霧子、『宅配ネコサービス』の裏事情を知る
「避妊手術は、推定生後6か月のタイミングで行われました。術後の経過も順調と診療記録に記載されています。お猫様さまは、1歳を迎えたばかりと推定しております。」
床の囲みの音声は、続けて説明した。
「分かりました。こちらが確認したいことは、一応、すべて、お話いただけたようです。」
霧子は、床の囲みの方に伝えた。
「では、お客様、今度は、こちらからのお願いにございます。数日内に、お猫様さまを、A動物病院へ受診させていただきたいのです。」
たった今、お猫様の健康状態を確認できたと思っていた霧子は、驚いた。
「どういうことですか? お猫様は、病気なのですか?」
床の囲みの音声は、少しの間沈黙した。霧子は、溜息が聞こえたような気がした。
「こちらからお届けした時点では、お猫様さまは、健康そのものだったと言えます。しかし、今のままですと、その後の情報を追うことができないのです。」
霧子には、理解できなかった。その後の情報? どういうことだろうか?
「最初にお伝えしたとは存じますが、お客様のもとへネコが届きましたのは、時間管理システムのエラーによる影響なのです。時間管理システムのエラーは各方面に影響を与え、例えば、コンサートチケット販売の開始時刻が予定通りにならなかったり、病院の受診予約が間違って入ったり等々のトラブルが起きたのです。」
『宅配ネコサービス』は、ここに至って、状況を説明し始めた。
「トラブルのほとんどは、数字を訂正すれば解決する内容でした。当『宅配ネコサービス』のトラブル以外は。」
『宅配ネコサービス』が、130年過去の個人宅に、推定1歳の黒猫1匹を転送させてしまった、というトラブルは、2151年の日本国内で、大きく報道されたという。
「現在の科学技術では、転送可能な重量は10キログラムまでなのです。130年遡って、お客様のもとへネコを、あ、お猫様さまをお迎えに伺うことはできないのでございます。」
どういうわけか、霧子の部屋に、転送先として有効になってしまった転送装置、というか、マスキングテープを貼り付けて造った円形の囲みが、タイミング悪く完成してしまったため、お猫様がやってきたのであるが、霧子の部屋の方に、転送元となる装置は無い。
つまり、現状、どうやっても、お猫様を本来の時代へ戻すことは不可能なのだ。
「連日、報道陣が詰めかけ、また、愛猫家の方々や、民間団体からの抗議が殺到いたしまして……。」
霧子が、お猫様を引き受けず、万が一、保健所などに送ってしまった場合、世間からの批判はさらに高まったであろう、ということだった。
「そこで、『宅配ネコサービス』が責任を持ってお客様をサポートし、結果、お届けしたネコ、お猫様さまが、無事、平穏な生活を送ることができた、という証明をしなければならなくなったのです。」
130年後の未来へ、お猫様の無事を証明する?
「ということで、A動物病院への受診なのです。動物病院を受診していただくと診療記録、カルテの記載が残るのです。カルテは公的文書に該当します。本来は保存義務は5年なのですが、2000年代以降は電子カルテ化が進み、データとしてクラウド上に保存されるようになったため、こちらで確認することが可能になっているのです。」
つまり、お猫様が健康である、と動物病院で診断されたら、そのカルテ記録が130年後の未来で確認され、『宅配ネコサービス』への糾弾が緩和されるはず、という話なのであった。
「そこで問題になりますのが、受診に伴う費用、なのでございます。現在、10キログラムまでの物品を転送・無料提供させていただいてはおりますが、現金をお送りすることはできません。」
確か、もう少しでお札が変更になるはずだ。次の新札の顔が誰になるか、というようなニュースもあった気がする。130年後の未来で使われている紙幣や貨幣は、送ってこられても使えない可能性が高い。
「法律的に、お客様の口座へ送金することもできないのです。従って、受診に伴う費用につきましては、大変心苦しいのですが、お客様にご負担いただかねばなりません。」
霧子は、ようやく、『宅配ネコサービス』の過剰とも思える無料サービスの理由を理解したのだった。
「もし、受診した結果、お猫様に病気が見つかったら、どうするんですか?」
霧子は、念のため訊ねた。
「その場合、カルテ記録を獣医に判断してもらい、2151年の最新ネコ医療と同等レベルの薬を準備させていただきます。もちろんお薬代はこちらが負担いたします。」
つまり、万が一、あのFIPという病気に罹ったとしても、お猫様は治療が可能ということだ。
裏が無くはない、という事実が明らかになったものの、霧子は、A動物病院への受診を約束したのだった。




