24. 類は友を呼ぶ(エミリア視点)
「いやぁぁ。気持ち悪いっ」
嫌がる私の顔を無理やり見た母型の親戚の醜く歪んだ顔。
それを知った父の燃えるように赤い顔。強い衝撃と同時に、反転する景色。
それが一番古い記憶だった。
耳をつんざくような叫び声とヒリヒリと痛む頬の感覚は、なぜかはわからないが今も覚えている。
エミリア・ラフィエル。
誕生を望まれたものの、生まれてみれば誰からも祝福をされず、むしろ呪われて生まれてきた。そんな赤子が私だった。
私が生まれたとき、私の瞳を見た母は絶叫し泣き崩れ父は言葉を失った。人とは違う稀有な容姿に父と母は絶望した。
王弟である父は王位継承において争いが起きないよう辺境に追いやられていた。生活するのには困らないが、重要な役割も自由も与えられない生活。自身の子を使い、どうにか兄である王もしくはその子である王子に取り入ろうと考えていた。
そうして生まれたのが、呪われた瞳を持つ醜い私。
せっかく王子と同じ年に生まれたというのに、こんな見た目では婚約者どころか友人にすらなれない。生まれてきた意味がない。父も母も高齢でもう私以外の子は望めなかった。諦めた両親は私を周囲から隠すように育てた。
誰の目にも触れさせず、ラフィエルの姫は恥ずかしがりやとされて可能な限り一目は避けた。人前に姿を見せるときは必ず分厚い前髪で顔を隠した。
私の呪われた容姿を知っているのは、両親と私の誕生に立ち会った助産師と乳母と一部の侍女だけ。
3歳の誕生日のパーティ以来、母型の親戚――叔母に素顔を見られ叫ばれて以来、私はパーティが嫌いだった。ああ、だけど、と思う。きっと大勢の人がいて、自分の素顔を見られないよう注意しなければいけない場所であれば、どこだって私は嫌いだったのだ。
だから4歳の誕生日のときに、私はひっそりと会場を抜け出した。
誰にも見つからないとっておきの場所。
醜い私を唯一受け入れてくれる、落ち着く場所。
バラの庭園をかき分けて、右へ歩いて左へ歩いて左へ歩いて、そうすると森の入り口がある。森といってもご先祖様が娯楽のために作った小さな人口の森だ。だけどそこは私にとって唯一の安らぎの場だった。
スキップしながらそこに向かえば、自分の定位置に赤髪の男の子が寝転がっていた。
その姿に気づいた瞬間、私は固まった。
会話と呼べるようなものをしたことはないけれど、会ったことは何度もあった。今日もパーティの主催者の娘として挨拶をした。
その男の子は我が国の王子だった。
面白いものが何もないパーティに飽き、ここにきたのだろう。気づかれる前に逃げよう。彼の姿を視界に入れた瞬間に決めた。
このときの私はジーク様が苦手だった。親にその醜い容姿を王子には絶対に見せてはいけないと言われていたから余計に苦手だったのかもしれない。
だけど慌てたのがいけなかった。物音を立ててしまい私はジーク様に見つかった。
「エミリア!今日こそ顔を見せろぉ!」
「ひぃっ」
ジーク様は出会ったときから私の素顔を見ようしてくる。
だから私はジーク様が苦手だった。
いつもならば両親が助けてくれる。まあ助けてくれるとはいっても、助ける理由は娘が嫌がっているからではなく。自分の子供が呪われていると気づかれたくないからなのだが。
なんにせよその両親はこの場にいない。
私は易々とジーク様につかまってしまった。
「なんで前髪そんなに長いんだ?邪魔くさいだろ?」
「お、おやめくださいっ」
私の訴えもむなしく、彼は私の前髪をつかみあげてしまっていた。
ああ、見られた。この呪われた目を見られてしまった。
また人に嫌われる。叫ばれる。自分が醜く生まれたからいけないのだとわかってはいるけれど、それでもやはり、嫌われるのはつらかった。
しかし彼の口から発せられたのは意外な言葉だった。
「わぁ。すっごい、かっこいいなその目!色が違う…キレイだ!」
「え……?」
ぽろぽろと涙は勝手にこぼれていた。
心臓の奥底がじんわりとあたたかくなる。こんな感覚は初めてだったから戸惑った。
ジーク様は私を気に入ったのか、それ以降私が困っているといつも助けてくれるようになった。
「呪われた子…」
「やだ。お嬢様の目を見てしまったわ」
「こら!こいつを泣かせるな!お前らはクビだ!」
「そんなっ」
私をいじめる使用人に怒り、
「お前はおれの子分だ。だからお前を助けてやる」
私に居場所を与え、
「草説ってさ、エミリアの説話だよな。金色の獣がその左の目で、若草色の草が右目。いいなぁ。かっこいいなー。うらやましいなぁ」
私の瞳をかっこいいと、うらやましいと言ってくれた。
「エミリアはおれがいないと、なんにもできないんだな。いいぞ。おれについてこい。ずっと守ってやる」
その言葉がどれだけ私を救ってくれたか。
月日がたち、婚約者候補となり、自己中心的でどうしても周囲の人に誤解されてしまう彼のフォローをする毎日になっても、私は彼の後ろを歩くことが幸せだった。
彼の何気ない言葉一つに一喜一憂する私は、いつの間にか彼に恋をしていたのだと思う。
だから力になりたかった。
「ジーク王子も変わった方だな。お前のような醜い子を気に入るとは」
「ですが義兄王様に取り入るいい機会です。あなたではどうせ王子の婚約者にはなれないのですから。せめて友人として粗相のないようにしなさい」
「か、かしこまりました…」
婚約者候補とはいえ、自分がジーク様の婚約者になるなど天地がひっくり返ってもありえないということはわかっていた。だから友人としてでも、あの方のそばにいられるのならそれでいいと思っていた。友人としてふさわしいように、彼のそばにいるために、そう思うとなんでも頑張ることができた。武術も学術も医術も政治学も経済学も、なんでもやった。
私を守ってくれるこの人を守りたいと私も思ったから。
でも引っ込み思案な、すべてを悪い方向に考えてしまう性格だけは直すことができなかった。
ジーク様は子分の私は何もしなくても守ってやると言ってくれる。けれど不安だった。ジーク様は気分屋だ。自分の力で頑張れない私をいつの日か見限ってしまうのではないかと思うと怖くてたまらなかった。
ただでさえ、私は呪われた瞳を持つ醜い化け物だ。せめておどおどせずに、自分の意見くらいは言えるようになりたい。彼のそばにいるためにも、自分を変えたい。
切実にそう思った。
そんなときだった。
ジーク様と孤児院に行くことになったのは。
「女の子に失礼なことを言うやつ!女の子に暴力振るうやつ!そして、俺様なやつ!この3つは、重罪なのよ!覚えとけぇ!」
自分と同い年の女の子に殴られて鼻から血を流すジーク様。
唖然とした。私もジーク様も、驚いて言葉も出なかった。
その少女は、リディアと言う名の、美しい太陽のような人だった。
自分の意思をしっかり持った、周りにいる人みんなを笑顔にする少女。
この人の近くにいれば、自分も変われる気がした。
おどおどせずに、自分の意見を言える気がした。
彼女と初めて出会った日の夜。部屋の中でジーク様は瞳をキラキラさせて、おねえさまの話を私に求めた。ジーク様も彼女の光にあてられ、興味を持ったようだった。
他人に対してはめったに興味を示さないのに。こんなジーク様は始めて見た。もしかしてあの太陽のような人に恋をしてしまったのだろうか?
苦いようなヒリヒリとするようなそんな気持ち。
この気持ちには覚えがあった。
私以外の婚約者候補の人たちが、ジーク様にむらがっていたときに感じた気持ちだ。
でも苦しいと感じるものの、他の婚約者候補の方々に感じた嫌な気持ちを今日の太陽のようなあの人には感じなかった。
だから私は思った。
ああ、ジーク様も気づいていたのかもしれない、と。
城の中で自分に群がってくる者たちの目が濁っていたことに。居心地が悪いことに、彼はきっと無意識のうちに気が付いていた。だから透明な嘘のない瞳を持つ、おねえさまに興味を持ったのだ。
私と同じように、彼女の中にあたたかい日の光を見つけたのだ。
基本ジーク様は来るものを拒まず、去る者を追わずの方だ。
しかしジーク様は自分の思ったことを何でも口にして、気にらないことがあれば争うこともやむを得なしと考える人だった。いい意味でも悪い意味でもまっすぐ。
そんな彼だから私は救われたのだが、悪い面だけ見る人はジーク様を誤解する。
彼の権力を目当てに群がる婚約者候補たち。おべっかを使う従属する家臣たち。大体の人がジーク様を誤解していた。
わがまま放題の暴君。やさしさのかけらもない。自分のことしか考えていない、と。
私の他の婚約者候補も、ジーク様に仕える従者も、私の知る限りほとんどの人が、ジーク様の前ではにこにこと笑うが、陰でこそこそと愚王になる傀儡国家となるだろうと言っていた。私はそれがとても嫌だった。
文句を言う口は容易に動くくせに、彼を注意するための口は動かない。ほんとうのジーク様のことを知らないくせに、彼らはうわべだけで彼を評価する。
彼の両親も、他の婚約者候補たちも、従者も。
みんなたった一人の王位継承者に嫌われないよう、偽物の笑みを浮かべる。
そうして陰で彼を悪く言うのだ。
不満があるのなら表に出てジーク様に注意なり文句なりを言えばいいというのに。
でも私も人のことが言えた立場ではなかった。
注意することができないのは、私も同じだったから。
ジーク様を咎めることも注意することも全くできない。あまりにも行いがひどいときは、今日のように勇気を出してジーク様に声をかける。それでもどうしても弱腰になってしまい、ジーク様を苛立たせてしまう。声をかけたとしても、私にできるのは彼の怒りの矛先を代わりに自分に向けることだけ。
だって仕方がないではないか。私のような人間が、一国の王子に注意なんてできない。そんな立場ではない。
しかしこんなのはただの言い訳だった。
私はただ、ジーク様に嫌われたくなかった。
注意すれば、生意気だと言われ、彼に嫌われるかも。
彼の行動に物申すだけでもにらまれるのだ。彼の考えを否定し、意見を言えば、彼の行動や発言に注意を呼び掛けては、もう彼のそばにはいられないかもしれない。
そう思ったら恐ろしかった。
私にはジーク様しかいなかったから。ジーク様以外に私を気にかけてくれる人はいないし、ジーク様以外に大切な人もいない。彼が私を見限れば、私は1人になってしまう。
でも彼のためを思うのであれば、注意をするべきなのだ。
ジーク様はただの貴族ではない。王位継承権を持つ王子だ。
一国の王となるのに自己中心的な態度でいては、家臣たちに軽んじられていては、陰口をたたかれていてはダメなのだ。
だから初対面のジーク様に対して、自分の思ったことをきちんと言い、さらには私という弱虫を守るべく力を振るったおねえさまを、ほんとうに尊敬した。
この人のようになりたいと思った。
おねえさまは私の理想だった。
それと同時に思ったのだ。
ジーク様にふさわしいのはおねえさまだ、と。ジーク様を色眼鏡で見ない、真正面から向き合い彼を導いてくれるそんな人を、やっと見つけた。
きっと私は心のどこかでこんな人を探していた。おねえさま以外にジーク様にふさわしい人はいない。
その考えが確信に変わったのは翌日のこと。
ジーク様がいつもの我儘を言ってしまい、初めて我儘が受け入れられなかったとき。孤児院という一人の人間としてジーク様を見てくれるこの環境であれば、ジーク様は成長できる。ジーク様のためになる場だと思った。
だからどうにかみなさんにはジーク様を見捨てないでほしくて、いつも以上にお願いをした。そんなときにおねえさまが現れたのだ。
「とりあえず私が言いたいのは、ジークのこと嫌いじゃないよってこと」
嘘のない本心からの言葉。
この言葉で私は確信する。
やはり。ジーク様の相手としてこの方以上にふさわしい人はいない、と。
好きだとは言わず、嫌いじゃないという。そこに好感を持った。
だってジーク様はわがままを言い、みなさんに迷惑をかけていた。そんな人をすぐに好いてくれる人なんていない。この人は嘘をつかない。
おねえさまはそれからうまい具合にみんなの考えを変え、陰鬱だった雰囲気を明るい笑顔のあふれる空気にかえた。彼女がいるだけで周囲は笑顔になる。
私の力だけでは無理だった。彼の尻拭いとは名ばかり。私はいつもジーク様のためを想い、彼の代わりに謝罪をするが、周囲の人間を困らせることしかできなかった。
それだというのに彼女は私が感謝を述べると、首をふり、私のおかげだと言ってくれたのだ。なんて清らかな美しい心を持った人なのだろう。
「まあたしかに、ジークのやつは、誰かに助けられたら屈辱に感じるタイプっぽいよね」
しかもおねえさまはジーク様と初対面にも関わらず、もうすでに彼の性格を理解していた。
「……でも、助けてもらう相手がリディア様なら、きっとジーク様も屈辱には感じないのかも」
言葉は頭の中で組み立てて発するよりも先に、声帯から勝手に発せられていた。
そのことに少し驚いたけれど、うん。自分の言葉の通りだ。私ではジーク様を救えない。きっとこの人しかジーク様を導けない。この方以上に、ジーク様にふさわしい相手はいない。
私は強く確信した。
そして同じくらい強く思った。
私もこの人のようになりたい、と。
幸運なことにおねえさまは私と仲良くなりたいといってくれた。うれしかった。こんな私と友達になりたいといってくれたことが、とてもうれしかった。
しかし私がいるせいで、ジーク様はおねえさまと仲良くなれない。そのことにすぐに気づいた。
おねえさまは私とは仲良くなりたいと思ってくれてはいるものの、ジーク様に対してはそれほど関心を持っていないようだった。いつも彼の背後に控えている私は、彼の雰囲気がだんだんと悪くなっていくのを感じていた。
あげく、部屋を替えるという話が出たときに、自分の思い通りにいかないことに不満をもったジーク様はおねえさまの髪をひっぱってしまった。
私のせいでおねえさまに被害が及んでいる。ジーク様も私がいるからおねえさまと仲良くなれない。おねえさまとお友達である他の方々ともどんどん険悪になっていく。すべて私が存在しているせいだ。呪われた目を持つ私のせいで悪影響が出てしまう。
私はこの場にいない方がいい。
私は邪魔者だ。
みなさんのそばにいてはいけない。
そんな結論に至ったから、おねえさまには申し訳ないが、距離を置こうと思った。
アオ兄ちゃん様に一言声をかけて私はその場を去った。
勝手に逃げれば、おねえさまを避け続ければ、きっとおねえさまは私に愛想をつかし、ジーク様に話しかけ2人は仲良くなる。ギスギスした雰囲気にならずにみなさんも笑顔になれる。そう思った。
それからおねえさまから逃げる日々が続いた。
逃げることもすぐに終わるだろう。当初私はそう考えていた。
が、しかし、意外にもおねえさまはなかなかあきらめてくれない。いつも必死に私を追いかけてくれるのだ。
罪悪感が胸を刺した。
どうしたらいいものか。はたしてこのまま逃げ続けていいのだろうか。部屋で悩んでいるとジーク様に聞かれた。
「お前、リディアのこと嫌いなのか?」
思いもよらない言葉に驚いた。
「えっ!?そんなっ…どうしてそのようなことをお聞きになるのですか?」
「お前が落ち込んでるからだろ。嫌いじゃないなら避けるなよ」
「ですが…」
ジーク様は聡い。
幼い時から一緒にいるからだろうか。私の気分が落ち込んでいるとすぐに気づいてくれる。我儘で自分勝手で人に誤解されやすいけれど、彼はやさしい人なのだ。
でもそんなやさしい人だから、ジーク様には愛する人と結婚して、幸せになってもらいたい。そのためにおねえさまと仲良くなっていただきたい。だから私はジーク様になにを言われようとも、おねえさまから逃げ続けなければならない。悩んでいた答えは、ジーク様のおかげで出た。
絶対に逃げる。おねえさまには申し訳ないが、おねえさまが私に愛想をつかすまで逃げ続ける。
そう決心した翌日のことだった。
逃げると決めたにも関わらず、魔のにんじんクッキーのせいで、簡単におねえさまにつかまってしまった。
きのう心を新たに決めたばかりだというのに。私はほんとうに、グズでまぬけで誰の役にも立てない。悲しくなってこんな自分なんて嫌だと思うのに、いつものように体が震えてしまっていた。
そんな私に気づいたのだろう。
やさしいおねえさまは眉を下げ、私に1つだけ質問に答えたら離してあげると提案してくれた。
そのやさしさがあたたかくて、震えは止まっていた。
そしておねえさまは聞いた。
自分は迷惑か、と。
一瞬意味が解らなかった。
迷惑であるはずがない。むしろ迷惑をかけているのは私のほうだ。
おねえさまは続けた。
「私エミリアと友達になりたくて、ずっと追いかけてきた。でも、エミリアずっと逃げてたよね。迷惑だったのかなって思ったの」
さらに驚いた。
ちがう。そう否定したかった。でもおねえさまの言葉が意外すぎて、言葉が出なかった。
その間におねえさまは続ける。
「私、自分では気づいてなかったんだけど、我儘らしくって。こんな私が苦手な人も中にはいるって教えてもらって、反省して」
ちがう、ちがう、ちがう。
おねえさまは我儘なんかではない。
「もし迷惑だったら、エミリアには近づかないから、教えてほし……」
「迷惑なんかじゃないです!」
言葉は勝手に飛び出していた。
悲しそうに眉を下げるおねえさまの顔を見た瞬間、ひどく後悔した。
私はなんてことをしてしまったのだろう。
おねえさまのため、ジーク様のためと言い訳をして、ひどいことをしてしまった。おねえさまの明るい太陽のような笑顔に影をつくってしまった。
「迷惑じゃないですっ。ほんとうに、迷惑なんかじゃなかったんです。うれしかったんですっ」
そう。私は追いかけてもらって、友達になりたいと言われてうれしかったのだ。
ジーク様以外に、そんなことを言ってくれる人はいなかったから。
それだというのに、私は彼女の好意を踏みにじってしまった。
ひどい女だ。おねえさまと友達になる資格もない。
「じゃあ、どうして逃げて…」
でもさすがにこの問いに答えることはできなかった。
ジーク様とおねえさまのために、とは言えない。私が勝手に動いただけだから。
「……じゃあさ、弱みに付け込むような感じになるけど、私と友達になってくれる?」
「も、もももちろんですっ」
こんな私とまだ友達になりたいといってくれるおねえさま。
もうなにかの罰ゲームだとしか思えなかった。だから私はおねえさまに聞いた。そしたらなんと、おねえさまには同性のお友達がいらっしゃらなかった。
おねえさまは否定しているが、彼女の周りには人をダシに使うような方たちしかいなかったのだ。そうして白羽の矢が私に立った。だがおねえさまはそれを否定した。
なんでも私だから友達になりたいと思ってくれたそうで。
「エミリアがさ、かっこよくって、友達になりたいって思ったの」
嘘偽りのない言葉に胸を打たれた。
ああ、この人はどこまでも私の先を行く。私の理想のはるか先を歩いている。
彼女は本心から私と友達になりたいと言ってくれているのだ。
それは同情でも、やさしさからでも、たまたま白羽の矢が立ったからではない。
私はまだまだおねえさまのことを知らなかった。
彼女がまっすぐ私を友人として見てくれるのならば、私も彼女の想いに応えなければならない。
ひざまずき、おねえさまの手を取ると、彼女の顔はりんごのように真っ赤になる。天真爛漫な姿ばかりを見ていたから、女の子らしく慌てる様子に自然と口角があがった。このかわいらしい人の友人になれる。なんて光栄なことなのだろう。
「おねえさまとジーク様は、私が一生おそばで支えます!友達として!」
世界でたった2人の大切な人。
この人たちのために私は生きよう。
私は誓ったのだった。
週に2回ある勉強の時間。
恐れ多くもおねえさまにこの世界の歴史についてお教えしていたとき、草説の話になった。
思い出すのはジーク様が昔私の瞳をほめてくれ、草説のようだと言ってくれたときのこと。彼も同じことを思い出してくれていないか。淡い期待を込めてジーク様を見る。が、彼は私を見ていなかった。
彼の視線の先にはおねえさまがいた。
そのことに少し、胸が痛くなる。
彼が私を見ていないことはいまに始まったことではない。でもやっぱり少し苦しい。おねえさまをうらやましいと思ってしまう卑しい自分がいる。
しかし辛くはなかった。きっとそれは、彼の想う相手がおねえさまだから。おねえさまは私の大切な人でもあるから。
最近機嫌の悪かったジーク様だが、おねえさまがそばにいればきっとよくなる。ジーク様に引きずられつれさらわれていくおねえさまを視界の端にとらえながら、ぼんやりとそんなことを思った。
だけどやっぱり心が痛くて、落ち着きたくて。
外の風が少し強くて不安を覚えたけれど私は花を見に、花壇へ足を運んだのであった。
そうして花を見ていると、おねえさまが現れた。
なんでも私が心配だったそうで。なんてやさしい方なのだろう。私はおねえさまに嫉妬してしまったというのに。
さきほども私の浅い知識をほめたたえてくれて、心があたたかくなった。ほんとうにこの方は、太陽のような人だ。
そんなときだった。
太陽に反発するかのように、大きな風が吹いた。私がおねえさまを太陽だなんて思ったからいけなかったのだ。吹き荒れる強い風は私たちを容赦なく襲う。私が外にいたばかりに、おねえさまが風の被害にあう。ああ、ほんとうに私は不幸しか呼ばない。
だけれども、こんなのは序の口だった。
私が呼んだ不幸は、私に絶望を与えた。
視界が急に明るくなったのだ。
明るくなったと言われれば、それは絶望ではなく希望のように聞こえるかもしれない。だが私にとって視界が開けたということは絶望にほかならなかった。
目の前が明るくなる。
それはいつも私を守ってくれた前髪がなくなったことを表していた。
視界が開けたところでおねえさまの顔が目に入った。
その瞬間、幼いころ、叔母に叫ばれた、周囲の人に醜いと言われた、両親の険しい表情が、フラッシュバックする。
おねえさまにだけはこの呪われた目を見られたくはなかった。嫌われたくなかったのに。もう終わりだ。目の前がゆがんだ。
しかし、
「わぁぁっ。きれいっ」
いつもと同じやさしい声色で発せられたその言葉に、私は耳を疑った。
きれい?そんなわけがない。私は醜い化け物だ。きっと気持ち悪いと聞き間違えたのだ。
風がやんだところで、私は急いで髪を直し、顔を隠す。
もう手遅れだとはわかっているけれど。おねえさまには、私を友達だといってくれた穢れのない美しいおねえさまにだけは嫌われたくなかった。
「ご、ごごごめんなさいっ。お見苦しいものを見せてしまって…ほんとうに、こんな醜いものを、おねえさまに見せてしまうなんて。ごめんなさい!」
だからどうか嫌いだなんて、言わないで。
友達をやめるだなんて言わないで。
おねえさまが私の容姿を見て逃げないから、図々しくも私は心の中で懇願してしまう。
「私はきれいだと思うよ?」
「嘘です」
そんな私の気持ちが伝わったのか、おねえさまが優しい嘘をついてくれた。
ここは喜ぶべきところ。たとえ嘘でも、おねえさまは私を気遣ってくれたのだから。そう思うのに、私はなぜかおねえさまの言葉を否定していた。
「ベリーキュートだよ?」
「嘘です」
おねえさまが嘘をついたことにショックを受けていたのかもしれない。
おねえさまはやさしい嘘をつかない、まっすぐな人だと思っていたから、私に対して嘘をついてもいいと判断したことに、ショックを受けたのかも。
だけれども、次の言葉で私は、おねえさまが本心から私の瞳を美しいと言ってくれたことに気が付く。
「つまりえっと…なんていうかさ、私が言いたいのはね、エミリアが私には、すっごくれいに見えるよってことなんだ。嘘をついているとか、気を使っているとかじゃなくて。キラキラして、宝石みたい!」
2人めだった。
私の瞳を恐れず、きれいだと言ってくれた人は。
おねえさまは嘘なんかついていなかった。
最初に会ったときからずっと私に対して誠実でいてくれた。
ただ私が怖がっていただけだった。
理由が分からないけれど、涙が出ていた。
キレイだと言ってくれてうれしかったから涙が出るのか。
私に対して嘘をつかないでいてくれたことがうれしかったから涙が出るのか。
わからないけれど、心がとてもあたたかかった。
おねえさまはそんな私を見て慌てている。私のことを、瞳を、きれいだとおねえさまは言ってくれる。だが私は自分をきれいだとは思えなかった。醜いと思っている。それはきっとこれから一生変わらない。
そのことを伝えるとおねえさまは悲しそうに顔を伏せた。
でもね、おねえさま。私の言葉には続きがあるんです。
「おねえさまが、私をきれいだと言ってくださって……嫌な気持ちにはならなかったんです。うれしかったです。おねえさまもやっぱり、変わった方なのですね。うふふ」
ジーク様と同じで、私の素顔を見ても怯えない変わった人。
大好きな人たちのために、私は変わろう。変わらなければならない。
私も誰かの太陽になれるように、生まれ変わる。
今度こそ、固く、強く決心した。
その日から私は自分から積極的に動くようにした。
遊びも会話も、可能な限り頑張った。
私はいつもジーク様の影に隠れていた。
けれど私は変わるのだ。いつまでもジーク様に守られていてはいけない。彼に執着するのはやめよう。ジーク様とおねえさまを守るために、私は生まれ変わる。
しかしジーク様の機嫌が悪い。
彼の機嫌が悪いと、私はどうしても怖くて彼に嫌われたくなくて、自分の意見を言えず、いつものように黙ってしまう。
だけどみんなで女子会をしていたあの日は変われる気がした。ジーク様に自分の意見を言う、注意することができる、そう思った。
でも結局はダメで、他の方々に助けていただいた。
おねえさまなんて生贄にされそうになっていた。ジーク様とおねえさまを守りたくて今の自分を変えようと、そう思ったのに。私はまたおねえさまに守っていただいたのだ。
変わりたいのに。
どうしたらいいのだろう。
そう考え、悩み、あることを思い出したのは2日後。
あること…それは、一冊の本だった。
勉強部屋には勉強以外の本も本棚にたくさん置いてある。その本棚の一角に、『新しい自分になるためには』という題名の本が置いてあったのだ。
以前から気になっていたものの、借りるのが恥ずかしく。ポンコツのくせに新しい自分になりたいなどと思うなど、分不相応な考えを持つなど甚だしい、身の程をわきまえろと思われるのではないかと恐ろしかった。
だけど私はどうしても変わりたかった。
なので勇気を出した。周囲に誰もいないのを見計らい、こっそりと勉強部屋へと行き本を借りた。
部屋に無事戻ることができた私はほっと息を吐き、早速本を読んだ。
しかしその本にはそれらしいことは書いてあるが、詳しいことはなにも書かれていなかった。
唯一、役に立ちそうだった内容はこれだけ。
『コンプレックスを抱えているあなたは自分を変える大チャンス。コンプレックスを乗り越えて、新しいあなたになりましょう』
……コンプレックス。
私の場合であればこの醜い顔…ようは呪われた瞳のことを指すのだろう。
だけれどもこれをどうやって乗り越えろというのか。
簡単に考えれば、この呪われた瞳を気にしないようにすることだが。無理だ。気にせずにはいられない。だから隠しているというのに。
……隠す?
なにかがひらめきそうな、そんなときだった。
「おい、エミリア!やっと見つけたぞ!」
突然部屋の扉が開かれ驚く間もなく、私は険しい表情のジーク様に勉強部屋へと連れていかれた。
そしておねえさまの盗んだ教科書を出せと言われる。
いったいなんのことなのか、わからなかった。それよりもジーク様の顔が怖くて、私はいつものように震えることしかできなかった。
なにも言わずに震えるばかりの私にジーク様の機嫌は悪くなるばかり。
「お前はいつもそうだ。おどおどして、おれがいないとなにもできない。それなのに最近はおれ以外のやつといっしょにいて。なんでだよ。おれの気を引きたいからって教科書まで盗むくせに…ほんとうに意味が分からない」
「だからお前は顔も心もブスなんだよ!」
ジーク様から向けられた、はじめて強く意識されてはかれた暴言に、私は思わず泣きそうになる。ブスだのポンコツだの言われたことは今まで何回もあったが、それはいつもジーク様の本心からではなかったからだ。
でも悲しい気持ちの中で、不思議なことだが、どこか冷静な自分もいた。そんな冷静な自分は疑問に思ったのだ。なぜさきほどのくだりから突然自分の顔も心もブスだと言われなければならないのか、と。心の中で首を傾げている自分がいる。
だからだろうか。
そんなときに、おねえさまが勉強部屋へとやってきてジーク様にいろいろと抗議をしてくれて、おねえさまの頭上に疑問符が現れ始め、ジーク様の言っている意味がやはりちょっとわからなくて。よくわからないまま怒鳴られて、冷静な自分が現れて、でも身体は素直だから泣きそうで。
だから、
「ジーク様。わた…私は、ブスなんかじゃありませんっ。おねえさまは私をかわいいと言ってくれました!そ、それに教科書も、盗んでいません」
初めてジーク様に自分の意見を言うことができた。
自分でも混乱しているからか、どんなことをジーク様に行ったのかは覚えていなかった。しかし、とにかく自分の意見を言うことができた。
とたん。胸に詰まっていた異物がとれたかのように、スッと息がしやすくなった。
うれしい。私は少し変わることができた。気分が高揚していた。
だからジーク様の顔が悔しそうに真っ赤になったことに気づけなかった。
ジーク様の怒りが頂点に達したとき、物に当たる性格だということを忘れていた。
誤って投げてしまったはさみが、おねえさまにむかって一直線に飛ばされたことに、すぐに気がつけなかった。
視界の端に見えたのは、青ざめて動くことができないおねえさまだった。視界に入ったその表情に胸騒ぎを覚えて、急いでおねえさまのほうを見て、ようやく私は彼女が危機的状況にいることに気が付いた。
おねえさまが危ない。
そう思ったら体は勝手に動いていた。
ジーク様のために学んでいた武術が役に立ったのはそのときがはじめてだった。
私は見事、はさみをはじきとばし、おねえさまを守ることができた。
とりあえずよかったと、ほっとしていると、おねえさまの顔がさらに青くなっていることに気が付く。おねえさまの視線の先にあるのは私の腕だった。そこでようやく私は、自分の腕から血が出ていることに気づいた。
だけれども今はそんなことどうでもいい。
ほっとしたら、ふつふつと胸の奥から熱い憤怒の念が湧き上がってきた。
私は今、怒っている。
おねえさまを傷つけようとしたジーク様に、怒っているのだ。
ふだんの私であれば、ジーク様に意見を言う前の私であれば、彼に怒りなんてものは絶対に感じなかっただろう。だが今の私は以前の私ではなかった。
『コンプレックスを抱えているあなたは自分を変える大チャンス。コンプレックスを乗り越えて、新しいあなたになりましょう』
頭に浮かんだのは先ほどまで読んでいた本の言葉。
私はコンプレックスである醜い顔をずっと隠していた。
それは自分に自信がなかったから。周囲の人たちに怖がられたくなかったから。
でも、私は変わる。
怖がられてもいい。そのかわりに、私に勇気と自信をください。
うじうじめそめそした、過去の自分とはここで決別する。
私は自分が弾き飛ばしたはさみを手に取り、ばっさりと髪を切り落とした。
目の前が明るくても、もう怖くはない。
「私はもうあなたの知っている、泣き虫で引っ込み思案で、ジーク様に守ってもらうような女の子ではありません。あなたの指図は受けず、自分の意思で行動します」
私は変わったんだ。
ポカンと口を開けて私を見るジーク様を見て確信した。
///////☆
周りの目――孤児院のみんなや神父様の視線は気にならなかった。
私を見て驚いた顔をするものの、誰も怯えたりしていなかったからなのだろう。好機の目にさらされているわけではない。叫ばれもしない。恐れられもしない。それがとてもうれしかった。
醜い呪われたこの瞳は変わらないけれど、私の心は変わった。だから周囲も私を怯えなくなったのだ。思えば、屋敷やパーティでは、私がおびえていたから余計に他の人も怯えたのかもしれない。
大丈夫。今の私ならば屋敷に戻って、怯えられることがあったとしても、怖くない。私は私を恐れない人たちを知っているから。
さて、現在私は反省していた。
今までジーク様の我儘や行き過ぎた自己中心的な行動を咎める人は一人もいなかった。だから生まれ変わったのも運の定めと思い、これからは私がジーク様の過ちを指摘しよう。ジーク様と将来夏の国を背負っていくおねえさまに迷惑をかけないように、私がジーク様を教育していこう。
そうは思っていたのだが……、初日から厳しく接しすぎたかもしれないのだ。
私にケガを負わせたことに我に返ったジーク様が申し訳なさそうにしていることだけでもすばらしいのに、言葉としての謝罪を求めてしまったり(…ジーク様が謝ることを苦手とすることは知っていたが、ついつい…でもこの年で謝罪の一つもできないのはちょっと…)。
ケガの具合を心配して私をじっと見ていたであろうジーク様に、時間がもったいないだのまぬけな顔だの言ってしまったり(だって何をするでもなく、ずっと私のそばにいただけだったから)。
ああだけれど、神父様に怒られたときに上の空だったことを叱ったことは後悔していない。
私に叱られたときのジーク様の顔が忘れられない。
子分が突然自分を教育し始めようと考えているのだ。ショックを受けるのもうなずける。もしかしたら生意気だと怒られるかもしれない。まあ怒られたところで、生まれ変わった私は引く気など毛頭ないのだが。
だがしかし、とにかく彼は大丈夫なのだろうか。まだ2人は神父様の部屋で叱られているのか、心配に思い、私は2人の様子を見に来ていた。
2人が怒られている理由の4分の1は、私のせいのようなものだ。2人だけが怒られるのは申し訳ない。神父様は説教するべく治療部屋からおねえさまとジーク様を連れ出したとき、夜ご飯が終わるころには説教を終えると言っていた。
今はちょうど夜ご飯を食べ終えたときだった。
だから私は2人の様子を見に来たのだ。
タイミングがよかった。私は偶然にも、ジーク様に手を引かれたおねえさまが空き部屋の中へと入って行くのを見た。
この様子からもう説教は終わったらしいとわかるが、どうしてあらためて2人きりになるのか。気になった。だけど盗み見ることなんてできないし。でもおねえさまがいじめられていては大変だし。
適当な理由を付けた私は、結局部屋の隙間から中をこっそりのぞいた。
そして言葉を失った。
自業自得だろう。盗み見なければよかったのに。
しかし後悔してももう遅い。見てしまったのだから。
空き部屋では、ジーク様がおねえさまを抱きしめていた。
それを見た瞬間、胸がひどく痛んだ。
ただ抱きしめていただけであれば、これほど心臓が苦しくならなかったのかもしれない。目の前がゆがんで、ぼやけて見えなかったのかもしれない。
でも視界がぼやける寸前に私は彼の顔を見てしまったのだ。
ジーク様は今まで見たことがないくらいの美しい笑みを浮かべて、おねえさまを抱きしめていた。それはもう、心底うれしそうな顔をして。
彼の喜びに満ち溢れた顔を反芻すると、さきほどよりもさらに胸の奥が痛む。息ができないくらい苦しくなる。
しかし受け止めなければならない。これは真実だ。
彼にそんな顔をさせることができるのは、この世でおねえさましかいない。
この真実を受け止めなければならない。
やっぱり悲しい。つらい。彼を想っても無意味だというのに、この感情はきっと一生なくなることはないのだろう。
でも不思議と涙は出なかった。視界がゆらぐだけ。雫はこぼれない。
怒りもわかなかった。ただ胸が苦しいだけ。息ができないだけ。
これでジーク様の相手が、おねえさまでない人であったのなら、きっとその相手を憎んだのだろう。羨み、恨んだのだろう。
大好きな2人だから。悲しかったけれど、応援しようと思ったのだ。
きっとジーク様の相手はおねえさま以外にはいない。まっすぐな2人だからこそ、きっと明るい国をつくってくれる。私はその陰で2人を支える。それで十分だ。
2人の邪魔をしてはいけない。
私は音を立てずその場を立ち去った。
「ジーク様、おねえさま。おまかせください。私が2人を、絶対に幸せにしてみせます」
この想いは胸にしまう。
2人の笑顔を見るだけで、私は幸せだから。
そして決めた。
「そうと決まれば、私のやるべきことは1つですね。ジーク様が将来、おねえさまを困らせないように、どんどん至らないところを注意していきますっ」
///////★
「おい、エミリア」
振り返ると、そこにいたのはソラ君だった。
穏やかな気持ちでいつものように花を見ていたときのことだった。
夏のにおいがうっすらと香る風に吹かれ、彼のやわらかい金色の髪がなびく。
実はずっと気になっていた。
銀色の髪と金色の髪の1歳違いの兄弟は、春の国の王子たちと外見も名も一緒だったから。私たちの国と戦争の最中にある国の王子が、もしかしたら目の前にいるのかもしれない、と。
でも向こうが何かしない限りこちらは動かないつもりだった。
私が大切なのはあくまで、ジーク様とおねえさま。他の国のことはどうでもいいし、なにより2人はおねえさまの友人だから。まあそのうちの1人は、おねえさまに友人以上の想いを持っているけれど。
……部屋替えのときに、わざとアルト君を怖がっておねえさまに抱きしめてもらったときに周囲の様子を見て確信したのだ。とはいっても、アルト君はおねえさまへの好意がまるわかりだから驚かなかった。しかしまあ…もう一人の意外な反応には驚いたけれど。
どちらにしても、当のおねえさまが誰のことも恋愛対象として見ていないということがわかったから、ジーク様とおねえさまの未来の邪魔をしなければ、こちらからはなにも手出しはしないと考えていた。でもこうして私が一人のときに話しかけてきたとなると…
「…殺気、だだ洩れだぞ?」
ソラ君は困ったように笑った。
「おれだけがこの場にいたからよかったものの、兄様がいたら、お前ほんとうに命なかったぞ?気を付けろ」
きのうの昼まではおどおどしてかわいらしかったのに、ほんとうに女って怖い…と、ソラ君はブツブツ言っている。
彼はいったい女性にどのような目にあわされたのだろうか。気にはなるが、まあいい。
「ご忠告ありがとうございます。それで、ソラ君は私に何の御用ですか?」
するとそれまで苦笑いを浮かべていたソラ君の顔が、厳格なものへと変わった。体が委縮した。彼から厳粛な品格を感じるのは、やはりソラ君が王族だからなのだろう。
「忠告だ」
「忠告?」
ソラ君は淡々と続ける。
「このままだと死ぬぞっていう忠告。エミリア。お前がどこの誰であろうが、兄様の平穏を乱すことは許されないんだ。これ以上、リディアに手を出すと、お前は死ぬことになる」
毅然とした態度から、彼が嘘を言っているわけではないということは伝わった。
重たい空気が辺りに立ち込める。
だけど、だからといって、そうですかわかりましたと、引き下がるわけにはいかない。
「それは…こちらの台詞です。おねえさまは、あなたたちには渡しません」
「……ん。待て?これは言い方が悪かったな…。リディアに関しては、おれ、お前らに渡してもいいんだぞ?でもそうなったらお前もジークも…っていうか、どっちにしてもお前らの国が亡ぶぞっていうのを言いたくて…」
急に困った顔をし始めるのは、こちらを油断させるための手口なのだろうか。
恐ろしい人たちだ。こんな方々におねえさまは絶対に渡さない。
「おねえさまはジーク様の妻になるお方です!すべてはジーク様とおねえさまの幸せのため!私はどんな脅しにも屈しません!」
「つ、妻ぁ!?おまっ、それこそ内側からも外側からも、夏の国が亡ぶだろ」
「亡ぶ…やはりあなた方は、おねえさまを巡り戦争をしかけるつもりで……」
「いやいや、そりゃ万が一リディアとジークと結婚なんかしたら、兄様は魔王になって夏の国を蹂躙するだろうけど。内側からは、リディアが壊すっていうか…」
なるほど。たしかにアルト君はおねえさまに尋常ではないくらいに執着していると思っていた。奪われれば国を亡ぼすというくらいにおねえさまを愛している。
「いいでしょう。望むところです!」
「え、望むの!?」
「ジーク様だってアルト君に負けないくらい、おねえさまを愛しています!」
「いや、それは絶対にない」
「そのような虚言が通じるほど、私はバカではありません」
「類は友を呼ぶって言うけど…はぁ。ほんとリディア……」
「おねえさま以上にジーク様のお相手としてふさわしい方はおりません!あなたたちにおねえさまは絶対に渡しません!宣戦布告です!さようなら!」
言ってやった。
歩きながら私は心の中でガッツポーズをした。
前髪を切り、視界が開けたことにより、自分に自信が持てるようになった。
私はこれからもっと変わる。変わってみせる。
私に幸せをくれたジーク様とおねえさまのために、2人を守るために、変わっていくのだ。
「だ~っ!あのバカはどうしてめんどうなやつばっかりを落としてくんだよ~」
背後でソラ君の叫び声が聞こえた気がしたが、おそらくジーク様とおねえさまの明るい未来を阻害するための罠だろう。聞く耳を持ってはいけない。私は速やかにその場を去った。




