お猫様、動物病院へ連れていかれる
『宅配ネコサービス』の不始末の尻拭いのため、お猫様の、あずかり知らぬところで、動物病院受診が決まってしまった。
甚だ、迷惑なことである。
お猫様は、知らない。
霧子が、『宅配ネコサービス』の手先と化したことを。
霧子に、情状酌量の余地があるとすれば、水際女史に推薦され購入した本『猫と暮らそう』に、猫が罹り得る恐ろし気な病気について、これでもか、これでもかと並べられていたことであろう。
お猫様の健康が心配になってしまったのだ。
さて、お猫様におかれては、霧子に対する警戒心が少しずつ薄れてきていたのであった。
慣れぬ転移により、霧子の部屋、さらには、異空間へと、生活の場が変わり、お猫様は、環境の変化に慣れる必要があった。
そして、猫一倍、甘えん坊な性格を有する黒猫であるが故に、放置されることには、耐性が無かった。
『宅配ネコサービス』のスタッフの手を離れてから、唯一、お猫様が接し得る、サル目ヒト科ヒト属の生物は、霧子だったのだ。
お猫様は、霧子に関心を寄せ、そして、下僕と認定した。
そのため、霧子が、お猫様を拉致するために用意した洗濯ネットを、共に遊ぶための、おもちゃと誤認してしまったのだった。
霧子は、『猫と暮らそう』に記載された、動物病院受診などの際の、猫の捕まえ方を参考にした。
そこには、100円ショップで、猫の体の2倍以上の大きさの洗濯ネットを購入せよ、とあった。
そして、洗濯ネットを、一旦、裏返しにし、両手を中に入れて、猫を捕まえ、顔の方からネットをかけ、全体を被せるようにしてファスナーを閉めよ、と説明がなされていた。
油断していたお猫様は、簡単に捕まってしまった。
卑怯である。
そして、突如、洗濯ネットに入れられ、くるまれてしまったお猫様は、わけも分からぬうちに、キャリーバッグに詰められてしまった。
キャリーバッグの中には、ネコ用ベッドに置かれていた毛布が入っていた。
お猫様は、覚えのある毛布の匂いに、少し安心したのだった。
霧子は、お猫様に、異変を悟られないよう、素早く、かつ静かに、キャリーバッグを持ち上げた。
そうして、キャリーバッグを覆うことができる大きさのバスタオルも準備して、さらに、大家や他の住人に出会わないようにと祈りつつ、部屋を後にしたのだった。
幸い、霧子は、都合の悪い人物と鉢合わせることはなかった。
霧子は、なるべくキャリーバッグを揺らさないように注意しながら、先を急いだ。
駅前で、タクシーに乗る。
猫を連れていることを告げたが、運転手は、問題ないと答えた。
A動物病院へと向かってもらう。
タクシー運転手は、後部座席の方をちらちら見ているようだった。
ルームミラーにその様子が映っている。
「病気ですか?」
遠慮がちに訊いてきた。
「定期健診、のようなものです。初めての病院なのです。」
霧子は、お猫様が、“病院”の言葉に反応しないか、ちょっと冷や冷やしながら、答えた。
「A動物病院ならば、大丈夫です。あそこの先生は、とってもいい先生です。うちの子もお世話になってますから。」
なんと、タクシー運転手も、猫と暮らしていたのだった。
そして、お猫様は、タクシーの中でも、静かに過ごしていたのだった。
その後に、何が待ち受けているかも知らず。
つかの間の平穏だった、と言えよう。
とにもかくにも、お猫様と霧子を乗せたタクシーは、A動物病院へと走り続けたのであった。




