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103.セイラ・ノルディー(8)

 前半がセイラ視点で、後半は3人称です。




 夕日色の長い髪が風にのせられサラサラと揺れる。

 白い軍服に――正装に身を包んだエリアスの灰色の瞳は鋭く、だけれども蕩けるように甘く優しく私を映し、嫌悪感に身が竦む。

 こんなことになるのなら春の王を帰すんじゃなかった。


 「…アルトを返して」


 今一番の不安はエリアスが抱きかかえているアルトだ。

 アルト?と最初は眉を寄せたエリアスだったが、私の視線の先にいるのが自身の抱いている赤子だと気づいたらしい。


 「やはりこれはお前の子か」

 「そうよ」

 「俺という婚約者がありながら他の男との子を産むなんて、お前正気か?」


 非難するような目に言葉を詰まらせる。

 たしかに。そこに関しては弁明の余地もない。

 そんな私を見てか、エリアスはため息交じりに息を吐いた。


 「まあいい。これのおかげでお前の居場所がわかったのだからな」

 「それ、どういうこと?」

 「お前の気配がなぜ消えたのかと思えば、そうかこの中に隠していたのか」


 私の問いには答えずにエリアスはアルトの首元で輝く守り石をつつく。

 我慢できずにエリアスとアルトの元へ足を踏み出せば、先ほどまで守り石をつついていたはずのエリアスの手はアルトの首元に移動していた。血の気が引いた。


 「やめて!アルトに手を出さないで!」


 叫べば、怒りのこもった灰色の瞳が私を突き刺す。


 「…そんなにこの赤子が大事か?あの男との間にできた子だからか!?」

 「当たり前でしょ!?でもそれは春の王との子だからじゃない。誰が父親だろうと関係ないの!私と血の繋がった赤ちゃんだから大切な…の……そういうことね」


 なぜエリアスに私の居場所がばれたのかわかった。

 アルトには私の血が半分流れている。つまりアルトには私の気配が半分混ざっている。私の気配は封印したけれど、アルトの気配は封印していない。それを嗅ぎつけてきたわけね、この男は。


 「いい加減私のことなんか諦めなさいよ!」

 「そうか。お前は春の王を愛しているわけではないのか。安心した」


 絶妙なくらいに私とエリアスの話がかみ合っていなくて腹が立つ。

 エリアスも不満げに眉をひそめていた。


 「お前を諦める、だと?そんなことできるわけがない」


 灰色のその瞳は私以外、なにも映していない。

 私が春の国に来てもう1年は確実に過ぎた。1年間、お前は私がいない世界で生きてきた。生きることができた。

 なのになぜ?私は思う。


 「お前は私がいなくても生きることができると、この1年でわかったでしょう。なぜ、私を連れ戻しに来てしまったの?」


 お前はあの日、私が自ら命を絶とうとしたあのときから、私に執着している。私がいなければ生きていけない、狂ってしまうとお前は言っていた。けれど今、お前は生きているじゃない。

 問えば、エリアスは静かに悲しそうに笑った。


 「セイラ、お前は勘違いをしている。お前がこの世のどこかにいると確信していたから俺は今まで生きることができた。この1年間、お前と再会することだけを目的に俺は生きてきた」


 縋るように、恨むように。幸せそうに、苦しそうに。お前の瞳はいろんな感情を見せるようになった。出会ったころとは大違いだ。

 今ならわかる。私がアルトに出会って世界が変わったように、お前の世界を変えてしまったのは私だったのだろう。

 だけど、お前の気持ちはわからない。


 「なぜお前は私を選んでしまったの?私はお前の想いには永遠に応えられない。お前を憎むことしかできないのに」

 「俺とお前は同じで、だけどお互いに抱く感情は違った。ただそれだけの話だ」


 ただそれだけの話。

 言葉では簡単に言えるけど、ただそれだけのことでお前も私も苦しんでいる。お前も私も同じなのに、互いを理解し合えない、向ける感情を受け入れられない。

 だから私はお前が大嫌いだし、私は私が大嫌い。


 「おれも多少の代償を払ってお前を迎えに来たんだ。早く帰るぞ」

 「代償…それは、ウィライアス公爵家の娘と婚姻したこと?」

 「知っていたのか」


 私はうなずく。

 今朝春の王が私に伝えた。お前の婚約者が王になった、と。

 私はそれを聞いて、やっとお前が私を諦めたと安堵した。もしかしたらまた昔のように、書物についての討論をするような仲にさえ戻れるかもしれないと、柄にもなく期待してしまった。しかし現実はそう甘くはない。


 「お前が春の王に見初められたとは思いもしなかったからな。大国に単身で乗り込むには分が悪い。後ろ盾が必要だった」

 「長女と婚姻することを条件に、ウィライアス公爵家がお前に力添えしたというわけね」

 「ああ。彼女を正妃とし、さらに子を儲けることが俺に手を貸す条件だった」


 ウィライアス公爵家の長女。彼女のことは覚えているわ。

 虫も殺せないような顔をした可愛らしい見た目とは裏腹にその性格は苛烈極まりない。幼少期、私をエリアスの婚約者として認めない女子が私に嫌がらせをしてきたが、その主犯が彼女だと知ったときはそれなりに驚いた。

 

 「エリアス冷静になって考えなさい。お前にはもう妻がいる。私が精霊界に戻ったところであそこに居場所はない。私はお前の物にはならないわ」

 「問題ない。お前は俺の第二妃として迎え入れる」

 「なんですって!?」

 

 王族の一夫多妻制が認められていたのは2000年前のことだ。それにそのときは女児よりも男児の出生率が低かったから例外的に認められただけ。現代は一夫一妻制が基本だ。

 それなのに私を第二妃として迎え入れるというの!?


 「もともと俺とお前は結婚する予定だった。妻として迎え入れてなにが悪い?」


 エリアスはさも当然のように言い放つ。

 冗談じゃない。お前に愛でられて一生を終えるなんて絶対に嫌だ。第二妃になるくらいなら、まだ知の一族という名で縛られた方がマシよ。


 「私はお前との結婚を望んでいないわ!私はね、私を好くお前のことが大嫌いなの!だからお前と共にはいかない!私はアルトと一緒に生き…っ!」


 エリアスの手がアルトの首を掴んだ。


 「…そうか。お前が俺と共に来ないのは、これが原因なんだな?」


 音にならない悲鳴が喉を震わせる。エリアスは明確な殺意と悪意の混ざった魔力を持って、アルトの首を掴んでいた。


 「っぃや、やめて!お願い、アルトには手を出さないで!」

 「赤子を殺されたくなければ俺と共に来い、セイラ」

 

 エリアスが私に自身の手を差し出す。


 「…わかるか、セイラ。俺としては、今すぐにでもこの赤子を殺したいんだ」


 手が、体が震える。

 エリアスの目は本気だ。

 アルトと離れたくなんかない。ずっと一緒にいたい。

 でも、それよりも、


 「わかった。お前と一緒に行く。だからアルトを殺さないでっ!」


 私はエリアスの手を取った。

 自由よりも、私はアルトの未来を選んだ。


 「わかっているとは思うが、精霊界にこの赤子を連れて行くことは許可しない」

 「いいわ。お前に殺されるよりはマシだもの。……最後に、お別れの挨拶をさせて」

 「いいだろう」


 エリアスから放たれていた重圧は解かれた。


 「アルトっ」


 エリアスの腕からアルトを奪い取る。

 アルトはすやすやと眠っていた。こんな状況なのに、私は笑ってしまった。


 「ママが大変な目にあっているのに、ぐっすりなのね。ふふ。あなたは将来大物になるわ」

 

 泣きはらした頬に残る涙の痕が痛々しい。痕を消すように、眠るアルトの顔に頬をすりよせる。

 私のかわいいかわいいアルト。私のたった一人の愛する家族。

 ちゅぅっと頬に吸い付けば、あなたはむにゃむにゃと口を動かして。もうアルトに会えないのだと思うと、涙が出た。


 ねぇ、アルト。あなたがお腹にいるときから、私はあなたに会える日を待ち望んでいたのよ。あなたが私の腹を蹴るたびに、うれしくてうれしくて、泣きそうになった。

 あなたのおかげで、私は大嫌いな世界を少しはマシに思えるようになったの。


 アルトの小さくて折れてしまいそうな体を抱きしめる。


 私、日頃の行いも性格も悪いから、あなたが無事に生まれてきてくれるか不安だった。だけどあなたは大きな声で私に生まれたことを伝えてくれて。私そのときに思ったの。あなたはなんてお母さん想いのやさしい子なのかしらって。

 

 「アルト、大好き。ずっとずっと大好きよ。愛してる」

 「…むぅ?」

 

 私の声でうっすらと目が覚めてしまったらしいアルトは、薄目のまま私の指をぎゅっと握りしめた。そしてまた眠りにつく。でもその手は私の指を離さない。力強くつかんで離さない。


 「うぅ…っぅぅ」


 あなたの姿をこの目に焼き付けたいのに。私の目の前はゆがんで、ぼやけて、もうなにも見えなくなってしまった。

 

 ごめん、ごめんね、アルト。私じゃアルトを幸せにしてあげられない。そんなの分かりきっていたことなのに、あなたはこんな私の元に生まれてきてくれた。ごめんなさい、アルト。ありがとう、アルト。

 あなたと過ごせた時間は私にとって宝物だった。


 「あなたを置いて行ってしまうママを…憎んでもいい。でもね、私のことを忘れないでいて。あなたを心から愛している母のことを覚えていて」


 最後まで自分勝手な母親でごめんね、アルト。


 足に、手に、額に、鼻に、頬に、口に。慈しむように、祈るように、あなたを愛していることが伝わるようにキスをおとす。


 「あなたの幸せを祈っているわ。アルト、大好き…よ……」


 私の意識はそこで途絶えた。おそらくエリアスの魔法だろう。

 意識を失った私の体をお前は横抱きにし、私の腕の中で眠るアルトはどこかへ転送する。


 「さて。春の王に挨拶をしに行くとするか」

 

 お前は不敵に笑い、私を抱えたままその場から消えた。


 

////////★



 「ふむ。闇の化身か…」


 春の王が政務室で書類を見ていたときに、それは起こった。


 「へ、陛下っ!大変です!何者かが城内に侵入しました!襲撃を受けています!」

 

 部屋に転がるようにして駆け込んできたのは、自身の影武者だ。

 走ってここまで来たのだろう。不要な脂肪を揺らし、汗を飛ばし、それは政務室を汚す。不快感に春の王の顔が歪んだ。


 「お前に王の影武者としての自覚はあるのか?その無様な姿を城の者たちに見られてはいないだろうな」

 「ご、ご安心ください!裏道を通ってきました!誰にも見られてはおりません!」

 「状況は?」

 「はい!今から10分ほど前、南棟にて小規模な爆発があり、その後東棟、西棟と続いて爆破が起きました。その爆破に乗じて黒づくめの者達が侵入し、現在やつらは我が騎士団と交戦中です」


 春の王は笑う。

 春の国を、しかも王宮を襲撃するとは、ずいぶんと大それたことをする。実行犯はよほどの馬鹿か、それとも…


 「城内に在中している全ての影を使うことを許可する。侵入者は全員生かして捕らえろ」

 「は、はい!」

 

 影武者は春の王の指示に驚きつつも従った。天井で身を隠している自分付きの影に、このことを仲間にも伝え直ちに任務に当たるよう指示する。


 影はこの国の本当の王(春の王)に仕える少数精鋭の暗殺部隊だ。アオもこれに属している。

 そんな部隊を、春の王に付いていた影も含めて全て使って、しかも殺さず生け捕りにするよう指示するなんて侵入者はいったい何者なのか。影武者は恐怖に身を震わせた。


 一方で春の王は、考え込むように腕を組んでいた。


 春の王には懸念があった。

 城内3箇所で小規模ながらも爆破があり、騎士たちは現在侵入者と剣を交え戦っている。政務室は騒ぎがあった場所とは遠く離れた位置にあったが、城全体に軽度ながらも結界を張っている春の王であればすぐに異変に気づいたはずだ。

 報告されてから気づくなど、本来であれば有り得ないのだ。


 春の王は舌打ちをする。影の中で群を抜いて優秀であるアオが帰館するのは明日だ。

 ……間の悪い。


 そう思ったところで、春の王は自身の視界に魔法で染めたまばらな金色がいることに気が付いた。まばらな金――影武者はまだ退出していなかったのだ。

 怪訝に思いそれを見れば、影武者はなにか言いたげな顔でこちらの様子を伺っていた。

 

 「なんだ?」

 「えぇっと、実はもう一件お耳に入れていただきたいことがあって。全然大したことではないのですが…」

 「さっさと話せ」

 「は、はい!実は今、城門前にあなた様の子を産んだと妄言を吐く銀髪の女が来ておりまして。いつものように殺してお…ヒッ!」


 影武者は恐怖でその場に飛び上がった。

 春の王が今までに見たことがないくらいに怒気のはらんだ顔をしていたからだ。


 「その女は今、赤子を抱いているか?」

 「は、はい。銀髪の赤子を。せ、せせせ生後3か月ほどの赤ん坊だそうですッ」

 「チッ。その女をここに連れて来い。女はどうでもいいが、赤子は決して傷つけるな」


 影武者は来室したときと同様に転がるように退出していき、政務室はようやく静寂に包まれた。それは嵐の前の静けさだった。


 この騒動の正体はわかった。

 自分の魔力ではなく神の力を使い古城に張っておいた結界を探ってみれば、驚いたことに結界には穴が開いているではないか。全く気が付かなかったと春の王は笑う。

 あとはもうすぐこの政務室を訪ねるであろう者達を待つだけだ。まあそれも読みが当たっていればの話だが。


 いいのか、悪いのか、読みは当たった。

 

 「お前が春の王か」


 政務室に現れたのは夕日色の髪の美丈夫。

 白い軍服に身を包んだ、愛しい妻を横抱きにしているその男は、精霊界の王子。いや、今日からは……


 「ご即位おめでとうございます、精霊王。ところで、なぜこんなところにいるのですか?奥様があなたの帰りを待っているでしょうに」


 お前には既に正妃()がいる。セイラを返せと春の王が暗に言えば、エリアスは灰色の瞳を細め笑った。


 「ああ、俺には妻がいる。俺()帰りを待つ妻と、俺()帰りを待つ妻がな」

 「ハッ。セイラの言った通りだな。お前、見苦しいくらいに……っ!」


 春の王の視界の端に夕日色に点滅するフェアリー型の精霊が映ったのは、そのときだった。舌打ちをする間もなく、


 ドゴォンッ


 政務室を半壊するほどの大爆発が起きる。

 夕日色の燃えさかる炎と黒い煙。天井は抜けて月の光が差し込む。


 「俺からセイラを奪い去ったからにはそれなりの腕だと思っていたが。あっけなかったな」


 エリアスは鼻で笑った。

 自分とセイラの身は結界で守ってある。

 セイラを抱きなおし、エリアスは精霊界へと帰ろうと足を踏み出した。が、足は動かなかった。否、動かせなかった。


 「ク、ハハッ。不意打ちとは卑怯だな。俺と正面きってやり合うのがそんなに怖かったか?」


 エリアスの目の前には額から血を流しながら笑う春の王がいた。

 それが右手に持つ剣は深々と己の足の甲に突き刺さり、足を地に縫い付けて離さない。

 足が動かないのはそういうわけか。エリアスは笑う。強固な結界を張っているというのに、この男はそれをいともたやすく打ち破った。


 「やはりそう簡単にはいかないか」


 腰に差していた剣を抜き春の王に切りかかる。

 春の王は当然のようにそれを躱し、ついでとばかりにエリアスの右足の突き刺していた剣を抜き取り、右目を狙って突く。が、躱された。エリアスは抱えていたセイラを降ろし、応戦を始める。

 

 「クハハッ!精霊王、答え合わせと行こうじゃないか!我が城を爆破・侵入し、城門前に銀髪の女とアルトを用意した。これらすべて、お前の仕業だな?」

 「そうだ。お前に()()を言いたかったからな」

 「お前の()()は、なかなかに痛かったよ」

 「ぐっ…」


 春の王の振り下ろした剣をいなし切れず、エリアスの体は地に転がる。

 立ち上がり体勢を立て直そうとするエリアスの頭上に落とされたのは雷だ。何の原理かわからないが、春の王の攻撃は結界を貫通する。落雷を躱し、春の王に暗器を投げつけるが、躱された。


 「一つ聞きたいことがある」

 

 両者一歩も譲らない攻防の中で春の王が問う。


 「なぜ、アルトを殺さなかった?」


 エリアスの放った斬撃を春の王が受け止め、打ち返す。打ち返された斬撃は躱さず、代わりに春の王に矢を槍を剣を放つ。が、全て切り捨てられた。エリアスは舌打ちをする。


 「殺してもよかったのか?」

 「もちろん」


 一気に距離をつめエリアスの足をすくい、剣を振り下ろす。しかし剣はエリアスの右肩をわずかに裂いただけだった。固い結界だな。春の王はクツクツと笑う。


 「優秀な駒が欲しくてつくった子だ。あれに情はない。むしろ憎む気持ちしかないな。いつもいつもいいところで、あれは俺の邪魔をする。わざとではないかと疑うくらいにな。セイラも独り占めして…っと」


 鼻先を剣がかすった。


 「なるほど勉強になった。セイラが俺の子を産んだ際には、赤子とセイラは引き離すことにしよう。たとえ血がつながっていたとしても、俺以外の者にセイラを独占されてはたまらないからな」

 「ハッ。精霊王はほんとうに冗談がお上手だ。セイラがお前の子を孕むことはない」

 

 ぶつかり合った剣から火花が散る。

 間近にある敵の次の一手を、春の王は笑いながら、エリアスは冷たい眼差しで伺う。


 「お前が用意したという銀の髪の女は自分がアルトの母親だと思い込んでいるそうじゃないか。罪なき者の記憶をいじるなんて、精霊界の新国王は人の心がないらしい」

 「自分の子を殺そうとするお前には言われたくない言葉だな」

 「殺す?」


 はて?と春の王は首をかしげた。

 

 「俺はアルトを殺さない。なぜそう思った?」

 「憎いのに殺さないのか?」

 「うちは恐妻家なんだよ。俺の(セイラ)はアルトを溺愛している。アルトを殺したら、俺を殺すのだそうだ。だから俺はアルトを殺さない」

 「よかったな。セイラはもうお前の妻ではない。赤子を殺しても殺される心配はなくなった」

 「ハッ。寝言は寝てから言え」

 

 春の王の蹴りが精霊王の腹に入った。


 「ぐっ…」


 春の王に蹴り飛ばされ、精霊王の体が壁に叩きつけられる。

 精霊は人間よりも身体能力に優れている。それだというのに先ほどから春の王の力はエリアス(精霊)を凌駕する。


 エリアスは目前の敵をにらみつける。

 対する春の王は楽しそうに笑っていた。


 「さすが精霊王。若いのにその腕前とは感服する。しかし相手が悪かったな。俺のものに手を出した時点でお前の負けは確定していた。俺とお前とでは生きてきた年数が違……ぐぁ、はっ?」


 言い終える前に春の王の口からドポッと血が零れた。

 尋常じゃないその吐血量に驚いた瞬間、目の前が真っ暗になる。平衡感覚を失い地に足をつけた春の王を見て、エリアスは安堵の息を吐いた。

 

 「たしかに何も策を講じなければ、俺は負けていたかもしれないな」

 「…ごほっ……俺に、なにをした」


 止まることなく溢れ続ける赤黒い血に気道が塞がり、春の王は息をすることも困難となり始める。霞む視界に夕日色を捉えにらみつければ、それは言った。


 「毒だ」

 「なに…?」


 毒を盛られた記憶はなかった。

 毒を塗った剣に切り付けられたことも考えられるが、エリアスに負わされた傷は最初の爆発とこまごまとした魔法のみだ。そもそも己の体には毒に特化した結界を張っていた。だから自分が毒で致命傷を負うわけがない。

 そう考えたところで思い出したのは、いつかのセイラの言葉だった。


 「…ク、ハハ。そうか、最初の爆破か」

 

 セイラが己を殺す殺すと言うから、どうやって殺すのかと春の王は聞いたことがあった。あれは「毒」と答えた。

 『お前は結界で自身の身を守っているけれど、結界で守ることができるのは体の表面だけ。内部は守れないわ。お前、今息をしたでしょう。空気中に毒の粒子を撒いてそれをお前が吸い込めば、ほらすぐに殺せる』


 愛しい妻は似たような話を精霊王にもしていたのだろう。

 くそ。お前のせいだぞ、セイラ。横たわる銀色の髪の愛しい女を恨めし気ににらむが、彼女はぴくりとも反応しない。ぐっすりと眠っている。


 「そうだ。爆破と同時に毒の粒子を撒いておいた。ああ、安心しろ。強力な毒だっただけに少量しか手に入らなかった。毒の空気はこの政務室にしか蔓延していないだろう」

 「待っ…げほっ……」


 あれはもうすぐ死ぬな。

 春の王の足元には血だまりができていた。手首が浸かるほどまであるそれは、すべて春の王の血だ。

 とどめを刺すまでもない。エリアスは春の王に背を向けた。セイラを抱きかかえ、今度こそ精霊界へと帰ろうとしたところで、


 ドゴォンッ


 背後で爆発音がした。


 振り返ればそこには赤黒い炎を背に立つ、血だらけの男がいた。

 その男は血にまみれた顔で、不敵に笑っていた。

 

 「セイラを返せ。それは俺の女だ」

 「返すつもりはもちろんないが、仮にお前にセイラをくれてやったところで無意味だろう。お前はもう死ぬ」

 「……ク、ハ、ハハハハハッ」


 エリアスの言葉を聞いた春の王は、なにがそんなにおもしろいのか腹を抱えて笑い始める。ごほごほと血を吐きながらもその男は笑うことをやめようとはしない。気味が悪い。


 「相手が悪かったなぁ、精霊王。俺は死なない」


 春の王はそう言って、血だまりの中に倒れた。

 しかしエリアスは気づいていた。倒れる、その顔が見えなくなる直前まで、春の王の瞳は死んでおらず、その瞳に目前の敵(自分)を映していたことに。


 「…かはっ……」


 しかしエリアスは、自分の腹に穴が開いていたことには気づかなかった。

 背から槍のような形状の氷が突き刺さり、自分の腹を貫通していた。よくよく見れば倒れた春の王の指からは冷気が出ていた。


 「チッ。セイラ、お前は厄介な男ばかりに好かれるな」


 貫通した氷の槍は抜かず、突き刺さったままセイラを抱え精霊界へと転移する。

 転移先は王宮だ。


 精霊界の新国王として、明日の朝挨拶をしたいと(前王)には伝えていたため、王宮には前王、前王妃、正妃、大臣、騎士団、国民全員がそろっていた。その全員が血だらけの己の姿を見て、抱く元婚約者の姿を見て目を丸くする。

 エリアスは血相変えて駆けつけようとする医師達を目で制した。


 制止が効いているうちに、周囲の者たちが我に返って自分を運ぶ前に、自分が倒れる前に、エリアスは声高々に宣言した。


 「行方不明であった我が婚約者は人間界の王に囚われていた。よほど辛い目に遭ったのだろう。彼女は私の顔を見た瞬間安堵し気を失った。今も目覚めない。私は彼女を愛している。彼女もまた俺を愛している。もう彼女を失いたくない。よって彼女――セイラ・ノルディーを第二王妃として迎え入れることを決めた。異論は認めない。彼女との婚姻が許されないのであれば、私は王の座を辞する所存だ!」


 シンと静まり返ったのは一瞬のこと。静寂はすぐに歓声へと姿を変えた。

 出発したときは暗かったはずの空には青空が広がっていた。







 

 余談ですが、城門前でアルトを抱いて春の王の子を生んだと言っている銀髪の女性が、1章.春の国の兄弟のアルト視点で登場した女性です。


 彼女は魔法で記憶をいじられ、自分がアルトを産んだと思い込んでいます。ですが性格はいじっていませんので、彼女の性格がクソなのは元来のものです。

 エリアスももうちょっとマシな人間を選んでくれたらよかったんですけどね。アルトが幼少期この女性にどんな目に合わされたか知ったら、セイラさんブチギレですよ。春の国も精霊界も亡ぼしちゃいます。


 ちなみにこの女性、アルトが3歳のときに階段から落ちて死ぬのですが、もちろんただの不幸な事故ではありません。春の王の命令で処分されました。


 なぜすぐに女性を処分せずにアルトが3歳のときに女性を殺したのかというと、まあ特に深い理由はありません。実を言うと春の王、この女性の存在忘れてたんですよね。

 だって身体が14歳になっちゃいましたし、次の器を作らなくてはいけなくなりましたし、そもそも戦争中だし、自国に反乱軍とかいるし、エリアスに爆破された城の修繕しなくちゃいけないしで、かなり忙しかったんです。


 それで意図せず、女性の処分を放置していたんですね。アオに、あのクソな偽物女をいつまで王宮に置いておくつもりだ?って文句言われてようやく存在を思い出しました。で、処分したという流れです。アオ兄ちゃん様様ですね。

 

 次はリディア視点です。



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