全ての正体
~特異鬼制教導機関~
「言葉遊び?」
「そう、意外と楽しめたでしょ?」
「...いいえ、全く。」
ここは敢えて口調を強め、笑い事ではないとの思いをもって返答を送った裏人。
しかしそんな想いに戻ってくる天道からの返事はというと、「本当?」と拍子抜けだとでも言いたげで、腹立たしいモノであった。
よくもまぁこちらの気も知らないでふざけたことが言えたもんだ、といった具合に神経を逆なでされるほどの。
確かに、あれ一つによって死んでしまいそうなほどの恐怖を抱いてしまっていたという面に関しては、多少こちらにも非があったといえよう。
言葉遊びだとわかった現状においてそれがわざとだと仮定しても、恐怖を抱くにまで至ったのはこちらの感受性が酷すぎるか、もしくはビビりだというところに結論付いてしまうのだから。
ただ、それでも彼から受け取る恐怖は、事実これ以上ないほどの畏怖の念として心の中にも、まだ思い出となり残っている。
それも本人はというと、計画通りに遂行したまでだと、人の心を平気で弄んだ事実を肯定するかのように自信満々で構えているときた。
ともすれば苛立ちもするし、多少口調も荒くなるもんだ、と強めた返答だったのだが。
「ごめん、ごめん。
ただ必要なことだったんだ、それだけは分かってくれ。」
特段意にも介していないような様子を浮かべ、尚且つ表情の変わった彼の雰囲気によって、すぐにその想いが無意味であることを自覚される羽目になるのだった。
薄情な内心を感じさせられていたのに、またもや宿された優し気で頼り甲斐があり、こちらを一番に考えてくれるかのような温かみのある声音に戻っていると、そんな一面を見せられてしまったから。
そしてそんな思いに気付けないはずがない裏人が、天道の言葉をマルッと呑み込もうとしたその瞬間を見計らい、彼は次の一コマにうまい事言い包めてくるかのような声を掛けてくるのだった。
またもやこの場を支配していく、教師らしい語り方をしながら自身が知りたかった全てを含め、先程まで続いていた知らなければならない現実というところに繋がる、これまで起こった出来事の顛末というやつを。
「我々方相氏は追儺を扱う際、人の『負の感情』を拠り所にしてるって言ったでしょう?
この特性は子孫なだけあって、その親である鬼にも同じことが言えるんだ。
つまる所、百咲 愛悠という鬼から君を守るためには、常時君に恐怖を感じていてもらわなければならなかった。
私たちが優位に立ちまわるためにも、心の底からの本心という部分でね。
だから君には本当のことを伝えることもできず、こういう風な流れで任務を遂行するしかなかったというわけ。
効力が薄くなってしまったら、最悪の場合死に直結するかもしれない、そんな危うい状況だったから。」
「そう、だったんですか。」
「それともう一つ、特別な理由も。」
「特別な、理由?」
「うん。
百咲 愛悠と名付けした鬼、彼女には我々に無い特殊な性質が備わっていた。
追儺を扱う際、人間の喜びの感情を媒体とする、といった真逆の特異性が。
つまり愉悦や興奮、好意に幸福など、人が喜ぶべき時に放たれる想いで、追儺の効力を増していたんだ。
負の感情に対するなら、正の感情とでもいうべきモノで、ね。」
「喜び...―――――」
「心当たりがあるでしょ?
恐らく私が君たちの学校に転任してから、急激に加速した出来事が。」
「...ッ。
それ、って。」
「そう。
本当の好意なのか、または違う感情なのか、それともただの気まぐれだったのか。
そのどれが正しいのか正直掴めていないけど、間違いなく彼女はいい意味でも悪い意味でも君を狙っていた。
他者に触られることがないように匿いながら、必要な時に抱きしめられるほどの距離感を保ちつつ。
そうして私が現れると危機感を感じ、時間を掛けさせることなく君へ急接近しては、やることをやろうとしていた。
裏人君との仲を早々に進め、男女の関係になれば当然君から好意や愛情、喜びや興奮などの想いを受け取ることができる。
後は、それを喰らいさいすれば、自身の有利に物事を進めることが可能になる、ってところだろう。
急速に変化した非日常の正体、多分色鮮やかに思えていた君には、荷が重い過去かもしれないけど。」
「...いいえ、事実を知れて、良かったです。」
「それは何よりだ。
まぁ、何かを聞き出すこともできなかったし、裏人君だけじゃなく私たちもこれ以上のことは知らないんだけどね。
これらの事実があっての先、つまり君から『喜びの感情』を受け取って何をしようとしていたのかも、またその特異性によって私たちの扱う追儺とどう変化があるのかも、わからない。
なんせ『善の感情』を糧とする鬼や方相氏なんて、十中八九聞いたことがなかったから。
結果、とりあえずで裏人君に恐怖を感じていてもらいさえすれば、私たちにとっての有利な状況を保てるし、彼女の抑制にもなる、そんな二つの観点から君を守ることに繋がるだろうと思って。
それであの言葉遊びってわけ。」
そこまでの多くを語られ、何となくでも全ての事象に合点がいった裏人は、聞いてよかったと改めて心の中で納得の想いを浮かべた。
それと同時に、先程より天道へと抱いていた様々な心持を落ち着かせながら、喜べばいいのか悔しがればいいのか判断し辛い百咲のことを、今度は頭に思い浮かべていくのだった。
仲良くなれた裏にはそんな思いがあったのかと。
またそれ以前の関係から思うところもあり、尚且つ急速な展開を見せたその関係値が、ある意味では仕組まれていたことだったのだと気付けず楽しんでいた事実に、言いようもない気恥しさも感じさせられながら。
そのため、天道の口から出た『男女の関係』という言葉や『興奮』という単語によって図星を差され、脳内には彼女と唇を重ね合わせた情景が反響していくことになった。
忘れられれば、これ以上楽なことはないと、心に突き刺さるあの思い出が。
「...ふぅ―――――。」
そうやって深く呼吸をつく裏人のため息とは内心を冷ますため、さらに頭を冷やすために行われたものであった。
正直に言えば、まだ脳内にはその思い出が色褪せない煌びやかなものとして、聢と残っているのである。
そして当然そこに含まれる、百咲からすればこの上なく甘美であっただろう、こんな思いも。
『あんな目に遭わされ、あまつさえ殺されかけた彼女からの好意が、嬉しかった。』だなんて。
またそのことに含め、痛みや苦しみで悶えていた状況から一度でも助かってしまったから、今度はそれら苦痛の方を薄い思い出として保管しようとしている脳の作用も、ハッキリと自覚できている。
ゆえに導き出られる結論とは。
言わずもがな、恐らく自身はまだ『正常』というところまで回復は、出来ていないのであろう。
こうやって間違っている事が明白な事実が...誰がどう見ても非難するであろう思考が頭の中に居座っているのだ。
死を待ち望んでいたということは否定しないが、あくまでそれは苦しくないよう楽になりたかったから。
決して初めから彼女に殺されることを望んでいたわけでもないし、今でもそれがおかしいことだとわかっている。
それじゃあ、この煌びやかな思い出として残っている情景とは?
自身が正常でないことは疑う余地すらないが、どれほど異常であるのかもわかっていないため、その脳が思考することを放棄しているかのように、全ての想いを肯定し始めていた。
ゆえに、これ以上は危ういと自粛するように謹んでみても沸き上がる誤想に何とか蓋をするため、すぐさま裏人は自分から天道へと声を掛けていくのだった
気を紛らわせていないと、というよりももっと詳しく現状とその方相氏や追儺などという新情報を吟味していなければ、過ちの思考へ落ちてしまうのは明白であったから。
それと同時に、あわよくば正しい思考へと戻してもらう手助けもしてもらおうかと、未だ信用しきれていない自分の思考を正すため、気になっている点を掻い摘んでは口に出していくのであった。
「一ついいですか?」
「ん、なんだい?」
「その、恐怖を感じていなければ、っていうのはわかったんですけど。
なぜあの答案での文字遊び、だったんですか?」
「あぁ、それに関してはね。
面倒くさかったんだ、考えるの。」
ケロッと答えるのは、暗い話にしないよう気遣ってくれた証拠なのだろう。
そうやって軽い印象に戻った声音を放つ天道からの返答が、時間を掛けさせることなくすぐに自身の元へと届いてきた。
そして続く内容も。
「裏人君を怖がらせられればなんでもいい、っていうはそうなんだけど、いくつか候補や必要になる項目みたいなのは決まっていてね。
百咲 愛悠に勘付かれない手段でなければならないとか、裏人君自身に恐怖ではなく、何より印象を与えなければならなかったり、とかね。
恐怖の念って一口に言っても、執拗で陰湿の方が後々まで引きずられるでしょう?
できればそっちの方が鬼の調査に没頭できる。
それで色々考えてた時にテレビでちょうど、どこかの自由人学校の担当教員が卒業テストの答えでメッセージを送る、っていうのをやってたってわけ。
ようはパクりってことだね。」
「...はぁ。」
「まぁ、正直なところ君の思っている通り、これだけじゃ恐怖を感じてもらうには不十分かなって思いもあったよ。
見たままおふざけ程度の文言だからね。
数字や違う漢字の文字列、頭のいい君にしか解けない問題にしたとはいえ、答えの仕掛けに気付かれなかったら...というより気付かれても鼻で笑われるかもしれないって容易に想像できてしまうし。
だから、実は影ながら別で違う手段も用いてたんだ。」
「違う、手段?」
「うん。
文字通り、お気持ち程度の念をだねぇ―――――」
「天道さん。
まさか、殺気を送ったりとかは、してないですよね。」
もう一歩踏み込んだ『事の顛末』を聞いていた段階で、その言葉の後すぐに台詞を繋げたのは裏人でも天道でもなく、まさかの優であった。
その声音に、焦りと説教をするかのように圧の込められた様子が感じられ、逆に驚かされた裏人は少し目を丸くするまでに至る。
こんな声が彼から出るのかと、優し気な印象からは懸け離れたように怖さを感じる、言いようもない声色と言葉。
そのため、真意が掴めない裏人は優へと質問を返すより先に、恐らく彼の視界にも映っていないであろう背後から見る構図で、優の顔をそっと覗き込むのだった。
謎に緊張感が広がっていくような、ピリピリとした空気を肌にしっかりと感じながら。
そんな雰囲気の中、こちらの様子へ視線を送る天道はぎこちなく首だけを動かし、まさかの冷や汗を掻いているのかといった表情で優のことを見据えるよう身体の向きを変えてくるのだった。
何ともわかりやすい、親に怒られた子供が言い訳をするかのような様子を見せている。
もしくは、しょぼくれたペットが主人の機嫌を取るかのような、申し訳ないとは少し違い謝意を半分、言い訳を半分といった印象を浮かべたままで。
そんな、ある種コントかと思えるかのような情景へと、まだ一人納得のできていない裏人は優の肩を、背負われた状態でポンポンッと叩き状況説明を求めていった。
当然、きちんとすぐさま理由を説明してくれる彼は、今の瞬間だけはまたあの優し気な印象の声音へと戻っている。
とやはり、普段からの人の好さが伺える彼のイメージに間違いはなかったと、そうやって詳細を話してくれる彼の言葉を受け取り、裏人はようやく現状が理解ができる運びとなっていくのだった。
「どういう意味?」
「あの人...天道さんはさっき話してた方相氏の界隈で、開闢の鬼才だと言われている人なんだ。
元より才能のあるなしで決まる俺たちの中でも、一際特出した天賦の才を秘めている、分かりやすく言えば強すぎるってこと。
それに、ここでいう開闢っていうのも一切の比喩抜きで、始まりの時から今にも受け継がれていない追儺を扱えるらしい、ってそういう噂が絶えなくてね。
どこまでが本当なのか、俺たちも知らないことだらけなんだけど。
そんな風に謎が多すぎて年齢すら疑われている天道さんは、その強さも相まって事実上『始まりの鬼』なんじゃないかって話まで出てくるくらい、色々人知を超えた人なんだ。
それと...ここからは天道さんの言葉にあれこれ付け加えて話した方がわかりやすいと思うから、ちょっと話がずれるけど―――――」
そういって話し始めてくれたのは、追儺というものについての詳細情報。
果たしてそれがどういう風にこの場の説明に繋がってくるのかは分からないが、それでもすでにワクワクしている内心に輪をかけて興奮の念が圧し掛かってきている裏人は、黙ってその話を聞くことに専念し始めていった。
何より胸が躍る事象だと、そう思わされているのは優の話し方がうまいからなのだろうか、はたまた元よりこういった話が好きだからなのであろうか。
と、これらの遥か想像の上を行く展開へ、当然ここまでの人生を振り返って遭遇することのなかった裏人は、気づけていなかった自身の知らない自分と対面することへ通ずるようになる。
それがこの瞬間であらわになったことに含め、沸き立つ内情を皆にバレないように深呼吸にて落ち着かせた彼は、それでも抑えきれず目を輝かせてしまいながら続く話に耳を傾けていくのだった。
そのように楽し気な光景へと、なんとなく納得のいっていない様子を見せている天道が、それでも優と裏人の関係を早急に取り繋ぐ材料にでもなればいいか、と口を噤むことを決意する様子を尻目に。
そして話し始められた、もう聞き飽きたであろうほど耳にしてきた内容に、やはり居たたまれなさを感じながらでも頭を掻く仕草を浮かべ、我慢する様子を見せるのであった。
「追儺っていうのは元々、『鎮能』と『追儺』の二種類に分けられていてね。
前者がさっき天道さんの話しに出てきた、方相氏は魔術士と似ているって説明の理由になっているものなんだ。
魔術士が扱う魔術と、方相氏が扱う追儺って感じで、同一視されるくらい。
まぁ、詳しくいうとそれだけじゃないんだけど、それはまた追々嫌というほど勉強する羽目になるだろうからこの辺にしておいて、次は追儺の説明に移るけど―――――
そっちの方がいわゆる、方相氏が鬼の子孫だといわれている理由に当たる。
特殊能力って言ったら分かりやすいかな。
もちろん伝説上の生き物とされている鬼は、事実この世界に過去、存在していた。
なら当然、一体一体に固有の力が備わっていてもおかしくないでしょ。
そういったのが『追儺』って呼ばれていて、子孫である俺たちに受け継がれているんだ。
個人個人が別に持っているその人だけの力...ひいてはどの鬼の子孫にあたるのかの身分証明になる特徴、みたいにね。
それで、時が流れていつしか同じように追儺って呼ばれるようになった、これが天道さんの話に付け加えておきたかった説明。」
「なる、ほど。」
「それで、なんでこの話をしたかっていうと、ついさっき俺が殺意って言ったのを覚えてるよね。」
「うん。」
「鎮能や追儺の中には、そういう『念』というものに対して呪いや私怨なんかを込めるようなものもあるんだ。
魔術士でいうと呪術とかにあたる、恐怖を強要するようなものが。
だけど天道さんの場合そういう術を用いなくても、何も込められていないただの殺気で人を気絶させられることも平気でできるらしくて。
「ま、マジか。」
「うん、ありえないことを言っているようだけど、質が悪いことにこれが事実でね。
自由人の大人でも、魔術士の手練れでも、方相氏の重鎮でもお構いなしって具合に。
だから、普段からそういうのを制限されているんだ。
...それなのに、あろうことか裏人君に使うなんて。」
「いやぁ、私もこんなことになるとは思ってなくてね。」
「最悪の場合、死に追い込んでいたかもしれないんですよ?
耐えられなくなったから自らってことも...分かってるんですか。」
「...いや、分かっているとも。
ただね、補足説明する時間をもらってもいいかい?」
説教とはそういう意味だったのか。
そう優の言葉に自身の中で納得の思いを浮かべる裏人は、そんなあり得ない事実を前に最後の方で聞こえた物騒な言葉へ、眉間にしわを寄せた。
なんと、それら死や追い込まれるという単語について、心当たりがあったからである。
まぁ自ら命を...とまでは言い過ぎかもしれないがそれなりの恐怖を感じていたことは事実で、塞ぎこみ食事すらもままならなくなったという点においては、自らを手にかけていたかもしれなかったのは事実。
ともすれば、これは怒ってもいいことなのではと、先に沸いていた天道への怒りの感情をぶり返したかのように睨みを利かせるやると、優と二人で元凶の教師をいじめているような構図が完成する運びとなった。
そんな二人の視線の先、頭をかいていた天道はそれら歯がゆさからとは違い、完全に言い訳をする際の情けない仕草として同様に頭を掻きつつ、何か言われる前に自分からとの意思を持って言葉を返すような様子を見せる。
すると、案外落ち着きを取り戻した優の様子を体感し、何よりこの場においては未熟者な自覚のある裏人は、黙ってその成り行きを見守るまでに至るのだった。
ここまで続いた少しだけ楽しさが混じり、変にテンションの上がったワクワク感から、歯止めが利かなくなるコントのような心持を、いったん冷静に落ち着かせながら。
「それについては私も驚いていてね。
予想外なことだったんだ。
自分の感情をコントロールすることなんて当たり前、だからこそ裏人君には怒った程度の意思表示だったんだけど。」
「...。」
「本当だよ、私を疑うのかい?」
「えぇ、信用はできないので。
それに、自分の感情を完璧にコントロールすることなんてこと、常人には不可能です。」
「まぁまぁそれは一先ず置いておいて、裏人君。
君はここ最近で何か自分について不思議に思った点はないかい?
特に百咲 愛悠が近づいてから、変わったようなこと。」
「ぼ、僕ですか?
えー、っと...。」
「例えば...そうだな。
突然、|感情の起伏が激しくなった《・・・・・・・・・・・・》、とか。」
「...ッ。」
「心当たりは、あるみたいだね。」
全部わかった風な感じが人の余裕を表している、とそれが天道 修二という男を物語っているかのような雰囲気をひしひしと感じさせてくる。
そう、先ほどまで冗談めかしく天道を睨んでいた二人は、ハトが豆鉄砲と食らったかのように顔を見合わせると、それら間抜けな顔で言葉のないコミュニケーションを済まし、小刻みに首肯を繰り返すのだった。
思い起こすのは数日前までの出来事。
百咲が急に実家の坂の下で話しを掛けて来た頃合いから、伝槙 柏伯との出会いを経て、塞ぎこんでは祭りへと赴く少し前までの場面である。
それより以前の自分は、案外他人に興味を示すことのない人間だと自覚していた。
仲のいい間柄以外の連中が何をしていようが気に留めたこともないし、その仲のいい連中ですら詳しいことは一切知っていないという事実にもこの瞬間で再認識してしまっているほど。
それくらいのんびりと平穏を願い、豊かな人生を歩んでいたはず。
だが百咲と良好な関係値が築けてからというもの、彼女と伝槙教員に対してだけは、変に情緒が荒ぶることが何度もあったのだ。
好意に興奮、愉悦に幸福、そして恐怖に絶望と、今再び思い返してもしっかりと回想できる感情によって。
つまり、天道の言葉によって思い出したその事実は、全て彼女の手のひらだった出来事と共に、操られていた情景へと繋がっているものであった。
現状の知識についてからっきしな自分でも、それくらいは憶測できる事象である―――――
いや、これはたぶん憶測ではないかもしれない。
その証拠にまた天道 修二は裏人の顔を振り返ると、あの時同様に口元を歪ませに歪ませた、気持ちのいいくらいのニヤケ面を体現していた。
「賢いね。」「やっぱ頭良いんだね。」とでも言いたげに、言ってしまえば腹立たしいような表情を浮かべて。
「君の感受性は、おそらく百咲という名の鬼によって、かなり高められていたんだと思う。
これは、先の優の話を用いるなら、追儺に方あたる力だろうね。
鎮能の方にも、他人に念を送るようなものもあるけど、あくまでそれは自分が送る気持ちを強めに感じてもらう、要は共感させる程度のもの。
だから裏人君みたいに、あの人やこの人から受け取る想いも...って感じにはならないんだ。
つまり、追儺が作用していたのは百咲が送る『念』の方ではなく、受け取る君の精神・心理状態の方だった、ってところかな。」
「それで...。」
「うん、彼女は恐らく、私が現れてから時間がないと思い、君の『喜びの感情』を無理矢理引き出そうとしていたんだろう。
その力が、正しく作用したのか間違った結末を招いたのかは分からないが、未完成な追儺として君を蝕み始めていくことに繋がった。
結果、裏人君は私が送ろうと思っていた恐怖を、増幅して受け取ってしまうこと運びになった。」
「...。」
「君も気づいていると思うけどね、一応理解できていなかった時の保険としての説明だ。
後はわかりやすく、お祭りに赴いた状況の中、最後の仕上げを行おうとしていたんだろう。
自身の好意を口にして裏人君の興奮を呷り、口づけやその先まで行けば...これ以上は言う必要もないか。」
その言葉自体がこちらを呷っているかのようで、シンッと静まり返った空気感が辺りを包むこととなってしまった。
優が姫奈が裏人が、一様にその先の展開までを想像してしまい、気まずい雰囲気が訪れたのである。
言葉のチョイスというか、天道 修二の声がズルいというのか、艶めかしく色っぽい単語の出現により、発熱していく体温を何とか抑えながら別のことを考えようとする三人。
その視線はあっちやこっちにと互いに明後日の方を向いていて、面白いくらいに分かりやすく恥じらいの情調が少しずつ広がっていくようであった。
だが、そんな中いい意味でも悪い意味でも教員の声は続いていく。
と次の瞬間、居た堪れなさから優の胸辺りで交えていた腕の上下を返した裏人が、その手首についている数珠に気が付き、瞬時に頭の中へとある言葉を思い浮かべていった。
年頃の人間が、気まずくなるような状況に追い込まれれば必然、やることは一つだけ。
そう自分から声を放つことを決意した裏人の行動が、結果他二名の手助けにもなりつつ自身の知りたいことまでを知れる、と皆にとって状況がいい展開へと流れていく一手となったであった。
それでも変に勘違いされないよう、あくまで納得や理解をしていること感じさせるように、見当違いな内容の話を振らないことにだけ気を付けながら。
「それじゃあ、この数珠って...。」
「うん、君に罹っていた呪いを解くモノだ。
百咲の扱う追儺が、どういうものなのかわからずとも、状況判断で察しはついていたから。
先ずは君に百崎へと好意を寄せるようにする、幻術みたいなものが一つ。
次にさっき話した、君の精神や心理に作用している、感受性を過敏にさせるようなものが一つ。
そして最後に、これら全てを根本から支えている、彼女本来の追儺を払うため、君に渡した。
装着した時、眠くなったのはそれが有効になっていた証拠だ。
おかげで正気を取り戻せた。」
「もし、そうなってなかったら、死んでいたんですか?」
「どうだろうか。
説明の時に言ったけど、『喜びの感情』を糧にする追儺には詳しくないからね。
なんとも。」
「それじゃあ、百咲さ...彼女は一体、何をしたかったんですかね。」
「さぁねー。
それに関しても聞き出すことが出来なかったから。
君を狙っていたこと、そのためなら無理を押し通そうとしていたこと、そしてそれによって自分が滅んだとしても、構わないと思えるようなことっていうのは掴めているのだけど。
案外そういうのいくらでもあるからね。
まぁただ、これだけは自信を思って言えることが、一つだけある。
いいかい、優や姫奈もちゃんと聞いておきなよ?」
そう前置きをする天道は、何やら声音にまでニヤケた様子を込めながら、山頂近くになった森の中へ明るげな声を反響させていった。
その様子に、優と姫奈は視線を上げて何の話かと互いに目配せをする。
しかし裏人同様、何一つその真意が掴めずに両者、すぐ首を捻る仕草で判然としない雰囲気をコミュニケーションで交わしていった。
先ほどから山道を歩きに歩き続け、裏人の目が覚めてから20分近くが経過しているであろう頃合い。
月や星の明かりはより輝きを増し、延いては頭上を生い茂っていた葉も段々と数を減らしていき、強い光を感じられるようになった山の頂に近い場所。
そんな情緒深く、風情溢れる雰囲気の中、ついに訪れた山頂から下の景色を一望できる場所にて立ち止まり、一瞬の静寂が辺りを包んでいくことになる。
裏人には慣れたものであるが、他二名は少し息苦しさを感じるかというような標高。
まぁそれには、ここまで自分の足で登ってきたという事実がかなり密接に関係しているのであろうが、そうはいっても高い場所なりの風景を目にすることができるようなそんな場所で―――――
後ろを振り返った天道からここへ来た理由について、突如、思いもしないほどの驚愕の事実を伝えられる運びとなるのであった。
それを聞く皆が一様に驚きの表情へと変わると、裏人は一人絶望を再度感じさせられてしまうような心地に追い込まれる、そんな非現実的な事実を現実として。
「先の優の話しに補足説明をしておくと、追儺と鎮能の違いは特殊だからという点以外にもう一つ存在しているんだ。
それは規模によって効力が変わってくるという点。
大勢の方相氏がいれば、当然大規模の鎮能を扱えるようにはなるけど、それを一人で可能にするのが追儺という力の本来あるべき姿だ。
今優や姫奈たちに教えているのはそういうレベルのもの。
方相氏の行きつく先、最終目標みたいなものだね。
...そして、さっき言った百咲 愛悠の本来の追儺というものについて。
裏人君、君にはかなり苦しい現実になるかと思うけど、これが事実だと受け止めなければならない、いいね。」
固唾を飲む裏人、それは天道の声音が今までにないような『本気』を感じられるモノへと変わっていたから。
またそれは同様に、優や姫奈にも伝わる真剣みとなり、先ほどの生ぬるい静寂とは真逆の緊張感を孕んだ静けさが辺りに広がっていくことになった。
誰も一言も発しない、息遣いすら聞こえてくるような状況に、訪れる落ち着きが身体へ寒気を運んでくる。
とそうやって、次の何かを待っていた皆のもとへ次いで放たれた天道の声により、その追儺というものの真の姿を、誰もが目に焼き付けることになっていくのだった。
何より絶望を体感し、青ざめたように表情を歪ませた裏人の様子をよそに。
「下を見てごらん。」
「ッ―――――!?
こ、れって...」
つまりつまりに言葉を発する、そんな裏人と他二名の前に姿を見せる光景とは。
全てが瓦礫や枯れ木に覆われ、人の気配一つすら存在しない、文字通りの消滅した集落が広がっていたのだった。
「裏人君。
君が過ごしていたこの集落は、全て百咲 愛悠という名前の鬼によって造られたまぼろしだ。
君を閉じ込めておくためだけの。
多くの住民、多くの学友、多くの建物に多くの自然。
そして、君がたった一人家族と呼んでいたおばあさんの存在自体も、彼女によって創りだされたもの。
ゆえにそのどれもが、現実には存在しないものだ。
先に話した大規模に左右する追儺というモノの本来の力、それも人の心を惑わすようなものであれば、こんな非現実を現実へと引っ張り出してこれる。」
「...―――――」
「こればかりは私にもどうすることも出来ない。
ただ今は、私が言っていることすべてを理解する必要も、できるくらいの強さも君にはないから、キツイことを言うようだけどあくまでこの言葉は私からの優しさだと思って受け取ってくれ。
気を落とすことなく、気に病むこともない、いいね。
そして優と姫奈。
これが追儺という力の根本となるものだ。
まぁ、複数の集落分の規模に影響を及ぼす術を扱える人物なんて、現代にいるかどうかわからないけどね。
それでも、平気で人の人生を狂わせることは可能だ。
裏人君のように、十数年を『神隠し』に合わせたかのように連れ去ることも。
使い方は、決して間違ってはいけないよ。」
「「...はい。」」
驚愕と絶望によって、言葉を発することができない裏人。
ただ目前に広がる光景は、夜でも月明かりによって照らし出されるその事実は、すべてを現実としてヒシヒシと裏人へ訴えかけていた。
そのため、表情や雰囲気から伝わる想いによって口を噤んでしまう優と姫奈は、生返事を一つ返すだけに留まってしまう。
気持ちの良くない静寂。
今まで内情を湧き立たせていた裏人にとっても、この現実はあまりにグロテスクであり、とてもそんな心持を復活させることなど出来そうもなかった。
これまで自分が過ごしていた場が、居場所でもなく家でもなく地区でもなく、集落丸ごと廃村と化していたのだから。
当然といえば当然、ならば何も考えられなくなっている自身の内心に関しても、至極当然のものなのだろう。
そうやっていつしか頬を伝っていた涙にも気が付くことができず、周りにいる三人に言いようもない怖さを体感させる運びになっていることにも気づけないまま、少しの時間だけが静かに経過していった。
すると次の一コマ、元よりあまり長居をするつもりもなかったと、早急に明るさを持ち直した声音で声をかける天道の言葉が響いていき、止まっていた時が進んでいくかのようにその場に明るさが戻っていくことになった。
時間を掛けさせることなく、早々と進んでいく情景。
そこには当然優や姫奈の助力あり、という形にはなってしまうが、それでもいつも通りの、その場の流れを支配するかのようないい流れが展開されていった。
「じゃ、あまり長居するつもりなかったし、行こうか。
執朗君を待たせすぎると可哀想だからね。」
「...荒い小間使いしたのは天道さんですけどね。」
「だからこそだよ。
いつも世話になっていることに変わりないし、時には労ってあげないと。」
「天道さんが言うんですか...。」
「本当、玄藤重先生かわいそう。」
三者三様の思いを、というより優と姫奈に関しては似たり寄ったりの思いだが、それでも裏人が悲しみを感じる以上に気楽さを見せつければ、こちらに引っ張られることを信じて。
そうやって天道含め一致団結した意思疎通を見せる皆は、それでも作り物だとバレないよう自然体を保ちながら、話しを無理矢理進めていくのだった。
これによって裏人の気持ちが軽くなるかどうかはわからない。
いや、恐らく軽くなることなどないだろう。
ただ、それでも伝えておかなければならなかった事実であることに変わりはなく、彼の今後を思うと伝えずともバレるようなことであることにも変わりなかった。
そのため早めに伝えたまでであり、用意していた彼の今後についての話をすれば紛らわせることが可能であろうとも考えていた天道策略に、場の流れを乗せたのである。
そうして、してやったりと上手い運びへ自画自賛する彼は、続き今の暗さを取り払うため明るい未来の話を間髪入れず、裏人へと告げてやるのだった。
「そうだ裏人君。
君には帰る家がないから、京都に来てもらうよ。」
「「(ッ―――――バカこの人...。)」」
その伝え方は恐らく間違っていた。
だからこそ横から文字通り尊敬の『そ』の字もない横槍が入ったのだが、そんな二人の気遣いも知れず、後にはしっかりと重みの込められた返事が、響いていくのだった。
この場この状況にとっては、誰にも真似出来ないほどの『強さ』を見せつける、裏人からの返事が。
「...はい。」