霧子、出勤する
霧子は、今日も仕事だ。
朝、お猫様にカリカリを準備し、給水器の水を新しいものに換え、トイレを確認し、霧子自身の朝の支度をする。
「にゃ~ん。」
お猫様は、霧子に出かけて欲しくない。
このままそばにいて、一緒に遊んだり、おやつをもらったり、撫でてもらったり……。そういうお世話をして欲しいのだ。
下僕なのだから。
「行ってくるね。お猫様、おとなしくしててくださいね。」
しかし、霧子は、今日も出かけてしまった。
異空間は、霧子の部屋とも切り離され、もはや、外からの気配も感じられない。
お猫様は、寂しくなった。
一方で、霧子の方もつらいのだ。
毎朝、出かける直前に、お猫様の異空間と、本来の霧子の部屋の収納スペースの扉の繋がりを切るのだが、その行動を咎めるかのようにお猫様が見上げてくる。
そして、引き留めようと鳴くのだ。
「みゃ~ん。」
絶妙なる可愛らしさを前面に押し出してくる。
霧子は、後ろ髪を引かれる、の言葉の意味を実感しながら、平日の朝、出勤しているのだ。
「あぁ、今日はサボっちゃおうかなぁ……。そしたら、お猫様と……。いかん。いかんよ霧子。お猫様に新しいおもちゃを買ってあげるんだから。仕事しないと!」
実際のところ、『宅配ネコサービス』が無料提供・無料配達してくれる様々なネコ商品の中には、おもちゃ類も入っているのであるが、霧子としては、霧子自身の稼いだお金で買いたい、という気持ちが芽生えてしまった。
そして、無料で送られてくるおもちゃとは違うタイプのおもちゃで、お猫様が喜んでくれそうなものを、探すようになっていた。
只今の、お猫様のお気に入りナンバーワンは、ネズミの形の小さなおもちゃだ。
これを霧子が放り投げ、お猫様が拾って持ってくる、を繰り返す遊びが好きなのだ。
一般的に猫が好むとされている棒の先に虫の形のおもちゃなどが付いたもの、“じゃらし”は、お猫様の興味を引かなかった。むしろ、そのおもちゃの包装に使われていたリボンの方に興味を持った様子で、何回もリボンに前足を出し、それに伴ってふわんと動くリボンに反応し、を繰り返していた。
ならば、と紐状のおもちゃも試してみたが、これもイマイチであった。
なんなら、おもちゃというよりも、おもちゃを包んでいた袋の方に惹かれた様子で、ゴミの類の方が製品化されたおもちゃより優秀という、なんとも悲しい状況なのだ。
霧子は、会社に向かいながら本日の予定を確認する。
昼休みは、何とか、またあの猫派の集会の近くをキープし、情報収集をしなければならない。
前回は完全なる失敗に終わったが、今回は、霧子側にも少しは知識が入ってきた状態なので、もう少し、有益な情報をキャッチできる気がする。
そして、チャンスが巡ってきたならば、経理部の水際女史のところへも伺いたい。
それは、部署内で出される領収書次第なので、霧子の努力だけで、どうにかなるものではなかった。
副部長が、また、やらかしてくれるのを期待するしかない。
「考えてみたら水際女史には、お猫様の存在を話してしまったのに等しいのよね。私がペット禁止の部屋に住んでいることまでは知らないだろうけど。まぁ、あちこちで喋るタイプではないはず。でも、やっぱり、秘密にしておいてもらわないと……。」
霧子は、水際女史を信用していたが、例えば、猫派との関係は不明であるし、仕事を離れた時間に何をしているか、などは分からない。
プライベートの時間に、猫Love全開状態になって、霧子の知らないネットワークで情報が駄々洩れにされている可能性だって、絶対に無いとは言えないのだ。
世の中、どこがどう繋がっているか、意外に分からないものだ。
万が一にも、大家に知られることになったら、面倒である。
霧子は、今日中に水際女史に会えるチャンスが巡ってくることを、切に願うのだった。




