99.セイラ・ノルディー(4)
「俺達ももう20歳か。時が経つのは早いな」
「そういうのいらないから。ちょ、やめて。本題に入れ」
私の髪に口づけをおとすエリアスから自分の髪を奪えば、お前は不満そうな顔をする。なのに、かつて虚ろだったはずの灰色の瞳は、とろけるように甘く、やわらかくて。
嫌悪感に鳥肌が立つ。
あれから10年。
短かったようで、私には長かった10年。
初めて出会ったあの日からエリアスはほんとうに変わってしまった。背は伸びたし、声は低くなった。逞しくなったし、髪が伸びた。そして日を追うごとに、年を重ねるごとに、私に執着するようになった。
私、知っているのよ。王位を継ぐために、お前が王様からいろいろと仕事を任されていること。その権力を使って私に好意的でないやつらを左遷させていること。
あいつらは嫌いだったけど、間違ったことを言っていたわけではなかった。
「なにか、言いたげな目だな」
ええ、私はお前に問いたいわ。このままでいいのかと。このままじゃ王宮にはお前の機嫌を伺う能無しか残らない。お前は立派な王にはなれない。
だけど、
「……別に。なにも」
「そうか。つまらないな」
言わないわ。つまらなくて結構。
だって言ったらお前はまた、私を部屋の中に閉じ込める。私を守るためだとエリアスは言うけれど、鼻で笑ってしまうわ。バカ言わないで。誰がお前に守ってほしいだなんて頼んだ?お前は自分のために私を閉じ込めている。自由を奪っているのよ。
なにか言いたげな、哀し気な瞳で私を見たところで、私とお前の関係は変わらない。
視線から逃げるように私は彼に背を向けた。
「…近いうちに婚礼を上げる」
「は?」
唐突に言われたそれは、頭から冷水を浴びせられたような衝撃を私に与えた。
「なんだ、その顔は。お前はおれの婚約者だ。結婚するのは当然だろう」
エリアスは眉間にしわを寄せて言うが、私は首を横に振る。
馬鹿。そうじゃない。そういうことを言っているんじゃない。
「王様…もうすぐ、死ぬの?」
人間と違い魔力を有する私たち精霊の寿命は長い。そのため私たちの国では現王が余命を宣告されたときに代替わりをし、同時に新王の婚礼も上げるというしきたりとなっていた。
エリアスの父、現王が即位されてからまだ50年しか経っていない。あと100年は彼が王位の座についていると思っていたのに。
「ほお?父を心配するのか?妬いてしまうな」
冷たい瞳で笑うエリアスの胸倉を掴む。
「っ私はそんなことを言ってるんじゃない!わかっているだろ!?お前はまだ20しか生きていないのよ!いくらお前に才能があったとしても、王位を継ぐにはまだ時期が早い。お前には経験が足りないわ!」
「なるほど。おれを心配してくれていたわけか」
「エリアス……」
「フッ。怒るな。ああ、そうだ。王は病に罹ってしまった。もってあと3年の命だそうだ」
3年。短すぎる。
エリアスの手が私の唇に触れる。無意識のうちに唇を噛んでいたようだ。お前はいつもそうやって私が唇を噛むのを止めてくる。気持ち悪い。
「王になることに不安はない」
唇に触れる指を反対側に折り曲げようとしているのに、エリアスは幸せそうに私に笑いかける。
ああ、嫌だ。その目は嫌いだ。
「おれにはお前がいる。お前がおれに知恵を与えてくれるだろう」
差し出されたその手を、私は払う。
「たとえ知の一族がお前に知恵を与えても、お前はいい王にはなれない。婚約者に執着しているような、今のお前にはね」
しかし払われた手とは反対の手で私の腕は捕まれ、エリアスの方へと引っ張られる。そうして私の体は彼の胸の中にすっぽりとおさまってしまう。屈辱だ。
「いい王?悪い王?どうでもいい」
「エリアス、やめっ…」
「おれはお前が隣にいれば、それでいい」
「私は嫌だ!」
「たとえお前がおれを一生好きにならなくても、おれを嫌っても、憎んでも、いい。だからおれを置いて行かないでくれ。お前が俺から逃げたなら、きっと俺は狂ってしまう」
「っい、や!」
唇に触れたやわらかい感触が嫌で、気持ち悪くて、涙がにじむ。
エリアスは言いたいだけ言うと、部屋を出て行った。
めずらしいことにお前は部屋の鍵を閉めて行かなかった。
「……。」
エリアスと契りを交わせば、今後私の自由はさらに無くなる。だからこのとき、鍵を閉めなかったのはお前なりのやさしさだったのかもしれない。
ハッ。だからなに?今更お前を好きになるとでも思ったか?むしろお前のせいで今後自由が、いえ今も私には自由がないのよ。
私はお前から逃げられない。
悔しさに握りしめた拳が震えた。
////////★
「やっぱり外は気持ちがいいわね」
城から抜け出した私は久しぶりの外の空気を胸いっぱいに吸い込む。
迷ったけれど私は結局、部屋から出た。
エリアスの思惑通りに動かされている気がして、腹が立つ気持ちはある。だけど鍵が開いているのに外に出ないという選択肢は私の中にはなかった。
これからどうしよう。
このまま脱走したいところだが、エリアスは私に現在位置把握の魔法をかけている。逃げることは不可能だ。下手に逃げて捕まってまた部屋に監禁されるのはごめんよ。
それにしても王の余命があと3年だなんて。
唇を噛む。
王にはいろいろと世話になっていた。主にエリアスのことに関して。
ここ2、3年会うことが少なくなったと思っていたら、まさか病に罹っていたとは。王宮の味方が減ってしまった。
「ハッ。王宮の味方、ね」
乾いた笑みがこぼれる。
このままいくと私は王宮で一生を終えることになる。自由もなく、エリアスに囚われ続け、死んでいく。
そんなの嫌よっ。
握りしめてた拳から血が流れ落ち、地面に赤い染みをつくった。
そこでやっと私は、自分が今いる場所に気が付いた。
「……あら。ここは」
私はいつのまにか王都の外れまで来ていた。考え事をしながら歩くのはよくないわね。
辺りには今にも崩れそうなボロボロの家々が連なっており、そんな住宅街の奥には大きな工場があった。黒い煙が空を汚す。淀んだ空気に顔を顰めた。
「嫌な場所に来たわね」
ここら一帯は正規では認めていられない仕事をする精霊たちの住処だ。
主に魔力を持つ人間を奴隷とした商いをする精霊がここには住んでいた。
人間は精霊に使役されるべきであるという古い考えを持つやつらは今の時代にもいて、それは権力者に多い。そのためいくら法を敷いても人身売買や奴隷制度はなくならない。やつらが金と権力で闇を覆い隠してしまうからだ。
醜い。だから精霊は嫌いなのよ。
まあ同じくらい人間も醜いし嫌いだから、使役されている人間を助けようとは思わないけど。
こんな嫌な場所からはすぐにでも立ち去るにかぎる。
私は工場に背を向け来た道を戻った。が、足を止めた。
思い出してしまったのだ。この前エリアスが左遷した精霊は、人間奴隷化の反対派であったということを。……私はほぼ関与していないが、彼が左遷されたのは私のせいとも言える。
「っくそ。エリアス、すべてお前のせいよ」
私は工場に向かって歩き出した。
////////★
やはりあのとき戻ればよかった。
私は窓の向こう側に広がる光景を見てため息をついた。
しばらく歩くと工場の休憩所のようなものがあった。そこで私は、この工場でどんな違法行為がなされているのか詳しく話を聞くべく窓から侵入しようとした。そうしたら奴隷の首輪をつけた人間の少年と少女が精霊に痛めつけられているところを目撃してしまったのだ。
アウトね。
奴隷の首輪で人間を使役することも、無抵抗の人間に危害を加えることも法律で禁じられている。穏便に話を済ませようと思っていたのに、目撃してしまった以上それは不可能となった。
私の立場上、見て見ぬふりをすることはできないのよ。ああ、面倒くさい。
少女は少年の妹のようだ。妹は病気で少年は薬を欲していた。対する精霊どもが彼らにくれてやったのは苦痛のみ。反吐がでるわ。
「お前ら全員ぶっ殺してやる」
そして現在、紺色の髪の少年が自力で奴隷の首輪を壊したのを見て、精霊どもは真っ青になって慌てていた。なるほど、これはこれでいいかもしれない。やつらが法で処罰されても、あの少年は満足しないでしょうしね。
醜い精霊たちを王兵に突き出すことはやめ、私は紺色の髪の少年に力を貸してあげることにした。
彼の練る魔力を見て口角が上がる。それは記憶操作の魔法だった。
「お前、運がいいわね。記憶操作系の魔法で私に敵う者などいないわ」
彼の魔力を受け取って魔法へと変換する。
可愛らしい見た目に反してなかなか、えぐいことをする。
エリアスに人間に力を貸したことがばれれば、面倒なことになるのはわかりきっていた。だからダミーのフェアリー型の精霊を少年の周りに漂わせて……、私は魔法を発動させた。
結果は上々だった。
魔法により記憶を消された上で、自分が奴隷として扱われたという偽の記憶を植え付けられた精霊たちは、お互いを殺し始める。目の前に自分を使役してきた精霊がいるのだ。当然よね。
少年はそんな狂った世界で、返り血で体を真っ赤に染め上げながら冷たく笑っていた。少年の心から生み出された黒い蝶――闇の精霊が優雅に空を舞う。美しくて残酷で恐ろしい闇の精霊。
「やっぱり嫌いだわ」
私は精霊も人間も嫌い。だって彼らは闇を生むから。闇は闇しか生まないから。
この場に留まる理由はもうない。むしろここから早く立ち去りたい。私は彼らに背を向け、帰ろうと…
「ほう。ずいぶんとおもしろいことになっているな」
「っ!?」
帰ろうとしたところで真横から聞こえた声に、私は急いで距離を取った。
そこには金の髪の美丈夫がいた。アイスブルーの瞳が私を捕え、愉快そうに弧を描く。
「クハハッ。お前ずいぶんと執着されているな。こんなにも気持ち悪いくらいに他人の魔力で塗りたくられたやつを見たのは初めてだ。禍々しい桃色、見ていて目が痛くなる」
「お前、いったいなんなの?」
男が言っているのはおそらく、エリアスが私にかけた私の現在位置を知らせる魔法のことだ。魔法を可視する人間なんて見たことも聞いたこともない。詳しく話を聞きたいところだが、聞かない。この男は危険だ。
精霊は感知能力に優れており気配に敏感だ。それだというのに私は、この男が言葉を発するまで自分の隣に人がいたことに気づかなかった。…隙を見て、逃げる。
「いったいなんなの、か。アバウトな問いかけだな」
なにがおかしいのか、男は愉快そうに笑っていた。
おそらく20代半ば。エリアスよりも体格がいい。精霊界ではあまり見ない服を着ている。
「分析は楽しいか?」
「別に楽しくないわよ。お前が正体を言わないから観察しているだけ」
「ク、ハハッ。お前、素直すぎるだろ」
なにがツボにはまったのか。男はひとしきり笑ったところで、「気に入った」と私をまっすぐに見た。
「お前は俺を知らないのかもしれないが、俺はお前を知っている。セイラ・ノルディー。精霊界の王子の婚約者にして、知の一族の唯一の生き残り。王子の寵愛にその身の自由を奪われている哀れな娘」
「お前、ほんとうに何者?」
後退する私を捕えようとはせず、その男がしたのは胡散臭い笑みを浮かべることだけ。
男は私に手を差し出した。
「おれは春の国の王。お前を気に入った。俺の手を取るならば、お前に自由を与えよう」
「は…?」
そんな馬鹿なことがあるか。目の前の男をにらみつける。
私は去年の精霊界誕生祭にエリアスの婚約者として出席し、そこで春の王と対面し言葉も交わした。だから知っている。この男は春の王ではない。
「春の王は腹の出た中年のおっさんだったはずだ。こんな美丈夫ではない、と顔に書いてあるぞ、セイラ」
クツクツ愉快そうに笑う男に氷魔法で創った矢を打てば、やつはおお怖いとお茶ら気たように両手を上げる。…たしかに狙ったはずなのに、何百本も放った矢は一本たりともその男に当たらなかった。
「記憶力のいいお前なら覚えているはずだ。その腹の出た中年のおっさんの隣には誰が立っていた?」
「……お前だ」
そうだ。たしかにあのとき、春の王の隣には付き人としてこの金の髪の男がいた。
舌打ちをする。なるほど、あの王は偽物で、お前が真の王だったというわけね。
「いいでしょう。ならば問うわ、春の王。お前、この国の次期王妃となる私に自由を与えるなどとのたまって、いったい何が目的?」
「クハハッ。セイラ、俺も善人じゃあない。もちろんタダでお前を助けてやるつもりはない。条件がある」
そうだろうとは思った。
「言いなさい」
内容によっては考えなくもない。まあ大方、私の持つ知識を寄こせという話だろう。
そう考えていた私の予想は、悪い意味で裏切られる。
「俺の妻になれ」
「は?」
出会って数分の男に求婚された。
やつのアイスブルーの瞳に私が映っていないことを確認して、とりあえず安堵する。
「精霊界の王妃から、春の国の王妃に変わるだけだ。大差ないだろう?」
「あるわ。いえ、それよりも。なぜお前の妻に?」
「もうそろそろこの身体も限界だからな。この身体であるうちに子でも成しておこうかと思った。そこでお前に目をつけた」
「意味が分からないわ。私に一目惚れしたとでも言うの?」
ほんとうに意味がわからなかった。
だというのに春の王は私の言葉を聞き、キョトンと目を瞬いた後で思い切り吹き出した。さらに意味がわからない。なにがおもしろかったの?
「俺が一目惚れだと?ハッ、まさか。まあお前がロマンチストであるならそういうことにしてやるが、お前はむしろ、そういうのは反吐が出るほど嫌いなんじゃないのか?」
「ええ、嫌いよ。気持ち悪い。でも言葉を交わして数分しか経っていないのに、自分の妻になれなんて言ってくる男も嫌い」
「クク…なかなかに手厳しい。ますます気に入った。ぜひともお前には俺の子を孕んでもらいたいものだ」
口の端を上げる男に、無意識のうちに後ずさる。
「…ねぇ、お前本気で言ってるの?私に手を出せば、エリアスを敵に回すことになるのよ。春の国と精霊界で戦争でも始めたいわけ?」
「ほぅ、愛されている自信があるのだな。まあ、あるか。監禁されているくらいだものな」
「ええ。私はあんな男、大嫌いだけどね」
「ならば俺と共に来い。お前を助けてやる」
「戦争は嫌い」
「お前の気配を感知できなければ、いくら優秀と称されている精霊の王子といえどもお前を見つけ出すことは不可能だろう。探し出せなければ戦争をふっかけることもできまい」
精霊界を出る直前にお前の気配とでかすぎる魔力をそれに封印してやる。そうすれば王子はお前を探し出すことが不可能となるだろう。そう言って春の王が指さしたのは、私の胸元で輝いていた守り石だった。
守り石に私の気配と魔力を封印する。
……気配とは精霊であっても人であっても切っても切り離せない、個人個人それぞれ形の異なるもの。普通は封印なんてできない。だけど優秀な魔法使いであれば、それは不可能なことではない。
私の精霊としての本能が言っている。この男は、できる人間だ。
私の意思は固まった。
私の顔を見て悟ったのだろう。春の王がニヤリと笑う。
「条件があるわ。私はお前のことを一生好きにならない。だからお前も……」
「いいだろう、俺もお前を一生愛すことはないと約束する。そもそも俺は人を愛する気持ちも愛し方も忘れてしまったからな、安心するといい」
「なら、いいわ。私があなたの子を産んであげる。だから私を自由にして」
私は春の王の手を取った。
とはいえ、この男が本当に私を助けてくれるのか、助けるだけの力があるのかは、やはり半信半疑だった。
紺色の髪の少年――アオが春の王と契約をして、エリアスや騎士に見つかる前に精霊界を出ようというそのときまで疑念を拭い去ることはできなかった。
「お前たち、なんだその目は。どれだけ俺を信用していない」
顔に出ていたらしい。そしてアオも私と同様に春の王を信じていなかったようだ。
やれやれとため息交じりに春の王は笑う。
「無駄な力は使いたくなかったが、まあいいだろう」
次の瞬間春の王の掌から金色の光があふれ出し、そしてそれは波のように私たちを覆い飲み込んだ。
「きゃあっ…あれ?ここ、どこ?…嘘、魔力が半分しかない」
「ここは王の間か?っルリの傷が…」
気が付けば私たちは春の国の王の間にいた。さらに私の気配と魔力半分は守り石に封印されており、アオが抱きしめていた妹の亡骸についていた傷はきれいに修復されていた。
春の王は驚く私たちを見て得意げに笑う。
「では、改めて春の国へようこそ。我が妃、我が下僕。というわけで、セイラ早速子作りを始めよう」
「子供の前でそういうこと言う人間とはしたくないわ」
「ハッ。フラれてやんの。ハゲろ馬鹿王」
「クハハッ。俺の目に狂いはなかった。久しぶりに楽しい日々を送れそうだ」
私の春の国での生活が始まった。




