霧子、救いの主に会う
昼休みの間に、大して有用な情報を得ることができなかった霧子。
ミッションは、大失敗であった。
霧子の人脈は押し並べて職場内である。同じ部署の同僚たちであり、ロッカールームで顔馴染みとなった女子社員であり、部署は異なるものの、たびたび関連業務のために世話になったり、霧子の方が気にかけている人員である。一筋の希望は経理部の部屋の奥の方へと繋がっていた。
経理部のお局様、水際桂子。
彼女が猫好きである、という話を知らぬ者は、もぐりである。
少なくとも、社内においては。
浅めのウェリントン眼鏡にひっつめ髪、隙の欠片も無いタイトスカート&スーツ。高すぎず低すぎないヒールのパンプス。
その完璧なる外観に、まるで似つかわしくない猫のキャラクターグッズを経理部の机の上に並べているのは、皆の知るところだ。
なんでも、生まれてこの方、家に猫がいなかった期間が一度も無いという噂である。
となれば、水際女史こそが、霧子の救いの主に違いないのであった。
が、霧子と水際女史との間の接点といえば、霧子が部署内の領収書をまとめて経理部に提出しにいく時ぐらいである。
チャンスは、滅多に無い。
しかし、神は霧子を見捨てなかった。
副部長が、提出期限ぎりぎりの領収書を、霧子のところに持ってきたのだ。
「いやぁ、済まないねぇ。忘れていたわけではないんだが、忙しかったものだから……。水際女史に上手~く執り成してくれないか?」
いつもならば、副部長の背中に、「自分で持っていけや、ごらぁ!」と呪いの言葉を内心呟く霧子であったが、今日は違う。
「分かりました。」と表情だけは変えずに、内心ガッツポーズをする霧子なのであった。
霧子は、領収書を掴んで席を立ち、「経理部に行って参ります!」と高らかに宣言した。
霧子は、素早く廊下を通り抜け、経理部の部屋までやってきた。
そして、ドアをノックし、中に入った。
「大変申し訳ございません。副部長が、提出ぎりぎりになったと謝罪しておりました。」
と件の領収書を、水際女史の目の前に差し出す。
水際女史の眼鏡がキラんと光った気がしたが、霧子も顔色は変えない。
しかし、水際女史の机の上に並んだ、猫グッズに興味津々といった表情を作るのは忘れなかった。
「猫がお好きなのですか?」
霧子は、出来得る限りのさり気なさを装って、訊ねた。
「えぇ。猫は、わたくしの守護神のようなものですもの。家には3匹の猫がおりますの。」
水際女史は、答えた。
「3匹ですか? では、猫についてお詳しいのですね。黒猫についてはどうですか?」
霧子はすかさず、質問を続けた。
「3匹のうち1匹は黒猫でしてよ。ご覧になる? あまり良い写真が撮れていないのが残念ですけれども。」
食い付きは思った以上だ。霧子は、水際女史のスマホの写真を、じっと見る。
「まぁ、可愛らしい。黒猫はお行儀が良いのですね。」
霧子の言葉に、水際女史はにっこりと微笑み、「黒猫は、人懐っこくて甘え上手。人を良く観察して、空気を読むのも上手なのよ。」と答えた。
ここぞとばかりに霧子は、水際女史に“実は、知り合いから当分の間、黒猫を預かることになった。猫と暮らすのは初めてなので、アドバイスが欲しい”と願い出た。
水際女史は、霧子に対し、参考になる本と評判の良いブログを教えてくれた。
「あぁ、大切なことを忘れていました。領収書は可及的速やかに提出を。それと、定時退社を厳守してくださいね。我が社のためにも、あなたが預かる猫ちゃんのためにも。残業などもってのほか。よろしくて。」
水際女史の眼鏡がキラんと光り、霧子はしっかりと釘を刺されたのであった。




