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14.アルト・ヴェルトレイア(アルト視点)(2)



 孤児院にて身を隠せ、と指示されたのは僕が7歳の誕生日を迎える1週間前のことだった。


 激化した戦争の被害は王都にまで及んでいた。ヴェルトレイア王国――春の国の中で唯一被害を受けていなかった王都も、もはや安全であるとはいいがたい。そんな状況にあった。

 そこで王は考えたのだ。王位継承者を、跡継ぎを逃がそう、と。


 だがそれは表向きの話だ。


 あの王がこの国の、否、我が身の保身だけを理由に僕たちを逃がすとは思えなかった。

 僕の予想は当たる。ちょうど王がその命令を僕とソラに下したとき、戦争の真っただ中であることを利用し、反王国組織――反乱軍の動きが活発になっていた。

 戦争だけでも大変だというのに、反乱軍の動向にも注意を向けなければならない。春の国は窮地に立たせられていた。


 王は言葉、顔には出さないものの、現状に憤りを感じ、どう打開するべきか考えていたのだろう。

 そこで思いついたのだ。

 僕とソラという、いい餌があるということを。


 世継ぎ(王子)さえ殺せば、春の国は途絶える。

 その幼い世継ぎはたった2人でこれから孤児院へと向かう。

 反乱軍にとっては格好の機会だ。今、この時を逃し、世継ぎ(王子)を殺さずして、いつ殺す?殺せ!殺せ!殺せ!と、ね。


 失敗は許されない。やつらは組織の大半を連れ、僕らを殺しに来るだろう。

 つまりその間、王都に対する反乱軍の攻撃は止む。反乱軍に割いていた時間、兵力、すべてを戦争に充てられるのだ。

 王のことだ。今頃我が国を蹂躙していた敵を、少数となった反乱軍もろとも一掃していることだろう。


 その頭脳で王となった男だ。

 腹立たしいが、やつの読みは正しく、作戦は成功した。


 僕たちは反乱軍に襲われた。たった2人の子ども相手に体格のいい大人たちが100人。大人げなくて、いっそ笑ってしまう。

 もちろん、すべて返り討ちにしたから問題はないのだが。

 襲われたのが夜で、ソラが寝ているときでよかった。

 ソラにはこの国の闇は見せたくない。あの王のことだ。僕が敵をすべて返り討ちにすることも計算の内だったのだろう。


 やつの手の上で踊らされていると考えると、なんとも腹立たしくなる。

 ああ、嫌だ。

 この世で信じられるのは、自分とソラしか、いないのだ。


 でもそれでいい。

 僕の願いはただ一つ。

 ソラと2人で、ずっといっしょにいること。

 それが叶うならば、僕はどんなことにだって耐えるし、なんだってしてやる。僕の願いを壊すものがあれば、壊されるまえに、壊してやる。



 そんなことを思っていた矢先の出来事だった。

 僕の小さな願いを壊す、一人の少女が現れたのは。


 「うっさいバカ!」

 「ば、バカ?」


 思考が停止した。

 その女は二日前まで寝込んでいた、新しく孤児院へやって来たリディアというソラと同い年の少女だった。


 僕のかわいいソラをぶん殴った恐ろしい女。

 どうやって殺そ……いや、とにかくどうしてやろうかと考えていたら、バカよばわりされた。


 この僕に、バカだと?

 彼女の行動が全く読めなくて、僕は混乱した。


 そうして気が付けば孤児院の中を案内することになっており、僕とリディアの間には満面の笑みを浮かべるソラがいたのだ。はあ?

 そしてソラはなぜかリディアが気に入ったようで。彼女に、僕だけにしか見せないはずの笑顔を見せていた。

 サァーと血の気が引いた。



 完璧な僕はソラの不利になるようなことはしない。

 絶対にしない。


 僕が犯人だと特定されるようなへまはしない。しかし孤児院で殺人事件が起きれば(リディアを殺せば)、ソラは怯えるだろう。ソラを怖がらせることは本意ではない。

 だから、殺さない。我慢する。頑張って、我慢する。

 なによりソラのお気に入りのリディアが死ねば、弟は確実に悲しむから。我慢する。


 リディアを殺さずに、さて、どうやってこの女を僕とソラの目の前から消そうか。寝る間も惜しんで僕は考えていた。というか睡眠をとるということを忘れていた。




 僕と彼女は、相当相性が悪いらしい。


 「…あ……今日は星がきれいですね」

 「今、曇ってるよ」

 「…わあ。ほんとだ、じゃあおやすみぃ」


 彼女が現れてから一週間がたったときのことだ。

 彼女に日頃のうっぷんを晴らしているところを見られた。

 どうしたものか。

 取りあえず僕は回れ右して帰ろうとしていた彼女を止めた。


 「待って。夜はまだ長い。僕とちょっとお話しようか」


 半べその不細工な顔に、僕はほほえみかける。

 どうしてやろうかな。まあこの様子であれば脅すだけで十分そうだ。


 僕の読みは外れた。


 脅してどうにかなるほど、この女は簡単ではなかった。

 なにせソラを殴って僕をバカ呼ばわりした女だ。簡単なわけがなかった。


 「でも、ばらさないかわりに、私と取引して!」

 「……ふーん」


 おもしろいじゃないか。

 目の前の女は、ガタガタと青い顔で震えている。

 にもかかわらず、挑むように笑い、この僕に取引を持ち掛けてきた。


 どこまでも予想を裏切る女。

 引きどきも判断できないその無知な勇気に敬意を表して、取引内容だけは聞いてあげよう。

 彼女のことだ。どうせまた、僕が予想もしないような取引内容を持ち掛けてくるのだろう。


 「あのね。取引内容は、簡単。あんたはイライラしたら、木に八つ当たりしないで、私に愚痴をこぼしなさい!」

 「……は?」


 彼女の持ちかけてきた取引はほんとうに予想できない、意味の分からないものだった。

 僕の愚痴を聞く?

 またも思考が停止する。


 気付けば彼女の震えは止まり、青ざめながら笑っていた顔は挑発的な笑みに変わっていた。


 どんどん彼女のペースにのまれていく。

 いつも相手を自分のペースに持ち込んでいく側だったから、彼女のペースから抜け出せない。抜け出し方がわからない。

 こんなにもことがうまく運ばないことは、初めてだった。


 しかも彼女の取引の理由が正当なものであったため、反論もできない。


 愚痴を聞くというのは建前で、この女の目的は僕に取り入ることか?そう思い聞いてみたが、ひどい顔をされた。違うらしい。こんな女に好かれたいわけではないが腹立つ。


 くそっ。結局、この女が僕の愚痴を聞く本当の目的ななんだ?


 「――愚痴を聞く中でどうやってあんたと友達になろうかってことくらいで…あ。眠たすぎてばらしちゃった――」

 

 ……は?

 睡魔が僕の味方をしたのだろう。

 彼女は愚痴を聞く理由を話した。


 が、なんだと?僕と友達となりたい?彼女はいったい、何を言っている?

 僕は混乱した。


 「ねぇ、君自由過ぎない?しかも企んでるし。ていうか君、僕と友達になりたいの?」

 

 眠たげにふらふら縦横に揺れる女に聞くが、ああ、だめだ。この女、白目をむいている。絶対に話を聞いていない。案の定、声をかけるも適当な返事しか返ってこない。

 睡魔が味方になってくれるのは一回だけだったようだ。


 意味が分からない。

 僕と友達になりたいだなんて。いったいなにが目的だ?

 僕が王子であることはばれてはいないはずだから、金や権力が目当てではない。それじゃあ顔か?それともソラとさらに親しくなるために僕をだしに使おうというのか?

 

 考えていたから、とっさの反応ができなかった。

 

 「あー、うるさぁいー」


 気が付けば、彼女の顔が目の前にあった。

 ぎょっとする。ソラ以外でこんなにも顔が近づいたのは彼女が初めてだった。


 そうして彼女は僕の体調管理について、いいだけ言うと眠りに落ちてしまった。

 なんなんだ、この女。


 ソラは羽のように軽いのに、この女は鉛のように重たい。

 なんでこんな女を僕が背負っているのか。

 何十回目かのため息をこぼしながら、僕は孤児院に向かって歩いていた。


 人のパーソナルスペースに、ズカズカと入り込んでくるこんな女、大嫌いだ。関わりたくもない。それなのに、明日から彼女に愚痴をこぼさなければならない。取引に応じてしまったから。最悪だ。

 僕はまた、ため息をついた。





 愚痴を聞きたいというから愚痴とソラのかわいい話を特別に聞かせてやっていたら、理不尽にも怒られ1日置きに愚痴を聞くというルールになった2回目の日のことだ。

 

 眠たかったからだろう。


「……完璧じゃなかったら、僕が存在できないからだ」


 僕は普段ならば絶対にいわないような話を彼女にしていた。


 なんでこの女にこんな話をしているのか。

 自分でも疑問に思うが言葉は止まらなかった。

 

 きっと彼女はそんな僕を見ていつものように笑うか、バカにするか、どちらにしても不愉快な態度をとるのだろう。

 目を開けることすらつらい今の自分では、彼女の顔を確かめることはできないが、どんな表情をしているかは容易に想像がついた。


 だから僕は彼女をにらみつけた。

 絶対に鼻の穴を大きく広げて、バカにしたように笑っているに違いない。

 そう思っていたから…驚いた。

 

 「……少なくとも、私はあんたが完璧でなくても嫌いにはならないから――」

 

 は?

 眠たくて開くのも億劫だった目は、自然と開き、その瞳に金色の髪の少女を映していた。


 少女はまっすぐな目で、僕を見ていた。

 笑ってなどいなかった。

 

 「え。ちょっと、どうしたの?」


 驚いた少女の声。ぎゅっと心臓がつかまれたような気がした。

 脳裏にはあの女性の姿が浮かぶ。


 『完璧でない限り、あんたは誰からも愛されないっ!』


 でも彼女は言った。


 『私はあんたが完璧でなくても嫌いにはならない』


 ざわざわと胸の奥が揺れる。苦しい。


 ほんとうに?完璧でなくても、嫌いにならないの?

 

 そんなことを思ってしまって。ハッと、我に返った僕は思わずそっぽを向いた。

 そんな僕の様子を見て冷やかす彼女に僕は心にもないことを言ってしまう。


 どうせ彼女のことだ。これに対してもなにか反論をするだろう。

 そう思っていたのに彼女は「おい」というだけで何も言わない。落ち込んでいるのか?

 彼女が何か言えば僕も先程の発言は本心ではなかったと、言ってあげることができたというのに。彼女は惜しいことをした。勝手に勘違いをして落ち込んでいろ。


 彼女が悪い。そう思うのに、なぜだか、僕の心の中はざわついた。


 きっとすべて眠たいせいだ。


 だけど、眠たいだなんて認めない。自分でも矛盾していると思うけど、認めるわけにはいかなかった。認めたら負けな気がしたのだ。だから彼女の「眠いでしょ?」という言葉は適当にいなした。

 それがいけなかったのかもしれない。


 視界が反転していた。

 え。と驚く暇もなく、自分の頬に柔らかい感触を感じる。


 彼女の膝の上へ顔を押し付けられている、ということに気付いたのは、数秒後。

 眠気なんてものは一気に覚めた。


 「なっ。嫁入り前の淑女が何やってんの!?」


 リディアは怪訝な顔をしている。

 何だこの女?恥じらいはないのか!?


 その後も僕は抗議をし彼女から逃れようとするが、眠たいせいで力が入らず、離せ、離せともがくことしかできない。屈辱だ。あとで覚えていろ。

 結局のところ僕は彼女の口車にのせられ、膝枕をされたままいつもと同じように愚痴やソラの話をしていた。今回は僕の負けだ。


 だが負けるのは今だけだ。


 頃合いを見て寝たふりをしてリディアも眠りについたところで、彼女を置いて一人で孤児院に帰ってやる。最終的に勝てればそれでいいのだ。卑怯?なにそれ?

 クツクツと心の中で笑いながら僕はソラの話をし、彼女を騙すため瞼を閉じたのであった。


 僕が寝て(寝たふりをしてから)から、数分。

 リディアは意外にも眠らない。昼はばかみたいに寝ているというのに、どうして本来寝るべき時間に寝ないのか。それとも僕のたくらみがばれてしまったか?

 そんなことを考えていたときだった。

 

 「こうして私の膝の上でおとなしく寝ていれば、アルトもかわいいのに」


 彼女はそう言うと僕の頭をなで始めたのだ。

 胸の奥がざわっと震えた。

 自分の頭に乗る手を反射的に払いたい衝動に駆られる。が、意外にも体は勝手に動かなかった。むしろ頭を撫でられるという行為を受け入れていた。


 なぜだ?胸の奥はまだざわざわと揺れているのに、嫌な感じはしない。リディアという名のこの女はやっかいだが…、無害であるということをこの5日間の間に知ったからだろうか。


 「それにしても、髪の毛やわらかいのね~」


 いや、有害である。

 人の頭をおもちゃのようになで繰り回して。この女、確実に楽しんでいる。

 ていうか男にかわいいって言うな。

 かわいいと言われて喜ぶ男なんてそうそういない。リディアは男心がわかっていない。顔だけ良くても意味がない。絶対、彼女は将来、嫁に行き遅れるだろう。


 そのときはせいだいに笑ってやる。

 そう思っていたときだった。


 「安心して、アルト!私、あんたに最高の友達をつくってあげるわ!」


 ぎゅっと心臓をつかまれたような衝撃のあとに、胸の奥にどろどろとした暗いものが広がった。

 

 なぜ先ほどの独り言から僕に友達を作る話に変わったのか。

 そんな疑問もあるのだが、そんなことよりも一番、頭の中を占めていたのは「どうして?」という感情。


 自分から僕の友達になりたいと言ったくせに。

 なぜ彼女は僕に自分以外の人間(友達)をあてがおうとする?


 彼女は僕と友達になりたいのではないのか?他の人間と僕が友達になってもいいの?

 胸の奥でなにかがぐつぐつと煮えるような気持ちだった。

 やはり自分は眠たかったようだ。眠たいから、きっと、胸の奥が痛むのだ。

 仕方がない。

 今はおとなしく寝るとしよう。


 エイエイオー!という声がひどく耳障りだったという記憶を最後に、僕の意識は夢の中へと落ちていった。



 それは翌日。

 僕のかわいいソラが、女に狙われているということをリディアに相談した日のことだった。


 頼みごとをしていたはずなのに、僕たちはなぜか頬のつねり合いをしていた。

 そのときだった。


 「言ったな、お前!それなら私だって、アルトのこと顔だけしか取り柄のない、孤独死必然、哀れなブラコンとしか思ってないからな!こんなことしてたら、ソラに嫌われちゃうんだからね!」

 「なっ……」


 グサッと、鋭利なもので刺されたような痛みを胸に感じた。


 顔だけしか取り柄のない、孤独死必然、哀れなブラコンとしか思っていない…思っていない……思っていない………


 その言葉が頭の中で繰り返し再生される。

 いままで完璧を目指しあらゆる訓練をしてきて辛い、痛い思いをたくさんしてきた。

 だが、今の痛みに比べれば、どれもさほど痛くはなかった。


 ソラに嫌われちゃう。

 その言葉よりも、なによりも、リディアの自分に対する印象にショックを受けていた自分がいた。


 なぜここまで衝撃を受けているのか、自分でもわからない。たかがリディアの言葉なのに。


 「傷つくくらいなら喧嘩吹っ掛けないでよ、弱虫!」

 「よ、よわっ!?」


 その言葉にさらに衝撃を受けた。普通そこは僕に謝るよね?

 なぜリディアの言葉一つに、こんなにも動揺させられなければいけないのか。不本意だが、体は素直だ。ざわざわと心が揺れて、目の前まで揺らいでくる。


 そうしたところでようやく彼女はやさしく接してきた。

 だが今更やさしくされたことに、なぜだかむしゃくしゃした。自分ばかりが動揺させられて、バカみたいだ。


 「そんなの知らない。とにかく、ソラを女どもの毒牙から守ってよ」


 せっかくリディアが優しくしてくれているというのに、ついつい子どものような態度をとってしまう。こんな自分、完璧とは程遠いのに。なぜか彼女の前では、考える前に言葉が、感情が、勝手に出てしまうのだ。


 

 「――私が来る前みたいに、メロメロフェロモンでも出しておけばいいんじゃない?得意でしょ?」

 

 このときも、言葉が勝手に出ていた。


 「……僕が、好きで女子たちを落としているみたいに言わないでくれない?」


 リディアはそんなつもりで言ったのではない。たぶん心のどこかできちんと理解していた。でも、ムフフと笑いながら言う彼女に、無性に腹が立ってしまったのだ。


 リディアは僕が他の女の子と親しくしても平気なの?

 友達になりたいって言ってきたくせに。って。

 だって僕だったら、仮に友達と呼べる人間ができたとき、その友達が自分以外の人間と仲良さげにしゃべっていたら許せない。君の友だちは僕でしょ?って思う。


 不思議そうな顔で、僕のことをじっと見つめてくる、リディアの視線が痛い。


 胸の中がざわざわと揺れる。

 僕は彼女から顔をそらした。

 そしてこんなときほど、感情が先行して、言葉が勝手に出てしまうのだ。


 「僕は、好きでもない人間から向けられる好意なんて、虫唾が走るくらい嫌なんだ。だからソラのためでなければ、僕は彼女たちを惚れさせたりはしなかった」


 ああ。ほらやっぱり。

 言ってから、僕は後悔をする。


 どうして彼女には自分の胸の内を教えてしまうのか。

 こんなことを言ったら、自分の本性を明かし続けてしまえば、嫌われてしまうかもしれないのに。


 ……え?僕は、彼女に嫌われたくないの?

 

 疑問に思ったところで、彼女はタイミングよく口を開く。


 「アルトの言い分はわかったよ。ようするに、アルトは私が勘違いをしていると思ったわけね。アルトが女子を自分に惚れさせて、喜んでいる、って。本当は女子に好かれるのが嫌なのに。安心しなさい。私はあんたのことを、人の心を弄ぶクソブラコン野郎としか思ってないから」

 

 リディアはそう言ってニカッと笑う。

 彼女の笑顔は、嫌いではない。

 バカみたく口角をあげて目頭をさげるその顔は、滑稽にも見えるけどなぜか胸がぎゅっと締め付けられるから。この胸の痛みは、嫌いでは、ないから。


 

 遠くからリディアを見つめる視線に気が付いたのは、僕が彼女に「君に勘違いされる方が…ずっと嫌だった。どうして?」と質問をしたときだった。


 それは孤児院のリディアが夜中に遊んでいる、男の友達だった。


 彼らはボールをもって、リディアのことをじっと見ていた。リディアはまだ彼らに気づいていない。人の視線にも気配にも、いろんなことに、彼女は鈍いのだろう。

 

 あの男たちはいつもリディアを見ている。

 ソラを守るべく使っていた視野に、最近はリディアも()()()に入れてあげたから、気付いた。


 それを見つけると、いつも、血液の中にざらざらとしたものが混ざって体を巡り始める。

 頭の中には砂嵐が流れる。

 ようするに、不快だ。


 「おーい。リディアー。今暇なら、いっしょにドッチボールしようよー」


 リディアが気づかないことに業を煮やしたのか、彼らはリディアに向かってわいわいと手を振る。

 あえて僕に声をかけないのは、僕が遊びには積極的に参加しないと理解しているからだろうか、それとも…牽制?

 

 リディアは遊びたそうに、そわそわと揺れている。

 そしてキラキラ目を輝かせて、僕を見るのだ。僕がどんな気持ちかも知らずに。

 だから体が勝手に動いてしまう。

 リディアが気づかないから。


 「アルトー。私、ちょこっと、みんなと遊んでく…」

 「君、作戦の言い出しっぺのくせに、放り出すつもり?」


 遊びに行きたそうにリディアはあうあう唸っているが、僕は笑顔でそれを止める。そしてその笑顔をリディアを待つ男の子たちにも向ける。


 すると彼らは四方八方に散っていった。

 リディアはその様子を見て口を開けて驚いていた。

 これで彼女もわかっただろう。君を置いて逃げるような奴らは君の友達にはふさわしくない、ってね。





 

 お花を摘みに行ってくると言って消えた彼女と別れ、一人河原に座っていた時のことだった。事件は起きた。

 

 ぽとっ


 それは何の前触れもなく、僕の顔面へと落ちてきた。

 八本の足の、黒い塊。

 全身に寒気が走る。

 幼いころの記憶がフラッシュバックする。


 「うあぁぁぁぁぁぁああ!」


 気が付けば叫んでいた。


 結局その後やってきたリディアにクモをとってもらい僕は事なきを得た。が、屈辱だ。クモが苦手だということがこともあろうにリディアにばれた。バカみたく叫び、あげく抱き付いてしまった。


 きっと彼女は僕に幻滅したに違いない。

 爆笑しているに違いない。


 でも。そう思いながらも。心のどこかで、彼女が慰めてくれるだろう、いつの日かのように頭を撫でてくるだろう、と考えていた。

 僕は知っていたから。彼女は人の弱みを笑うような人間ではないということを。

 だから彼女がただ隣に座ってきただけのあのときは、心臓が痛くなった。

 どうして?


 「なによ?」


 そんな僕の気も知らずに彼女は怪訝に顔をゆがめる。

 

 「……どうして今日は、なにもしてこないんだよ」

 「……へ?」


 いつものように、言葉は勝手に出ていた。


 「僕が、クモが苦手だから?クモが苦手だなんて、完璧じゃないもんね。完璧じゃない僕なんて、頭をなでる価値もないと…見限ったんでしょ!?」


 あれだけ、友達になろうって口説いてきたくせに。

 クモごときで慌てふためく僕なんて友達になる価値もないと、彼女は僕のことを見限ったのだ。そうに決まっている。

 そうして彼女も僕のことを置いていくのだ。去ってしまうのだ。

 そして他の男に「友達になろう」と笑いかけるんだっ。

 完璧でない僕なんて、誰も、必要としてくれない。愛してくれない。


 きっと、今黙っているのも、どうやって僕と決別しようか、その策を練っているから。

 だからっ……


 「なに?あんた、もしかして頭なでてもらいたかったの?」

 「……え?」


 その顔は僕を見下したようなものでもなく、ましてや厄介者を見るようなものでもなく。リディアはまっすぐに僕を見つめていた。


 ぎゅっと心臓が痛くなる。

 彼女の顔を見るだけで、心臓が苦しくなった。

 自分でも自分が分からない。


 困った僕は彼女の顔を見ないようにするため、うずくまった。

 そんな僕の頭を彼女はやさしくなでる。


 まただ。また、心臓が痛い。心拍数が上がる。


 「僕がクモ、苦手だから…笑ってるんでしょ」

 「あはは。なにそれ、違うけど?」

 「嘘だ。じゃあなんで笑ってるの?」

 「アルトがバカだから」

 「なにそれ、意味わかんない」


 リディアの笑う声はあたたかくて、やさしくて、ぎゅっと心臓がつかまれる。

 痛い。痛い。痛い。


 「僕のこと、見損なって…離れていくんでしょ?いいもん。君なんて、離れていったところで、痛くもなんともない。せいせいする」


 嘘だ。

 ほんとうはそんなこと思っていない。


 だが気持ちに反し、僕は彼女を試すような言葉ばかりを述べてしまう。

 こんなことを言っては今度こそ、彼女は離れていってしまうかもしれないのに。


 そう思ったら、心臓がさらに痛くなって、僕は彼女の手をつかんでいた。

 言葉も体も勝手に動く。

 ほんとうに、自分がわからない。


 「離れてかないよ?友達だもん」


 目の前が揺らいだ。

 じりじりと胸の奥が焼けるように痛くなる。

 たった一言なのに。どうして僕は、彼女にここまで動揺させられるのだろう。







 恋愛チェックとやらをするはめになったのは、リディアのせいだ。


 僕はソラとのんきにしゃべるリディアをにらんだ。

 彼女のせいでめんどうなことに巻き込まれた。

 ソラをじっと見つめる女たちの視線がとても不愉快だ。その視線に交じって僕を見てくる目や、遠くからリディアを見ている目もある。とにかく、不快だ。


 「じゃあ、これから6つのイエス・ノーの質問をするから、イエスの数を数えていってね!」


 気付けば始まっていた。


 「それじゃあ、1つめ!ついつい意地悪をしてしまう人がいる」


 意地悪……。

 リディアを見ていると、なぜだか胸がざわついて、頬をつねってしまうことがある。もしこれが意地悪に当てはまるのであれば、イエスだ。


 「2つめ!気が付いたら目で追っている人がいる」


 これもイエスだ。

 ソラを目で追うことは当然ながら、最近ではリディアも見てやっている。

 一応、リディアはソラの友人であり、僕と友達になりたいと言ってきている人間だから。彼女に近づく不審な者がいないか、いた場合、気が向けば守ってあげようと思っている。だからいつも目を光らせて彼女を見ている。


 「3つめ!近くにいると、どきどきしてしまう人がいる」


 ……このどきどきというものが、心拍数の上昇を言っているのであれば、腹立たしいことに僕はいつもリディアにどきどきさせられている。だから、イエスだ。


 「4つめ!その人が異性と仲良くしているのを見ると、腹が立つ。異性って、なぁに?」


 これはもちろんイエスだ。

 ソラに近づく女どもは、殺してやりたいくらいに腹が立つ。


 …リディアに近づく男たちも、腹立たしい。

 彼女が友達になりたいと言ってつきまとってくるのは僕だけなのに、そのことに気づかずにリディアを遊びに誘う彼らを見ていると、イライラする。

 まあ一番腹立つのは、僕とソラがいるにもかかわらず、他のやつらと遊んで、ヘラヘラと楽しそうに笑っているリディアだけど。



 さて、リディアが子供たちに異性という言葉の意味を教えている間、わずかな時間だがブレイクタイムとなった。


 そこで僕は自分の回答を整理する。

 だが整理するのに時間はかからなかった。

 だって僕は今のところ、すべての回答がイエスだ。

 それは別に、いい。

 だが。よくないところが一つだけある。


 それは、()()()すべての回答の理由に、リディアが出ているということ。

 この診断ではなにがわかるんだっけ?

 疑問に思った僕はファナと呼ばれていた少女の持つ本を見て、は?と眉をひそめた。


 ≪これであなたの気持ちが、恋かわかる!ドキドキ、恋愛チェック☆☆☆≫


 はい?

 嫌な予感がした。

 顔を引きつらせていれば、質問が再開されていた。


 「しょうがないなぁ。5つめ!触れたくなる人がいる!」


 できることならば、ノーと答えたい。それがだめなら、せめて理由にリディアが出てこないでもらいたい。そう思うが。


 ……イエスだった。

 しかも、理由には、またリディアがいる。


 ちょうど、きのうの夜だ。

 自分のすぐ隣で揺れるやわらかい金色の髪が、すごく気になった。


 触れたい。

 そう思うよりも先に、僕は彼女の髪に触れていた。


 触れた髪は思った通りやわらかかった。

 孤児院の男子も、女子も、ソラであっても…、きっと彼女の髪には触れたことがないのだろうな。そう思うとなぜだか心がソワソワふわふわと高揚した。

 適当に誤魔化した後で他の子の髪も触ってみろなどと言われたときはイラついたけど。後味最悪だ。


 僕は彼女の髪だから触れたいと思ったのに。他の人の髪なんて、触りたくもない。

 だから…イエスだ。

 

 胸の奥がざわざわとゆれてきた。

 どうか、次は、ノーと言える質問であってくれ。そう願った。


 「じゃあ最後。6つめ!かわいい、もしくは、かっこよく見える人がいる!」


 僕はまわりにきづかれないように、ほっと胸をなでおろした。

 これは、ない。

 心の中で苦笑する。

 たしかにソラはかわいいが、おそらくこの診断で求められているのは、この感情ではない。そしてソラ以外の人間は、全員、ブスだ。

 よって最後の質問は絶対にイエスにはならない。

 

 ああ、よかった。とほっとしたところで。

 ふと、リディアはこの最後の質問をイエスだと思ったのか、気になった。


 ソラも僕も謙遜したら逆に嫌味に聞こえるくらい眉目秀麗である。そして僕らはいつも彼女のそばにいる。そばにいる時間ならば、僕の方がソラよりも断然長い。


 僕の口角は、ふっとあがる。

 きっと彼女は僕を思い浮かべながら、イエスと思ったに違いない。

 彼女は顔を赤らめながら、僕の方を見ているだろう。

 くすっと笑いがこみ上げる。

 その間抜けな面を見てやろう。


 見て、絶句した。

 彼女はたしかに間抜けな顔をしていた。


 ただ、それは、顔を赤らめた恥じらいのある顔ではなくて、いつもどおりのぼーっと口を開けた間抜けな顔だった。


 しかし僕が絶句したのは、それが理由ではない。


 ……愛おしく、見えたのだ。

 その間抜けな顔が。

 

 彼女の顔を見ていると、なぜか、心があたたかくなり、顔がほころんでしまい……は?

 つまり、最後の質問も…イエ……


 「じゃあ最後に結果発表!これらすべてがイエスの人!あなたは、恋をしているでしょう!」


 雷に打たれたような衝撃が走った。


 いつのまに結果発表になっていたのか。だがそれよりも、恋をしている…だと?


 僕はすべての質問がイエスだった。

 すべての質問がイエスの人は、恋をしている。

 つまり、僕は…恋をしている?

 だれに?


 僕は自分の隣に座る女を勢いよく見た。

 彼女は怪訝な顔でこちらを見ている。


 怪訝な顔で、不細工な顔で、僕を見ているというのに…

 心臓が痛くなった。

 僕をじっと見つめる彼女の顔が、とても愛おしく見え……


 ありえないっ。

 彼女から急いで目をそらす。

 

 こんな女を僕が好き?彼女が僕を好きなら、まだわかるが…僕が彼女を好き?

 絶対にありえない。

 間違っている。

 あの本が間違っている。


 「……えっと、これ、嫌いな人チェックって本じゃないよね?」

 「……は?」


 無意識のうちに、僕は女子たちに質問をしていた。

 すると隣からあきれたようなため息が聞こえる。


 「もー。バカなの?表紙をちゃんと見てよ。ここに、ドキドキ恋愛チェックって書いてあるでしょ?」


 そう言って彼女は本と一緒に、ぐっと僕へと近づく。


 なぜリディアまで近づいてくる?

 近い!バカなの!?そう言って思い切り彼女を突き飛ばしたい衝動を抑え、僕はさりげなく彼女を押し返した。


 不満げな顔で彼女は僕を見てきたが、そんなことは知らない。それよりも本だ。


 ……本には、恋愛チェックと書いていた。


 ああ、そうか。わかった。

 僕は、うなずく。


 「――この本、嘘しか書いてないけど?」


 この本は偽物だ。

 神父様は詐欺師に偽物の本を購入させられたのだ。


 そしたら思い切り頭を殴られた。


 「バカー!乙女の夢を壊すようなことを言うなぁ!」


 なぜ彼女がこんなにも怒るのか、僕は怪訝に思いながら、やがて、一つの可能性に気が付く。

 

 まさか、彼女は…この診断で自分が恋をしていることを自覚したから、それが嘘だと僕に否定されて、怒った!?


 そうだ。自分の恋愛感情が嘘だと否定されたから、怒ったのだ。そうとしか考えられない。そこで僕は、ふと疑問に思う。

 待って。だとしたら、相手は誰?

 僕以外の人間だったとしたら……?


 なぜだろう。血の気が引いてきた。でも、ほんとうに。彼女は恋をしているのか?リディアは恋をするような、ませた女には見えない。

 

 「に、兄様?この本の作者さん、ちゃんとした人だし嘘ではないと思うよ?」


 考えているとソラに作者を見るよう促されていた。

 かわいい弟の提案だ。たとえこれが嘘の本だとわかっていたとしても、作者を見てあげる。

 だが、見て、驚いた。

 この作者はちゃんとした経歴の持ち主だったのだ。

 

 ということは、つまり、僕は…。

 

 グググと頭を無理やり動かして、隣に座る少女を見る。

 隣に座る少女――リディアは、キョトンとした顔で、僕を見ていた。


 まさか、ありえない。

 そう思いながらも、僕の心臓はどんどん苦しくなっていく。

 3つめの質問の、どきどきするというやつだ。

 体温がどんどん上昇していく。


 なぜ?そんなわけがない。

 だがそれ以前に、今、この混乱した精神状態で、平然とふるまうのは…完璧でいるのは…不可能だ。


 「……ちょっと、気分が優れないから、外に出てるよ」

 

 このままじゃ、僕の完璧が崩れる。

 それに、一度、一人で、考えたい。

 僕は足早にその場を去った。






 「アールトっ!」

 「うわっ!」


 だから突然背中を叩かれたときは、驚いた。

 一人の時間は、数分だけしかなかった。

 彼女はニヤニヤと僕を見て笑っている。

 僕がこんなに悩んでいるというのに、のんきに笑っている。イライラとこめかみが痛む。


 …ない。あり得ない。僕が、リディアを好きだなんて、絶対にありえない。


 そう思う一方で彼女の心配そうに僕を見つめる顔を見ると、なぜか体はじりじりと熱く、心臓が飛び出しそうなほどに暴れる。

 ちょうど、そんな、いつもの僕じゃなかったときだったから。


 「うーん。熱はなさそうだけど……あれ?顔赤くなってる。大丈夫?」

 

 彼女が僕の額に触れたとき、不覚にも、胸が高鳴ってしまった。

 だって、リディアが僕に触れた。

 それはつまり、5つめの質問のことではないのか?彼女は、僕が…好き?


 「私はあんたに、恋なんかしてないから!」

 

 好きではなかったようだ。

 満面の笑みという名の矢で、舞い上がっていた僕は撃ち落され、冷たい地面へとたたきつけられた。僕の気も知らず、彼女はにこにこと「私天才!」とか言っている。腹立つ。


 「あんた、まぁた私がソラに惚れてるって勘違いしてるんでしょ?」

 「……はあ?」


 彼女はさらにわけのわからないことを言った。

 とりあえず、彼女がソラに恋をしていないことがわかって、安心はしたが…安心、した!?

 自分の思考に僕は困惑する。

 が、彼女はそんな僕に気づかないのか、話を続ける。


 「――それにさっきの恋愛チェック、私6つすべてノーだったから!たぶん、一生恋しない!」

 「へ、へー……全部ノーだったんだ。なんだこの気持ち…意味わかんない」

 

 彼女の回答がすべて、ノーだったことには、ほっとするが。一生恋をしない…。

 何それ。この女、なに言ってんの?

 そして、なぜ僕は、彼女の言葉に、ここまでショックを受けているのだろう。

 僕は小さくため息をついた。


 わからない。

 今まではどんな難問でも答えは必ずあった。だというのに、こればかりは、答えがわからない。

 もう考えたくない。

 でも、一つだけ。わかることはある。


 それは、


 「ソラが肉食女子の檻の中に一人待ってるから、帰ろ?」


 僕に手を差し伸べる。そんな彼女の隣にいることが、僕は嫌いではないということ。


 彼女の笑顔を見れば、何かがわかる気がする。

 彼女に手を伸ばし、僕は顔を上げた。

 顔を上げて目に入ったのは、リディアではなく、クモだった。

 は?


 「うわぁぁぁあぁ!」

 「あわわ!アルト、落ち着いてっ」


 リディアはすぐに僕からクモをとってくれた。

 ぎゅっと心臓をにぎりしめられる。


 ありがとう。

 お礼くらいはきちんと言わないと。と、今度こそ彼女を見ようと僕は顔を上げ、彼女の顔を見て、青ざめた。

 否、リディアを見て青ざめたわけではない。

 彼女の後ろの木の陰から、こちらを、驚いた顔で見ている人物を見て、青ざめたのだ。


 「兄様……?」

 「ソラ……」


 そこには、完璧な僕が好きな、完璧でない僕を目撃してしまった、ソラが立っていた。


 鈍器で頭を殴られたような衝撃が、全身に走る。

 ああ。今日は、厄日だ。


 リディアの聞きだした話によると、ソラは最初から僕とリディアのやり取りを見ていたらしい。

 

 今まで積み上げてきた、完璧な僕が、音を立てて崩れ去っていく。


 クモが苦手なことだけではなく、完璧な人間とは程遠いリディアに対する態度や口調まで見られてしまった。もう、元には戻れない。以前の僕たちにはもどれない。

 目の前は真っ暗だった。


 「ソラ。見損なった…でしょ?」

 

 言葉が勝手に一人で歩き出す。

 真っ暗だ。


 この青い空も、森も、花も、地面も、ソラも、なんにも見えない。

 もう、どうしたらいいのか、わからない。


 ただ、一つわかることは。

 僕がソラに幻滅された、ということだけ。


 「ごめんね。僕は…すばらしい。ソラが尊敬してくれるような、慕ってくれるような…完璧な兄じゃないんだっ」


 僕はその場から逃げ出した。





 真っ暗な世界を僕は走る。

 暗くて何も見えない。

 ソラがいない、ソラに見限られた世界は…闇そのもの。

 もう生きている理由もない。


 だけど真っ暗なはずの僕の世界には、ふっとやわらかい金色の光が浮かび上がっていた。


 は?と驚いていると、金色の光は、やわらかく僕に微笑んだり、不細工に頬を膨らませたり、目を吊り上げて怒ったり、鼻の穴を広げて爆笑したり、姿を変える。僕の心に温かいものを与える。

 その光は、リディアだった。


 ぎゅっと心臓が締め付けられた瞬間、僕の世界に色が戻っていた。

 青い空に、緑のきれいな森、色とりどりの花々、茶色と緑の地面。

 そして、


 「……リディア」

 

 この色のある世界で、僕の隣に立つ、リディアの明るい笑顔が、脳裏に浮かんだ。


 心臓が痛い。体が熱を帯びる。全身がざわざわともどかしい。

 だけど、僕はそれを、不快とは思わない。


 僕はとぼとぼと歩き出した。


 以前の僕であれば、ソラにクモが苦手だと知られ、完璧でないことがばれた瞬間に、自ら命を絶っていただろう。


 だけど、僕は今、命を捨てていなかった。

 今の僕は、以前の僕ではなかった。

 なぜ?


 それはリディアに会ったから。


 彼女は言った。

 僕が完璧でなくても、離れていかない、と。

 クモが苦手でも、友達だから離れていかない、と。

 

 だから絶望して、世界が真っ暗に見えた、あのとき。リディアの顔がうかんだのだろう。


 これからどうするべきなのか、わからない。なにもわからない。

 ただ一つ、言えることは。リディアは変わらず、僕の隣にいてくれること。

 たったそれだけのことなのに、泣きそうなくらい心臓が熱くなる。

 

 歩いていたら崖まで来ていた。


 その崖のそばには、淡い紫色の花が咲いていた。

 リディアに似合いそうな花だと思った。


 僕は花を採ろうと崖のそばに来ていた。


 なぜ自分はこんなことをしているのか。分からない。

 でも脳裏には、この紫色の花を見て笑うリディアの顔が浮かぶんだ。ぎゅっと心臓が痛くなって。その次に思い浮かんだのは、


 ≪これであなたの気持ちが、恋かわかる!ドキドキ、恋愛チェック☆☆☆≫


 「なんでだよっ!?」


 ありえないから!

 さきほどまでこのことを忘れていたのに、なぜか急に思い出されてしまった。

 ありえない。僕がリディアを好きとか、ありえない。

 否定するためにも、僕はリディアの不細工な顔ばかりを想像するが…だめだ。


 鼻の穴を広げていても、白目をむいていても、怒り狂って目を吊り上げていても、どんなリディアも、愛おしく思えてしまう。あの…リディアを。


 「嘘…でしょ!?」


 顔が熱い。

 体が熱い。

 こんなこと、絶対にありえないのに。

 彼女を想うと、心が満たされていく。


 そのときだった。


 「はやまっちゃだめ~」

 「兄様、死なないで~っ」

 「うわぁっ!」


 背中に強い衝撃を感じ、僕はそのまま前のめりに転んだ。

 いったいなんだ!?と驚く暇もなく、今度は背中に、どすんっ、どすんっと、何かが乗ってくる。ほんとうになんなんだ!?


 「アルト!死んだらダメ!死んだら、やだからっ!」


 その声に驚いた。

 冷静になってきたから、気づけた。

 この声は、リディアの声だ。

 背中に乗る2つの重みの一つ、これがリディアだとするならば、もう一つは……


 「兄様。おれ、見損なったりなんかしてない!完璧じゃなくても、クモが苦手でも、兄様はおれの尊敬する、大好きな兄様なんだよっ!だから、死なないでっ」

 

 ぐっと心臓が重くなる。

 鼓動が早くなる。

 目の前がゆがむ。


 ソラだ。

 ソラが僕を追いかけてきたのだ。

 

 2人は、「お願い~っ」と、ぎゅっと僕の背中に抱き付く。

 そのことに、僕は、ただ、驚いた。


 完璧じゃなくてもいい。

 弟も、また、僕にこう言った。

 ほんとうに?ほんとうにそうなの?

 リディアがなにかをソラに吹き込んだから、彼は無理して言ってくれるのではないのか?


 天邪鬼な自分なそんなことを思ってしまう。

 でも、わかってる。

 ちがう。ソラは本心から、言っている。

 リディアはソラに嘘を言わせるような人間じゃない。

 

 「……完璧じゃなくても、いいの?」


 言葉は零れ落ちていた。

 顔だけを後ろに向けると、ソラは今にも泣きそうな顔で、首を縦に振っていた。


 「完璧かなんて、どうでもいいっ。兄様が、いてくれれば、それでいいんだっ!」

 

 その言葉だけで、十分だった。

 なにかがつっかえたように喉が苦しい。ぎゅうっと胸を締め付けられる。

 痛い。胸が、痛い。

 でも、この痛みは、幸せの痛みなのだ。


 「……うん、2人とも、僕は大丈夫だから。背中から降りて。重い」


 それを言うだけで精いっぱい。

 僕はやいやいと言い合いを始めた2人を見た。

 2人は完璧でなくてもいいと、僕に言ってくれた。離れてはいかない、と。

 

 だが世間は僕に完璧を求め続ける。

 完璧ではない僕を受け入れない。

 僕も完璧を求める自分を止めることはできない。すべては生きるため。

 大切な人を守るために、僕は完璧でなければいけないのだ。

 力がなければ、自分をましてや他の誰かを守ることはできないから。

 それは昔も変わらない。


 でも安心してほしい。

 以前とは変わった部分もあるから。


 もう自分のために完璧は目指さない。

 守りたい人たちのために、完璧を目指すから。

 だから、


 「……死なないよ。おれは、絶対に死なない」


 僕は手を伸ばし、2人を抱きしめる。


 完璧じゃない僕も受け入れてくれる2人がいるから、僕は死んだりなんかしない。

 絶対に。


 「君たちを残しては、絶対に死なないから安心して。……ありがとう、2人とも」




 これでハッピーエンド。

 厄日の厄も、これでおしまい。

 かと思いきや、厄はまだ尽きてはいなかった。


 「ソラくぅ~ん」


 忌々しいその声の主にイラつきながらも、僕はいつものように、完璧の仮面をかぶり笑顔を向けようとした。

 が、

 その女の頭の上にのっているものを見た瞬間、仮面はするりと滑り落ちてしまった。


 サーッと血の気が引いていく。

 だってその女の頭の上には、例のやつが…2匹も、のっていた。


 「うわぁ……」


 条件反射で叫んだそのときだった。


 「うわーはっはっはー!」


 自分の叫び声をかき消す声と、目の前をふさぐ紺色の布地。

 ぎゅっと力強く抱きしめられる。

 

 それはリディアだった。

 

 ……え。

 

 体を抱きしめられているはずなのに。

 なぜだろう。心臓が、ぎゅっと締め付けられた。


 クモへの恐怖よりも、ルルに僕の弱点がばれてしまったことよりも、なによりも。

 僕の脳内すべてを占めていたのは、リディアだった。

 ぎゅっと背中にまわる腕があたたかくて、力強くて、安心できて。

 この人は、なにがあっても、きっと、僕を守ってくれるって…気づいてしまった。


 だから、このとき、僕はとうとう、自覚してしまったのだ。


 この人が好きだ、と。

 

 脳裏には、恋愛診断のときの、あの女子の声が浮かんでいた。


 1つめ、ついつい意地悪をしてしまう人がいる。

 イエス。

 2つめ、気が付いたら目で追っている人がいる。

 イエス。

 3つめ、近くにいると、どきどきしてしまう人がいる。

 イエス。

 4つめ、その人が異性と仲良くしているのを見ると、腹が立つ。

 イエス。

 5つめ、触れたくなる人がいる。

 イエス。

 6つめ、かわいく見える人がいる。

 イエス。


 これらすべてがイエスの人。あなたは、恋をしているでしょう。

 ……はい、その通りです。


 僕は彼女を抱きしめ返した。

 無自覚ではなく、自分の意思で彼女を抱きしめ返す。


 この人が、好きだ。

 リディアと離れたくない。彼女を、離したくない。

 心臓が破裂したってかまわない。

 このまま、彼女と、ずっと一緒にいたい。


 しかし僕は、僕を守るためという理由で、なくなくリディアと離されてしまった。


 ソラとリディアの頼みでなければ、絶対にあの場から動くつもりはなかった。

 ルルから離れるべく、森の奥へと逃げているとき、ソラが不安げな顔でこちらを見ていた気がした。

 僕をリディアに取られてしまうと不安になっているのかもしれない。


 だが、安心してほしい。

 僕はソラにほほえむ。

 

 ソラも変わらずに、愛している。

 どちらの愛にも変わりはない。

 ただ、違いがあるとするならば。リディアとソラで、愛のカテゴリーが違うというだけだ。

 

 はやくリディアに会いたい。話がしたい。彼女の顔を見たい。

 僕はそう思う。


 が、彼女は僕を守るためについた嘘のせいで神父様に怒られてしまい、結局まともに彼女と話ができたのは、いつもと同じ夜のことだった。


 「それ、君にあげる」

 

 守り石のネックレスを見て、彼女の顔がほころんだから、気に入ってくれたと思った。

 僕が今持っている、彼女に贈れる、唯一の愛の証を。


 だが「あげる」と言ったとたん、彼女は驚きに目をひんむいた。

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔だ。

 

 そんな顔もまた、かわいい。

 でも受け取ってくれないのは困る。


 「どうして?」

 

 気に入ったのならば、受け取ってくれればいいのに。

 僕は尋ねる。

 すると彼女は困ったように眉を下げる。


 「いや、どうしてって。これ、お…お父さんからアルトに対しての贈り物でしょ?」


 お父さんからの贈り物。そう言われたとき、父というものが誰を指すのか一瞬わからなかった。が、ああ。そうか。僕は理解した。あの王のことを父と、リディアは言っているのだろう。


 父親からの贈り物。

 そう言ってしまえば聞こえはいい。

 だが実際、このネックレスは僕が父親の条件を達成し、自分で選び手に入れた戦利品のようなものだ。

 というかそれ以前に僕はあの男からもらったものを、愛する人には渡さない。

 

 渡せば、あいつの穢れが、リディアについてしまうではないか。

 

 他の人間から、しかもあの男からもらったものを、愛する人に渡すなんて、絶対に嫌だ。

 リディアは勘違いをしているようだが、訂正するのはめんどうだ。

 僕は彼女にネックレスを押し付けた。


 「君に持っていてほしい」


 僕がいないとき、僕の代わりにリディアを守ってくれるように。この守り石は彼女に持っていてほしい。


 彼女は強い。現に僕はリディアに守ってもらってばかりだ。

 だがしかし、それはリディア自身が、他人を守れるくらい強い人間であるというわけではない。リディアは人の気配にも鈍感だし、お人よしだし、後先見ないで行動する無鉄砲だし、上げたらきりがないくらい強さとは無縁だ。

 彼女はどちらかと言えば、守られるべき人間だ。


 でも、彼女はきっと、守られようとはしないだろう。

 むしろ、守ろうとするのだろう。


 僕は自分の人間性というものを理解している。

 僕はおそらく、異常だ。


 リディアとソラしか大切な人はおらず、それ以外の人間は生きていても死んでいても、どうでいいと思っている。

 リディアに出会わなければ、ソラ以外の人間全員、死のうがどうでもいいと思っていた。

 

 彼女はおそらくそんな僕に気づいていた。でもリディアは僕という人間に、近づいた。友達になりたいと言った。

 狂っている。そんな彼女に惚れてしまった僕も、相当狂っているのだが。

 

 ようするに、僕は懸念しているのだ。

 

 彼女が僕という危険な思考を持つ人間に近づいたように、他の危険な人間にも能天気に近づくのではないか、と。守ろうとするのではないかと。


 だから、そんな危うい彼女を守ってくれる、守り石を持っていてほしい。


 もちろん僕が彼女をずっと守ってあげられたら、守り石なんて必要ない。

 でも僕はいずれ、この孤児院を去る。明日かもしれないし、半月後かもしれない。権力を持たない子どもである今はまだ、あの王に逆らえない。ずっと彼女のそばにはいられない。


 僕の代わりに…


 「リディアに、持っていてほしいんだ」

 

 僕の想いが伝わったのか、彼女はしぶしぶ、うなずいた。

 うれしい。


 「つけてあげる」


 僕は彼女の手からネックレスをとり、小さな細い首にそれをつけた。


 僕の贈ったものを、リディアは今、身につけている。

 そう思うと、胸に熱いものがこみあげてくる。口角が自然と上がる。


 僕が彼女にこのネックレスを贈った理由は2つある。

 1つは、僕がいないときもリディアを守ってくれるように。

 そしてもう1つは、リディアは僕のものであるという証のため。

 ふふふ。これでリディアは僕のものだ。


 しかし僕が笑みを浮かべる一方で、リディアは浮かない顔をしている。


 「み、身の丈にあってない気がする!」


 眉を下げ、潤んだ瞳で彼女は僕を見上げる。

 かわいい。

 むしろリディアにしかあわないから、安心しなよ。

 そう言いたいのだが、くせがぬけないのか、僕はついつい心にもないことを言ってしまう。


 「そう?別にそんなことないと思うけど。まあ、君が成長したら、その石の色がよりいっそうに会う女性になっていることは、断言できるよ。君、顔だけは、いいからね」

 「性格もすこぶるいいわ」

 「う、いや。そいういうつもりで言ったんじゃなくて…」


 死にたい。

 そっけない態度をとってしまったのもそうだし。リディアににらまれて慌ててしまって、それを彼女に笑われた。やっぱり僕は完璧な人間になりたい。

 人の好意に疎い彼女が、思わず頬を染めてしまうようなことを言いたい。


 「…思ったよ。似合ってる」


 かわいいと思ったんでしょ!思ったんでしょ~と僕をつつく彼女に言えるのはこれだけ。今はこれが限界だ。

 でもいつか必ず、僕の言葉で彼女の顔を真っ赤に染める。指輪もプレゼントして…


 そう思ったところで、僕はハッと気が付いた。

 ネックレス。気に入っていたし、他の子たちに自慢するかも。


 「あ。そのネックレス。他の子には、内緒だよ。見せちゃだめだから、服の中に隠しておいてよね。でもはずしちゃだめだからね!わかった?」


 美しいのネックレスを持つリディアを妬んで誰かが盗むかもしれない。もしくはネックレスを羨ましがった子どもに、リディアが渡してしまうかもしれない。もしくはもしくは、リディアを好いているあの男たちが、僕からの贈り物であることに気づいてこっそり奪ってしまうかもしれない。


 ダメだっ。リディアに渡したこのネックレスは誰にも渡さない。これは僕がリディアにあげた、僕のものである証なのだから。他の人の手に渡るなんて許さない。


 リディアはたじろぎつつも(なぜ?)、うなずいた。


 「……ネックレス、ありがとう。うれしい」


 その笑顔は、容赦なく、僕の胸をつらぬく。

 不意打ちは、ずるい。


 でも、この胸の痛みが、とても幸せだ。

 守り石はもう必要ない。僕は自分を守ってくれる、自分をまっすぐに見てくれる、愛する人に出会えたから。


 「ねぇ、リディア。今日は月がきれいですね」


 彼女の前では、言葉が、自然とこぼれおちる。

 リディアは怪訝に顔をゆがめる。


 「いや、曇っているけど?」


 変に鋭いところがあるくせに、人の想いにはどこまでも鈍感。

 花を摘む。なんて言葉を彼女は知っていたから、この意味も知っているかなと思っていたけど知らなかったようだ。いや、知っているけれど気づかないのかな?


 僕は笑ってしまう。


 「アハハ。僕ってば、どうしてこんなへんてこな人間を好きになってしまったんだろう。ほんとうにおもしろいなぁ」


 鈍感な彼女は好きを友情の好きだと捉えてしまう。

 これには少しショックだけど、まあいいよ。


 そんな君も僕は好きなんだ。こんな君だから、僕は君が好きなんだ。

 友達!友達!と踊りだそうとする彼女に、僕は手を差し出す。


 「握手しよ。改めて、これからよろしくね」

 

 そう言いながらも、僕が彼女に握手を求めるのは友情の意味ではない。

 宣戦布告だ。

 いつか…いや近いうちに、鈍感な君に、「死んでもいいわ」と言わせて見せるからね。


 「なるほど!よろしくね!」


 僕とリディアは握手を交わした。

 




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[一言] 初めて感想を書くのでドキドキしています。 まだ話数が少ない頃から読んでおり、今でも読み返してしまうぐらい大好きな作品です。 特に登場人物のやりとりや、ストーリーが面白く、時間が溶けます…
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