整 瑚々という少女
~特異鬼制教導機関~
「大丈夫ですか、裏人さん。」
「いや、こっちのセリフなんだけど。
大丈夫?」
「ボクは至って平気ですよ。
あ、気を付けてくださいね、向こうから先生が来てますから―――――」
「えッ?」
階段を下り切った一階の廊下、外へ続くその通路の途中で曲がり角に差し掛かった際、不意に瑚々からそんな言葉を投げかけられた裏人。
もちろん、その発言に彼は彼女自身の身を案じて同じ返答を繰り出すのだが、その結果危う気のある状況に陥ってしまうのは裏人の方だけであった。
「―――――おっと、済まないね。」
「―――――あッ、すみません。」
瑚々の発言が、そっくりそのまま現実を招き、向こうの曲がり角から進んできた教師がスッと顔を覗かせてくる。
そして案の定出会い頭で衝突しかけた裏人はそれでも何とか身体を捩り、最悪の事態からの脱却を試みていった。
すると、そんな状況に気が付いた相手の教師も同様に避けるような身のこなしを見せると、見事かわし切った二人は互いに謝意の言葉を伝え合い、事の顛末は何事もなかったかのように元通りに進み始めていくのだった。
その光景にただ一つ。
自身の目が世界の全てを映していないはずなのに、誰よりも全てを見透かしたような瞳を浮かべる彼女の微笑みと、同じように繰り返した代り映えのない言葉をポツリと一つ残して。
「ふふ、大丈夫ですか、裏人さん―――――」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「―――――てなわけで、生徒たちに勉学と同じくらい効率的な休憩をもたらすよう、この中庭は豊かな自然をテーマに造られてるってわけだ。
質のいい学習は質のいい環境と休息からってな。」
「確かに、凄いですよね、ここは。」
「説明中、ずっと釘付けだったもんな、お前。」
「そ、そうでしたか?」
「そりゃもう...。
ところで、なんか気がかりか?」
「...はい。
あの、一つ...聞いてもいいですか?」
「ん?」
教導機関内をグルッと簡単に見渡して、『第二屋舎』から『第二体育館』を挟んだ反対側にある庭園へやってきた一行は、そこでそれぞれ小休憩を取っていた。
瑚々は小川に掛かっている手造り感満載の味がある木橋で一人、流水の音に包まれながらその流れを覗き込んでいる。
またそれ以外の玄藤重と裏人は少し離れた景観のいい花と樹木で満たされた森の様な場所でベンチに座り、そんな危惧の思いが絶えない彼女へと視線を送っていた。
落ち着いて大人っぽい印象ばかりだった彼女も今この場では精神的に子供へ逆戻りし、初めて会った瞬間のあの無邪気な笑顔だけが残ったかのように、はしゃぐ様子を見せている。
それが周囲一帯へ色めきや愉悦として広がっていくと飛沫をあげる水とともに華やかな景色を作り上げ、見守る二人のみならず草木や空間そのものをも笑顔に変えていくような華やかさを振り撒き広げていた。
そうやってそれぞれの落ち着き方を見せる三人を包んだ一帯の居心地はと言うと、二人の話題にもあがった通り本能的に自然を好み自然の中で暮らしていた裏人すらも興奮するくらいの質の良さを展開しているようであった。
床を追い尽くす人工芝や若々しい木々などの緑は口や鼻を通り過ぎ、肺に直接癒しを叩き込んでくるかのように澄み渡った空気を放っており、共に深呼吸する頭上の鳥も耳馴染みのいい音色を歌い下ろしてくれている。
また夏の暑い日差しすら遮断する木の葉の天井はスッとあたりに神々しい光芒を降ろすと、それが光のカーテンとなってはこの一郭を暗過ぎず明る過ぎない外観で彩り、五感の全てがホッと落ち着けるような雰囲気を作り上げていた。
この森のようなスペースに入るまでの日向と日陰の境目、それをくぐった瞬間から寒暖差で初冬の肌心地をも受け取れると、そんな体感をもってして。
さらに循環するよう設計された小川の流水も、必要となる箇所にだけ設置されたコケやツタの装飾も、間近で見れば渓流にいるかの如く錯覚を味わわされ、田舎の自然よりもわざとらしく、だが絵に描いたように規律の取れた景色を作っていた。
そして最初の説明で受けた通り、それら常識外れの存在感を見せる一教育機関の中庭であるはずのこの場には、大勢の子供で溢れ返ったとしても余分なスペースを余らせるほどの広い立地が確保されている、と。
ならば必然、ここが単なる学び舎の中だと言われて誰が信じるのであろうかといった度合いの活力と、無条件に休息をとらせてくるかのようないい意味での圧力が溢れかえっているのだった。
森を模して造られた場所、渓流をそのまま表現したかのような場所、みんなで走り回れる草原をモチーフに広がっている場所と、その全てにおいて長所を伸ばすよう計画された、教育者と設計者の溢れんばかりの思いとともに。
それもこれも、全ては今まで見せられていた都会の姿とそこから続く立派な外観を誇る銀葉歓教導機関の屋舎に囲まれているといった、コントラストが生み出した新鮮味によるものなのだろう。
都会の中にある、一区切りの絵にかいたような自然。
もっと大袈裟にいうと砂漠の中のオアシスとでもいうべきか。
そう、あからさまにオーバーな例えさえも沸き立ち、それでも割と間違いないのではと思えてしまう裏人はそんな内情のまま玄藤重教員の説明も話半分に、すべての緊張から解放された緩和によって堕落した内心を浮かべるのだった。
深呼吸すれば一瞬で視界が開けるような体感とすべての悩みがどうでもよく思えてしまうといった開放感を受け取りつつ。
そしてそれを余すことなく体外に表現すると玄藤重教員にギリギリ怪しまれない程度で、浅めに腰かけたベンチにてだらしなく腰や背中を丸めて両足を外に投げ出すといった体制をとり、次いで湧き出たいくつかの疑問を尋ねるような姿勢を見せながら。
もちろんその内容とはいの一番に不自然に感じた、少し離れた場所で木橋に座って小川の流れに足元を晒している女生徒のことについて。
「瑚々のことについてなんですけど。」
「おう、どうした?」
「その...。
彼女は本当に、目が?」
「...あぁ、見えていない。」
「そう、なんですね。
なんかちょっと、不思議に思えて。」
「まぁ、そうだろうな。」
口から出る言葉の一つ一つが、彼女にとっての失礼に当たらないよう悩みながら文言を放つ裏人は、少しだけ喋りにくそうな様子を見せる。
だが当然そのパッとしない表情と発言の意味合いには、何も『彼女の視界が暗がりに包まれていることが不思議だ』といった、不謹慎な感情などは一切含まれていない。
その真意の矛先は、彼女の言動についてのことを指している。
と、裏人はその文言を口にしてから玄藤重が答えに困ったような表情を浮かべている間、自身の頭の中で先ほどまでに起こった数々の信じられない記憶を一つずつ手繰り寄せ始めていった。
それは教室を出る間際の、あの言動に遡る―――――
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
玄藤重教員が姿を見せ、彼女からそれについて話しをされた後、いつの間にか自身の手は瑚々の柔らかな左手に包まれていた。
少しだけ訪れる静寂の中、自分は一切手を差し伸べたという記憶もないまま。
もちろん瑚々から対面で症状を聞かされた時は、すぐにでも手助けをしようとしていたのは事実である。
手を貸す用意もしていたし、必要であれば肩でも、さらには抱きかかえる準備すらもできていた、はずなのだが。
結果、裏人が助力するより先に瑚々の方から、何もかも全てが見えているとしか思えないほどに完璧な空間把握をこなした腕が、自身の手を目掛けて一直線に飛んでくるのだった。
触れられた腕から彼女の熱が流れてくるのを感じ、同時に「何かありましたか?」とでも言いたげな自信すらも感じられるような仕草と雰囲気が漂っている。
と次の瞬間、その内情を露わにそっと微笑む瑚々はまたもやその可愛らしくも綺麗な表情を、確認すらされていないはずの裏人の顔に向けて体現し始めてくるのだった。
あからさまにこちらを困惑させてくるみたいに、新たに見せた小悪魔のようないたずらっぽい笑顔をもってして。
そんな光景に裏人は、それでも反射的に温かな微笑みを返しては、何気ない雰囲気を彼女にも気づいてもらえるよう身に纏っていくのだった。
瑚々の目のことを知っていようが知っていまいが、女の子には紳士に対応するのだと、異性としてのあるべき姿を前面に押し出しながら。
「じゃあ、行こうか。」
「はい、よろしくお願いします。」
ただし、ここでの裏人の冷静沈着な態度は決して彼女の違和感に気づかないふりをしていたわけではなく、瑚々の身を案じてこうした方が彼女にとっても気兼ねないだろう、といった善意から自然に漏れ出たものであった。
というのも、そんな一瞬の言動だけでは彼女のあり得ないはずの行動や、違和感を感じないことが逆に違和感であるといった事実にも気が付くことができなかったのだ。
裏人の存在を、身長や体格、腕の長さや他人との距離を測るパーソナルスペース、顔の位置と目の位置に立ち位置や距離感までの全てを把握されているのだと、思い込んでいるから。
だからこそ裏人は至って平凡に、瑚々の役に立つことだけを考え、そのように専念し始めていく心意気を見せていくのだった。
そして彼女の手を強く握り返してやると、目前に捉える可愛らしい笑顔から目を背け、玄藤重の方へと手を引き歩みだしていった。
だが当然、そのあり得ない事象とやらは次々と積み重なり、それを見た結果すぐに裏人は気づかなければならなかった違和感を察してしまうまでに至るのだった。
始めのそれは、歩みを進めてすぐ後のこと。
二人で玄藤重のもとへと移動する中、瑚々が突如「画鋲が落ちてますね。」と口にするとその場にしゃがみ込み、裏人が踏み出そうとしていた場所からスッと針を取り上げてみせたのだ。
また教室を出て4階の廊下では、玄藤重教員が日誌を持ち直そうとして傍から零れ落ちたプリントを、地面より先に掴み取ってみせた。
そしてつい先程の瞬間へと戻り、前方不注意だった裏人を他所に、至って普通に歩いていた玄藤重教員すら気づけなかった、足音もせず曲がり角の向こうから迫る別の教員の存在をまるで見えていたかのように言い当てたのだ。
「地形を把握しているから」なんて生ぬるい言い訳では到底通用しないような、応用ばかりの出来事に対し、一瞬たりとも怯むことなどなく。
そして彼女は至って冷静に一言、こう言って締めくくるのだった。
「大丈夫ですか?」
と―――――
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「まるで目が不自由とは思えない、ですよね。」
「ま、事実不自由してないからな、あいつは。」
返答が帰る前に、回想から戻ってきた裏人が口を開き、玄藤重教員の発言を手助けをするような展開が流れていった。
そしてその返答には、さすがに意味不明だといった裏人が再度口を開き、話は詳細を織り交ぜながら語られる運びとなっていく。
教育係としてそばにいる手前、知っておかなければならないだろうと玄藤重教員からの無言の気遣いをもって。
それと、ただ一人の友達としても彼女のことを気にかけてほしいと、裏人から瑚々に対しての気遣いを浮かべてもらうようにも、意識の誘導を行いながら。
「話すべきことを話してからの方が、色々理解しやすいだろうとはわかっとるんだがな。
天道さんから一遍に聞いたほうがいいと思うから、手短に。
俺ら方相氏はな、いついかなる時も死を覚悟しておかなければならんのだ。」
そう話す玄藤重の表情が、一気に真面目なものへと変貌を遂げる。
するとそれを間近で聞いている裏人も自然と姿勢が整っていくと、そこには教師と生徒の一対一での対話の構図が展開されていくことになった。
人生の先輩として、これからの自身の展望、及び未来の選択肢について説いてくれるかのような雰囲気と、それ相応の温かみの込められた声音を以て。
だがしかしその内容は、一若者が聞くには少し残酷な内容ばかりになってしまうのだったが。
「急にお前さんにこんなこと言うのは、かなり酷かもしれんがな。
まぁ、それは追々理解してくれるといい。
んで整の話だけど、その過程で彼女は特殊な訓練を積んでいるんだ。」
「訓練、ですか。」
「あぁ、修行って言った方がいいか。
体術、剣術、護身術...その他、数多くの武術に精通してな。
それが今の彼女自身の体を作り上げている。
で、その結果整には心の眼が備わった。」
「心眼ですか。
正直、突飛な話しに聞こえちゃいますね。」
「ふッ、だろうな。
だからまぁ、追々理解してくれたらそれでいい。」
常人なら...自分以外の同年代の学生なら今の自身と同じ状況下で、また理解不能なこの話を聞いて、どれくらい順応できるものなのだろうか。
今もストッキングを脱いで生足を露わに、遠くで大人し目にはしゃぐ例の少女を尻目に裏人は、そんな好奇心に似た内情を浮かべた。
命がどう、心眼がどう、同い年の女の子が死に物狂いで身に着けた武術がどうと、正直なことを言うとそれら全てに一つも理解が及んでいない。
豊かな集落で仲のいい友達に囲まれ、別段都会に憧れることなく長閑な畦道を進み、少し住宅地に入った道路で数十年続いているここだけの小さな家電屋や駄菓子屋を横目に、将来はこんな風に呑気な場所で実家の神社を継ぐんだろうななんてことを本気で信じ、疑わなかった自分がなぜこんな場所で訳の分からない話を聞き、納得しなければならないのか。
何をいくら考えたとてうまいこと気持ちの整理がつかない裏人は、思い出してピリッと痛む首筋やその記憶を受け付けた別の少女のことさえ忘れてしまうと突如、それら事実がこっぱずかしい戯言にしか聞こえなくなるといった、完治の余地がない症状に侵されてしまっていた。
しかしこんなバカげた話すら真剣に話している大の大人が目前にいると、そんな状況も「少しは信じてみようかな」などといった妙な現実味を帯びてくる。
と、またそういった状況が理解不能だと堂々巡りする彼は、(やはりあまり難しく考えないほうがいいのかも。)と自衛にもとれるようなそんな内心を浮かべてみせた。
そして玄藤重教員の言う追々という期間はどれくらいのことになるのだろうか、と自分の中で新たに生まれた疑問をまとめていき、さらなる質問をすべく口を開くのであった。
小休憩とやらはいつまで続くのか、自分はどれほどのことを学べばいいのだろうか、自分は一体何を期待されているのだろうか、などと聞くまでもないような質問たちの選別をしながら。
「あまり、本人以外の人からこんなこと聞くのは、どうかと思うんですけど。
瑚々の目は、生まれつき...なんですか?」
「...ま、そう思ってるなら直接本人に聞いてみたらどうだ。
話をする口実にもなるだろうし、それはお前の危惧通り、俺の口から話すには野暮ってものだろうからな。」
「そう、ですね。」
「あぁ。
じゃあ、行こうか。」
思ったよりも早く会話が終わった二人はいつの間にか根が生えていた重い腰を上げ、ジンッとした温かさと巡っていく血行の流れを感じながら腰を捻った。
そしてポキポキとどちらともなく骨の鳴る音を響かせながら互いに顔を見合わせると、そのまま何かを言うまでもなく瑚々の方へと歩みを進めていった。
その様子に、向こうも小休憩が終わったのだと判断すると木橋へと上がり、そこに置いていたタオルで脚を膝から指の間まで拭き取っては、もう一度ストッキングを履き直す様子を見せ始めた。
何とも艶めかしく思えてしまう、瑚々の一挙一動に見ている裏人の方がなぜか罪悪感を抱きそうになるといった、色っぽい仕草を表現して。
そしてそれが終わるとそばに添えたローファーに足を差し込み、丁寧に踵側に人差し指を通すときちんと履けたことを確認し、そっとこちらへと歩みを進めてきてくれる。
そんな景色がまた...そばに置いていたタオルやローファーの位置に、自身のもとへ近づいてくる二人の気配と今から歩むべき方向等々すべての状況を把握しているような様子がまた、違和感を感じさせない違和感で包まれており、目にする裏人の不自然を察知する器官を刺激してくるのであった。
明らかに自分の顔を見て、あの柔らかで綺麗な微笑みを浮かべる彼女にじっと見つめられながら。
「鈴鹿、手を貸してやってくれ。」
「はい、もちろんです。」
玄藤重教員から指示される前に歩みを早めていた裏人は、彼の声掛けに顔だけで振り返るそぶりを見せ、元気よくそう返答を返した。
そしてそこまで遠いわけでもない瑚々との距離を瞬く間に埋めるべく一直線に走ると、次第にそれなりの全力を出す様子を見せていった。
そんな気配に瑚々の方も、こちらを立てるかのように歩みを止めてくれては会話も聞こえていないはずなのに状況だけで全てを察知し、裏人が近づくよりも先に手を伸ばしてエスコートを待つような姿を見せた。
何ともわかりやすく、また何とも愛らしく見えるそのポーズに瑚々の『女性らしい』をさらに超えた、『お姫様らしい』部分が垣間見える。
とそういう一層大げさに思える印象を受け取った...この場合での王子様か護衛役の裏人はというと、そっと微笑む様子を露わにした。
そして間もなく到着した彼は、もう慣れたもんだと下からそっと彼女の手のひらを支えてやると、優しくそっと手を引いて、また屋舎内の探検へと繰り出していくのであった。
森から平原へ出てしまった代償の、ギラギラと照り付ける太陽光のもと、二人で朗らかな笑みを浮かべ合って。
「ふッ。
ま、心配いらんかったかな。」
などと今も呑気に木の葉の陰に覆われた場所で目前の景色へと目を移す、玄藤重教員のそんな言葉が森の中だけに響いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「それじゃ、整。
後は頼んだな。」
「かしこまりました。」
「鈴鹿も、しっかりな。」
「はい。」
そういって手をひらひらと振り、立ち去っていくガタイのいい体育教師は『本屋舎』のほうへと消えていった。
そして後に残った二人、瑚々と裏人も互いに顔を見合わせるとそのままの流れで体の向きを変え、今度は屋舎から遠のくように手を取り直して歩き始めていった。
あれから1時間ほどが経過したであろう頃合い。
一教育機関内を見回るだけで、こんなに時間がかかるとは思わなったとさすがに歩き疲れた裏人は一人深呼吸。
するとその様子を隣で見ていた瑚々が「疲れましたか?」と優し気な笑みを浮かべ、あれ以来一度も開いていない目で同じようにニコッと朗らかな表情を作った。
改めて間近で見て再認識してしまう、色つやのいい肌や整った顔立ちに女の子らしくも肉付きのいい体つきは、彼女の魅力を増幅させていると。
至って冷静な口調から落ち着きのある性格という瑚々本来の部分に増して、外観を彩った可愛らしさはまるで意識するつもりなどなかったが、手を取っている...基手を繋いでいる現状を少しだけこっぱずかしくも思わせてくる一つの要素となっていた。
また、しきりに指を絡ませようとする彼女の気が知れず、それはさすがにむず痒いと制止することに尽力していなければ何か握られてはいけないペースを、主導権を握られそうだといった無言の圧力も。
幸い今の時間、他の生徒は授業の真っただ中ゆえ周囲に人の気配はない。
だから何だ、という話ではあるが、まぁあらぬ噂が出回るよりかは幾分かましであろう、と危惧の思いを寄せる彼女のことを横目でチラッと見た裏人。
「どうか、なさいましたか?」
「...いや、何でもない。」
「そうですか。
それでは、ボクの方からお尋ねしたいことがあるのですが、いいですか?
もっと知りたいです、裏人さんのこと。」
相変わらずの反応っぷり、そして相変わらずの適応力と空間把握能力。
もう見慣れたものだとは思ってみたものの、その事実を思い出すとまた新鮮な驚きの思いが脳裏に浮かび始めていく。
目が見えない、というのはどれほど苦として募るものなのだろうか。
音もなく視線だけを移した裏人の目の動きに反応したらしい瑚々からされたその問いかけに、「そうだ。」と一コマ遅れてあり得ない言動を見せられていたことに気が付いた裏人は黙って内心だけでそんなことを思い浮かべた。
想像することすら失礼に当たりそうな、今の自分では到底知ってあげることもできないほどの事実に。
だからこそ裏人は努めて明る気に、瑚々への返答としてはサラッとした印象の声音を返し、彼女からの提案に乗っかるべく不要な内情はその返答とともに首を振って消し去ると、少しだけ繋ぐ手に力を入れ直していった。
そして自身を知ってくれようとしている彼女の甘さにあやかって、仲良くなる口実を見つけては抗うことなくその流れに身を任せていくのであった。
「うん、何でも聞いてよ。」
「ありがとうございます。
では、まず初めに裏人さんはどんな女性が好みなんでしょうか?」
「最初にそれか。」
自分の役割はおそらくツッコミ役になりそうだ。
いやもしかすると『鬼』の血を継ぐ方相氏とやらは、みんなボケるタイプの人ばかりなのだろうか。
ただ何となく玄藤重教員の後ろ姿が脳裏に浮かんだ裏人は、まさかされると思っていなかった瑚々からの質問にそんな奇怪なことを考えてはテンポよくツッコミを入れてやった。
だが、対する瑚々はというと一切引く気がないらしく「教えてください。」と可愛らしくも綺麗な笑顔を見せるだけでそれ以外の言葉を発しないでいる。
とそんな思いと熱量に、次第に圧倒された裏人は仕方なく、そしてやけくそにその後の質問攻めを合わせてかなり踏み込んだことも尋ねられては、この際だからと全てを答えるまでに至るのであった。
早く仲良くなりたいと思っている、のかはたまた可愛らしい女の子からあれやこれや聞かれたら、答えたくなる自然の摂理というやつなのか。
しかし守るべき節度はきちんと守って、それを破りそうになる瑚々すら制止して、裏人は瑚々との一対一での対話をしばらく繰り返すのであった。
玄藤重教員から言われた、次に落ち合うとある学生との待ち合わせ場所につくまでの間。
「好みかぁ...強いて言うなら気の強くない子?」
「しおらしい子ってことですか?」
「華奢な子、か弱そうな子...。
守ってあげたくなるような。」
「そうなんですか!
いいですね。
では、外見ではどうですか?」
「んー、特に...気にしたことないなぁ。
ちなみに、瑚々はどんな子がタイプ?」
「ボクのことはいいんですよ!
もう熟知してますので。」
「天然なのか?」
「それじゃあ、何カップが好きですか?」
「変人なのか。」
思ったより性格は、聖女らしくないのかもしれない。
なんてことを思うのは、勝手に外見から判断していた自分本位の考え方で、瑚々にとってはいささか失礼に当たるのかも、と裏人。
だがもちろん聖女らしくないというだけで、真逆の自由奔放、天真爛漫...あとちょっとおバカだとか、そういう意味合いで言ったのでは当然ない。
控えめで物腰が柔らかいながら、ゆったりと口調も砕けつつ、そうやって親しみ深さまで感じられるように話してくれる様子は、どこか第一印象よりも接しやすいような雰囲気が感じられているのであった。
そんな瑚々のおかげもあり、二人の間ではかなり弾んだ空気感が流れている。
別に話すこともないし、本気で気になったから聞いているなんてことでもないようなこの些事も、友人との関係値に至ればすぐさま意味を増してくるものであろう。
ならば今、止まらないマシンガントークを繰り広げている彼女の表情に浮かべられた笑顔も、作られたものではなく自然に漏れ出たものであることを願う。
そう、やはりなんといっても聖女らしい落ち着きと気品、そして流麗な雰囲気をまとう彼女の笑みを見て裏人は、少しだけ晴れ晴れした気持ちに近づいていった。
それは別段今までが暗かった、という意味ではなく現況のすべて...ひいては自分が今置かれている状況そのものを指して、「あまり考えすぎないほうがいいのかも。」とあの気持ちが膨れ上がったことを意味している。
幾分か気が楽になったと思えるのは、友人と一緒に居られるからか、それとも瑚々と一緒に居るからなのか。
そんな湧き出た思考に、変なことを考えないようにと裏人は自分に鞭を打ち、同時に瑚々から飛んでくる意味不明な質問も鞭で弾き飛ばしてはその後、例の学生のそばに至るまでの時間をゆったりと過ごしていくのだった。
その間もずっと握られている手の中で、互い違いに指を絡めるか、そんな彼女を制御しきるかの小さなバトルを繰り広げながら。
そしてそれから程なくして―――――
「あッ、澪玲さん!」
「―――――んッ。」
そんな落ち着いた二人だけ空間は、人を呼ぶために張り上げた瑚々の甲高く大きな声音によって断ち切られるまでに至るのだった。
玄藤重教員から話を聞いていた、目的の人物との出会いに合わせて。
「すみません、お待たせしてしまいました。」
「いいよ、別に。
そっちの子が?」
「始めまして、鈴鹿 裏人といいます。」
「よろしく。
私は待人形 澪玲。」
ウルフカットの髪形に、切れ長な目とスラっとした体躯。
女性にしては少し低めの声と淡々とした物言い、あとスタイリッシュな服装。
制服ではなく私服を着ているところからも見てわかる通り、大学院の先輩であるカッコ美しい女性が、絵にかいたような佇まいでその場には存在していたのだ。
玄藤重教員の話通りなら、彼女も『鬼』の血を引く方相氏という名の人種のはずなのだが、なぜこうも。
優から上甘先輩に遡り、天道さんに玄藤重教員へと続き、瑚々と澪玲さんまで伸びる記憶。
その誰もが例外なく、超が付くほどの美形であるといった事実に裏人は、自分との対比で精神的ダメージを受けたような、そんな心地を味うまでに至ってしまう。
それくらい、いい意味で誰もが想像できるような典型的な姿を見せる人物がこちらに歩みを進め、自分たちとの距離をつめながら自己紹介を済ましてくれた。
歩き方ひとつをとっても、なぜここまで綺麗なのだろうか。
優や上甘先輩もそうだったが、瑚々も澪玲さんも、皆変わらずスラっと伸びた体躯を思う存分に扱っているかのような動作を自然と体現している。
と、そんな彼らの外観に負けじと無意識下で背筋が伸びてしまう裏人のもとへ、その前髪に隠れた素顔を品定めするとでもいうような雰囲気で歩みを進めた澪玲の顔が、そっと覗き込む様子を展開し始めた。
そしてそのまま数秒の静寂をもってして、耐えかねた裏人から言葉を投げかけると、それに彼女が答えるといった構図で場の流れは展開していくことになるのだった。
澪玲もまた、他の出会った方相氏たちと同様に劇的な距離の詰め方を見せながら。
「髪の毛、整えたら?
化けるよ、めちゃくちゃ。」
「え、なんですか?」
「いい美容院教えてやる、いつかな。」
「え、はぁ。
ありがとう、ございます?」
「じゃ、早いとこ行くか。」
これまでの、話したいこと聞きたいこと全てを口にしてくれる瑚々とは対照的に、淡々と言いたいことだけを言う澪玲の様子は、裏人にはすごく冷たいものにも映ってしまう。
だが決してあしらっているわけでもなければ、きつめの目元でも面倒見のよさそうな愛情すら覗く様子からは、不思議と嫌な思いが沸き立つことはない。
と、その様子に(結局こういう人が見た目だけじゃなく、人間性も含め慕われるタイプの典型例なのだろうな)、と裏人は胸の内で彼女への尊敬の念を高めていくまでに至るのだった。
そしてそんな不思議な人物は自分との会話を最後に後ろを振り返ると、先導して歩き出す様子を見せ始めた。
行先は、すでに玄藤重教員から聞いている。
そのため裏人と瑚々も別段何も言葉を交わすことなく、彼女へと付き従って歩みを進めていくのだが―――――
「―――――あ、そうだった。」
ちょうど二歩目を踏み出そうとした頃合いで突如、前を歩く澪玲が思い出したかのようにわざとらしく聞こえる声を放ち、その場に立ち止まる用を展開した。
そんな彼女の様子に、言葉を返すは瑚々。
「どうかなされたのですか?」
「ちょっと寄り道していい?」
「はい、構いませんけど。」
「もう一人迎えに行かなくちゃいけなくて。」
「他に誰か、いるんですか?」
彼女たちの会話に割って入った裏人は、『もう一人』という単語へ過敏に反応を示してしまった。
それは自分と同じ境遇の仲間がいるのかもしれないと、そういった意味合いで放った言葉だったのだが。
結果は澪玲から返された返答で、早急にその可能性はないとの断言を受け取ってしまうまでに至り、裏人は少しだけ残念そうに肩を落とす様子を見せるのだった。
何とも幸せそうな笑みで、だがクールな印象は崩すことなく、至って絵にかいたような美形を保ちながら放つ、彼女の自信に満ちた返答を耳に―――――
「あぁ、私の彼女だ。」




