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特異鬼制教導機関  作者: 美音 樹ノ宮
14/37

京都にて

~特異鬼制教導機関~







ジリリリリリリリリリリリリ―――――



「んッ...んん。」



目覚ましの音が部屋中に鳴り響く。

それにより覚醒した頭には、すぐに五官(ごかん)から受け取られる情報が流れ込んできた。

まず初めに感じられるのは暑さ...ではなく熱さと表現した方が正しいかもしれない、むさ苦しく鬱陶しほどに命がけを感じさせてくれる、あの(なつ)()特有の気温であった。

しっとりと湿気を帯びる敷布団や頭を支えてくれている濡れたの枕、さらに熱さから跳ね飛ばしても身体にまとわりつくタオルケットと、その正体が何かも想像したくないもので張り付く衣類。

そのどれもが現況での『寝起き』という状態と光景を、如実(にょじつ)に脳内へ送り込んでくれているのだった。

また、次いで響く風鈴(ふうりん)()(むし)鳴声(なきごえ)を受け取り、聴覚から侵入する情緒に癒されること数十秒、目を開けた瞬間からその風情は他の五感へと移っていく様子を見せ始める。

田舎と夏の畳の匂いに稲穂や草木が揺すられる音、それらを経て爛々と照りつけてくる日の光までへと繋がっていくと、数秒後には眠気眼(ねむけまなこ)すら残さない意識が広がっていった。

満たされる五感は、なんと不快(ふかい)で心地いいのだろうか。

落ち着く夏の、実家の安心感。

そんな月並みな感想がこれ以上ないほどにピッタリとくる雰囲気では、のんびりとどうでもいいことすら考えられる思考が生じていく。

そして、ぶり返す眠気に身を任せてみてはすでに覚めていた目もゆっくりと閉じていき、そっと意識を手放そうとしていくのだった。



「...スーッ、ハァ―――――。」



すると、突如として鼻腔をくすぐるいい匂いが部屋の中まで届き始めてきた。

この家の中ではいつでもどこでも感じられる、何度(なんど)も匂い何度でも楽しめる、そんな(こう)ばしい(かお)りが。

それは言わずもがな、祖母が作ってくれている朝食が出来上がった合図である。

と、それによりハッキリと意識が覚醒していくのを感じた裏人(うらひと)は、瞼の裏でこちらを照らしつけていた日光から視線を外しつつ、暗がりを求め体を起こしていく運びとなった。

窓辺で寝るのが、お気に入り。

日の光で目を覚ますことが、これほどに気持ちが良いのかと、気づいた時から繰り返していた変わらない寝方(ねかた)である。

あれはいつのことだったか、もう思い出せすらしない。

優しく包み込んでくれるかのような温かさ。

まぁ夏のものとなれば少しは鬱陶しい気持ちも沸くことは沸くのだが、それでもまるで誰か...いや両親から愛情を向けられているかのように感じられる、あの心地よさ。

眠った状態の自分では、脳内がしっかりと意識されていない時の自分では情けない話しだが、それにより日光か愛情かわからない感性を十分に楽しむことができるのだった。

心安らぐ、温かみというもの。

ただ、特に親の愛を求めているだとかそういう話はない。

現にその人たちの顔も知らなければ、いつからこの家と祖母にお世話になっているのかすら知らない自分にとっては、どうでもいいと思える領域に達した疑問になっているのだから。

それでも少なくとも、祖母以外の人から愛情を向けられることには興味がある―――――

そんなことを考えてしまうのは、何か確証みたいなものがあったからなのだろうか。

...いいや、恐らくその確証とやらがあったからなのだ。

部屋の(ふすま)を開け、敷居を跨いで廊下に出ては突き当りの階段を下へ降りていく。

その最中(さなか)裏人(うらひと)の耳には微かに、でも確かに感じられる祖母以外の生活音が届いて来ているのがわかった。

話し声、食器やお箸のぶつかる音、その多さ、そして雑なほどに存在感をアピールする独特な人の香りと、忘れられないとある気配。

次第に進む寝起きの足は、いつしか速足(はやあし)へと加速していき、騒がしく廊下に騒音をまき散らしていく。

同時に高鳴る鼓動がうれしさを孕みはじめ、その心情が微笑みとして表情へと宿ると、居間となる部屋の前まで一直線に突き進んでいった。

どうやら部屋の襖は開いている様子。

こぼれている、自分の部屋でも見たあの日光が光芒(こうぼう)として居間から姿を見せている。

そして朝でも少し暗い廊下を照り付けて、明るい声音にさらなる明るさと煌めきを含ませると、それを受け取った裏人(うらひと)の心情までもを暖かく彩ってくれていた。

聞こえてくる声は、ここ最近で一番耳にしていたもの。

祖母でもなく、教師でもなく、友達のものでもない、女性の声。

もうすでにその正体は分かり切っているつもりではあった。

だが確かめるまでは確証が持てないと、嬉しさから調子に乗りそうな内心へと自制の思いをかぶせると、襖の(はじ)から顔をのぞかせ中の様子を確かめていくのであった。

知りたい情報を、わざとらしく確認するかの様子で...それでも情けなく、緩み切った表情を戻すことも出来ずに。



「おはようございます、裏人(うらひと)くん。」


「おはよう、裏人(うらひと)

 愛悠(あゆ)ちゃん来てるよ、(はよ)う顔洗っといで。」



綺麗な顔、綺麗な黒髪、綺麗なオーラに綺麗な佇まい。

和風を象徴しているかのような、この部屋にその姿が見えているからだろう、『大和撫子(やまとなでしこ)』という言葉が自然と脳裏に湧いて出てきた。

メイクをしているのかは不明だが、血色のいい口元は赤々とした生気(せいき)をしっかりと体現し、肉付きのよさそうなスタイルは健康そのものを(かたど)っている。

この調子でいくらでも、何時間でも誉め言葉が言えそうだ、そう思った裏人(うらひと)は見惚れていたその情景に、ニヤケ面から驚いたようにも喜んで見せる表情へと変化を見せ、数秒の行動を遅らせてしまう。

そうすると、すぐ後でその視線に気が付いた百咲(ももさき)が、こちらの様子を伺っては優しく微笑み、小首をかしげて見せてきた。



「んッ?」



ドキッとする内心は、彼女に惚れている本心を露わにさせる。

だが決してそれを彼女へと見せることはしないよう試みながら、正気に戻った裏人(うらひと)は一段落をつけるべく、早速祖母の言葉を思い返しては顔を洗うため洗面所へと向かうよう歩みを進めていくことにした。

当然、その前に忘れずと、彼女へ目一杯の微笑みと挨拶を行いながら。



「おはよう、百咲(ももさき)さん。」




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




「んんッ...―――――。」



目を覚ました裏人(うらひと)は、薄暗い室内で一人、ポツンと部屋の天井を見つめる。

見たことのない光景、嗅いだことのない匂い、そして体感したことのない心地。

誰かの家に泊まるなんて初めてだと独り言ちる、限りなく正常で限りなく本心に近いその思考でも、なぜかその状況を疑ってしまう自分がいることに心のどこかで驚きの念が浮かんでいた。

それらすべては事実。

それらすべては現実。

そしてそれらすべては、紛れもなく呑み込まなければならない真実なのだ。

だが、どうしても受け取ることが出来そうにもなかった。

そうぐちゃぐちゃになる想いの中、どこか遠くの方でトントントンと聞こえてくる音へ、首だけを動かし部屋の隅から扉の方へと視線を送る。

少しだけ隙間が空き、その向こうから()とは違う限りなく現実的で人工的な光芒(こうぼう)が差し込んでいて、どこか悲しい気持ちにもなってしまう。

と上体を起こし、(きし)むベッドを抑え込むと、次いで身体を移動させていく裏人(うらひと)は、そっと床に足を落とした。

手元に微かに残る、自分のものとは違う温かみが残されているのを感じながら。



「...―――――」



夢の景色から、それが彼女のものだとしたら、どれほど喜ばしかったであろう。

遠い目に悲しみが込められた表情を浮かべた裏人(うらひと)は、先の思考に合わせ何が起こったのかを改めて頭の中で整理しつつ、ゆっくりをベッドを離れ立ち上がった。

顔を洗った後、楽しく祖母や百咲(ももさき)と食事をしていた、あの風景を思い返して。

一層(いっそう)近くに感じられた、坂の下での出会いを懐かしみながら会話をした、あの光景を思い返して。

そして学校へと向かう、暑苦しくも涼し気な二人の青春を思い返して、深呼吸をつきながら。



「はぁ...。」


「―――――裏人(うらひと)、起きた?

 ちょっと手伝ってくれるかな。」



と次の瞬間、響いた声に少しだけ目を見開いて身体をビクつかせた裏人(うらひと)は、その驚きを瞬く間に取り繕ってはすぐに全身を元通りに戻していった。

目を覚ました時に浮かべた内情、「誰かの家に泊まっている」と気が付いていたあの想いを心のフィルターとして張り、その当人にあたる者の声を受け止めていく。

やはり現実だったと察していたが、『こっちの情景』が()であってほしいとも願っていたために悲しみで暮れる内心へ、何とか蓋を閉めてからあからさまに機嫌を取り戻したような声音で、返事を返すよう尽力していった裏人(うらひと)

歩みを進め、閉まり切っていない扉へ腕を伸ばして、その先にいる人物へ...お世話になったこれからの友人(ゆうじん)へと多少(たしょう)の恩返しをすべく、早々(はやばや)と行動に移しながら。



「うん、おはよう...(ゆう)

 すぐ行くよ。」



全てが元通りになるわけない。

これは対人関係や莫大な富、人を好きにさせる心理操作に自分自身の思い込みなどが一切介入する余地のない、悪夢なのだから。

そして消滅集落から...いや消滅していた(・・・・)集落から見事(みごと)救い出してくれたとしても、そこに存在していた人全てが幻だったのなら、もう取り戻すことなどできない『思い出』なのだから。

それでも前を向こう。

そう決意を浮かべていた昨日の自分を思い返して、裏人(うらひと)は京都にある、魅明逆(みあけさか) (ゆう)の住居の寝室を後にしたのだった。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




「...寝ぐせすごいよ。

 顔洗っておいで、洗面台は廊下を出てすぐ右。

 トイレ行きたいならその正面ね。」


「あー...うん。」


「...君、結構ハッキリとした性格だよね。

 そんないやそうな顔しなくてもいいじゃないか。

 それとも、ここにいるのは姫奈(ひめな)先輩の方がよかったかな?」


「いや、そうじゃなくて...。

 あの布団の―――――...いや、何でもない。」


「ふッ。

 じゃ、行っておいで。」



扉を出てすぐに対面したのは、可愛いらしいエプロン姿の(ゆう)

どこからか買ってきたのか、それとも刺繍(ししゅう)や生地から見て自分で作ったのだろうか。

こう言っては何だが、あざとさ満点で自信満々な家事姿(かじすがた)が見受けられている。

それに先ほどから聞こえていたトントントンとの音とはやはり、包丁とまな板のぶつかり合う音であった。

そこから連想していた、朝食を作ってくれているであろう光景からは、実に祖母の料理(もの)と同じ具合の良い香りが運ばれてきていて、魚の気持ちよく焦げた部分やお味噌汁の甘く引き締まるような匂いが部屋中に充満している。

そんなリビングより見える台所にて、こちらに視線をくれる(ゆう)からは実際体感したことはないが、なんとも的確な表現で母親のような面持ちが出来上がっている、といった印象を強く受け取ることが出来た。

ありがたいといえばありがたいのだが、彼の格好いいというよりも可愛いといった方が無難な外見により芽生える、複雑な感情に気づかないふりを決め込みつつ。

そして、先に口にしようとしていた文言、寝具に残っていたあの(ぬく)もりの正体を訪ねようとして―――――。



「...ッ(フルフル)。」



口を噤んだ裏人(うらひと)は、すぐに首を横に振ると何かを言う前に...いや、何かを想像してしまう前にその思考を跳ね除けてやるのだった。

危うく余計なことを思い浮かべてしまうところだったと、実際にシングルベッドで二人、片身寄せ合って寝ていたという事実を無理矢理(むりやり)に押し込めるかの様子で。

そんな自身の態度に、これまでの微笑みから少しだけ意地悪な笑みへと表情を変えたのは(ゆう)

そこには、事実を伝えるか伝えまいかの瀬戸際で一人、綱渡(つなわた)り的な選択を楽しんでいるかのような、悪戯好きな内面が顔を覗かせてしまっていた。

一般人よりも少しだけ、人を小ばかにすることに慣れている、といった雰囲気の。

それゆえこうして今も、こちらを見て微笑みを浮かべている彼に、先の気遣いから一言お礼を言い残しては(なに)かと長話(ながばなし)をさせないため、裏人(うらひと)はそそくさと洗面台へ歩いて行くのであった。

静かな部屋の中、時計の針と料理が出来上がっていく音に、ゆったりと心地よい足音を付け加えながら―――――




未だ、ぼやけている自身の思考や視界。

それでも分かる彼の部屋の、その内装ときたらシックなイメージがこれでもかと詰め込まれていて、それらのダークトーンには(ゆう)の真珠色の髪の毛がよく映える、といった工夫がされている。

また、人生において最も気にすべきであろう時間(じかん)を確認する時計(とけい)も、落ち着いた『色合い』の家具とは一線を画し、燦然(さんぜん)たる淡いクリーム色にて(かざ)られている。

これら部屋の雰囲気にて、必要な部分へと目が行くようデザインされた家具の色彩(しきさい)配置(はいち)とは、彼がコーディネートしたものなのだろうか。

それとも、都会の雰囲気とは元よりこういうものなのだろうか。

今まで過ごしていたあの家を思い返し、その内装に雲泥の差があるこの場所で料理に手を付ける裏人(うらひと)は、ポカンと凄さからの驚きで気の抜けた表情を浮かべつつ辺りを見渡していた。

テーブルと、その上に並ぶ朝食に相応しい料理の品々を挟んだ対角線、(ゆう)と向かい合うような形で椅子に腰掛けたまま、彼の方に視線を向けることなく。



裏人(うらひと)、聞いてる?」


「うん、制服だよね、分かってる。」


「いやまぁ...そうだけど。

 どうした、気になるところでもある?」


「いやぁ、お洒落だなって思って。」



ちょこちょこと(ゆう)から話しかけられていた内容に、正直(しょうじき)(ただ)しいかどうかの確証は無いが、なんとなくで会話が通じていることを良しとして、その雰囲気を楽しんでいく裏人(うらひと)

そんな彼は、周囲の大人びた色彩(しきさい)から大人びた印象に共感させられ、その大人びた感性によって自分自身をより高めてくれるような心地を体感していた。

内心において冷静さを保つことが出来るようになっているとか、現状において適切(てきせつ)丁寧(ていねい)な食事作法をとることが出来るとか、そういった軽い事象(じしょう)の話ではあるが。

それには一役買っている、目前で謹厚(きんこう)なオーラを振り撒く(ゆう)の姿があるから、というのが大きな要素になっているのかもしれない。

また、この状況を楽しいと思えている内心は、そういった大人びた雰囲気を身に纏わなければ、昨日より前の人生を振り返ってしまうかもしれなかったから。

と、そんな彼と二人で食事をしている風景の中で、自身が思い描いていた忙しない都会のイメージとはまた違っている時の流れへ裏人(うらひと)は、愉悦感を孕んだ新鮮味を感じつつ同様に箸を進めていく素振りを展開するのであった。

あのことを思い出してしまったら、正直空気を悪くしてしまう可能性を否定しきれないために。

それに都会(・・)の友人の家にいるという事実は、先に話した新鮮味にその他多数(たすう)の目新しい情報を視覚、聴覚、嗅覚からそれぞれ受け取れるという、『気の紛らわし』においては最適といえる状況であったから。

まるで田舎の時と変化のない(うつ)ろいに、勝手な安堵感も抱いてはこれまたおいしい食事へと、口の中から心にまで豊かさを運んでいくよう行動に移す。

そんな展開が...それら全てを作り出してくれているのであろう彼の気遣いがなんとも心地よく、ともすれば今の状況で(ゆう)に気まずさを感じてもらうのは何より避けたいというもの。

そう裏人(うらひと)は、感謝してもしきれない現状へこれ以上の恩返しをすべく、何か誉めるところはないかと辺りを再度見渡しては、引っ掛かりを覚える箇所を物理的に探していくのだった。

すると次の瞬間、部屋の中を見回していた裏人(うらひと)の視線が、今度は(ゆう)の髪色と同じ印象の色合(いろあ)いを感じさせられる時計へと運ばれていくことになった。

彼の思惑通りなのか、はたまた好みで買った家具が偶然そのコントラストを生んでいるのかは知れないが、際立って強調されているかのような外見をするそれでもシンプルな時計へと。

そこに表示されている、なんとも見やすく判断しやすい日時は、あの事件から丸ッと一日しか経過していない、翌日の朝7時半を示していた。

特に変わった様子もない『当たり前』を強調しているかのようにこちらを見下ろしている、その文字盤。

そんな『普通』のことがあっさりと視界から脳内へ伝達される裏人(うらひと)は、また改めて非現実に巻き込まれたことと、その状況を楽しんでいる自分が垣間見え、謎に落ち着きのある声を漏らすまでに至るのであった。



「本当に、現実なんだ。」



その時、一瞬だけ視界の端で何かが揺れ動いたのを捉えることが出来た。

というより、(ゆう)以外の誰のモノでもないのだが。

なにやら言いにくいというか、気まずいというか、そんな雰囲気が彼から微動と硬直をもって送られてくる。

と、対する裏人(うらひと)はそれでも「気にするほどのものでもないか」との思いを浮かべ、別段意識することもなく窓の外へと再度視線を移してはその光景を眺めていくよう行動に移していった。

そんな彼の横顔を見つめ、落ち着きを取り戻した(ゆう)は少しの安堵の念を胸に、微笑みを浮かべて時間が経つことを待っていくような様子を見せ始める。

そこに込められているのは、裏人(うらひと)の『救ってくれた者たちに対する恩返しの念』とは別の、『救ってやれたかどうかわからないため、他に選択肢のない気遣い』といった具合の良心であった。

本当は今日目覚めるかどうかすら分からなかったと、それほどに衰弱しきっているだろう彼の本心を思っての配慮。

今朝も、姫奈(ひめな)から連絡を受けては改めて気持ちの入れ替えをして接するよう心掛ける要素となった、取り決め(・・・・)についての様子見なのだった。

何の話かというと、それは昨晩の情景まで遡る―――――




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




裏人(うらひと)君、寝ちゃった?」


「みたいですね。」


「それはよかった。

 そのままゆっくり寝かしておいてあげてね。」



姫奈(ひめな)からの質問に(ゆう)の返答が返り、次いで天道(てんどう)の声が重なっていく。

鈴虫が情緒深く声を上げる夜の森の中。

あの光景を目にしてから、かなり大きな衝撃と驚きを体感したであろう裏人(うらひと)は、今ではすっかりと(ゆう)の背中で眠りについている。

軽い寝息を立て、徐々に下がっていく彼の体温を背面に感じ、歩きで火照る身体が良い具合に冷まされていくのを実感できる、と。

それにより、深い睡眠時の体温調節を感じられた(ゆう)は皆の顔を見てその、裏人(うらひと)が完全に眠っているという事実を話し、であればと続く会話に意識を向けていくのだった。

少し前の光景に戻っただけ、そうやって三人の歩く風景に変化は見られていないはずだったのだが、どこか辺りを包む空気感が前の時よりも重く(よど)んでいるような気もしている。

そう、なんとなくの気配を読み合うことが出来た三人は、(つと)めて互いを思い、気まずくならないよう明るげな声を放ち続けていった。

裏人(うらひと)の意識はここにない。

だがそれでも胸に沸いて()るのは自分たちも同様に体感してしまった、ショックや驚愕の事実から来る恐怖の想いと、裏人(うらひと)へ安い同情の念は浮かべられないという使命感である。

何より無関係な自分たちがこれほどのダメージを受けているのだから、当の本人である裏人(うらひと)の行き過ぎた傷心(しょうしん)は想像を絶することであろう。

そんな風に彼を思う三人の、あまり弾むことがないまま(つむ)がれる会話からは、数日の(あいだ)目を覚ますことも出来ないのでは、との結論が出てしまうことになる。

それも、大袈裟なことではなく皆が満場一致で納得してしまう、変え難い事実として。

彼の思いがどれほどの苦しみとなっているのか、取って代わって勝手な結論を導いてやること自体が限りなく失礼に当たるのであろうということも、当然三人の察してやれるところ。

そのため、少し経った瞬間から、まるで幕で区切られたかのように三人の間には、誰も触れられないような静けさが訪れていくのであった。



「―――――ッ。」


「―――――...。」


「...まぁ。

 君たちが背負い込むようなことではないから、彼が目を覚ましたら(つと)めて元気な様子を見せてくれればいい。

 頼むよ、二人とも。」



そんな中、重い静寂を切り裂くのはやはりこの場で一人、自他ともに認める『大人』として生徒たちを牽引している天道(てんどう)である。

軽いことを言ったとしても、かなり的外れなことを言ったとしても、認めてしまうほどの説得力が感じられるのは、その存在の大きさによるもの。

と、この場においては見当違いなことは言っていないが、自分たちの考えが正しいかどうか『あやふや』だった二人にとって、何よりの自信へ繋がるであろう一言を、彼はくれたのであった。

未だ何一つ知らない裏人(うらひと)のこと。

それでもなぜか助けてあげたいと思えるような魔性(ましょう)の魅力を持っている彼に対し、その幸せを願うのなら初めから関わるべきではなかったのが明白。

だがそうは言っても、もう取り返しがつかないのが現実で、現状である。

だからこそ、この後でカラッと馴れ馴れしく接してやることが、彼にとっての幸せに繋がるのかどうか、判断することが苦しかった。

またその取って付けたかと思われそうな友情が、同時に自分たちのある種、(つぐな)いになってくれるのだろうか。

そう思っていた内心へ、目を見て頷いてくれる天道(てんどう)の仕草が、何よりの決意をするよう促してくれたのだ。

そのため、頷きをもって返答を送った二人は謝意の念も一緒に彼へと送ってやる。

何度も助けられてきた説得力や安心感のある、天道(てんどう) 修二(しゅうじ)という男からの承認。

ならばあとは尽力するだけだと、そこまでの自信をつけることが出来た二人は、とりあえず軽くした心持によって空いた脳の余白へと、これからの流れを入れるため天道(てんどう)へと声をかけていくのだった。



「後はもう、帰るだけですか?」


「うん、ここに用はないからね。

 執朗(とろう)君も、そろそろ着いた頃だろうし。」


「私、今車に揺すられると多分寝ちゃうんで。

 家に着いたら起こしてください。」


「俺も、絶対寝ますね。」


「まぁ君たちには頑張ってもらったから。

 それぐらいのことはしてやろう。」


「...天道(てんどう)さん。

 裏人(うらひと)君のこれからは、どうするんですか?」


「ん、君たちと同じように、一旦は教導(きょうどう)機関(きかん)に連れていくよ。

 もちろん分からないことだらけだろうから、(ゆう)と同じクラスに、ね。

 許可も取ってあるし、そっちの方が色々と都合がいいだろうから。

 まぁ後は、実戦経験も積んでもらわないとあれだから...ヲ解(をとか)君のとこにでも連れて行ってみるよ。」


「...ヲ解(をとか)さんのとこって、夜の街ですよね?」


「そ、遊宴郭(ゆうえんかく)

 まぁ、見つからなければいい話だし、私がついているから大丈夫だろう。

 いくら格好良くて性格よさそうでスラッとしていて雰囲気まで大人っぽくて、蓋を開けてみればまだ若く男気や心の強さを持っている彼でも、私がいればお誘い(・・・)を受けることはないだろうし。」


「危険な要素しかないですね、本当に大丈夫ですか?」


「あぁ、それに。

 一度でも本気の恋を見つけてしまった(おのこ)は、その思い出を簡単には忘れられないものさ。」


「―――――何言ってんですか。」


「...まぁまぁ、そういうことで、彼のこれからは皆で助け合っていこうってことさ。

 この傷心はかなり引きずられるだろうからね。

 それを克服するためにはまず(ゆう)、君が肝心になってくる。

 いくら心の強い裏人(うらひと)くんでも限度というものがあるだろうし、助けてやれるかどうかは君がどれだけ彼の友人を務めてくれるかによって決まる。」


「正直、こんな現実を塗り替えられるかどうかは...厳しいかもしれないですよ?」


「友達になりたくないのかい?

 あんなにいい子そうなのに。」


「いやッ、そうじゃなくて―――――」


「わかっているよ、からかっただけさ。

 それに、たぶん大丈夫だと思う。

 彼が感じていた幸福感の正体は、百咲(ももさき) 愛悠(あゆ)が植え付けた呪いによるモノだ。

 そのため、恐らく数十から数百...もしかしたら数千倍の感受性になっていたかもしれないが、それを良い方向にだけに特化させられて受け取っていた。

 だけど必然、全てが幻だと理解出来たら、今ある現実の方が強く目に映るし、幻影は気持ちの良い思い出としていつか忘れてしまう。

 つまり一時の夢に過ぎなかったと脳が処理をしてくれるわけだ。

 確証があるわけじゃないし、その一時すらももしかしたら忘れられない記憶として目覚めの妨害をするかもしれないけど。

 心の強い彼のことだ、次に瞼を開くとき時、サラッとすべてを受け入れて目を覚ましてくれるはず、だから。」


「それも...温羅(うら)生まれ変わり(・・・・・・)が?」


「どうだろうね。

 その事実が裏人(うらひと)君の精神力に関与している可能性はある...し、ないともいえる。

 まぁただ、確かに異常なところはあるかもしれない。

 今の彼は...思ったよりもこの状況を落ち着いて見ている節があった。

 なんとなく違和感に気付いていた...とでもいうかのように、こんな非現実を前に発狂することもなければすぐに首肯ができるなんて、年齢的にも異常なほどの冷静さだ。

 ただ、温羅(うら)の生まれ変わりかどうか自体、十中八九的なものだし、それにとやかく言ったところで何か変化があるわけじゃない、だから今は忘れるとしよう。

 それと、この事実は絶対に裏人(うらひと)本人には伝えてはいけないよ?」


「分かっています、何度もしつこく聞かされたので。」


「よしよし、じゃあ...―――――

 お待たせ、執朗(とろう)君。」


「ほんと、待たせ過ぎです。

 魅明逆(みあけさか)、手を貸すぞ。」


「ありがとうございます。」


上甘(かむらあまい)は先に乗っとれ。」


「お言葉に甘えます。」



そうやって長話をしていた三人の行く末。

そこには天道(てんどう)の言葉通り、待ち合わせをしていた玄藤重(くろふじえ)の車が、エンジンを切った状態で見つかった。

当然隣にはタバコを吸って立っている彼の姿が見え、こちらの存在に気が付くと痺れを切らしたかのように煙と共にため息を吐く様子が映しだされる。

そんな運転手の元まで時間を掛けさせることなく近づいた三人は、謝罪の念を伝えつつ掛けられた言葉通りに行動していくよう身体を動かした。

裏人(うらひと)の体はすぐに玄藤重(くろふじえ)によって抱え上げられ、その体育教員らしく鍛えられた筋力によって軽々(かるがる)と最後部座席に寝かされている。

その光景を後ろ手に真ん中の座席へ座り込む姫奈(ひめな)(ゆう)は、車の前で何やら話をしている大人同士の会話をチラッと見つめ、すぐに車に乗り込む二人の光景を待っていった。



「じゃあ、出発するからシートベルトを忘れずにね。」



少し話しすぎたかもしれないが、裏人(うらひと)が眠っている今が、状況を整理するためにはもってこいの時間であっただろう。

その思いを、(ゆう)姫奈(ひめな)も同様に感じていたからこそここまでの話し合いができたのだ。

そうやってうまいこと考える天道(てんどう)は、助手席に乗り込んだその体勢で後ろを振り返り、三人の顔を正面から見つめてそう声を放った。


温羅(うら)の生まれ変わりは、俗世(ぞくせ)厄介(やっかい)を産み落とす。』


あの伝承が、たとえ本当であったとしても、人の人生は一度きりだ。

まだ若い彼の今後は、彼自身が決めること。

だから他の誰にも手出しはさせない。

例え伝承通り彼が温羅(うら)の子孫だとして、現代に何かしらの不況を生み出すのならその時対処するまで―――――

にやっと微笑みを浮かべているのは、その内心の先を暗示しているのか、それとも現状を誰一人怪我することなく乗り切ったことによる安堵なのか。

それを知るのはただ一人、天道(てんどう) 修二(しゅうじ)だけ。

だが少なくとも、後者であれば皆が簡単に想像し得ることだと、そのまま車を走らせ数分後には眠ってしまった、教え子二人の寝顔を見てまた微笑みを露わにした天道(てんどう)は、そっと深い呼吸を吐き出した。

シンッと静まり返り、大人しいタイプの車がゆえ相乗させて物静かな夜へ、似つかわしく美しい声音を孕ませた吐息を。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




「(仲良くしてやってよ?

  君にとってもいい結果を招くだろうから。)」


天道(てんどう)から放たれた、その想いに応えたいと思うのも当然なのだが、今はただ。

すでに友情を抱こうと頑張っているらしい本心が、より強く彼の悪感情を取り払ってやりたいと試行錯誤を繰り返していた。

お人好しが過ぎる、ということにすればそれだけで終わる話しなのかもしれない。

だが、あの悲惨な状況を...これまでの十数年を過ごしていた場所が何もかも幻だったのだと、消滅集落を見た瞬間から言いようもない恐ろしさに苛まれていた事実を思い返し、自身ならどうであろうかとも考えてしまった。

そんな中、渦中にて全てを体感した裏人(うらひと)の精神的ダメージとは、自分でも耐えられるか分からないし、想像することすら失礼に当たるかもしれないほど大きいものでもあろう。

ならばと、今朝から悲しげな想いを内包して送られてきた姫奈(ひめな)の連絡と共に、やれることからやってやろうと、至って冷静にお人好しが過ぎる良心を抱くのであった。

それに、正直同級生の方相氏(ほうそうし)がいてほしいと思ってたところも事実だったし。

そう、彼の手助けに自身の願望をも掛けて、裏人(うらひと)を見つめる(ゆう)は優し気な微笑みを体現して見せたのだった。

呼び方からもわかるように、自身が親しげに呼び捨てにすれば彼も同調してくれると、そんな気の合いそうな事実を強く感じながら。



「それじゃあ(そで)、通してみる?」



制服を着させるよう促してはそそくさと移動させ、エプロンを外した自分と同じ格好をする裏人(うらひと)を見つめては、満足そうに頷いてやって。



「なぁ、これ。

 (ゆう)と同じ匂いがするんだけど、めっちゃ強いし。」


「結構好評なんだよ、うちの柔軟剤。」


「...―――――」



本当に、仲良くなれそうで安心した。

何でもかんでも思ったことを素直に表現する裏人(うらひと)は、それだけで人に好かれるタイプだといえよう。

その通り、自身もそういうハッキリしたタイプの性格は好みだと、微笑みをさらに強め楽しげに笑う(ゆう)教導(きょうどう)機関(きかん)への登校時間ギリギリまで、そうやって嬉しそうに会話を弾ませるのであった。

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