87.紐無しバンジーはもうしたくない
ギルだけが戻ってきていない、そして海賊船がもう間もなく沈没するという現実にこの場にいた全員が冷静さを失った。
ブラッド海賊団の海賊船はもう6割ほど崩壊している。海賊船を沈没させるなんて私たちの作戦にはなかった。海賊船の崩壊は敵の仕業だった。
なんでも海賊船が崩壊することになったのは、ブラッド海賊団の船長が捕まる直前に海賊船に設置しておいた爆弾を起爆させたからなのだそうだ。
証拠隠滅のためなのかなんなのか知らないが、ほんとうに余計なことをしてくれた。
唇を噛む。
兵士もダンデライオン号のみんなも、敵味方関係なく海賊船の中に誰も残っていないことを確認してから海洋軍船に避難してきただけあって、ギルだけを取り残してしまったという精神的ダメージが大きい。
特に冬の国の兵士さんやミルクなんかはひどく取り乱していた。
「焦るな!慌てるな!冷静に考えろ!」
ざわめきを沈めたのはトラムの声だ。
彼の言葉に、焦っていたダンデライオン号のみんなや、自分を責めていた海洋軍船の兵士さんたちは落ち着きを取り戻す。
誰が捜索に行くか。
それともギルを信じてここで待つか。
全員が話し合う中。
「……。」
私だけが、ギルの元へ無事にたどり着き、無事に海洋軍船に戻ることができる作戦を思いついていた。
みんなの輪から少し離れたところにいた私はごくりと生唾を飲み込む。
簡単だ。瞬間移動すればいい。
私は過去、ギルに私の光の魔力が込められたお守り人形をプレゼントしている。もしギルが私の創った犬人形を肌身離さず持ってくれているとしたら、ギルの元へ瞬間移動することは可能だ。
帰路もきちんとある。ギルを回収後、この海洋軍船にまた瞬間移動すればいい。
この船にはルーの人形を持ったエルと、私があげた熊さん人形を肌身離さず持ってくれているならばミルクもいる。2人を目印に戻ることができる。
だけどデメリットもあって。
ギルは、私が自分の魔力が込められた人形を目印に瞬間移動することを知っている。
つまりギルの持つ人形を目印にして瞬間移動したと知られれば、ヒメ=リディアだと完全にばれてしまうのだ。ばれてしまうと、結果的に本編開始の可能性が出てきてしまいまして…。
まあ結局悩む時間は5秒くらいだった。
なぜかわからないけれど、ギルはもうすでに私がリディアだと気づいちゃってるようだし。
うん、悩むだけ時間の無駄だ。海賊船が沈没する前にさっさと瞬間移動してギルを回収してしまおう。
ばれないように周囲を見回して、誰も私を注視していないことを確認し、ギルに渡した犬のお守り人形の気配を探る。――見つけた。
このことをみんな…特にエルに言えば確実に反対されるので、私は一人で瞬間移動を、
しようとしたんですけどね~。
「ヒメ!お供します!」
「ゲッ」
野生の勘が働いたのか、瞬間移動の直前にアイに腕を捕まれてしまった。
私の瞬間移動も師匠の空間移動と同じように転送者に触れている者を一緒に運んでしまう。
ようするに私はアイも連れてギルの元へと瞬間移動をしてしまったのだ。
アイの馬鹿ぁあああ!
だがしかし嘆いても仕方がない。転移はすでになされてしまった。
目を閉じて開いた瞬間目に入ったのは、
「やっと見つけたぞ!蛇!」
『…少しは成長したようだな』
エントランスホールのような場所で、蛇の仮面をつけた黒衣の騎士と対峙するギルだった。
話している内容までは聞こえないが、ガキィンガキィンと蛇の持つ黒の剣とギルの銀色の剣がぶつかり合って、とってもシリアスな雰囲気だ。
そう。とーってもシリアスな雰囲気ですけどね!?
「ギル、助けに来…高いんですけど!?うぎゃぁぁあああ」
「ヒ、ヒメ!落ち着いてください!」
はい、おわかりいただけただろうか。
私、ギルのすぐそばに瞬間移動したわけではありません。
ギルの頭上、頭上は頭上でもエントランスホールの天井付近に転移しました。転移した瞬間ギルたちの次に目に入ったのはシャンデリアです。きれいですね~という現実逃避はここまでにして、はい。現在進行形で落っこちています。真っ逆さまに落下です。
フリーフォールするなんて聞いてませんよ、ハハハ。リディアちゃん当然パニクります。
「ヒ、ヒメっ!」
「う、うわ~ん。アイぃぃいい」
はい、パニクって、アイが私を床への激突から守ろうと伸ばしてくれた手を振り払ってしまいました。誰か私を馬鹿だと罵っていいので助けてください!?
しかも振り払った勢いでアイとの距離が離れてしまったよ。手を伸ばしても届かないよ!?私このままじゃ一人で固い床とこんにちはだよ!?ぎゃぁああ。さらにパニック!
一方で空から降ってくる私の声に怪訝に思ったのであろう。
蛇もギルも動きを止めバッと上を見た。そして降ってくる私とアイの姿を捉え、
「『リディア!?』」
うん、待って。声が重なりましたね。でも2人とも確実にリディアって言いましたよね。リディアちゃんギルは知っているけど、この蛇さんとは知り合いじゃありませんよ!?
だけどそんなツッコミをしている暇はなくて。
私はもうすぐ地面とこんにちはでして、うん死ぬな。
冷静に死を悟ってしまった自分が憎い!
走馬灯かな。思い出したのは孤児院での出来事。
いつの日だったかミルクに突き飛ばされて私は階段から落ちた。だけど無事だった。それはアオ兄ちゃんが私をキャッチしてくれたから。
「本編はじまる前に、死ぬとか…」
『死なないよ』
そうまさにこんな風に…え?
本編開始前に死ぬとか最悪ーと苦笑していた私の耳元で聞こえたのは、大人の色気漂う落ち着いた声、ではなかった。
鳥や猫と同様に、何者であるか認識できない不思議な声。
だけど力強く私を抱える暖かい腕はあのときと同じで。
「ありがとう、ございます?」
『……。』
いつの日かのアオ兄ちゃんのように私をキャッチしてくれたのは、ギルと対峙していた蛇の仮面の黒衣の騎士だった。しかもお姫様抱っこ。これはポイントが高いですね~と冗談はさておき。
見るからに敵っぽいけど私を助けてくれたってことは、いい人なのだろうか。首を傾げたときだった。
「リディアから離れろ!」
「ヒメ!」
ギルとアイの声が後方で聞こえた。
『…またね』
「え。ちょ!」
私にだけ聞こえる小さな声。
蛇は私をギルたちに向かってぽ~いと投げ捨てると、私、ギル、アイの順番でじっと私たちを見て、猫と同じく霞のように消えた。
これまたあっけない退散である。
「あの人は、いったい…」
「……。」
私と、そしてアイは茫然と蛇が消えた場所を見ていた。
のだが、
「大丈夫!?あいつになにかされなかった!?」
「ぬわわ。ギル、揺らさないで。私は大丈夫だから」
駆けつけたギルに体をぶんぶんと振られてなんとも言えない雰囲気が霧散する。
あのギル君、どうしたんですか!?
「ほんとうに!?大丈夫!?」
「大丈夫だから」
「リディアはっ、リディアは…おれの前からいなくなったりしないよね!?ずっと一緒にいてくれるよね!?」
「ギル?」
どこか様子がおかしい。
そう思ったのはアイも同じだったらしい。
私と一緒に蛇がいた場所を見ていた彼であったが、今は眉を八の字にしてギルを見ていた。いつもは私に近寄る人間すべてを威嚇するアイだが、今ばかりは弟を心配に思う兄のような顔をしている。
真っ青を通り越して真っ白な顔のギルは、私に抱き付いて離れない。彼の手はかすかに震えていた。
こんなに動揺しているギルは初めて見たかもしれない。
「どうしたのギル?」
「…リディア。あの蛇はおれの…」
ギルが言いかけたときだった。
ドガラガシャッ
大きく揺れる船内と崩壊する音。
そして足元に感じた冷たい海水。
それで我に返る。自分たちの置かれている現状を思い出した。
「この海賊船沈没しかかってるんだった!なんで今の今までそのことを忘れていた自分!?アイ!私の手を掴んで!」
「はい!」
「え?ちょ、リディア!?」
アイが私の手を掴み、私はギルを抱きしめる。
近くにルーと熊さんの形の光の魔力を感じ、私はそこへ瞬間移動した。
「くそ馬鹿リディア!」
「ヒメさん!殿下!メガネ!」
「ギ、ギルぅうううう」
「あとでクラウスさんに叱ってもらいますからね」
「「「「「うおぉおおおおおお」」」」」
眼を開けずともわかる。
船が崩壊する音とはまた違った騒がしい音に、私は瞬間移動が成功したことを悟りほっと胸をなでおろし…はい、訂正します。胸をなでおろしてすぐに私は下げたはずの胸を上げました。
なぜかって?
「リディアおねえちゃん」
「王子様~」
「……オウ、ノー」
強化された私を抱きしめる力と新たに増えた肩を掴む手に、嫌な予感を感じたからです。
目の前にはにっこり笑顔のギル。背後には同じく笑顔のミルク。ああ、はい。嫌な予感しかしませんね。
「さあリディアおねえちゃん。無事解決したんだ。今まで何があって行方不明だったのか、洗いざらい話してもらうよ」
「絶対に離さないからね、王子様~」
「……。」
さきほどの真っ白な焦った顔はどこへやら。ギル君すばらしい笑顔です。
そういえばこの件が片付いたらゆっくりお話しようとかいってましたね、君~。いやたしかに、この件片付きましたけど。お話するの早すぎませんか?少し休みませんか?あ、休まないのね。ハハハ……。
誰か助けて!?




