと待って...一緒に、住むんだっけ?」
「え、はい。」
「えッ、はい?」
同じようなセリフを、ちょっと強めのツッコミも交えて口にする裏人からは、とことん戸惑ったような雰囲気が醸し出されていた。
そして結果、妙なところで例の違和感の正体に気が付くまでに至ってしまうのだった。
今の今浮かべていた思考だったのに、よくあるあれだ。
気にしてるときは思い出せないのに考えを止めた途端、はたと気が付くようなそんな感じの。
何ともありきたりで何ともわかりやすく、滑稽でそれでいて一応スッキリした気持ちも感じられるようなある種気持ちの悪い理解と察知。
そんな状況に、ちょっとにやけるような表情をその面へと宿した裏人は、声を漏らさず胸の内で吹き出すような内情を浮かべるのであった。
そして次いで出たこの微笑みが、瑚々と一緒に住むのだという事実を知ったから浮かべたものであるとあらぬ誤解をされないよう、咳払いにて落ち着かせる素振りを見せると、続く瑚々の言葉を待っていった。
「あれ、ボク言いませんでしたっけ。」
「言ったっけ?」
「言ってないですね。」
「言ってないね。」
「それではなぜ逢花ちゃんの話をしたんですか?」
「いや知らんよ。」
「逢花ちゃんも一緒に住んでますよ。」
「え、それで覚えておいてくださいって?」
「もちろんじゃないですか。
ボク教育係ですよ?」
「もう何言ってんのかわかんない。」
「三人で一緒に住むんですよ。
裏人さんの身の回りのお世話はボクがしますからね。
後、色々やりたいことや夢もあるんです、一緒に叶えましょう。」
かなり興奮気味に喋る瑚々は、大切な部分や少しの説明を端折ったようにせかせかと話す様子を露わにした。
その時に浮かべられている微笑みは、特に藤咲 逢花という人物の名が飛び出たときに見せる優しい笑みは何というかこう、グッとくるものがあった。
本来の瑚々が顔をのぞかせたというか、普段はこんなによく喋る子なのだろうかと思える様子が垣間見えたというか、真の意味で彼女を知れたような気がして。
と裏人は、変な意味ではなく特に純粋な興味として、彼女のことを意識するような心地を抱くのであった。
二人きりの空間で、未だ繋いでいる手に少しだけ力が込もってしまう。
そんな自身の仕草を感じ、瑚々も自分のことを俯瞰したのか話しながらに少しだけ恥ずかしそうな表情を浮かべると、べらべらと喋っていたはずの口数が急に減っていく様子をみせ始めた。
そして間もなくしていつも通りの瑚々が展開されていくと、冷静さを取り戻したのかその夢ややりたいことなどの話をゆっくり落ちついて語る姿を露わにするのであった。
それら戻った装いへ、ちょっとだけ惜しいなと、もう少し先程の彼女の様子を眺めていたかったなと、そんなことを思い浮かべるのは裏人の心情。
普段の基本礼儀正しく、丁寧な口調を崩すことなく接してくれる彼女の影に潜む、少量の違和感を孕んだ真の気持ちとやらを彼はこの短い付き合いながらに感じ取っていたのであった。
敬語をさらに丁寧にしたような言葉遣いがおかしかったり、喋り辛そうにして見せたりなど、無理しているような素振りが心の底から漏れ出しているような、そんな節が見て取れていた。
だからこそ今見えた瑚々の、新鮮味のあるパーソナルな部分というか、本当に気の知れた間柄でしか見れない彼女の様子が消えていったことに、残念そうな内情を浮かべた裏人は目に見えないよう落胆する様子を露わにした。
だがそれでも特に追いかける素振りなどは見せず、至っていつも通りを装って返答する姿を見せて行くことにした。
長らく付き合っていけばいつかはまた見えるだろうと、そんな期待だけを胸に。
リンドン―――――
「―――――78階、78階でございます。」
「つきましたね、行きましょう、裏人さん。」
「あぁ、うん。
足元気を付けてね。」
「ありがとうございます。」
いつまで経っても慣れることがない。
いつも通りの彼女の様子、イコール至って平穏な装いだと勝手に判断している脳が、瑚々のエスコートに若干の遅れを取らせていた。
彼女の視界は今も昔も変わらず何一つ光を映していないというのに、自身の方を向いて喋る様子や扉の上に設置された階数表示へと顔を向け「あと55階で着きます」などと口にした様子や、78階のボタンも戸惑うことなく押していた様子が脳裏にちらついている。
その全てにおいて原理などは不明であるが、恐らく玄藤重教員から話をされた心眼とやらが関係しているのだろう事は察しがついていた。
おおよそ仮定の話にはなってしまうのだが、慣れや直感を集結させたその心の眼というやつは現状自身がどれくらいの高さにいるかなどといった、状況判断を正確に行ってくれているのだろう。
今の自身には到底理解もできないような現象ではある。
ただ、ここまで一切後ろに下がることなく先導し続けてくれていたあの背中が大いに説得力を増していて、一切の疑いなども介入する余地すらないほどの信頼感がそこにはあった。
通いなれた道でも目を閉じれば刹那、道のりではなく平衡感覚すら失うのが一般人であろう所を、周囲への気遣い含め自分を美しく見せようとする歩き方にまで気を配る余裕すらあると。
そんな彼女の様子をより近くで確認していた裏人だからこそ、先に話で聞いていた部屋番号はまでは自分が案内しようと心に誓い、開いた扉から彼女の手を引き歩みを進める様子を見せていくのだった。
思った以上に軽く手を引くことができている。
それは瑚々が疲れてしまったが故に任せようとしてくれているのか、はたまたこちらの真意を察して顔を立ててくれているのかはわからない。
だが、その雰囲気すらつかめないところがまた彼女の全てを見透かしているような直感へと繋がっていて、感心する裏人は瑚々の内心が前者であることを祈りながら、男としての役目を果たすべくエレベーターを後にする様子を見せていった。
また例の、高級感漂う廊下に心地の良い足音を鳴らしながら。




