100.セイラ・ノルディー(5)
春の国に来てから6か月が過ぎた。私は現在、王宮のはずれにある小さな古城で暮らしていた。
私が誘拐されたと精霊界で騒ぎになっていると聞かされたのが、春の国に来た翌日のこと。今もエリアスが血眼になって私を探していると春の王が爆笑しながら私に伝えてきたのが昨日のことだ。
クハハッという特徴的な笑い声は何度聞いても慣れない。というか生理的に受け付けない。この笑い声をきくだけで顔を顰めてしまう。
「セイラ、階段だ。手を」
「別に大丈夫よ」
「妊娠3か月目は流産しやすい。大丈夫だとしても俺の手を取れ。何回でも言うが、それはお前だけの身体じゃないんだ」
「わかったわよ。口うるさいガキね」
「黙れ」
私はしぶしぶアオの手に自身の手をのせ、階段を降りる。
そう。私は腹の中に子を宿していた。
口は悪いがアオは私が妊娠したと知った途端、事実上の夫よりも献身的に支えてくれた。当の本人は「クソ馬鹿王の命令だから仕方なく」などと言っているが、私の腹を見るお前の目がやさしいことを私は知っている。
今だって急にお腹が減った私のために夜食を作ってくれ、部屋まで送ってくれていた。
「お前、将来いい父親になるわね」
「知ってるか?お前がそれを言ったのは今日で5回目だ」
「あら。すごいじゃない、アオ。お前人間嫌いのこの私に5回も褒められたのね」
「別にうれしくない。俺は結婚しないし、今後誰かを好きになることもない」
9歳のガキがなにを言っているのやら。鼻で笑ってしまう。
「別にお前が誰かを好きになろうがなるまいがどうでもいいけど、断言はやめなさい。人の心は変わるものよ」
「…そうだな。現にお前が変わったからな」
「ええ」
やさしく自分の腹を撫でる。ここに私と血の繋がった、かわいいかわいい赤ちゃんがいる。
自分が妊娠したと知ったとき、動揺よりも先に心を占めたのは純粋な喜びだった。
望んで孕んだわけではないけれど、自分の腹の中にある小さな命に愛しさがこみ上げた。言葉では言い表せない。これが、幸せなのだと知った。
「私、この世界が嫌いだった。人間も、精霊も、自分も嫌い。好きなのは図書館の本だけだった。でも今はこの世界のこと、そこまで嫌いじゃないの。それはねこの子がいるから」
「ハハハー、セイラ。その話聞くの今日で20回目」
「かわいい私の赤ちゃん。早くあなたに会いたいわ~」
ちゅっ、ちゅっと自分の腹に投げキッスをしている私を見て、「人の心は変わるっていっても限度があるだろ…」とアオが顔を引きつらせている。が、気にならない。愛の力ってすごいのね。
「ほら。部屋に着いた」
「ありがとう、アオ」
心の中で赤ちゃんに話しかけていたら自室に到着していた。ご丁寧に部屋の扉を開けてくれたアオに礼を言い私は部屋に入…ろうとしたところで、アオの視線に気が付いた。
「じっと私の腹を見て、どうしたの」
「いや…今はまだあんまり腹が出てないけど、俺が帰ってくる頃には生まれていると思うと感慨深くて」
「帰ってくる?」
「知らなかったのか?俺は明日から1年くらい長期の任務に出…」
「お前がいない中でこの子を産めというの!?」
「うるさ…」
私がアオの言葉を遮ってしまったのも無理はない。
だって、だってアオが明日からいないのよ!?
お前は耳を抑えながら恨むような面で私を見てくるが、恨みたいのは私の方だ。
「長期任務だなんて正気?しかも明日からだなんて。いいわ、それなら仕方ない。私、お前が任務から戻ってくるまでこの子を産まないわ」
「お前こそ正気か?」
「お前がいなくなった場合、私が頼れるのは春の王だけなのよ。正気でいられると思う?」
「無理だな」
私がこの国に身を潜めていることを知っているのは、春の王とアオだけだ。
春の王が私の気配を封印したことにより、精霊の感知能力で私を捜索することは不可能となった。しかし地道な情報収集は可能だ。
どこで情報が洩れるかわからないということもあり、私は王宮のはずれにある小さな古城で一人生活をし…たかったのだが、春の王とアオと3人で生活をしていた。護衛が必要だろ?などと春の王は言っていたが、あんなのは嘘だ。ただの嫌がらせだ。
ともかくとして生活する上でなにか不都合や欲しいもの、足りないものがあれば、私はアオ、とごくまれに春の王に用意してもらっていた。
つまりアオがいなくなれば、私は春の王を頼るしかなくなるのだ。あの男を頼らなければ生きていけないだなんてっ。
「お前は私と赤ちゃんに死ねと言うのね」
「うっ…いや、その」
「冗談よ。私がこの子を死なせると思う?」
「ガラにもなく冗談なんて言うなよ。焦るだろ」
「お前は私の下僕ではないもの。止めることはできないわ」
むくれるアオの頭を撫でれば、彼は頬に青筋を浮かべて私の手を払う。子供扱いは嫌なのだそうだ。
「そうだわ。アオ・イルバルト・レヴィア、お前にお願いがあります」
「…なんだよ」
「この子の名づけ親になってほしいの」
「はあ?」
私が自分の腹を指させば、アオは頭を抱えた。
「セイラ、本気で言っているのか?まだ性別もわからないのに」
「ええ、本気よ。もういい加減、赤ちゃんじゃなくて名前で呼びたいのよ。名前を呼んで愛でたいの。だけど私はネーミングセンスがないの」
自分のセンスの無さにけっこう落ち込んでいるというのに、アオはそんな私を鼻で笑う。
「ネーミングセンスがないって…、別に名前なんて適当でいいだろ」
「じゃあこの子の名前は、ピカピカ君になるけど。いいの?」
「わかった。腹の子の名前はアルトだ!アルト、俺に感謝しろよ」
「まあ!アルト!いい名前ね!アルト~、早くあなたに会える日を待ってますからね~。ちゅっちゅっ~」
「うわぁ…」
アオのつけた名前はすぐに気に入った。
ああなんて、美しくて、優しくて、理知的な響きなのかしら。名は体を表すと言うから、きっとあなたは美しい聡明な子になるのでしょうね。
自分の腹に投げキッスをする私を見て、アオはさらに顔を引きつらせていた。
////////★
アオが旅立ってから2か月が過ぎた。
「なにかしら、これ?」
良く晴れた日のことだった。部屋を掃除していた私は棚と壁の隙間に落ちていた写真を見つけた。
それは随分と古いモノクロ写真で、そこには3人の少年少女が映っていた。
「左の青年…アオが大人になったらこんな感じになるのかしら」
写真は私が今住んでいる古城の前で撮られたもののようだ。
白壁の城を背景に、左にアオに似た顔立ちのやさしい笑顔を浮かべる青年、真ん中に腕を組んで高笑いしている可愛らしい少女、右に少女を呆れた目で見ながらも楽しそうに笑う少年がいた。
触れれば写真の記憶が脳裏を巡る。
………★
「ちょっと2人とも早く!走って!もうすぐシャッターが切られてしまうわ!」
写真の真ん中にいた少女が金色の髪を振り乱しながら、カメラの調節をしている少年と青年を呼ぶ。
「リルラはせっかちだな。まだ大丈夫だよ」
水色の髪の青年が笑いながら少女の元に走ってきて、
「つーかお前もなにか手伝えよ!」
灰色の髪の少年も少女の元へ走る。
その言葉にムッとしたのか少女が近くにあった石を少年に投げようとして、転びそうになって、それを慌てて青年と少年が抱き留めて、3人で笑う。
「助かったわ。セイラン、ハル――…
………★
え…?
覗いていた記憶は突如終わりを迎えた。
「ずいぶんと懐かしいものを見つけたな…」
気づけば私の目の前には春の王がいて、彼の手にはモノクロの写真が握られていた。
記憶が途中で終わったのはこの男が私から写真を奪ったからか。いや、今はそんなことどうでもいい。
「灰色の髪の少年は、お前ね。ハル」
「……ほぅ。記憶を見たか」
私は一度だけ春の王に名を教えろと迫ったことがあった。だってことあるたびに春の王と呼ぶのは、文字数が多くてだるかったから。そのときに教えてもらった名が、ハルだった。
どうせ本当の名ではないのだろうと思い、結局私はお前のことを春の王と呼んでいたわ。だけど…
「ほんとうに、ハルがお前の名だったのね」
「セイラ、お前記憶を見たのに気になるのはそこなのか?」
クツクツと春の王は楽しそうに笑う。
でもその笑顔は、
「お前もかつてはあんなふうに笑えたのね」
「……。」
今の笑顔は、写真で見た少年ハルのものとは全く異なっていた。異様にして異質。笑っているのに、笑っていない。
ほら、今もそうだ。お前は笑っているのに、その瞳は愉悦に弧を描いているのに、瞳の奥に潜む本当のお前は冷めた顔でこちらを見ている。
「お前の目に、おれはどう映っている」
「人の皮を被った化け物が一生懸命に人のふりをしているように見える」
「ク、ハハッ。さすが、俺が気に入った女なだけはあるな」
「ついて来い」春の王が扉を開け外に出た。
こいつ私が妊娠中だということをわかっているのかしら?労わりを全く感じない姿にため息をつきつつも私は春の王の後を追った。
古城の近くには森がある。人はほとんど出入りしないので、私は結構な頻度でこの森に遊びに来ていた。あたたかい日の光につつまれながら、春の王に連れられるままに私は森の中を歩く。
「あの写真は5000年前に撮ったものだ。……ほぅ、さすがだな。これくらいのことでは驚かないか?」
春の王は少し残念そうな顔をする。
驚きはしなかった。だって写真に触れたとき、あれがいつ撮られたものかはわかったから。
だけど、
「5000年前の写真にお前が映っていたことと、光の巫女が隣にいたことには、驚いた」
「なんだお前、光の巫女も知っているのか。さすが知の一族だな」
クハハッと春の王は笑う。相変わらず笑いのツボがわからない。
光の巫女は女系の一族だ。この世界のヒロインとも言われており、彼女たちは代々短命とされている。神に仕える神官どもの間では神の遣いなどと言って彼女たちを敬っているが、私から言わせてみればやつらは神の傀儡だ。
光の巫女は神が作り上げた自分の運命通りに生きることで、世界の平和を守っていると書物には記してあった。真実、彼女たちは運命の通りに生きた。たとえ目の前に飢餓や病に苦しむ者がいたとしても、自分が彼らを救う力を持っていたとしても、お前を救うことは運命に反するとして助けを求めるものの手を振り払った。光の巫女に対する恨み綴られた日記に書いてあった。
彼女たちに自分の意思はないのだ。
「私は光の巫女が嫌いよ。運命通りに生きれば世界は平和ってなに?もしその運命とやらが望まないものであったとしても、彼女たちは運命通りに生きるのでしょう?意味が分からないわ。望まぬ未来をなぜ受け入れなければならないの。私が彼女たちならば、決して運命通りになんて生きないわ」
息継ぎせずに言い尽くせば、堪えきれなくなったかブフォッと春の王がふきだした。
なによ。
「ク、ハハハハッ。ならばセイラ、お前にいいことを教えてやろう」
「いいこと?」
「お前とアオに初めて出会ったとき、アオに言った言葉を覚えているか?」
言いながら春の王は私の目の前に、さきほどのモノクロ写真をつきつける。
「俺はかつて自身の運命を変えた」
春の王はいつものように笑っている。
そう。いつもの笑顔なのに、ゾッと鳥肌が立った。
「神に抗い、運命を変えた。望んだ未来を手に入れた俺達3人は……
神によって呪われた。




