霧子、お猫様の情報を得る
霧子は、買ってきた本を読むことにした。
『猫と暮らそう』それがタイトルだった。
“猫のいる生活。それは、あなたに素晴らしい経験を与えてくれるでしょう。しかし、猫は生きものです。生きているのです。おもちゃではありません。”
冒頭から、なんだか、お説教じみた言葉である。霧子のもとにお猫様が来てしまったのは、『宅配ネコサービス』のミス(認めようとはしなかったが)だ。
しかし、命あるものを預かってしまったということは、霧子にも分かっていた。
“猫は、健康で環境が良ければ、20年近く生きることができます。つまり、それだけ長い付き合いになるということです。”
「20年!? そんなに長生きするの?」
霧子は驚いた。そもそも、お猫様は何歳なのか? が、分かっていないのだが、それでも、まだ、若い方だろうという予想はつく。
自分が40代になる頃まで、お猫様とお付き合いするということは、もし、例えば、万が一にも、結婚などということになれば、相手の男性にもお猫様と暮らしてもらわねばならぬ。
「これからは、相手が猫好きかどうか、も条件に入れなきゃ。」
霧子は、まだ、諦めたわけではなかった。
“食事、排泄物の処理、病気や怪我の予防、万が一の時の治療、避妊・去勢などは、飼い主の責任となります。”
「お猫様って、そもそも雄なの? 雌なの? あと、ワクチンっだけ? 済んでいるのかしら? そういう手術的なものも……。」
霧子は、『宅配ネコサービス』が、お猫様に関する最も重要な情報を提供していないことに気が付いた。そして、腹を立てた。
「いったい、どういうつもりなんだろう。ふざけてるわ。」
霧子は、床の上のマスキングテープの囲いを睨んだ。
すると、突然、その床の囲いが光を放ち、音声が聞こえてきた。
「お、お客様。お休み中のところ、大変申し訳ございません。『宅配ネコサービス』でございます。」
霧子は、ドキリとした。「何これ? こっちの様子が分かるのかしら?」
「お客様にお願いがございまして、連絡をさせていただいた次第です。」
霧子は、丁度良い機会でもあったので、床の囲いの音声に訊ねた。
「こっちからも聞きたいことがあったの。お猫様は、雄なの? 雌なの? あと何歳で、ワクチンとか、手術とか、どうなってるの?」
霧子は立て続けに疑問を投げかけた。
「お猫様、というのは、お届けさせていただいたネコのことでよろしいでしょうか?」
『宅配ネコサービス』は、“お猫様”、を名前と認識した。
「え~、お猫様さまは、2150年4月20日生まれと推定される雌ネコです。民家の庭先で母ネコとはぐれたところを保護され、民間団体を通じて『宅配ネコサービス』登録となりました。」
お猫様は、ノラのお生まれだったらしい。
「民間団体のもと、獣医の診察を受け、健康状態に問題なしとの回答を得ております。推定生後3か月過ぎよりワクチン接種を開始、猫ヘルペスウイルス感染症、猫カリシウイルス感染症、猫パルボウイルス感染症、猫クラミジア感染症、猫白血病ウィルス感染症、猫免疫不全ウイルス感染症、狂犬病、猫コロナウイルス感染症のワクチン接種を完了しております。」
霧子は、『猫と暮らそう』のワクチンのページを確認した。
「猫コロナウイルス感染症のワクチン? そんなの本に載ってないけれど……。」
霧子の疑問に、床の囲いの音声は答えた。
「現在、あぁ、2151年の段階でですが、猫のワクチンとして推奨されているワクチンの1つです。猫コロナウイルス感染症は、無症状で経過する例が多い、とはされていますが、感染したネコの12%程度が猫伝染性腹膜炎を発症するとされているのです。」
霧子は、『猫と暮らそう』の病気についてのページにも指を挟み、文章を読みながら、音声を聞いた。
「猫伝染性腹膜炎、FIPと略されることが多いですが、ネコの重症疾患です。2151年現在では、治療法も確立されており、GS-441524の12週間内服が標準治療となっています。しかし、無治療であれば、発症したネコは、ほぼ100%死に至ります。」
なんとも、物騒な物言いである。
霧子は、病気のページに、そのFIPも記載されているのを確認した。
“FIPを発症してしまうと有効な治療法は未だ確立されておらず、致死率ほぼ100%。特にウェットタイプの場合は進行が速く、診断後、2週間~1カ月程度で亡くなってしまうことも少なくありません。”
「未来では、FIPは治せるようになっているんですね。ワクチンもあって。」
お猫様は、ワクチン済みであるという。ホッとした。
本文中の、“猫コロナウイルス感染症のワクチン”ですが、2021年の時点で実用化はされておりません。完全なる創作上のモノです。
FIPの治療に関しては、現状、インターフェロンやステロイド、抗生物質、抗炎症剤等の投与と併せて、症状により胸水や腹水の抜去、栄養保持などの対症療法が行われているようです。治療への反応が悪いことも多く、現在のところ、FIPを完全に治す治療法はありません。
本文中の“GS-441524”ですが、Gilead Sci〇nces社がエボラ出血熱治療薬として開発したレムデシビルの前駆物質です。FIPに有効であるという報告が出されています。
しかし、オリジナルの特許を有する米国企業が、獣医用に認可することを拒否しているようなのです。この辺の事情に関しては、ヒト用のエボラ出血熱治療薬としての開発意図、また、この薬が新型コロナウイルス感染症治療薬として期待されていること、と無縁ではないように推測されます。
少し、情報が古いのですが(2019年)、GS-441524は、中国の企業が独自製法で調整した「MUT〇AN Ⅱ」として知られており、1瓶5ml(85㎎)で379ドル、12週間のプロトコールで約50万円の薬剤費用がかかるとなっていました。(この薬は、特許を持たない企業が製造しており、当然、非正規品です。)
診察・検査にかかる費用、諸経費を含め、80~100万円ほどということで、かなりの高額になるようです。
また、ネット上で、個人輸入を試みる方もおられるようですが、偽物も出まわっているようです。
日本国内においては、一部の動物病院(ネット上では、“協力病院”という表現が使われています。)で、治療に用いられているようですが、何より、早く、正規ルートでの製品化が進むことを願わずにはいられません。




