4.ある日森の中熊さんより怖いやつに出会った
深夜0時。
孤児院の悪ガキもいい子ちゃんも、みんな自分のお部屋で夢の世界へと旅立つこの時間。
当然いい子ちゃんの私も遊び疲れてぐっすりと眠っていた。
わけではなかった。
私はぱっちりと目を開けた。
理由は簡単。
ぐ~ぎゅるぎゅる
お腹が尋常じゃないくらい痛いのだ。
実を言うと腹痛で目が覚めたのは今日だけではない。ここ最近ずっとおなかが痛いのだ。ストレスによるものではない。これは原因不明の腹痛だ。
それでもって今日はいつにもまして痛い。
いつもなら布団の中に潜ってまるまっていれば徐々に回復してくる…のだがしかし、今回ばかりはどうにもおさまらない。
「トイレ、行こ…」
私は布団から這い出ると、同室のソラとアルトを起こさないようにひっそりと部屋を出た。
10分後。
トイレから無事生還した私は、ふーっと顔をあげて空を見た。
「フッ。美しい夜景を独り占めだぜ…なーんてね」
ええ、はい。今夜の空は全然美しくないです。いつもなら星がキラキラと輝いているのだが今日は分厚い雲に隠されてその姿は見えない。少しがっかり。
ちなみにではあるが、孤児院のトイレは外にある。
もちろん、孤児院内にもトイレはあるぞ。だが私が来る3日前にすべての階のすべてのトイレが壊れたそうでして。
こんなことってあるんだねー。
みんなは知らないだろうけど、孤児院の外は戦争中だからトイレ修理の業者さんを呼ぶことはできない。外に作られていたトイレだけは無事だったので今はそこを使っているというわけだ。
さて、深夜0時。
良い子は眠りにつく時間である。
が、あいにく私は悪い子だ。さっきと言っていることが矛盾しているが、私は悪い子だ。
だからすっかり目が覚めてしまった。
うーん。どうしたものか。
今、部屋に戻っても眠れる気がしない。
むしろ眠れなくてイライラしそう。
イライラしてソラの顔にいたずら書きをして、それをアルトに見られて、陰でこってりとしぼられそう。
……うん。眠くなるまで、この辺を散歩しよう。
私は歩き出した。
孤児院の周りにはきれいな花々が咲く庭がある。バラ、コスモス、ラベンダー、よくわからないけどきれいな花、様々な種類の花が孤児院を囲うように咲いていて、その庭の向こうには子どもたちが遊ぶ広いグラウンドのようなスペースがある。
この庭も遊ぶスペースもすべてマリアさんが管理しているとか。優秀すぎる!
そしてそんな花壇と遊び場のさらに向こうは森がある。
というかこの孤児院は簡単に言うと森の中にあった。
他国や町から隔絶されるように、森の中心にポツンとこの孤児院が建っているのだ。
私はふら~と孤児院から離れ森のそばを歩き始めた。
森に近づくとほんの少しシャボン玉の膜のようなものが肌に張り付くのを感じる。おそらくこれが神様の加護と言われるものだ。
ヒロインの私だからこれに気づくのか、それとも他の人も気づいているのかはわからない。
けどこういうのを肌で感じると実感するよね。
そう。毎日が意外と楽しすぎて忘れていたがここは乙女ゲームの世界だ。
私はみんなが生きる未来、私の平穏な第二の人生のために、孤児院時代にすべてのフラグを折り悪役を教育すると決めたのだ。
今日の散歩のおかげで原点にもどれた。
ちょうどいい。これからのことについて考えよう。
私は肌に加護の膜を感じながら森の中を歩き始めた。
ソラに関してはもう完全にフラグを折ったから問題はない。
……うん。たぶん問題はない。彼はなぜか私をよく遊びに誘うけど、きっと私を嫌っているだろうし、なにより恋愛感情を向けられているようには感じない。
ソラが私に見せる顔はなんていうか友達?悪友?兄弟?みたいな顔。うん。オッケー。なにこの悪ガキ仲間ポジションって感じだけど、まあいいでしょう。
問題は、アルトだ。
見てわかる通り私はアルトの悪役要素さよなら計画を実行に移せてない。移せていないどころか、彼にまともに話しかけることさえできていない。
ため息がこぼれる。
もちろん遊ぶときは常に3人だしおしゃべりをするときも3人だ。
でもそれは外から見たらの話。
実際はソラが私とアルトに話しかけているだけ。
説明が難しい。つまり私とアルトはソラという媒介をとおして、おしゃべりしたり遊んだりしているのだ。むしろ私とアルトはソラがいなければ話もしないし遊ぶなんて論外だ。
言葉のキャッチボールなんてものは最初の自己紹介の時以来していないだろう。
私がソラにパスして、ソラがアルトにパスする感じ。その逆もまたしかり。
簡単なようで、簡単じゃない。
ソラのときはなんとかうまくいったから、アルトもどうにかなるだろうと思っていた私の考えは浅はかだった。
これでも私は頑張ったのだよ、ワトソト君。最初の2、3日はアルトに話しかけた。嫌われてもいい。せめて会話ができるような関係になろうと頑張った。
だがしかし私が何度挑戦しても、アルトと会話をすることはできなかった。
理由は簡単。
私がアルトに話しかける前にアルトがそんな私に気づいて、ソラと話し始めてしまうのだ。
私は「キャッチボールしよう。えーい」とボールを投げているのに、アルトは「キャッチボール?あ。ごめん、僕ボールが見えないみたい。でもソラのボールは見えるからいっしょにキャッチボールしようソラ~(メロメロ)」って感じ。コノヤロー!
嫌われている原因は確実に、自己紹介でソラを殴ったことや今現在私がソラに遊びに誘われていることだろう。アハハ。自己紹介はまだしも、後者の方は仕方なくね?
じゃあ私がソラからの誘いを断ればいいのかと言えば、答えはノー。
私がソラとの遊びを拒否すれば、それはそれで彼の逆鱗に触れることになるだろう。ハハハー。私はどうすればいいんだよ!
私の予定では。
アルトとなんやかんやで友達になって、アルトの重すぎる弟への愛を知り、常軌逸脱した兄弟愛はよくないねと諭し、確かにぃとアルト納得、悪役ルートから脱却☆という手筈だった。
のだが、今の状況じゃあこんな計画、無理of無理だ!
なんやかんやで友達になるってなんだよ!その“なんやかんや”を詳しく説明しろよ、自分!!ああ、過去の自分を平手打ちしたい。
気持ちを切り替え第二の計画、仲良くならずにアルト悪役さよなら計画を実行するとしよう。
だがしかし、これにも大きな問題点がある。
なにが問題なのかって?
それは、
「…うん。どうしたらいいんだろーなー。アハハ」
というように私が計画をたてることはおろか、考え付くことすらできていないというところにある。
根本的な問題だ。計画を実行しようにもその計画内容が白紙なのだ。
私はしばらく考える。
が…
「いや。無理だよ。ムリムリ」
私がアルトと仲良くならずに悪役さよなら計画とか、イラついているライオンの目の前に立って、私を食べるなよ、それはお前の身を亡ぼすぞ。と言っているようなものだ。なんだこいつ、ガブリされる。
「あ~。もうわかんなくなってきたぁぁ」
泣きたい。友達にならずにどうやってアルトの悪役をさよならさせればいいのだろう。
「安心して、私はあなたの重すぎる兄弟愛を知っているわ!でもその兄弟愛が将来あなたの身を亡ぼすことも知っている!平和な未来のために、愛する弟の幸せのために、あなたは自分の感情を抑える訓練をするべきだわ!私と一緒に頑張ろう!」とでも言えばいいのか?
いやどこの宗教勧誘だよ。ていうかなんでお前おれの秘密知ってるんだよってなるよ!?
まあアルトのことだから、ワンチャン。ソラを愛し、ソラを敬う、ソラ教みたいなものをつくって勧誘したらうまく私の話を聞いてくれるかもしれないけど。……え。これ意外とよくない?
思い始めて、私は急いで首を横に振る。
だって墓穴掘ってバッドエンド迎える未来しか考えつかないんだもの。
なんだかお腹が痛くなってきた。
私の作戦が失敗したときはこの腹痛以上の痛みがお前を襲うぞと案に教えてくれているのかもしれない。
痛む腹をさすりため息をついた。
そのときだった。
ドスドス…ドスドス
森の奥から、重い、何かを殴るような音が聞こえた。
「な、なに?」
不穏な音に警戒し念のため後退する。そんな私の脳裏に浮かんだのは今朝の神父様の言葉。ぽやんぽやんぽや~んと回想に入れば、森にクマが出るから気を付けるのじゃと言っていたのを思い出した。
「待って。もしかして、さっきの音…クマ!?」
ク、クマかもしれない。
私は軽くパニックに陥った。
実は安未果時代。私の住む家の近くには森がありよくそこにクマが出没していたのだ。
隣の家のおじさんなんてクマと格闘したことがあり、そのときの話を頻繁に安未果たち――幼い・かわいい・キッズに「森には行ったらこうなるからな。だめだぞ」と古傷を見せながら力説していたのだ。
まあそのおかげで私は、「クマ、コワイ」と震えている。
おのれ許さんぞ、おじさん!
だが怯える一方で、でも野生のクマ見てみたいなぁ。という気持ちもある。
私は常に心に矛盾を抱えているのだ。なんて生きづらい性格っ。
でもさ、だってさ、言い訳かもしれないが、安未果時代にクマ恐ろしいと洗脳されたせいで、私はリアルクマを一度も見たことがないのだ。
見たことがあるのは映像のみ。動物園でも怖くて見ることができなかった。
…ね。見たいでしょ?
しばらく悩んだ末、結局私は好奇心に負けた。好奇心は猫を殺す?大丈夫です、私人間なので。
木々をかきわけ、森の奥深くへと足を進める。もちろんクマを探すため。
加護の膜が帰れ帰れと言わんばかりに肌につっぱり訴えかけてくるが、しーらない。
だってここは乙女ゲームの世界だ。
リアルクマじゃなくて、瞳がつぶらな、かわいいお人形さんみたいなクマが出てくるかもしれないじゃない?
「やあ、僕と友達になってくれるクマ?」とか言ってきて、友達になれちゃうかもしれないじゃない?ふわふわ毛皮のクマとハグできるかもしれないじゃない?
これは行くしかないよね。友達になるクマ~。
音を頼りにしばらく歩くと、川の流れる音とドスドスという音が聞こえ始めた。
きっとここらへんにいる!
やったー!ばんざいしたときだ。
小川が流れるいかにもクマが住んでいそうな場所で、何かの影が木を殴っているのが見えた。
おお。ついにクマとのご対面!
私はそーっと近づき、木陰に隠れ、その姿を見た!
「くそっ。あの女…僕のかわいいソラと、仲良くしゃべりやがって……」
ドスドス…ドスドス……
つぶらなはずの瞳は鋭く光り。マスコットのようなふわふわなはずの体は、同年代の子に比べると幼い割に引き締まっていた。ようするに全然ふわふわしていない。
もうこの時点でおわかりいただけたであろう。
それはクマではなく、木を殴るアルトだった。
うん。帰ろう。
私はなにも見なかった。寝ぼけていた。寝ぼけてここに来ただけだ。回れ右をしてすみやかに帰りますと右足を後ろに下げたときだ。
ほんとうに偶然だった。私はアルトが殴る木に、なにか字のようなものが掘られていることに気付いたのだ。
なぜだろう。すごく気になる。
いますぐ帰らなければ私の命が危ないのはわかる。クマに遭遇するよりも危険な状況にあるということはわかるのだ。
でも、それでも、すーっごく、私はその字が気になった。
結局、悩んだのは1秒くらいで。私はばれないように細心の注意を払いながら、先ほどよりもさらにアルトに近づいた。やつにばれないよう、木の陰から、目を凝らして、凝らして。
私はようやくその木に書いてあるものが見えた。
「あのバカ女~っ!」
ドス…
ちょうどアルトの拳が当たった木の面には、『リディア』という字が掘られていた。もちろんアルトの筆跡である。
お腹が痛かった。
ここ一週間ずっと。いまも。痛い。
「いや…私の腹痛の原因、お前かよっ!?」
言葉は勝手に出ていた。
あ。やばい。と思ったときにはもう遅い。
私の美声が殴る音と川の音が聞こえるほど静かな場所で、聞こえないわけがなく……
アルトはゆっくりと後ろを振り返り、ちっとも笑っていないその瞳に私を映した。
「……。」
「……。」
「…あ……今日は星がきれいですね」
「空、曇ってるよ」
「…わあ。ほんとだ、じゃあおやすみぃ」
最低限の挨拶は済んだ。私は急いで回れ右をしてクラウチングスタートを決めるが…あれ?どうしてかな?体が前に進まないよ。ていうか、肩に指のようなものがくいこんでいて、とても痛いよ?
「待って。夜はまだ長い。僕とちょっとお話しようか」
ギギギとさび付く首を無理やり曲げて後ろを見れば。そこには優しい笑顔なのに目が全く笑っていないアルトが立っていた。
ある日、森の中、クマさんよりも怖いものに出会った……