奪還作戦 前篇
~特異鬼制教導機関~
「はぁ、ッはぁ―――――」
「大丈夫?」
「ッ、はい...はぁ。」
森の中を駆ける、二つの激しめな呼吸音が木々の間で木霊した。
当然それは、百咲と伝槙が火花を散らすあの場から非難した、優と姫奈、二人のものである。
が、走り始めのあの時とは少し違い、なにやら彼らの漏らす息には次第に焦りの色が伺え始めていた。
「そろそろ向き変えるよ。」
「わかりまし、た...。」
この場を先行し、指示をかけ続けている姫奈に返されるのは、苛立ちを内包させた優の声。
だが、怒りの矛先はというとやはり自分自身に対してらしく、その想いは顕著なものとして彼の表情に宿されることとなっていた。
姫奈の浮かべていたあの思考、優が自身を追い込みすぎるといった内容の心情が、現実となり今この瞬間に体現されている。
と、そんな彼を見つめる姫奈は少しズキッと痛む胸を押さえ、「(それでもやるべきことを)」と進行方向をずらしつつ、優しく優を先導し続けていた。
端から裏人の身体を抱えて走っている彼は、それだけでも辛そうな状況の中足場の不安定さによって、よりやりずらそうな心情を募らせている。
そして傍に控える姫奈も、立ち止まることも出来ず、代わりに自身が裏人を抱えてやることもできない状況へ、言い知れぬ歯がゆさを感じていた。
そのような心境で迎える現在は、かれこれどれほどの時間が経過したのであろう。
手筈通り森の中へと紛れ込み、またもや手筈通り打ち上がった花火の情緒が、視覚や聴覚に届く中。
過ぎた時間にも、変わらない風景にも焦がされるような焦燥感を覚えてしまい、同時に襲う夏の暑さや全身から吹き出す汗に、これでもかと悪感情が胸の内で膨らんでいく。
そんな心底反吐が出るような気持ち悪さを感じている二人は、それでもと足を止めることはせず...というより出来ず、ほぼ投げやりの状態で森の中を走りに走り続けているのだった。
裏人から放たれるお世辞にも笑うことができない臭いとそれが血液であるという事実に、自身と現況の様子を重ね合わせ。
さらに孤独感を体感させてくる二人だけの吐息と、遠くから響く自分たちを隔絶したかのような雑多な声と祭囃子を受け取って。
「(がんばれ...優。)」
それら全ての悪状況が、『追われる立場』に『不条理』というこの場この瞬間の自身らの『現実』を、確固たるものにしてくれている。
そう思う姫奈は、この時ほど自身の非力さを呪ったことはない、といった具合に歯を食いしばって見せるのだった。
いつも以上のキツさを感じ、それが運動量に因るものではなく、危機感に因るものなのだと思ってしまう頭が、鬱陶しいほどの柵となりながら動かす足を掴んで離さない。
また同時に、追い詰める必要がない心情が何故か自身をドンドンと追い込み始め、徐々に広がる疲労感を身体中に募らせていった。
しかしそんな一歩、いやそんな一瞬でも気を抜けば倒れてしまいそうな崖っぷちな中であっても、唯一心のよりどころを見つけ出せているのが幸いか。
それは、未だにあの時感じた気配が近づく様子がない、というところであった。
後方の、さらにその向こうで衝突している、伝槙と百咲が放っているのであろうピリピリと肌をなぞるような威圧感。
祭りの雰囲気の中、牛串を食べていたあの時の、一瞬にして全身を貫いていった『危機感』や『恐怖』を表すようなあの気配を。
そう、あの...心底美味しかった...牛串を―――――
「(ぐぅうううう~~)―――――。」
「...ちょっとッ。
姫奈先輩?
緊張感、ないですよ、ほんと。」
「し、仕方ないでしょ、こんな状況でも減るもんは減るんだから。」
周囲へ響かせた下品にも可愛らしい腹の音に、鳴らした張本人は頬を紅潮させた様子で、慌てて言葉を返した。
しかし、受け取った優の方はというと、指摘をしつつもそんな軽率で滑稽な音へ、言葉通り緊張感から解放されたような心地を体感し、少し楽そうな表情を浮かべた。
その様子に、現況では笑い声さえ姿を見せなかったが、軽々しくも明るい雰囲気が舞い戻ってくる。
と、彼から喜びを同調する姫奈は、耳まで真っ赤に染めつつも口元だけに微笑みを浮かべ、「(思ってもないところで...。)」と好転した現状と共に優から顔を背けてみせるのだった。
あくまで彼には『いつも通り』を見せておき、裏で自身がこれ以上ないほどの心配をしていたという事実すら、悟らせないようにするため。
あとはまぁ、不思議と沸き立つ羞恥の念を、年頃らしく隠したいためだ。
ただ、そんな分かりやすい行動から、何も察することができないほど鈍くない優はまたもや気持ちを読み切って、いい意味でなんとも言えない表情を浮かべるまでに至ってしまうのだった。
嬉しさが恥ずかしさに勝るとは、一体どういう意味なのか、互いが互いにに知らないふりを決め込みながら。
そうしてそんな状況のまま、一度静まり返ったばっかりに恥ずかしさのぶり返す空気感を両者払うこともせず、今まで通り足音と吐息だけを周囲一帯へと響かせていった。
変に生じるムードの中で、追われる焦りに怯えながらも、拭いきれない喜びと安堵の雰囲気を以てして。
だが、次の瞬間。
それら暗雲の中での素敵な空気が、一瞬にして凍り付くような出来事が2人を包んでいく事になってしまった。
その中で響く、一つの声を反響させて―――――
「「―――――ッ!?」」
「ッ伏せろ!!!!」
ッッドォッォォォォオオン―――――
突如、誰かの叫び声が耳を劈くほどの激しさとなって、二人の元へと届いてきた。
自分たち以上に焦りを孕み、こちらの言動を強制するかの如く迫力を帯びた、聞き覚えのある声。
そんな中途半端すぎるタイミングで聞こえた声音と同時、ほぼ脊髄反射並みの速度でその場へ倒れこむように伏せる姿を見せるのは、何故か驚きの表情を露わにする優と姫奈の二人であった。
いや、もしかしなくともその反応とは、今に響いた声より先、危機感が身体を貫く言いようもない予感を感じたからなのであろう。
そう、一瞬遅れて聴覚へと届いた、近くから放たれる凶悪で強大な音に、すぐ頭部を守るような姿勢を見せては、頭が割れるほどの爆発に襲われてしまうこととなった。
花火の音でも紛らわせているのか怪しいと、周囲に数多存在する祭りを楽しんでいる一般人を尻目に、自衛の念で押しつぶされるかのような、必死さを体現しながら。
そして遅れて十数秒後、次第に土埃や危うげの無い粉末状になった木片などが過ぎ去った空気を確認すると、今起こった事実を確認するため二人してその顔を上げていくのだった。
「大丈夫か、魅明逆、上甘。」
「はい、俺は。」
「私も...大丈夫です。」
聞こえてくる声はやはり、伝槙よりも頼りがいも聞き覚えもある、とある男性教員の声であった。
優しくて野太くて、声音からでも体育会系な印象が強く伝わってくる、玄藤重 執朗と名の男。
我らが学校の教職員にして、体育の授業で毎回お世話になる漢気溢れた益荒男である。
と、そんな彼がここにいる理由とは、伝槙との電話口でも話していた、とある仕事を行うためであった。
自分たちがここに来た理由も含め、『鈴鹿 裏人』という人物を巡った、多種多様な要因の絡む目的に沿って。
それは一ヶ月ほど前まで遡る―――――
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「...温羅の、伝承ですか?」
「うん、君たちも知っての通りだと思うけど。」
「あれですよね、三柱の鬼神って言う。」
「そう、私たち方相氏が扱う追儺。
その鬼の術を作り上げた涯蘭童子 と、主となる金柄闢真。
そして最後に『俗世に厄介を産み落とす』と言い伝えられている、謎に包まれた鬼神、温羅。
そんな鬼神様のねぇ、生まれ変わりが姿を見せたって噂があってね。」
とある学校の放課後、その教室の一郭で話をする四人の姿があった。
部活動で賑わう運動場や体育館に比べ、旧校舎となるこの場所では、ほぼ生徒の姿を見かけないといった具合に、落ち着いた空間が展開されている。
とそんな中、姫奈や優が身を置き、玄藤重教員が顧問を務め、伝槙が顔を出している部活動の部員たちによる喧騒が、隣の部屋より聞こえていた。
誰にも使われていない印象のする部屋だがなぜか埃っぽくなどはなく、夕焼けの程よい温かみと淡い蛍光灯の光が窓からスッと差し込んでいる、準備室。
そこで心地のいい雑多な声を尻目に、特に抑える必要もないとの声量で会話を交わす彼らの議題に上るのは、凡そ普遍的な生活をしている一般人には聞き覚えもないような内容のものであった。
「それじゃあ、現代に厄介が訪れるってことですか?」
「ねぇ優、そもそも厄介って何。」
「...んーそんなこと聞かれても、なんですか玄藤重先生。」
「さぁな。
でもまぁ『厄介なこと』、ってのに変わりないんだろうな―――――」
「執朗君さ、君には色々と話したでしょうに。
覚えてないの?」
「いやぁ、二人は何も知らないほうがいいのかな、と。」
「そんなわけないでしょ。
連れて行くんだから、何も知らないのは厳禁だよ?
死んだら執朗君のせいで。」
「ちょっとッ、縁起でもないことを。
...それに、説明って言ってもその仕様って、あるんですかね?」
「...あー、まぁ...ないか。
正直、誰にもわかってないことだからね。
それに、危険性って言うのも|その生まれ変わり自体が《・・・・・・・・・・・》...って訳じゃないし。
んー...よしッ。
いいかい二人とも、これから話すことはねぇ―――――」
「そんなことより...。
俺たち勝手に連れていかれることになってるんですか?」
「えッ、もちろんだよ。
経験は必要さ。
姫奈も優も今、互いに修行してる追儺があるでしょ?」
「だって、危険...なんですよね?」
「あくまで、私がいることを忘れないでよ?
君たちの安全は保障されているようなものさ。
ま、執朗君が怠けなかったら、ね。」
「ちょっと、急に俺に振らないでください。」
「ま、そんな冗談はさておいて―――――」
いつも通りの口調でいつも通りな会話をしつつ、皆が緊張感を持ち合わせないような雰囲気で始まっていく会議は、伝槙が思い描く通りのモノ。
ゆえにそんな話しやすい空気感をこの場へ展開していくと彼は、とある目的をもってして、間もなく話の流れを真剣なものへと移していくのであった。
聞く準備が整っている彼らが、今から口にすることを忘れることなどないだろう。
落ち着いた空気感から、急に重要なことを話せば嫌でも身が引き締まるというもの。
それに色々とお膳立てはしているが真面目な彼らのこと、一度聞けばきちんと覚えてくれることくらい、それなりの付き合いがある故分かり切っているところでもあった。
と、そう疑いようもない信頼感の下、いつも通りのニヤケ面まで体現した彼は時間もかけさせることなく、それでも丁寧に伝達事項を口承していくのだった。
弓なりに曲げられる、伝槙の口から放たれた概要はこう―――――
「その生まれ変わりらしき人物の名前は『鈴鹿 裏人』。
名前からでも一応わかると思うけど、性別は男ね。
体格に関しては優と比べて、同じくらいか少し小さい程度、で年齢に至っては全く一緒。
そんな彼の容姿については顔写真がないから詳述できないけど、恐らく追儺の気配や方相氏としての風格はすでにその身に持ち合わせていると思う。
なんて言ったって、あの温羅の生まれ変わりかもしれないからね。
それで、ここまで話してわかると思うけど、君たちを連れていく理由は彼を見つけだして欲しいからだ。
あわよくば奪還と言いたいところだけど、正直そこまで求めるのはリスキーだから、あくまで捜索が優先。」
「奪還っていうことは、誰かに連れ去られたんですか?」
「いいや、そういうわけじゃない。
もっと正確に言えば保護ってとこだね。
『百咲 愛悠』って名前の女の子から。」
「...あーえッ?
痴話げんか?」
「あっはは、面白いこと言うね。
でも違う、というよりもっと甚だしいかな。」
「愛おしすぎて、殺してしまった...とかですか?」
「...姫奈、君の思考はちょっと乙女が過ぎるね。
しばらく漫画を禁止にするよ?」
「うッ―――――
...続けてください。」
「うん。
まぁ、私も詳しくは知らないんだけど、その温羅の生まれ変わりを、彼女が大事そうにしているって話があってね。
所有権とか監禁とか、そういう話じゃなくてもっとこう、ラフな感じの―――――」
「片思いですか?」
「んー、そういうと今度は一気にチープな話になるね。
えっと、実際に恋人同士っていう話は聞いてないけど、かなり近しい関係、を、築こうとしているみたいな...。
そばに置いておきたがるっていう感じか。」
「はぁ...なるほど。」
「それで、ここからが本題なんだけど。
さっきも言った通り、その生まれ変わりが危険だという話をしたいんじゃなくて、聞くところによると彼女の方。
どうやら餓鬼でも妖怪でもない、正真正銘の『鬼』らしいんだ。
それも、本物の。
「「ッ―――――!?」」
『本物の』という単語が伝槙の口から出た段階で、その場に緊張感が走っていく。
それは、彼らのように『鬼』というものへと関与している人物が扱う追儺や、それを操る方相氏との名の者たちにしか、わからない危機感を内包しながら。
ゆえに強張った身体では、言葉にできないような驚きを体現することになる。
その表情に真剣な色を見せ始める、優や姫奈の様子がそれを顕著に物語っていた。
と二人の顔つきがきちんと変わってくれていることに、伝槙は「(流石だね。)」との内心を浮かべ、これまた自身の思い描く通りの状況へと移る空気感を見つめ、喜びを内心に秘めるのだった。
どれほど危険が伴うのか理解し、さらに自身がどれほどの事象へと対応し得る実力を持っているのか、両者が自覚できていることを察して。
そうして続き、作戦内容からその他諸々の説明を行うため、ゆっくりと落ち着いたトーンを取り戻しては言葉を掛けていくのだった。
「今回の目的地は岡山の山奥にある祭り会場。
そこで、今から話す作戦について、丸一日かけて全て取り行っていくことになる、覚悟しておくように。
それから、報告に関しては随時。
まず私が先に、彼らへと関与しに行ってくるから。
学校らしく教師としてね。
その間優と姫奈はちゃんと、ここで勉学に励むように。
来てもらうのは当日になるだろうから、それまでは浮かれることの無いよう、いいね。
特に姫奈。
田舎の空気、祭りの雰囲気、眩しい風情に美味しい食事と色々あるけど、絶対に目移りしてはいけないよ。
これは君が読んでる漫画の世界の話じゃない、正真正銘命のかかった任務だ。
だから優はしっかりと彼女を見張る事。
あと執朗君、君には色々手伝ってもらうことがあるから、日にちを開けて有休を取ってね。」
「なッ。
休日に仕事、だと。」
「花火を準備して打ち上げるだけだよ。
どうせ戦闘にはなるだろうから、周囲の人間に気付かれないように、保険としてね。
...まぁ、音や注意を逸らしたところで|どうせ無駄かもしれないけど《・・・・・・・・・・・・・》、一応。
ついでに二人の援護と、同様に鈴鹿 裏人君の捜索...じゃなくて保護の方かな。
までしてくれたら十分。」
「それはつまり、もう全部ってことですね。
はぁ、俺の貴重な休みが...。」
とほほ、と悲しそうに頭を抱える玄藤重教員は、頼りなくその場の椅子に座りこむような仕草をみせる。
そんな彼の様子が、一週間のうち二日、毎週決まって休みのある学生の優と姫奈にはわからず、気にも留めないような雰囲気を浮かべていた。
しかし、それがわかっていてもある意味では自由人な伝槙はというと、堪え切れないかのように肩を上下にしながら嬉しそうにも悪戯っぽくも微笑みを浮かべている。
と、そうした彼から、続き放たれた言葉をもって、一時のこの場での集会は解散する運びとっていくのだった。
「あとの詳しいことは実際に私が現場に行ってから確認して、試行錯誤する。
執朗君もしっかり頼むよ、期待してる。
じゃ、隣の部屋に戻ろうか。」
そういうと彼はすぐ後ろにある扉に向かって手を伸ばし、ノブを捻っては内側へと引いていく。
するといつも通りの喧騒がその場にも舞い戻り始め、緊張の糸が切れたような思考を取り戻す優と姫奈はそのまま準備室を後にした。
「はぁぁ。」と大きくため息をつく、玄藤重教員の情けなくも可哀想な背中を尻目に―――――。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇