105.セイラ・ノルディー(9)
「セイラ様、いい天気ですね」
「そうね。あたたかくて、気持ちがいいわ」
アルト、1歳の誕生日おめでとう。
おひさまの下、大きくなった腹を撫でながら私は心の中でアルトに語り掛けていた。
私は今精霊界の第二王妃として生きていた。
エリアスに連れ戻された次の日、目が覚めると私はすでにエリアスの2人目の妻として王家に迎え入れられていた。アルトと引き離された悲しみに、アルトを一人置いてきてしまった罪悪感に涙が止まらなかった。
だけど悲劇のヒロインを気取って泣くのは1日で終わりにした。私はアルトと再会するために、精霊界から脱走することを決めた。
だが人生そううまくはいかない。
私を救うためにエリアスが重傷を負ったという理由から、私はエリアスが回復するまで彼の身の周りの世話をする羽目になった。
そうしてエリアスが回復したと思ったら、今度は私がエリアスの子を妊娠していることが判明し逃げることができなくなった。
「私のかわいいエルト。早く会いたいわ~。あなたが生まれて、歩けるようになったら。こんなところ出て行ってお兄ちゃんとママとエルトと3人で暮らしましょうね~」
「セ、セイラ様っ、精霊王に聞かれたらどうするのですか!?」
「別にどうもしないわよ」
「するんですよ!?これが精霊王のお耳に入ってまたセイラ様が監禁されるようなことになれば、私も身動きが取れなくなるんですよ!?私以外にあなた様を世話する者がいないことわかってます!?餓死しますよ!?」
青い顔をして騒ぐのはセレだ。
セレは私が妊娠7か月のときに、正妃の命令で私を暗殺しに来たウィライアス公爵家の刺客。ちょうど世話係が欲しかったから返り討ちにして私の下僕にしたのだ。
自分の意思がなさそうな子だったから当初は私の命令を聞く良い人形ができたとよろこんだけれど、思い違いだったらしい。全然言うことを聞かない。セレは下僕と言うよりも口うるさい母だ。
「セイラ様。今、なにか失礼なことを考えましたよね。顔に書いてありますよ」
「考えてないわよ。お前を口うるさい母だと思っただけ」
「考えてるじゃないですか!」
外見が1歳の赤ん坊だから流暢にしゃべるのは気持ち悪い。まあ1歳の姿になったのは私のせいではあるのだけど。
ちなみにセレは魔法道具の力で私以外の者には成人女性に見えているそうだ。1歳の幼子が使用人というのはさすがに無理がある。私やエリアスのように保有する魔力量が多くない精霊は、魔法を使わず魔法道具を使うことが多い。不便ね~と私は腹の中にいるエルトに笑いかける。
とそこで、私はセレのなにか言いたげな視線に気が付いた。
「なに?」
「……いえ、疑問に思っただけです。セイラ様は精霊王を嫌悪していらっしゃるのに、あの方との間にできた子は愛していらっしゃるのだな、と」
「辛気臭い顔をしているからなにかと思えばそんなこと?」
「そ、そんなって…」
鼻で笑ってしまうわ。
たしかに私はエリアスが大嫌いよ。私とアルトを引き離して、後宮なんかに閉じ込めて。私が正妃から嫌がらせを受けていると気づいているのになにもしない。
性格の悪いお前のことだ、私が頼ってくるのを待っているんでしょう。誰がお前なんかに助けを求めるか!大っ嫌いよ!
でもね、
「父親がどんなクズのクソでもエルトには関係ないわ。父親のことが嫌いだからって、なぜお腹の子まで嫌わなければならないの?私は、エルトが私の子だから愛しているの」
「セイラ様…」
大きくなった腹をなでる。
私のもとにきてくれた愛しい赤ちゃん。
大丈夫、絶対に私が守る。こんな場所から逃げ出して、お兄ちゃんと一緒に3人で暮らしましょうね。
「早くあなたに会いたいわ」
「来月には会えますよ」
セレがにこっと笑って私と一緒に腹を撫でる。
幸福な時間が過ぎていく。
そのはずだったのに。
「……は?」
「セ、セイラ様!?」
何の前触れもなく、それは私の脳内を駆け巡った。
走馬灯のように。桃色の髪の青年の17年が、一生が、頭の中に流れ込んでくる。そこには成長したアルトもいて、エルトもいて。嫌だ。嫌だ。嫌だ。これ以上見たくないのに、2人が苦しんでいる姿なんか見たくないのに、映像は止まらなくて。エルトは解放されたけど、アルトは死んで…
「い、いやぁぁああああ!」
「セイラ様、しっかりしてください!?セイラ様!?誰か!誰か助けてください!」
「セイラっ!なにがあった!?」
倒れた私をセレが抱き留めて。
真っ青な顔をしたエリアスが走ってきて、私を抱きかかえてどこかへ移動している。
涙がこぼれた。
エルトが闇の化身の器として利用され、アルトが死ぬ。
あの映像は、そうであるはずだった未来の記憶。運命を受け入れられなかった青年が、抗い抵抗して時を遡りこの世界に戻ってきた、1回目の世界の記憶。
時の魔法と禁術。彼の創った時を遡る魔力を魔法にしたのは、力を貸したのは時の精霊である1回目の世界の私。だから私は彼の記憶を見ることができた。
そしてその記憶と一緒に、魔法に込められた1回目の世界の私の後悔が怒りが頭の中を巡り渦巻く。
私のかわいい子供たちが、どうして?なぜなの?なんであの子たちなの!?
1回目の私は、エリアスに閉じ込められていて2人を助けることができなかった。ただ2人が苦しんでいる姿を見ることしかできなくて。そうしたら時を遡る魔法を感じて、力を貸した。時の魔法には私の全魔力を。禁術の代償には私の寿命を。
2回目の世界でのアルトとエルトの幸せを願って、1回目の私は息絶えた。
お願い。誰かこれを夢だと言って。
「セイラ!しっかりしろ!」
「母子ともに危うい!帝王切開だ!」
/////////★
目覚めたとき、目の前には生まれたばかりの銀髪の赤ん坊がいた。
「エルト…」
安堵の息がこぼれた。
ああ、よかった。あれは悪い夢だったのね。だって1回目の世界のあなたは、黒銀色の髪をしていたもの。
すやすやと眠る私のかわいい赤ちゃん。おくるみに包まれているあなたに手を伸ばし、触れ、そして動けなくなった。
銀色だったエルトの髪が、黒に染まったのだ。
うっすらと開いた瞳の色は紅色で……
私は意識を失った。
再び目覚めたとき、私の隣にエルトはいなかった。
誰に言われずともわかった。エリアスが私からエルトを奪ったのだ。
握りしめた拳から血が落ちる。
1回目の世界でエルトは闇の化身となって春の王に操られていた。
闇の化身の器となる者は、呪われて生まれてきた子もしくは呪いをかけた母体から生まれた子。私には誰かを呪った覚えはない。ということは、呪われた。
1人だけ心当たりがあった。
「ウィライアス公爵家は、呪術に長けた家だったわね…あのクソ女ッ」
セレの元主。現王妃。あの女以外には考えられなかった。
呪いとは人の悪意だ。悪意は闇へと姿を変え、体を侵食していき、エルトの髪を闇色に染めた。
「…認めないっ。こんな運命、絶対に認めないッ!」
怒りが魔力に変わって暴走し、ベッドがタンスが壁が扉が部屋すべてが氷漬けにされる。
1回目の世界は、アルトとエルトにとって苦痛しかなかった。
これがあの子たちの運命だと言うの!?なぜ?どうして!?認めない。認められない。私は運命を変える。私はベッドから飛び出した。
でも体が思うように動かなくて、転んで、床に手をついて、その左手の薬指に輝く夕日色の指輪を見て……、気づいた。
「…ハ、ハハ。そう。そういうことね」
昨日まではつけていなかった見慣れない、外そうとしても外せない指輪。この指輪からはエリアスの魔力を、私の行動を監視する視線を、私の魔力を体力を少しずつ奪っていく魔法を感じた。
運命を変えれば、神に呪われる。
乾いた笑いが口からこぼれる。
なるほど、私はもう神に呪いをかけられていたらしい。
1回目の世界を否定し時を遡る魔法を完成させたのだから、本来あるべきはずの運命を変えてしまったのだから、当然のことか。
以前春の王に耳うちされた言葉が脳裏に浮かんだ。
『だから忠告してやる。神の呪いは願いを否定する』
噛み締めた唇から落ちた血が白いシーツに赤い花をつくる。1個、2個、3個…私はそれを握りつぶした。
ええ、お前の言った通りだわ春の王。神の呪いは、運命を変えるために立ち上がった私の願いを否定する。
私はアルトとエルトの運命を変えたい。運命を変えるために自由の身になりたい。
だけどエリアスに監視され、活動するために必要な魔力を体力を奪われた……自由を奪われた今の私では2人を救うために動くことすらできない。願いを否定される。運命を変えることはできない…
「いいえ、諦めないッ。自由なんていらない。自由がなくったって、私は運命を変えてみせる。絶対にッ!」
叫ぶ私の横では窓の外で真っ白な鳥が羽を広げ青い空と踊っていた。だけどその足には鎖が巻き付いていた。青い空で踊ることはできるけど、あの鳥は空を自由に飛ぶことはできない。私と、同じ。
私が神にかけられた呪い。それは束縛。
次はまたリディア視点です。




