107.セイラ・ノルディー(10)
煌びやかな廊下に響くのはカツカツとうるさい足音だ。廊下に控えていた騎士たちは私の姿を見て、私がなぜこの場にいるのか、なにをしようとしているのかに気づき焦り始める。そんな騎士たちの制止を振り切り、私は重厚な扉を開けた。
「エリアス、話があるわ」
扉の向こうにあったのは円卓。そこで会議をする大臣たちとエリアス、全員の視線が私に集まる。目の下に隈をつくり、握る拳から血をにじませた、昨日の出産で死にかけた私を、たくさんの目が突き刺す。
私は手に持っていた赤い液体の入った魔法道具を会議室の一角に投げつけた。
ドゴォン
小さいけれど被害は出る程度の大きさの爆発がおきた。結界を張ったのかエリアスや大臣たちに怪我はない。だが会議室は悲惨な姿だ。私はさきほど投げたのと同じ魔法道具をあと5つ持っている。
エリアス、私はお前に話がある。そしてお前に拒否権はない。
「…全員、席をはずせ」
燃えさかる炎を背にエリアスが静かに言った。
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シンと静まり返った会議室の中で私とエリアスはにらみ合う。
「で、俺になんのようだ?」
「エルトを返して」
「断る」
エリアスの灰色の瞳には、やはり私しか映っていなくて…舌打ちする。
きのうエルトを奪われたあのときから。1回目の世界を、神の呪いを受け入れたときから、運命を変える方法をずっと考えていた。
「取引よ」
驚いたように目を瞬いたあとで、エリアスの口が弧を描いた。
「言ってみろ」
「エルトを生んだあの日、私は1回目の世界の記憶を見た。ここは2回目の世界。1回目の世界の記憶をお前に教えてあげる。聞いて損はない、むしろ知らないと後悔することになるわ」
「それでお前は俺になにを望む?」
「エルトを返して」
エルトは人質だ。
私をそばに置きたいがために、逃がさないためにエリアスに利用された。たぶん1回目の世界の私もエリアスにエルトを奪われた。
エリアスのもとにいたがために、エルトは春の王に闇の化身として利用されたに違いない。だから取り返す。まずはそこから、運命を変えてやる。
「…いいだろう。話を聞いてやる」
私は話した。
私が知るすべてを。
16年後に春の王が闇の化身を復活させ、精霊界を人間界を亡ぼそうとしたこと。お前はその力になすすべもなかったこと。闇の化身は光の巫女により浄化され世界は滅びずに済んだが、精霊界を含めた5王国すべてに甚大な被害が出たこと。
ただ一つ。闇の化身の器はエルトではなく正妃が身ごもっているエリックであったと、嘘をついた。呪いをかけた母体から生まれる予定のエリックにも、闇の化身の器としての適性はある。念のため、だった。
すべての話を終えたあとでエリアスは笑った。
「取引は不成立だ」
「なッ!なんでよ!?」
「お前の話には信憑性がない。エルトを取りもどしたい一心でついた妄言に聞こえる」
「ふざけるなッ!」
魔力が暴発して会議室すべてが氷に包まれる。
体がふらついた。クソッ。指輪に魔力を奪われているせいだ。少し魔法を使っただけでこれだ。だけどこのことをエリアスに悟られたくなくて、こんな男に私は屈したくなくて私はエリアスをにらみつける。
「お前と初めて出会ったあの日、私たちは一緒に魔導書を読んだっ。あれに記されていた闇の化身が復活して、お前の治める国を襲うと言っているの!」
「ああ。だがその魔導書はお前が燃やしてしまった」
「っ!」
「お前は真実を話しているのかもしれない。だがそれを立証するものはどこにもない」
室内が、王宮全域の気温が、どんどん低下していくというのに、エリアスは顔色一つ変えずに笑った。
「だいいち、俺が自分にとって都合の悪いことを信じると思うか?」
「クソッ!お前は取引に応じると言っ…」
「言っていない。話を聞いてやると言っただけだ」
「~ッ!」
私が譲れないのと同じように。
エリアスも譲らない。
「安心しろ。エルトには危害を加えない、お前が俺に歯向かわない限りは。約束しよう」
「お前の言葉なんか、信用できるかっ!」
笑みを浮かべて私に小指を差し出すエリアスの手を払い、私は会議室を飛び出した。
「エルトを探しても無駄だ。あれにはお前が見つけられないように結界を張ってある。絶対に見つけだすことはできない」
エリアスの言葉に背を向けて走り出す。
王宮にある部屋を、使用人の部屋から物置まで、すべてくまなく探す。エルトを探す。
なのに、見つからない。見つからない。見つからない。
「セイラ様!探しました!こんなところ、に……」
「うぅ……っぅうう。エルトぉ」
セレが私を見つけるまで、体が動かなくなるまで、私はエルトを探し続けた。
だけど、エルトを見つけることは叶わなかった。
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「セイラ様…その腕に抱えていらっしゃる方はもしや……」
「エリックよ。あのバカ女からもらってきた」
8月。生後1週間のエリックを抱いて部屋に戻ってきた私を見て、セレは絶叫した。
エリアスとの取引が失敗してから4か月、私はエルトを探し続けた。同時に運命を変える方法も探してきた。
偶然だが運命を変えるための先手を打つことはできた。
私はエリアスに1回目の世界の話をしたとき、エルトではなくエリックが闇の化身となることを伝えた。つまり今後、エリアスが闇の化身を復活させようなどと考えた場合、エルトではなくエリックが闇の化身の器として利用される。犠牲になる。私のかわいいエルトは無事だ。
無事だけれど、罪悪感が胸を刺す。
私はこの世界が嫌い。アルトとエルト以外のなにもかもが嫌い。
だけど嫌いだからといって、他者の不幸を望んでいるわけではない。
エリックを正妃から奪ったのは、彼の運命を狂わせてしまった私なりの許されるつもりのない贖罪だった。
私はお前をエルトの身代わりにした、そのかわりに私はお前をあの女から守ってあげる。恋に狂った女に育てられても不幸にしかならない。
正妃の記憶は書き換えた。
彼女は自身がエリックを育てるように私に命令したのだと思い込んでいる。エリアスに愛する息子を奪われたというのに、他人の子を育てなければならないなんてセイラさんかわいそう。正妃はそう思いながら笑っていることだろう。
私、あの女も大嫌いよ。大嫌いだけど…
「私は私の願いのためにエリックを巻き込んだから。そう考えると正妃とやっていることは何一つ変わらないのかもしれない」
「セイラ様…?」
陽だまりの中。2歳になったエリックを寝かしつけるセレの頭を撫でる。
エリックはセレに懐いて、セレもそんなエリックを愛していて。だけど私のせいで、お前はエリックを失うことになるかもしれない。
「セレシア。お前も自分の願いを優先していいんだからね。自分の願いのせいで、不幸になる人間がいたとしても、気にしなくていい。私が私の願いを優先したように、お前もお前の願いを優先しなさい。私はお前を責めたりはしない」
憎み、恨むことがあったとしても、決して責めたりはしない。それは私の行いを否定することになるから。
不安げに私を見つめるセレの頭を少し乱暴に撫でた。




