89.温室の中の花畑
色とりどりの花畑は城内のはずれにある小さな温室の中にあった。
花弁の上で輝く水滴たちは朝日の光を浴びてまるで宝石のようだ。
温室で花に水をあげていた麗しい老年の女性の足元に、音もなく現れた臙脂色の髪の青年が跪く。
「殿下は無事、ブラッド海賊団を壊滅させることができたぜ。あんたの目論見通りにな」
「トラム…」
跪いた青年――トラムはにやりと笑い立ち上がると、女性に足腰弱い年ごろなんだから座りましょーねと椅子をすすめた。彼女が手に持っていたじょうろも奪う。
無礼な発言と態度だが女性は気にしていないらしい。
しわの増えた目じりを下げ微笑むと椅子に座った。
彼とはもう15年の付き合いだ。
彼女はトラムが老婆の身体を心配に思ってのこの言動であることをきちんと理解している。
「ありがとうね、トラム」
「それじゃあばーさんの身体を労わったお礼に、ぶっ壊された操縦室の修理代を…」
「ふふ、調子に乗るんじゃありませんよ」
「ちぇー」
膨れるトラムを見て女性は楽しそうに笑う。
上品な紺色の生地のロングドレスは、やさしい面持ちの女性に良く似合っている。老いてもなお、その女性は美しい。
「こんなまどろっこしいことしなくても、言ってくれれば俺達喜んで殿下の力になったぜ?ブローチだってわざとあいつらに盗ませたんだろ?」
「……ふふ」
トラムは膨れっ面のまま懐から何かを取り出すと、それを女性に手渡した。
ブローチだ。
女性はトラムの言葉に驚くことなく、困ったように笑いながら彼が取り返してくれたブローチを受け取り自身の胸元につけた。
「ごめんなさい。だってもしかしたら、言わないだけでトラムたちは王家に力を貸すのは嫌かもしれないじゃない?でもあなたたちは私の頼みならなんでも聞いてくれるから。それで…」
「殿下に力を貸すか、貸さないか、俺達に選ばせたってわけか」
3日前。
女性はトラムらに盗まれた自分のブローチを取り返してほしいと頼んだ。
しかしその頼みを聞き入れる前に、冬の国の王子がブラッド海賊団を壊滅させるために動き出したという情報をトラムたちは得ていた。
15年の付き合いだ。
女性がトラムたちの考えをわかるように、トラムたちも女性の考えは手に取るようにわかる。
女性はかわいい孫の作戦を成功させるために、わざと自分のブローチを敵に盗ませ、トラムたちダンデライオン号と孫の率いる海洋軍船が手を組むように仕向けた。
すべて察してトラムは恩人の頼みを聞き入れたのであった。
「ほんとまどろっこしいったらありゃしねー。ばーさんってばときたま阿保だよな。ああ、わかった。なんでかヒメの世話をやきたくなる理由、ヒメさんの馬鹿なところがあんたに似てるからだ!ま、ばーさんはヒメほど馬鹿じゃねーけど」
トラムはため息をつくが、
「あらあら!ヒメさんってどなた?新しくできたお友達?」
女性は自分の興味のある部分しか話を聞いていなかったようだ。
少女のようにキラキラと目を輝かせる女性にトラムはため息を吐く。
「はいはい、話をすり替えないでくださいー。…王家に力を貸すのが嫌とか嫌じゃないとか、今更なんだよ。だって俺達の恩人、前王妃様じゃん」
ニヤリと笑うトラムの視線の先にいるのは、当然麗しい老年の女性。
彼女――冬の国の前王妃は困ったように笑った。
「たしかに私は前王妃だけれど、あなたが私に力を貸してくれるのは私が王族だからではないでしょう?」
「あったりまえ~。だけど俺達の恩人の守りたいもんは家族、つまり王族じゃん?俺達は恩人の大切なもんも守りたいわけ。つまり王族を助けるのもやぶさかではないわけ」
「…トラム」
ウインクしてくる男は、はじめて出会ったときは大違いだ。
15年前は彼がこうやって自分に笑いかけてくれる日がくるなんて思っても見なかった。
…すっかり大きくなって。
目の前に座る老婆を見て朗らかに笑う青年の姿に、前王妃はもろくなった涙腺を少し憎く思った。だって涙など流したら目の前にいるこの男に笑われてしまう。
前王妃がトラムと出会ったのは15年前のことだった。
血のつながらない孫たちが夫の暴挙のせいで行方知れずとなり、夫にばれないように彼らを捜索していたとき。
貴族たちから金を盗んだ子供たちを騎士団が捕まえたという情報をを得た彼女は、もしやと思い彼らが捕らえられていた牢を訪れた。
探し人こそいなかったが、前王妃はそこで、当時11歳だったトラムたちと出会ったのだった。
鉄格子ごしに初めて出会ったとき、彼らは皆虚ろなこの世のすべてを憎んだ瞳をしていた。
その瞳が彼女の心をえぐる。
助けてあげられなかった孫たちも同じように自分を見るに違いない。
罪悪感からだった。
「あなたたちの力が必要です。この国を変えるために私に力を貸してくれませんか?」
彼女は子供たちに手を差し伸べた。
それは暗に、自分には力がない誰かを頼ることしかできない、そう言っていた。だけれどもその言葉を聞いて、うなずいて、理解を共感を示してくれた子供たちはいた。
前王妃は自分の手を取ってくれた子供たちを保護した。
トラムたち王侯貴族に傷つけられた子供たちは最初全く心を開いてくれなかった。当然だった。
だけど時が経過するとともに彼らは前王妃に心を開いてくれ、そして今はこんなにも明るく、やさしく笑いかけてくれるようになった。
うれしいと思う反面、心が痛くなる。
「ありがとう。あなたたちはいつも私の願いを叶えてくれるから、私はあなたたちに甘えてしまうの。ダメだってわかっているのにね」
「なにが願いを叶えてくれるだよ。あんたの一番の願いを俺達はまだ叶えられてねぇ」
肩を下げて申し訳なさそうに言う前王妃をトラムはにらむ。
トラムは前王妃に救われた。
生きる目的を彼女は彼らに与えてくれた。
この国を変えることも目的だが、彼らの一番の目的は前王妃の願いを叶えることだ。だから前王妃の一番の願いをまだ叶えることができていない無力な自分に苛立つ、歯がゆい。
「あの子の…アオの力が必要なの。王の剣を抜いたあの子ならこの腐敗した国を正しい方向へと導いてくれる」
でも、と前王妃は首を横に振る。
「でもこれは、建前。ほんとうはあの子たちに会いたいだけ。生きている姿をこの目で見て、そしてあの日救えなかったことを謝罪したい。ただのエゴ。こんなことにあなたたちを巻き込んでしまってごめんなさい」
前王妃は涙にじむ瞳を静かにふせた。
やさしかった息子は10年前から様子がおかしくなり、6年前にかわいい義娘が死に、愛する妻を失ったショックからか息子の様子がさらにおかしくなり。夫は今も昔も変わらずに、民を苦しめ続ける所業ばかり。
臆病者の自分は夫の愚行を止めることも、様子のおかしな息子を叱責することも、民のために何かをすることだってできない、なにもできない。
ギル――孫だけが、孫たちばかりが苦しい思いをしている。迷惑をかけてしまっている。
その負担を少しでも減らしたい。そのためにアオたちを探し出したい。ギルと手を取りあってこの国を変えてほしい。
それも願いだが、やはりこれは建前で、臆病者の老いぼれは、ただ、ギルとアオ、アイ、ルリの4人の孫たちが幸せに笑う姿をこの目で見たいだけなのだ。
理想や願望ばかりを述べる愚かな老婆の手をとってくれるのは、心も体も見違えるほどに大きくなったトラムだ。
「いいんだよ、それで。あんたは今までよく頑張ってきた。報われていいに決まってる。老いぼれの願いの一つ叶えられなくちゃ困る。俺が必ずあんたの行方不明の孫3人を見つけ出して会わせてやるよ」
「ありがとう、トラム」
笑った前王妃の眼尻から一筋の涙が落ち、年寄りは涙腺がもろいなとトラムはやさしく笑ってそれをぬぐった。
トラムは知らない。
ヒメさんの隣にいたメガネが、前王妃の探す行方不明の孫と同じアイという名前だということを。
89話のおまけ話を活動報告にあげました。
よかったら見てください。




