お猫様、試練の時
何匹かの猫や犬が呼ばれ、その飼い主と共に診察室に入り、そして出てきた。
静かに出入りする組もいたが、診察室の手前で雄叫びを上げたものや、診察室から出ても興奮を隠さぬものもいた。
そういう反応は、伝わる。
何か良からぬものが、扉の向こう側に待ち構えていると、お猫様の勘が察知する。
お猫様は、落ち着きが保てなくなってきた。
「みゃーん。」
お猫様は、霧子に、この場を離れるよう促そうとした。
しかし、霧子は、その懸命なる願いを無慈悲にも無視した。
「もう少しだからね。お猫様。」
そして、頓珍漢な言葉を発したのだった。
「お、お猫様ちゃん。診察室にお入りください。」
診察室の方からの呼び出しが、スピーカーから聞こえてきた。獣医師にとっても、呼びにくい名であった。
霧子は、意を決して、キャリーバッグを抱え、診察室の方へ向かった。
キャリーバッグの中のお猫様の緊張が、伝わってくるようであった。
「こんにちは。では、診察台の方へ、お猫様ちゃんを出してくださいね。」
獣医師は、40代後半から50代前半くらい、頭に白いものが少し混じっているが、すこぶる元気そうな男性だった。
「あ、洗濯ネットに入れてきてくださったのですね。ありがとうございます。やぁ、初めての受診なのに、よくご存じですね。助かるんですよ。これ。」
獣医師は、霧子を褒める。
少しだけ、その場の空気が和んだのだった。
しかし、和んだのは、サル目ヒト科ヒト属の生物の間の空気だけであった。
お猫様は、少しも和めなかった。
「こんにちは。お猫様ちゃん。ちょっとだけ頑張ってね。」
意味が分からない。なぜ、頑張らねばならない?
しかし、洗濯ネットのファスナーを開けるスタッフと、ネットの外側から首の弱い部分を掴まえるスタッフ、そして獣医師によって、お猫様の退路は断たれてしまった。
「体温を図りますよ~。」
間延びしたスタッフの声が腹立たしい。……屈辱である。
「な、にゃ~う。」
下僕はどこに行ったの? 早く助けて! お猫様は叫びたかったが、首の後ろを掴まえられると力が入らなくなってしまうのだ。口惜しい。
「はい。38度2分ですね。体重は3.2キロ。」
スタッフの声に、霧子は慌てる。
「え? 38度……。」
獣医師が、説明した。
「正常です。猫の体温はヒトより高いんです。体重も適正です。」
そして、獣医師は、固まっているお猫様をひょいと持ち上げた。片手は首の後ろを掴んでいる。
「う~ん。目は、綺麗ですね。口……も、大丈夫。顎も歪んでない……。耳も……。」
そしてスタッフが何か棒状の器具に細いラッパ状の形のものを付けて獣医師に手渡した。
「は~い、耳の中も問題なし~。音も聴かせてね~。ん~、おなかも大丈夫。じゃあ、ちょっとカラー巻かせてね。」
お猫様の首周りに、素早く青色のプラスチック製の板状のものが巻かれパチンパチンと留められる。
霧子は思った。これ、何かに似てる。
そして、すぐに思い出した。「これって、部長の机にあったヤツ。」
霧子の所属する部署の部長は、熱烈な、たま西徹ニャンギラスのファンであった。職場で使うわけでもないのに、部長の机には、ニャンギラスのチームマスコットのシールが貼られたプラスチック製の青いメガホンが置いてあるのだ。
メガホンの内部の方にニャンギラスのマスコット、ニャンギーの頭の部分が付いていたら、こんな感じじゃないかと思うと、たまらなく可笑しかった。
しかし、お猫様には更なる不幸が待っていた。笑い事ではない。
「は~い。ちょっとだけチクンしますよ~。」
後ろ足に針が刺さった。
何がちょっとだ! お猫様の堪忍袋の緒は、ついに切れてしまった。
他意はございません。
西武ライ〇ンズのファンの皆さま、猫は、野球にはまったく興味が無いだけです。
今期のご活躍を、心よりお祈り申し上げます。
でも、にゃんこの頭が中に付いてるメガホン、可愛くないですか?
実際にあるのかな?




