15.ソラは苦労人(ソラ視点)
始めに告白したいことがある。
これは誰にも言ったことのない、兄様にも言ったことがないこと。
だから今、自分の心の中でのみ、言えること。
おれが告白したいこと。それは……
おれは、普通の人間ではない。
ということだった。
ソラ・ヴェルトレイア。5歳3か月。ヴェルトレイア王国の第二王子。
おれは物心つくころから、人とは違ったものが見えていた。何が見えていたか。幽霊?いや、そういう類のものではない。
おれは、色が見えた。
それはオーラのようなものだ。
赤、青、黄色などのいろんな色。人によって違う。透き通った色もあれば、パステルカラーのような中間色、濁った色のものもある。
それは、見える日と、見えない日がある。
それは、見える相手と、絶対に見えない相手がいる。
見えない日のほうが回数的には多くて、見えない相手のほうが少ない。
見える日のときは、大体の人が自身の周囲に色を浮かべさせている。
今までおれが色を見ることができなかった相手は、父様だけだった。
ヴェルトレイア王国は、いつも濁った、気持ちの悪い色で溢れていた。
その色がなにを示すのか。幼いころのおれにはなにもわからなかった。いまもわからない。
でも5歳と3か月生きてきた中で、一つだけ、わかったことがある。
それは、この色が人の心を表しているということ。
きれいな澄んだ色は、真実。
気持ちの悪い濁った色は、嘘。
たとえ笑顔でおれに話しかけてきた人がいたとしても、その人間の周りに浮かぶ色が汚い濁った色であれば、それはすべて嘘。
でも。わかるのはそれだけだ。
だからとりあえずおれは、その色を見て自分が嫌な気持ちにならなければ、注意も警戒もしないようにしていた。
話を戻そう。
さて、おれが自分をふつうの人間ではないと独白し、なにを言いたいのか。
言いたかったことは一つだけだ。
おれは幼いころから兄様が大好きだ、ということ。
それは今も、昔も、今後一生、何があろうとも。たとえ…兄様がやばいやつに恋をしてしまったとしても、変わらないということ。
先にも言った通りおれの国は濁った気持ちの悪い色で溢れている。
赤ん坊のころの記憶はさすがにない。だけれども、おれはまだ母が多少はおれに関心をもっていたときから城内を恐れていたから、きっと昔からひどい色で嘘にまみれた場所だったのだと思う。
周囲の人間もその色と同じような意地悪な人ばかり。
殴って、蹴られて、笑われて。
それなのに、侍女も護衛騎士も母でさえも、おれを助けてはくれなかった。
そんな時に出会ったのが兄様だった。
はじめて兄様と出会ったのは、おれがクマのぬいぐるみをいつものように奪われたときだった。
クマのぬいぐるみは母が唯一息子にくれた贈り物。それは世間体を気にした母からの贈り物だったが、当時のおれはとても喜んだし嬉しかった。おれはクマのぬいぐるみを大切にしていた。
やつらはそれを知っていたから、おれをいじめるたびにクマのぬいぐるみを奪っていた。
その日は、見える日だった。
「その人形は弟のものだ。返してもらおう」
キラキラと風になびく銀色の髪と、やさしい淡い紫色の瞳。
そんな兄様の背に見えた澄んだ海のような青に、おれは思わず見惚れてしまった。
いじめられていた恐怖やヒリヒリと訴える体の痛みを忘れるくらい、おれの心臓は高鳴っていた。まるで神話の世界に来たような、そんな気持ちになっていた。
兄様が人形を取り返してくれたところで、ようやくおれは我に返った。
そして思ったのだ。
この人のそばにいたい、と。
その日からおれは兄様と行動するようになった。
よどんだこの城の中で信頼できるのは兄様だけ。母も父も、誰であっても、兄様以外は信頼できなかった。信頼できる、そんな色の人がいなかったから。
だけど兄様もいつも澄んだ色をしているわけではない。
たまに、その色は深海のような深い底の見えない群青色になる。
そんな時決まって兄様は申し訳なさそうに眉を下げておれを見るのだ。そういうとき、兄様は必ずおれのために嘘をついている。
濁っている色は嫌いだ。
それは嘘の色だから。
だけど兄様の群青色は嫌いではない。
濁っているけど、きれいだから。
おれがそう感じるのはきっと兄様がおれに対して自分本位な嘘をついていないから。いつもおれを心の底から可愛がってくれているって、愛してくれているって知ってるから。
嫌いではない。
嫌いになんかならない。
けど、それは不安を感じないというわけではないのだ。
兄様はおれを愛してくれている。
でも本心は教えてくれない。
なにかを隠している。
たぶんおれのために。おれを守るために。
おれはうれしい。
おれはうれしくない。
だっておれにも、兄様の背負っているものを分けてほしいから。力になれないかもしれないけど、おれだって兄様が大切で、兄様を守りたいから。
リディアという名の少女の色には、驚いた。
孤児院に来て、同年代の子供たちの透明感あふれる色を見てから、おれは驚きっぱなしだった。逆にみんなの素直な心が怖くて、みんなと遊びたいのに遊べなくて、でもやっぱり怖くて遊べない…そのくらい孤児院の子どもたちの色に驚いていた。
けれど、リディアの色を見たときの驚きは、今までの比じゃなかった。
彼女の背に輝くのは、おひさまの色だった。
眩しいけれどそばによるとあったかい気持ちになれる、淡い黄色のおひさま。
そのおひさまはおれから兄様を奪ってしまうのではないかと、錯覚するほどにまぶしかった。だから最初、つっかかってしまった。
だけどおひさまは、そんなおれに手を差し伸べた。
口は悪い。でも彼女がおれに向ける色は暖かかった。
色を見なくても言葉や態度で、彼女の人間性はわかった。
この女と仲良くなりたい。おれにもおひさまの力をわけてもらいたい。このひだまりにいたい。おれはそう思うようになっていた。
兄様だって、このあたたかいおひさまのそばにいたいはずだ。
それからおれと兄様とリディアと、3人で行動するようになった。
おひさまはいろんなものを照らした。
孤児院の子どもたちの色をもっと明るくして、子どもたちみんなが笑顔になる。いっしょにいて楽しい。いまだに緊張してしまって、なんだか不安で、リディアと兄様以外の子供とは遊べないけど、一緒の空間で笑っているだけでおれは幸せだった。
でも、兄様は違った。
気が付けば、兄様の青い澄んだ海の色には影ができていた。
日が差せば当然影ができる場所も出てくるということを、おれはそのとき知らなかった。ただほんの少し、兄様の色を見て不安な気持ちになっただけだった。
明日も色が変わらず影が差していたら、兄様になにか悩みでもあるのか、勇気を出して聞いてみよう。そう思いながら翌日を迎えたら、その日は見えない日で。見えない日が何日も続いた。
そうして5日くらいたって、やっと見える日になった。やっとだ。
おれは急いで兄様の色を見た。そうしたら兄様の海からは影がなくなっていた。
むしろ太陽に透かされたように、キラキラと輝いている。あれ?
太陽とくればおれの脳裏に浮かぶのはリディアだ。
まさかと思ったら、やっぱり。
兄様はおれよりもリディアと仲良くなっていた。
もちろん周りから見れば、2人の仲は前と変わらないように見えると思う。でもおれにはわかった。近くで2人を見ていたから。
兄様はおれには見せないような顔を、リディアに見せるようになっていた。
隠しているようだけど、雰囲気で、なにより色でわかった。リディアもそんな兄様を受け入れて、仲良く楽しげに話している。
リディアに兄様をとられたような、兄様にリディアをとられたような複雑な気持ち。
おれだって兄様やリディアともっと仲良くなりたいのに。
そんなことを思ってしまったからだろうか。
事件が起きてしまった。
それは恋愛チェックというものをしたあとで、兄様が体調不良を訴え、森の方へ姿を消したときのことだった。
「ごめんね。僕は…すばらしい。ソラが尊敬してくれるような、慕ってくれるような…完璧な兄じゃないんだっ」
リディアと兄様が言い合いするのを見て、兄様の顔にクモがのって叫んでいる様子を見て、これがほんとうの兄様なのかと驚いた。
だけどおれは、これでやっと本当の兄様を知ることができた、おれも兄様とリディアの輪の中に入れる、もっと仲良くなれる。そう思っていた。
だけど2人のことをこっそり見ていたことがばれてしまって、どう弁明したらいいのか頭が回らなくて、何も言えずにいたら、兄様があり得ないことを言って走り去ってしまった。おれは唖然としていた。
そしたらリディアに背中を蹴られていた。
痛い。リディアをにらみつけたら、怒られた。
「あんたバカなの!?私をにらむ暇があるなら、アルトを追え!なに?それとも、アルトのこと見損なったとか、言うつもりじゃないでしょうね!?」
「そんなわけでないだろ!見損なったりなんかしない!」
むしろうれしかったくらいだ。
ほんとうの兄様を知ることができて、おれも2人の輪に入れると思ったから。
「追いかけたいよ!…でも、今、おれが追いかけたら、兄様迷惑かも……」
兄様はおれを見て、ひどく傷ついた顔をしていた。
おれにばれたくなかったのかもしれない。
おれが今、兄様を追いかけたら、余計に兄様を追い詰めてしまう気がした。
だから時間を置いて、兄様が落ち着いたときに……
そう思っていたおれは、次のリディアの言葉に動揺した。
「まだそれほど遠くに行ってないはずっ。身投げする前に止めるわよ!」
「み、身投げっ!?」
話が飛躍しすぎじゃないか!?どうして身投げなんかっ。
リディアはあきれた様子でおれを見る。
「なに驚いてんの。あれの生きがい、あんたなのよ。ソラに嫌われたら生きてる意味ないって思考に至り死ぬ。その可能性は90%だからね」
「は、はあ!?」
おれは兄様のことが今も大好きだけど、仮におれが兄様を嫌いになったとして、どうしてそれだけで死のうとする?理解ができなかった。
兄様は自分のことを完璧な人間ではないと言っていた。おれは兄が完璧ではないことくらい知っている。というか完璧な人間なんて、そうそういない。
でも兄様が完璧でないと僕に好いてもらえない。今までずっとそう思っていたのだとしたら?
鈍器で頭を殴られたような強い衝撃だった。
…おれはなんてバカなのだろうか。
兄様の気持ちにちっとも気づかず、いや考えたことすらなかった。
兄様の力になりたいと願いながら、逆に兄様に重たいものばかりを背負わせてきたのかもしれない。今も昔も兄様は小さな体が潰れてしまいそうなほどの重圧と責務を王から背負わされている。
それだというのにおれは兄様を支えるどころか、さらに完璧な兄という重石を兄様に負わせていたのではないだろうか。
崖に立っている兄様を見たときは、血の気が引いた。
兄様が死んでしまう。おれを置いていってしまう。そんなのいやだ。
さんざん兄を苦しめてきたのは自分だというのに、おれはなんて自己中心的な人間なのだろう。
だけど体が勝手に動いていた。
兄様を失うなんて、耐えられなかった。
「兄様、死なないで~っ」
なかばタックルする形で、なんとかおれたちは兄様を止めた。
「完璧かなんて、どうでもいいっ。兄様がいてくれれば、それでいいんだっ!」
ずっと言いたくて、言えなかった言葉。
言ったら兄様の足枷になるんじゃないかって、胸の奥深くに押し込めていた言葉。
その言葉を、リディアに背中を押される形で、おれは叫んだ。
「……死なないよ。おれは、絶対に死なない」
そう言って抱きしめてもらったことで、ようやくおれは兄様と心が通じ合えた気がした。
これからはおれも兄様のことを守る。
兄様がおれを守ってくれたように、重圧も責務も、おれがいっしょに背負う。
おれは心に決めた。
正妃であるおれの母の髪は灰色。
でも兄様の髪の色は、美しい銀色。
灰色と銀色は似ても似つかない。
おれは兄様と半分しか血がつながっていないことを知っていた。
昔も今も、そのことを気にしたことはなかった。けれど、これでやっと、本当の兄弟になれた。おれはそう思った。
そんなときだった。
いっしょに抱きしめられていたはずのリディアだけが突き飛ばされた。
驚いて兄様を見ると、兄様の顔は真っ赤。
……はい?
嫌な予感がした。
その日は見える日だった。
兄様の青かったはずの海の色は、いつのまにか、ピーチジュースの色に変わっている。
いつもおれや兄様が女子から向けられる桃色と同じ色。
その色は今、兄様から発せられて、まっすぐリディアの方へと向かっていた。
……はい?
リディアは友達だ。
いいやつだ。ほんとうにいいやつだ。あったかいやつだ。おもしろいやつだ。大好きだ。
心のどこかで自分の姉であればいいのにな。そうも、思っていた。
でもさ、思っていただけだよ?
兄様とはほんとうの兄弟になれて、うれしいってさっき思ったけど、リディアとほんとうの姉弟になりたいとは思ってないよ?
頭が痛くなってきた。
どうか、勘違いであってほしい。
そう思うけれど、兄様がリディアを見る目は、まさしく……。
おれは2人にばれないように、小さく息を吐く。
あくまで、空想の話だ。
例えば、仮に、彼女がおれの兄の元へ嫁いだとしたら?
そしたらヴェルトレイア王国のお妃?
目を閉じておれは考える。
想像に時間はかからなかった。
おれの脳裏に浮かぶのは、ぎゃいぎゃいと叫びながら巨大化して王国内を暴れまわる、怪獣リディア。ヴェルトレイア王国が、音を立てて崩れ去り、滅ぶ、そんな音が聞こえた気がした。
……。
一つだけ言わせてほしい。
こんな想像をしてしまう、おれが悪いのではない。
日頃の行いが悪いリディアが悪いのだ。
そのせいで、どんなに頑張っても、最悪な未来しか浮かばないのだ。
ごめん、兄様。国の未来のためにも、兄様には悪いけど絶対に2人を結ばせるわけにはいかない。仮に2人の仲が進展しようものなら、おれは心を鬼にして妨害する。
おれはそう心に決めたのだった。
でも兄様の女の趣味が悪くても、おれが兄様のことを大好きな気持ちはかわらないからね?
そんなわけで、あの日から2日たった今日の夜3時。
おれは今、夜中にこっそりと部屋を抜け出したリディアと兄様の後を追いかけていた。いつも2人が部屋を出ていたのは知っていた。きっと大事な話をしているんだろうなって思っていた。
でも今日からは後をつけさせてもらう。
理由?そんなのおれだけのけ者なのは嫌だし…じゃなくて、夜の間に2人の仲が進展したら困るからだっ。
城に住む使用人たちに愛着はないからどうでもいいが、ヴェルトレイア王国の罪なき民衆が滅んでしまうことは耐えられない。リディアが王妃になれば、その破天荒な気質で絶対に春の国は滅びる。それだけはダメ!
だけど今までおきた出来事を思い出しながら2人のことを追っていたら、2人を見失ってしまった。
どうしよう。暗いし、怖い。
森の木は、どよどよと風に揺れて、まるでおばけのようだ。
心ぼそく思ったときだった。
森の奥から、透明な桃色が漂ってきた。
こういうことはたまにある。溢れ出す人の想いが色となり、遠くにまで漂ってくる。
この色を辿れば人に会えることは、確実だ。
嫌な予感はするもののおれは桃色を辿り、そして見つけた。
そこにいたのはやはり兄様とリディアだった。
桃色が辺りに満ち溢れる中で兄様が微笑み、リディアが困ったように眉を下げていた。「フ、フェロモン~」とリディアはわけのわからないことを言っている。
めずらしい。おれのイメージでは、いつもリディアが兄様を困らせていた。ていうか、何この状況?そう思ったのもつかの間だった。
リディアが兄様の頭をつかむと、勢いよく自身の膝の上にのせたのだ。
……は?
「こ、このフェロモン魔人がぁ~」
「は?ちょ、なに急に!?」
形勢は一気に逆転した。
兄様の顔があせったように真っ赤になり、リディアがにししと笑う。
「あんたの弱点は知ってんのよ。フェロモンをむんむん出しまくる不届きものは、お母さんの母性の前にひれふせぇ!」
「いや、なに母性って?ていうか、また君は勝手に膝枕を…まさかっ、他のやつにもしてるんじゃ!?」
リディアはキョトンと首を傾げる。
「いや、してないけど?する機会もないし」
「よかった。…膝枕はしてもいいけど、僕以外のやつにしたらダメだからね!」
「え。どうして?なんで許可制なわけ?」
「なんででもダメ!」
……見てはいけないものを見てしまった気がする。
おれはげっそりと木にもたれかかった。兄様の桃色にあてられたのか、気分が悪い。
妨害するべきなんだろうけど…うん。無理。
なにも見なかったフリをして、帰ろう。
おれは後退した。そうしたらちょうど一歩足を下げたところに、細い枝が一本あったようで、おれはそれを踏んでしまう。
ポキッ
やばっと思うより先に、頬の横を鋭い何かが通過していた。
はい?
振り返り確認すれば、ちょうどおれの後ろに生えていた木に鋭く研がれた木の枝が刺さっていた。
サーッと血の気が引いていく。
「あれ?ソラ!?」
驚いた兄様の声に反応し前を向けば、リディアの膝の上で目を丸くした兄と目があった。
その手は明らかに、ダーツでも投げたように不自然に上がっていて…うん。兄様がおれの兄様でよかった。敵じゃなくてよかった。
しかしおれは安堵する一方で、兄様の現在の体勢を見て、頭を抱えた。
兄様のことは、尊敬しているし、大好きだ。
それはずっと変わらない。でも…
「兄様、おれに完璧じゃないことがばれたからって…そんな堂々と、膝枕?をされた状態で、おれを見るの…やめたほうがいいと思う」
そう。兄様はリディアの膝の上に頭をのせたまま、おれを見ていのただ。
せめて起き上ろうよ。
兄様は自分が王子だということを忘れているのか?王子は膝枕してもらったまま人と話したりしませんけど!?
「そうよー。あんた、平然としてるけど、ソラに見られて大丈夫なわけ?兄の面目丸つぶれよ?」
兄様の面目丸つぶれにしてるのはお前だろうがぁ!
おれが頭を抱える一方で、兄様はふむふむ感慨深くうなずいていた。
「僕も最初はそう思ったよ。ソラにこれを見せるのはどうかなって。でも10年後くらいにはソラも飽きるほど見る光景になるし、逆に今のうちに慣れておいた方がいいかなって思って」
「うん。アルト、なに言ってんの?」
「兄様それ、冗談だよね!?ていうかリディア、いいかげん兄様から離れろ!」
「え。これ、私が怒られるの!?」
あたりまえだろう。
おれはギロリとリディアをにらむ。
そしたら兄様に怒られた。
もう一度言おう。兄様に怒られた。今まで一度も怒られたことがなかったのに!?
「ソラ。ダメだよ、そんな言い方。リディアは将来、君のお姉さんになる人なんだからね?」
「兄様、お願いだから冗談はやめて」
本気で、頭が痛い。
だが自分の頭を心配する暇を、2人が与えてくれるわけがなく。
「これは膝枕って言ってねー。ソラもする?膝貸すよ?」
ほらみろ。リディアが物騒な提案をしてきたぞ。
「つーかお前今の兄様の言葉にツッコミとかないのかよ!」
「あ。聞いてなかった」
「ちょっと、リディア。僕の話聞いてないってどういうこと?ま、まぁ、そんなリディアもかわいいけど…」
「ん?ごめん。最後のほう声小さくて聞き取れなかった。もう一回言ってくれる?」
「なんなんだ、この無法地帯は!?」
つい叫んでしまえばリディアと兄様が驚いた顔でおれを見ていた。が、ちょっと待て。顔がひきつる。なんか腑に落ちない。なんでおれがそんな目で見られなきゃいけない?
おいリディア、同情のまなざしでおれを見るんじゃない!
「…ソラ。疲れてんのね。ほら、おいで。お母さんが膝枕してあげるよ」
そしておれに両手を伸ばしてくるな!
やめろ。おれは幼児じゃない。ていうかとにかく、やめろ。
兄様が今まで見たことのないような目で、おれを見てきてるんだよっ!?
「お前はおれと兄様の仲を引き裂くつもりかぁ!」
「はあ?ちょっとアルト。あんたの弟、だいぶ狂ってるわよ。早急に膝枕しないと。だからさっさとどいて」
しっしとリディアは兄様を下ろそうとするが、兄様は眉間にしわを寄せて、どこうとしない。話が悪化した。
「やだよ。リディアの膝の上は今後一生僕のものだから絶対にどかない。たとえソラでも渡さない」
「いや、兄様。おれ、リディアの膝なんていらないし、兄様以外に欲しがる人もいないと思うよ」
そうつぶやくおれの声は、おそらく兄様たちには聞こえていない。悲しい。
「なにわけのわかんないこと言ってんのよ。駄々っ子か。あんたがどけないと、ソラに膝枕できないでしょ?」
「それなら僕がするからいいよ。ほら、おいでソラ」
黙っていたら、話がだいぶ飛躍していた。
おれにむけて伸ばすリディアの腕を妨害しながら、兄様がおれにむかって手を伸ばしている。
え。おれ、膝枕してもらうこと決定なの?拒否権はないの?
「ちょっとぉー。ソラに膝枕するなら、起きなさいよ?まさか私の膝の上に寝ころんだまま、ソラに膝枕するつもり?」
「うん」
「ソラ、でっかいハンマー持ってきて。アルトの頭を殴って正気に戻すから」
「僕正気なんだけど」
「いやいや、冗談がきついわー」
「はあ?」
そのまま2人は言いあいを始めてしまう。
「……はぁ」
おれのため息はおそらく2人には聞こえていないだろう。
今はとりあえず、いいや。おれは2人を妨害することをあきらめた。
兄様には悪いが、おれは2人の仲がおれたちの滞在中に進展するようには思えない。リディアは強敵すぎる。
まだ言い合いをしている2人を背にして、その場をそっと去る。
早く部屋に戻って起床時間までの間、寝よう。
ものすごく疲れたからきっとぐっすり眠れる。
明日はきっといいことがあるだろう。
ぐっすり眠れたその日、おれはルルに呼び出された。
いいことなんて、なにもない。
「今日ね、ソラ君にお話があって…」
ルルはそう言いながら、もじもじとおれを見る。
彼女はおれが孤児院に来た時から、すでに桃の色をあたりにふりまいていた女の子だった。そんなルルに感化されて、まわりの女の子たちの色もどんどん桃色に変わっていったように思える。
今も彼女は桃色を背景に立っている。
さて。別におれはルルたちのことは嫌いではなかった。
うっとおしいと感じるものの、彼女たちがおれにむける色はすべて澄んだ色だったから。その素直な色に驚きはしたものの、他の子どもたちに対する想いと同様に、仲良くなりたいとおれは思っていた。
ただついにこの日が来たかとは思う。
彼女がなんの用件でおれを呼び出したのかはわかっていた。
女性に恥をかかせるわけにはいかない。
おれは決めた。
ここはおれから、丁重に断りを入れよう。
「あの…お前の気持ちには答えられない…ごめん」
紳士らしく、頭を下げる。
顔を挙げたら、彼女は涙で顔を塗らせているのだろうか。申し訳ないな。そう思いながら顔を上げたおれは、驚きのあまりぽかんと大口あけてしまう。
だってルルはおれの言葉を聞いて不思議そうに首をかしげていたから。
はい?
「うふふ~。ソラ君ってば勘違いしてるよぉ。私別にソラ君のこと恋愛的な意味で好きじゃないよ?」
「は?」
「私が好きなのは、アルト君だよ?」
「はあ!?」
ルルは困ったように眉を下げており、彼女から発せられる色を見るに嘘をついていないこともわかる。
でも、おれを好きでないのはともかくとして、兄様が好きって、えぇ!?
彼女の衝撃告白を思い出せば思い出すほど、気が動転してくる。だって兄が好きならなんで今までおれに抱き付いてきた!?抱き付くなら普通、兄様だろ!?
「ちょっと待って。じゃあなんで今日、お前はおれを呼び出したんだ?話があるっていうのはいったい…」
「そうそう。お話って言うのはねぇ、ソラ君の力を私に貸してほしくって。そのために呼び出したの」
きゃっとルルはもじもじ体をくねらせて、照れたように笑う。
嫌な予感がした。
だけど聞かずにはいられない。
「ち…力を貸してほしいって、なに?」
「ソラ君さ、今、リディアちゃんに大好きなお兄ちゃんをとられてるよね?さみしいよね?だからぁ、力を合わせて二人を引き離そう?アルト君はソラ君にあげるから、私にはリディアちゃんを頂戴」
ルルはうふふと笑う。
おれもつられて、ひきっつった笑みを浮かべる。
が、
うん、待って。全然意味が分からないんだけど。
「えっと…、ルルは兄様が好きなんだよな」
「うん!」
「なのにリディアが欲しいのか?」
「うんっ!」
笑顔で答えるルルに合わせておれも一応、アハハと笑うが、全然笑えない。なにを言っているんだ、こいつ。
理解できていないおれに気が付いたのか、ルルはふふっと笑った。なぜだろう。腹が立つ。お子様ね、というような目で見られている気がする。
「ソラ君、愛のカタチなんて人によって違うんだよ?そんなに驚かないで?」
「あ、愛のカタチ?」
ルルはほほえんだ。
「私はね、好きな人の好きな相手を奪うのが好きなの」
……は?
おれの思考が停止したのをいいことに、ルルは続ける。
「大好きな人の大好きなものを奪うと、こう…胸が、すごく高鳴るの。背徳感と高揚感が混ざり合った…好きな人のものを奪うからこその、この幸せ。だから私ぃ、今までアルト君が一番大切だったソラ君が欲しかったんだぁ」
6歳児の口からは絶対に聞かないような言葉を聞いてしまった。
目の前がチカチカしてくる。
しかしだからといって、思考を止めるわけにはいかない。
ルルは今までおれが兄様の一番だったから、おれにアプローチをかけていたのだ。つまり彼女は兄様の一番がリディアに変わったため、リディアが欲しいと言っているのだ。そしてそのために力を貸せと、おれに言ってきている。
「あ。勘違いしないでね。もちろん今もソラ君はアルト君にとって1番だよ?でもそれは家族愛の中での1番。私思うの。やっぱり奪うなら家族愛じゃなく、恋愛を奪う方が美しいって。うふふ」
「……。」
人の価値観についてどうこう言うつもりはない。
が、頭が痛いとだけは言わせてくれ。
えーっと。おれ、なんでルルと話してるんだっけ?
「あのさ、一つ質問してもいい?兄様にアプローチするっていうのは、ないわけ?」
ルルは結局兄様が好きなのだ。
ならばおれやリディアよりも、兄を欲するのではないだろうか。
するとルルは、わかってないなーと首をふった。
「アルト君が好きだから、私はアルト君の好きな人にアプローチをするのよぉ。私はねアルト君の絶望した顔が見たいの。大好きな人を私に取られて、私をすごーくにらんで、そのときアルト君の頭の中には私しかいなくなる。彼の中には私だけが存在するの。ね?とーっても、素敵じゃない?」
ルルがうふふと笑ったせいなのか、彼女の周囲の色が変わった。
いや、もともと色は変わっていたが、おれが気づかなかっただけなのかもしれない。
禍々しくも美しい澄んだ、赤紫色に近いピンク色。
それが今の彼女の色だった。
……どうして、おれの周りにはまともな人間がいないんだろう。
頭に浮かぶのは、兄様、リディア、ルルの顔。
おれの苦労は、終わりそうにない。
「じゃ、これからよろしくね?ソラ君」
「丁重にお断りします。ごめんなさい」
「えぇー。ケチぃ」
今後いろんなキャラクターが出てきますが、ソラよりまともな人間は登場しません。
ソラと僅差でまともな人はでてきますが、それでもソラよりまともな人間は出てきません。
つまりソラは、苦労します(笑)




