46.ギルと悪役(2)
王妃を殺されたことに怒り狂った冬の国の王は、自ら剣をとり戦場に立ち、鬼神のごとく軍勢を蹴散らしていった。
その鬼気迫る様子と圧倒的な力に恐れをなし、敵国の騎士たちは撤退を余儀なくされた。
これにより冬の国は体勢を立て直す時間を得て、結果、敵国からの侵略を免れた。
しかし、得たものよりも失ったものの方が大きかった。
王妃を失った冬の国は、暗い闇に飲み込まれるかのごとく、静かに衰退しはじめたのだ。
冬の国の王は若く優秀であり、経営学から武術まであらゆる分野に長けていた。
1年の半分が銀世界であるレヴィア王国が、現在、経済面武力面双方において3つの周辺国と同等の力を有しているのは、冬の国の王の手腕によるものだろう。
今まで冬の国は3国と比べると立場も影響力も低かった。
だが現在の冬の国の王が現れたことにより、冬の国は他国と同等、むしろ食う勢いでその力を伸ばしていた。
それはもう、他の3国が冬の国を戦争を始めようと思ったほどに、すさまじい勢いで冬の国は急成長していったのだ。
それではどうして、そんな急成長中であった冬の国が衰退しはじめたのか。
完全無欠の賢王にも弱みがあったのだ。
その弱みこそ、王の妻でありギルの母親でもある王妃であった。
冬の国の王は王妃を盲目的に愛する人であった。というよりも、妻しか愛していなかった。
民を愛する王というものがあるが、彼の場合は王の義務として民に最良の暮らしを与える、そのために力を尽くすというだけ。別に民を愛しているわけではなかった。
妻しか愛さない。愛せない。愛は芽生えない。
それは息子であるギルに対しても同じであった。
ギルが生まれても王の一番は妻だけだった。
だが息子が生まれてから、妻の優先順位は自分ではなくギルになってしまった。
そのことに不満を言うほどに、自分と妻の間の溝が広がる。
ギルに対して無関心だった彼はいつしか妻の愛を独り占めする実の息子に嫉妬するようになっていた。
父親を求めるギルに対し、王は冷たく当たるようになっていた。
そんな矢先のことだ。
戦争が起き、あろうことかこの世でただ一人の愛する人が、息子をかばって死んでしまった。
彼は激怒した。
「お前のせいだ!お前が生まれてきたせいだ!」
母親が自分を庇って死んでしまい、放心状態で涙すら流せないギルに対し、心無い言葉で責める。
そうして王は彼の心を壊していったのだ。
王は国の運営もそっちのけで、ただひたすらに妻が死んだことを嘆き悲しみ、息子に呪詛をはき続ける。
お前のせいだと、彼はギルの心に刷り込むように言う。
ギルは心を閉ざすようになった。
いや、もしかしたら、大好きだったお母さんが死んでしまったときから、彼の心は閉じられていたのかもしれない。
ギルの侍女や護衛騎士のなかには、ギルの心を救おうとするものもいた。
けれど、さすがは優秀な王というべきか。
ギルの崩壊を望む王は、「息子への業務以上の関わりを禁ずる」という命令を出していた。
王の命令は絶対だ。彼らはギルに救いの手を伸ばすことができなかった。
中には王の目をかいくぐり、ギルを救おうと行動する人もいた。
救うとはいってもそんな大きなことはしていない。
王妃がまだ生きていたころのように、ギルと談笑したり市井のお菓子をわけたりなど、たわいもないことである。
だけれども、必ず王はそのことに気付き、命令に反したとしてギルを救おうとした人たちを投獄した。
そうして王はまだ見ぬ自分に逆らうものへの見せしめのごとく、捕らえた者たちに罰を与え、最終的に土下座し許しを請う使用人たちを城から追放した。
それを見たギルはさらに心を閉ざす。
それもそうだろう。
自分を救おうと動いてくれた人たちが、自分を憎む父親の手によって不幸になっていくのだ。
次第に彼は自分に関わった人間はみんな不幸になる、死んでしまう、と思うようになる。
自分は人と関わってはいけない。
誰も愛さない。
だって自分が愛した人は、死んでしまうから。
だから彼は現在、孤児院のみんなから距離を置いていた。
生気のない虚ろな瞳は、これ以上大切な人を失いたくないという恐怖からくるものだ。
だけれども、大好きだったお母さんに与えられた愛をギルは知っている。
誰も愛さないと決意しながらも、心の奥底ではその思いを消すことはできていない。
彼は人を愛したいし、それと同じくらいに自分を愛してくれる存在を切望していた。
そんなときに現われるのがヒロインである。
「お母さんと離れ離れになってさみしいよね」とギルの背景を知らない設定だけど、ジャストなことを言ってきて、「私をお母さんだと思って?」と徐々に距離を詰めていく。
エリックを例外として、ソラとリカが最初に一目ぼれ的な設定なのに対し、ジークとギルは徐々に距離を詰めて恋に落ちていく設定になっている。
だからギルも後々、完璧にヒロインに恋に落ちるラストイベントがあって、まあこのラストイベントの説明は後でするとして、最終的に閉ざしていた心が回復するのだ。
さてさて、そんなわけでアリスさんは私にギルを助けてやれと手紙と絵本まで寄越してきたというわけ。
私としてもギルのことを助けたいと思っている。
ただここで問題なのは、ギルを助ける=惚れられる=本編開始時にギルが迎えに来て、本編スタートというところだ。
ひじょ~うに困る。
じゃあ他の人にギルを助けてもらえばいいじゃんとなるかもしれない。
が、ギルを救えるのは、残念ながらヒロインである私だけなのだ。他の人がなんとかできてたら、ヒロインとか必要なくなっちゃうからね。
まあジーク戦法でいけば、ギルの場合もラストイベントさえ乗り切れば大丈夫なんだけど。
それでもだ!
仮にというか絶対そうするけど、ラストイベントを失敗に終わらせたとする。
だけれども、ラストイベント前にギルを救うために培われてしまったであろうギルが私に向ける好感度というものがあるじゃない?
それが、1%でも恋愛感情に変異したら、問答無用で本編開始よ!?
困る。それは困る!
今まですべての攻略対象の恋愛フラグを折りに折ってきた努力がすべて水の泡だ。
いまのところ誰も私に惚れてないのに、最後の最後で惚れました、本編開始です、迎えに来ます、とか笑えないから!
まあギルから好かれない=本編開始回避の一番いい方法は知っている。
無干渉だ。
まいどのごとくの。
これが一番成功する(なぜか計画が狂って私の場合失敗しかしないけど)。
でもギルの苦しんでいる背景を知っているのに、無干渉波できないよね。
私は彼を救いたい。
だって私にしかできないことだから。
だがしかし、そうなると否応なしにギルと関わることになるわけで、うーむ困った。
なにか、こう…、私だってばれずにギルを救う方法とかはないのだろうか。
「きゃー、だれか助けて~!」
「ぎゅーん!変身!私は正義のヒロイン、ヒメだぞ!」
「わーい!ヒメ~!」
私が頭を悩ませている間に、みんなはごっこ遊びをはじめたらしい。
ちなみにこの正義のヒロイン、ヒメっていうのはアリスの描いた絵本の主人公のヒメのことね。
ヒメってば変身するんだよ。
仮面舞踏会みたいな蝶の仮面に、背中に白い翼をはやして。アリスはいったいなにを思ってこの変身シーンを入れたのやら。
ちなみにギルが今読んでいる絵本のところ、ちょうどそこがヒメの変身シーンだ。
…と、そこで私はひらめく。
そうだよ。私だって気づかれなければいいのだ。
自分のひらめいた案がすばらしすぎて、自然と口角があがってしまう。
そのときだった。
「ちょっと、なにギルを見ながらヘラヘラ笑ってんのよ!」
「へ?」
そう言って私をにらみつけてきたのは、茶髪ツインテールのかわいい5歳の女の子、ミルク・カスターレ。
彼女は私からギルを守るかのように、ギルの前で両手を広げて私をにらむ。
とってもかわいらしい彼女は、みなさんの想像通り、冬の国の悪役だ。
なんだかちょっと感動してきちゃうよね。
すがすがしいほどに私に敵意を向けてくる悪役ちゃんは、アルトぶりだ。
さてさて、そんな悪役ミルクちゃんの説明をしましょう。
まず彼女がなぜ悪役になってしまったのか。
これは非常に簡単な理由で、ミルクはとにかくヒロイン相性が悪かったのだ。
水と油だね。
ミルクは自分に素直で、感情を我慢しない性格だ。
だから気にくわないことがあれば、ヒロインに限らず誰に対しても文句を言ったり、喧嘩を売ったり、大好きなギルにまとわりつく女の子たちに制裁を与えたりする。
一方のヒロインは、守ってあげたい女の子を体現化させたようなキャラだ(私的には守ってあげたいと思ったことは一度もないんだけど、設定はそうだった)。
攻略対象やらバトルやらに対しては物おじせずに行動できるのに、悪役を前にすると途端にもじもじ怯えて、攻略対象の背に隠れ始める。
そんなヒロインとミルクの相性は最悪に決まってるだろ。
アルトはおいといて、エミリアやアリスはヒロインと関わったことでコンプレックスを爆発させて悪役に落ちるけど、ミルクの場合はヒロインと相性が悪すぎて、おそらく本人も気づかないうちに悪役へと転落していたと思われる。
あとはミルク自身が持つ悪役の素質というやつか?
私としてはミルクの性格、嫌いじゃないんだけどね。むしろ、好感が持てるよ。…なぜか敵視されちゃってますけど。
さて、悪役あるあるながら、当然ミルクはギルのことが好きである。
それが恋愛感情か…と問われれば、首を傾げるところだけれど、そこはひとまずおいておいて、とにかくミルクはギルのことだ大好きだ。
というのも、ミルクは冬の国の研究者たちの手によってつくられた改造人間なのである。
赤ちゃんのころから怪しい薬を投与され、物心つくころには常人ならざる怪力の持ち主となっていた。
だけれどもその力をコントロールすることができず、周囲からは失望と恐怖の目でしか見られていなかった。
研究者たちの望む人間になることができれば、自分は愛してもらえる。
そう思いミルクは辛い生活に耐え、力を手に入れたのだが、蓋を開ければ怯えられるばかり。
他人の愛情を求めていたミルクは絶望した。
そんなとき事情を知らないギルだけがミルクに優しく接してくれたのだ。
まだ生きていた王妃とギルの2人が少数の護衛を連れて庭を歩いているとき、ギルとミルクは偶然出会う。
実はギルと出会ったときのミルクは研究所から脱走している真っ最中だった。
見つかってしまったので当然、彼女は研究所に連れ戻されると思った。
だけれどもギルはそんなミルクに花をくれた。
かわいらしい笑顔で花を差し出すギルを見て、ミルクは生まれて初めて幸せの涙を流した。
今まで誰からもこんな笑顔を向けられたことがなかったのだ。
自分のことを恐れずに一人の人間として接してくれた。
ミルクはただそれだけで十分だった。
彼女の中でギルが唯一にして絶対の1番になった。
ギルに対する感情が友情なのか親愛なのか、はたまた恋なのか。分からない。けれどミルクにとって、そんなことはどうでもいい。
彼女にとってギルはかけがいのない存在で、自分よりも大切な人。その真実だけで充分なのだ。
不思議なことにギルがそばにいれば、ミルクは自身の力をコントロールできた。
そのため王妃が死ぬ前から、ミルクはギルの護衛として彼に仕えていた。
けれども王妃が死んでからはギルから遠ざけるように、戦争による行方不明者の救助に駆り出され(真っ先に命令違反者として王に殺されると考えた、周囲の城仕えのものたちの機転のおかげ)、彼女がギルの元に戻れたのは孤児院に行く前日のことだった。
王は彼女にギルの護衛として共に孤児院に行くことを命じた。
が、ミルクに王の言葉は聞こえていなかった。
彼女の中を巡るのは、後悔という言葉、ただ一つ。
生気のない虚ろな瞳の大切な人を見て、ミルクは決意する。
私が絶対にギルを助ける、と。
そんなわけで、私は敵意むき出しでミルクににらまれていた。
ギルを救えるのはヒロインだけって本能でわかるのかもしれない。
私はミルクに対して敵じゃないよ、あなたとギルの中を引き裂いたりしませんよアピールしているんだけど、どうにもにらまれちゃうんだよねぇ。
「私なにもしてないのになぁ」
「なにもしてないってなに言ってんのよ!ギルと同室ってだけで十分何かしてるわよ!神父様、どうして私とギルが同室じゃないのぉぉぉ!」
ミルクはむきーと神父様につかみかかる。
神父様はミルクの暴走怪力のせいで泡吹いてるけれど、まあ罰が当たったってことでスルーする。
そう、実は神父様の計らい(余計なことしやがって)で、私とギルは同室なのだ。
孤児院に来てから、初の2人部屋である!いつもは3人部屋だったからちょっとわくわくするよね。
ちなみにミルクは違う部屋だ。
ミルクは悪い子ではないんだけどね。
今のギルとミルクを一緒にしておいたら、お互いに悪い影響がでそうと神父様は考えたらしい。
だからあのおじーちゃんは、私を利用して2人を一度引き離した。
実は私、こっそりと神父様に頼まれたんだよね。
「リディア、今のギルは辛いことがあって心を失っておるのじゃ。ミルクはギルの友としてなんとか立ち直らせようと足掻いておる。ギルを引っ張って生きる目的を見つけさせようとしている。だがダメなのじゃ。ミルクがいるから、やつは自分の意思というものを放棄してしまった。なにもかもどうでもいいのだろう。世話をやいてくれるミルクの言われるがままになっている。お互いこのままではダメなのじゃ。なんとかして~」
って。
なんとかしてってさぁ!無茶ぶり、やめて!
神父様、もしかして私がヒロインだって知ってるの?ギルを救う方法を知ってると思ってる!?
思い出しても頭を抱えてしまう。
神父様、泡吹きながら私に救いを求めるまなざしを向けないで。
助けを求めるなら、遠くで私たちをにこにこ笑いながら見ている、アから始まるお兄ちゃんにでもしてください。
私、神父様のせいでミルクににらまれてるんだからね。
まあだけれども、ギルと同室にしてくれたのは助かったとは思っている。
おかげで私はギルに「いつ君」通りに惚れられることなく、彼を助ける計画を実行できるからね。




