これは強欲な猫のお話
猫視点です。
精霊界、ルレーネ・シルヴァスタ王国。
安定と平和をかかげる王家は国民からの支持も厚く繁栄していた。
そんな王家に一番近い存在とされているのがウィライアス公爵家であった。
私は先祖代々、ウィライアス公爵家に仕えてきた一族の一人。
自分の意思はない。彼らの命令に従う傀儡。それが私たちだった。
「エリアス様はなぜ私を見てくださらないの…」
鬱々とした様子で人形の腹にナイフを刺し続ける女性こそが、私が仕えるウィライアス公爵家長女否、ルレーネ・シルヴァスタ王国の王妃であった。
彼女の心は壊れていた。
半年前、ずっと想い焦がれてきたエリアス王子――現精霊王と婚姻できた彼女の心は舞い上がっていたが、初夜のその日にその心は地に落とされた。
初夜。エリアス王子は彼女の元を訪れなかったのだ。
それもそのはず。
彼は同時刻に、当時行方不明であった元婚約者を迎えに人間界へと旅立っていたのだから。
エリアス王子は結婚式の翌日の朝に帰ってきた。
全身血だらけの重傷を負いながらもその両手に愛する人を抱きかかえ、彼は怪我の治療もせず帰還後早々、声高々に国民へ宣言した。
「行方不明であった我が婚約者は人間界の王に囚われていた。よほど辛い目に遭ったのだろう。彼女は私の顔を見た瞬間安堵し気を失った。今も目覚めない。私は彼女を愛している。彼女もまた俺を愛している。もう彼女を失いたくない。よって彼女――セイラ・ノルディーを第二王妃として迎え入れることを決めた。異論は認めない。彼女との婚姻が許されないのであれば、私は王の座を辞する所存だ!」
前精霊王と前王妃の、大臣や騎士団の、国民の目の前で、そして王妃の隣で、彼は言った。
瞬間、辺りは歓声に包まれた。
国民皆が己の愛を貫き通す精霊王の姿に感銘を受けた。国民全員がエリアス王とセイラ第二王妃の婚姻を祝福した。
一方で前精霊王たちも国民たちの声に圧倒されたのか苦笑しながらもうなずき、我が子とその妻を祝福した。
この場にいた全員が笑っていた。幸せに包まれていた。
否、1人を除いては。
エリアス王の隣に立つ正妃の顔は笑顔だった。が、その笑みはひきつり震えていた。
彼女は貼り付けの笑顔の奥で何を想い、何が壊れたのだろう。
もともと彼女の心は壊れていた。
幼少期のころからエリアス王子を慕い彼の筆頭婚約者候補と言われていたが、その座をぽっとでの少女に奪われ、それでもあきらめきれず愛を囁くが相手にされない日々、ようやくその人を手に入れたと思ったのにやはり奪われて。
この日の出来事が決定打となり、私の主の心は完全に崩壊した。
「王妃、それ以上はおやめください。腹の子に支障が出ます。エリアス王子とあなたさまの愛の結晶に障りがあってはなりません」
私がそう言ってようやく彼女は人形を刺す手を止めた。
虚ろな瞳で暗い笑みを浮かべる彼女は少し大きくなった自身の腹をなでる。
「うふふ。そうね。エリアスと私の大切な子。この子は次期国王となるの。……ねぇ、セレシア」
「はい」
「エリアスの血を引く子は1人だけでいいと思わない?王妃も…1人だけで十分でしょ?」
頬を桃色に染め少女のように笑う彼女は、小物入れから水色の液体の入った小さな小瓶を取り出し私に渡した。
黒い蝶が舞う。
その日は私が彼女に仕えた最後の日となった。
////////★
「セレ、お腹すいた」
「お腹がすいたのだー!」
「っちょ、おやめください!」
不機嫌な声と元気な声に振り返れば、畑仕事で全身を泥だらけにしたセイラ様とエリック様が私の元へと走ってきていた。
今までの経験からわかる。
彼女たちは汚れた体で私に抱き付くつもりなのだ。潔癖症の私への嫌がらせだ。
当然私は逃げるが、幼児の鈍足が大人と王族に敵う訳もなく。
「下僕の分際で主から逃げるなんて随分と生意気ね!」
「セレはセイラの下僕ではないのだー!おれのお嫁さんなのだー!」
「ひぃいい。泥が!服に!お離しくださいぃぃ」
「ていうかお腹すいたんだけど」
「お腹すいたのだー!」
「だから離してくださいぃぃいいい!」
それはとても幸せな日々だった。
前主の命令に従い第二王妃を毒殺しに行き、返り討ちに会い、結果若返り新しい主を得てから3年もの月日が経過していた。
私は今、セイラ第二王妃の唯一の侍女として城で働く4歳の幼女だ。
それと同時に私は我が国の第二王子であるエリック様の侍女でもあった。
第二王妃であるセイラ様と、正妃の実子であるエリック様がなぜ共に暮らしているのか。月日は2年半前へと遡る。
それは正妃の身ごもっていた子が生まれてから1週間後のことだった。
深夜。妙な胸騒ぎを覚えセイラ様の部屋を訪ねた私は、予感が見事に当たり気を失いかけた。
「セイラ様…その腕に抱えていらっしゃる方はもしや……」
セイラ様の腕の中には夕日色の髪に灰色の瞳と泣黒子が特徴的な生後1週間ほどの赤子がいた。
セイラ様の実子であるエルト王子ではない。彼は精霊王の下にいる。セイラ様が王の近衛兵たちを倒しエルト王子を連れだした可能性も考えられるがそれも違う。涙黒子こそ同じだが、エルト王子とこの赤子は髪色が違う。エルト王子の髪は黒銀色だし瞳もルビーのような赤だ。
つまり……
「エリックよ。あのバカ女からもらってきた」
頭を抱える。
バカ女とは正妃のことだ。
「セイラ様、記憶操作の魔法を使いましたね。なぜですか?そこまでしてエリック王子が欲しかったのですか?それとも自分の子に会えない鬱憤をこの方で晴らそうと…」
「あんたが私を内心どう思っているかはわかった。…ちがうわよ。この子をあの女から引き離したのは……せめてもの罪滅ぼし。そう、ね。たしかに私は悪女だわ」
自嘲の笑みを浮かべる彼女に私は不安を抱く。
「セイラ様…?」
「……なんて顔してんのよ。気を引き締めなさい。明日からはそんな顔している暇なんてないわよ」
「え?」
「エリックは今日から私たちと一緒に生活することになった。あいつからも許可は取ってあるから」
「なっ!?正妃からの嫌がらせで自給自足の生活を余儀なくされているこの後宮でエリック王子も一緒に暮らすというのですか!?」
「わかりやすい説明どうも。明日から頑張ってね。頼りにしてるわよ、私の優秀な下僕さん」
「そ、そんなぁああああ!?」
セイラ様曰く、私の絶叫は精霊界を飛び越えて人間界にまで聞こえたそうだ。
1人でも大変だというのにそれが2人に増え、当初の私は明日から死ぬのではないかと絶望していた。しかしやってみると意外となんとかなるもので、エリック様がセイラ様よりも聞き分けが良くおまけに私の手伝いをしてくれるというのもあり、ちゃんと今も生きている。
「セレはおれのお嫁さんになるのだ!」
「ふふ。はい。エリック様」
満面の笑みで私に花束を渡すエリック様の後ろでセイラ様が「文献にのっていたわ。それは女児が将来はパパと結婚すると言うのと同義よ。真に受けたら痛い目見るやつよ」と身も蓋もないことを言って、それに対してエリック様が怒る。
「ちがうのだ!おれはセレが大好きだから結婚するのだ!」
「あーはいはい」
「セイラぁああ!」
幸せな光景に私の顔はほころぶ。
114年生きてきたけれどここ数年ではじめて私は幸せという言葉の意味を理解した。感情を知らない傀儡の私はもういない。私は今、幸せだ。大切な人たちが守りたいと思う人たちができたから。
まっすぐな好意がくすぐったくて、あたたかくて、うれしくて、私はほんとうに幸せだった。
この2人のそばにずっといたい。支えていきたい。そう思っていた。
しかし幸せな日々は唐突に終わりを告げる。
私の外見年齢が5歳になった日の出来事だった。
星も月もない、すべてが濃紺の世界に包まれたそんな空を突き破るような細い銀の柱が見えた。
バルコニーにたまたま出ていた私はその光を見て血の気が引いていくのを感じた。
「セイラ様の…魔力っ」
主の身に何かが起きた。
掌が熱い。すぐにセイラ様の元へ向かわなければ。
私はバルコニーから飛び降りる。飛び降りようとした。が、自室に自分以外の気配を…この場に絶対に現れるはずのない気配を感じ、動きを止めた。止めざるを得なかった。
「お前がセレシアだな。セイラの懐刀」
「っ精霊王様」
振り返りその人を視界にとらえた瞬間跪く。
エリック様と同じ涙黒子に夕日色の長髪、灰色の瞳。白い軍服を見に纏ったその人は、セイラ様の夫でありこの国の王であらせられる方だった。
「これからお前の処遇について話す。心して聞け」
「はっ」
理解の追いつかない状況だが精霊王の命令には逆らえない。逆らえばその責任を負うのは主――セイラ様となる。
感情の読めない瞳で精霊王は言葉を続ける。
「はじめに伝えておくことがある。セイラは死んだ」
「っ!?」
嘘だ。
精霊王は嘘を言っている。
私の掌の中の薔薇は淡い紫色の光を今も放ち続けている。セイラ様は死んでいない。なぜ?いったいなにが引き起こされて…
「妙な勘繰りはするな」
「うっ」
精霊王の魔力を含んだ冷たい声に体が沈む。
だけど掌の熱さにセイラ様のことを、今何が引き起こされているかを考えないわけにはいかなくて…
「セイラは死んだ。明日国民にもそう伝える。これは決定事項だ。……チッ。すべてあの男のせいだ」
吐き捨てるように精霊王は言うと私を見て目を細めた。
「安心しろ。お前は殺さない」
「っ!」
牽制だ。
唇を噛む。
私は殺されない。だけど私の行動次第で命を脅かされる人物がいる。セイラ様か、エリック様のどちらか。精霊王はセイラ様に執着している。殺すことはしないだろう。
となれば殺されるのはエリック様。…嫌だ。
「お前は今日から俺の部下だ。手を出せ」
淡々とした口調。感情の読めない瞳。
ずっとセイラ様に仕えていたかった。だけど真っ先に思い浮かんだ顔はセイラ様ではなく、エリック様の優しく微笑む顔で。
「……あなた様に、従います」
差し出された精霊王の手を握れば、掌で輝いていた薄紫色の薔薇は消え代わりに闇色に輝く薔薇が現れた。失ったものは大きい。喪失感に胸がえぐられるような痛みを感じる。
「ときにお前は闇の化身についてセイラから話を聞いたことはあるか?」
「闇の…化身?」
唐突な、しかも聞いたことのない言葉に私の顔は怪訝にゆがむ。
「…ほんとうに俺だけに話していたのだな」精霊王が満足げに笑ったのは一瞬のこと。すぐに感情の読めない顔に戻り、冷たい灰色の瞳で私を見下ろす。
「セイラが時の魔法を扱えるのは知っているな」
「はい」
「この世界は2回目の世界なのだそうだ」
「え?」
「今から約4年前、セイラはエルトを早産した日に時の魔法で1回目の世界を…この言い方はおかしいな。セイラは時の魔法で1回目の世界について知り、その影響でエルトを早産した」
「っ!」
覚えている。
4月だった。あたたかな日差しの下でセイラ様は穏やかな顔で大きくなった腹をなでていた。だけど突然その場に崩れ落ち、セイラ様は涙を流し始め、母体に影響が出てエルト王子がお生まれになった。
早産だったがエルト王子は健康体で。セイラ様は泣いて喜んだ。だけど生まれたときは銀色だった髪が黒銀色に変わったのを見て、彼女は真っ青になり気絶した。
髪色の変化を調べるために精霊王が生まれたばかりのエルト王子をどこかへ連れて行き、その直後に目覚めたセイラ様が王の元へ直訴しに……
「あのときにセイラ様からこの世界が2回目の世界であると…」
「ああ。聞かされた。当時は俺からエルトを取り戻すための虚言と考え信じてはいなかったのだが、そうもいかない状況になってな」
精霊王は懐から出した袋を私に投げてよこした。
中を開けろという指示に従い袋を開ければ、そこに入っていたのは黒い石のついた7つの装身具だった。
「今から人間界――春の国に行け。セイラが死んだ。春の王に会わせろ。そう言えばお前は王に会える」
「え?」
「お前が手に持つ7つの装身具は闇を貯蔵する入れ物だ。春の王に闇を回収させろ」
「なぜ闇を…」
「闇の化身を目覚めさせるためだ」
「闇の化身?」
精霊王の言わんとしていることが理解できず混乱する。
「闇の化身は、破壊と絶望の神と融合した生物を指す敬称だ」
「破壊と絶望?」
混乱は加速する。が、
「セイラが言うには1回目の世界でエリックは闇の化身と化し、それを春の王が操り人間界と精霊界の両方を火の海にしたそうだ。まあ光の巫女とやらがすべてを解決したそうだが」
「エリック様が……?」
頭から冷水をかけられたようだった。
言葉が頭に入ってこない。嘘。ちゃんと聞こえてる。だけど聞きたくなくて。
「俺は闇の化身が欲しい。闇の化身の力で春の国を亡ぼす。闇の化身を創る方法はわかる。だが自ら動くにはいろいろと不都合がある。だから適当に言いくるめて春の王に準備をさせろ。すべての準備が整ったところで俺に闇の化身をよこせ」
「…エ、エリック王子はこの国の第一位王位継承者であらせられます。彼を闇の化身として扱えば、精霊界の次期国王がいなくなります」
「ではお前にもう一つ任務を与える。エルトを探し出し俺の元へ連れて来い」
「え?」
「今日セイラがエルトを人間界へと逃がした。……なるほど。俺の邪魔をするために逃がしたわけか」
「エルト王子をセイラ様が…」
「セイラの魔法でエルトの姿は黒い鳥に変えられた。見つけだせ」
「お待ちください。それらは長期にわたる任務です。僭越ながら私にはセイラ様とエリック様のお世話を、いえ。セイラ様はお亡くなりになられましたが、私はエリック様の侍女として……」
「セイラが死んだ今、エリックは俺の元で世話をする」
私の言葉は途中で遮られた。
感情のない瞳が私を見下ろす。
混乱してまだ頭の整理が追いつかない。
だけど一つだけわかるのは、私には選択肢がないということ。
従わなければエリック様が死ぬ。精霊王がわざわざ私に対し「世話をする」と言ったのにはそういう意味が含まれている。
目を閉じればすぐに浮かぶあの方の顔。
やさしい人。あたたかい人。私に笑いかけてくれた人。こんな私をお嫁さんにしたいと言ってくれた人。大好きな大切な人。
彼に死んでほしくない。
「かしこまりました。エルト第一王子の保護、春の王への接触と闇の回収。ともに完遂させてみせます」
///////★
黒いマントに身を包み手には闇の装身具を持ち、私は人間界――春の国を目指し母国を旅立つ。
精霊王からセイラ様が見たという1回目の世界の話を、闇の化身の話を、すべてを聞いた今、私の心は不安に揺れていた。
エリック様を殺されたくないから私は精霊王の指示に従う。
だけど今従ったところで、結局彼は闇の化身として…国を亡ぼす殺戮兵器として実の父親に利用され、生きながらに死んでいるような生活を余儀なくされるのでしょう?
感情をなくし、ただの傀儡のように生きる。
かつての私のように。
それははたしてエリック様にとって幸せなのだろうか。
答えがわかりきっている疑問に失笑する。
「幸せなわけないじゃない」
噛みしめた唇から血が滴り落ちる。
幸せなわけがない。それはわかっているけれど、今の私には精霊王の命令に従う以外に彼を守る方法がなくて。もちろん私が王の命令に従わなくても、闇の化身の器となる役目がある彼は殺されないだろう。だけど、心は傷つけることができる。壊すことができる。殺される。
私の体が大きければよかったのに。そしたらエリック様を連れて逃げて…。
そこまで考えて私は首を横に振る。
だめだ。精霊王からは逃げられない。
掌で輝く黒い薔薇の契約印があるかぎり、私の居場所は彼に筒抜けだ。
どうしたって詰んでいる。
それは、自分の無力さを思い知り嘆いていたそんなときに差し伸べられた手だった。
「俺はかつて運命を変えた」
手を差し伸べた主――金の髪の王が幼い顔を不敵に歪め笑う。
先ほどまで私の腕をひねりあげていた紺の髪の青年は、不愉快そうに眉間にしわを寄せ壁に寄りかかって、私がこれからどんな判断を下すのか見ている。
「俺の手を取れ。俺の手を取ればお前は運命を変えることができる。俺がお前の願いを叶えてやろう」
運命を変えることができる。
その言葉に私の体は震える。
私の手は無意識のうちに動いていた。
たとえ私に差し伸べられたその手が悪魔の手だわかっていても、私にはその手にすがるしか方法はなくて。
どこからともなく現れた黒い蝶が空を舞う。
差し出されたその手を、私は握った。
「お前の名を言え」
「セレシア・エネローゼ」
掌に鋭い痛みが走る。
「お前の望みを言え」
「私の望みはただ1つ。エリック様に幸せになってもらいたい。彼を闇の化身になんかしたくない。心も体も死んでほしくない。生きてほしい」
「クハハッ。1つと自分から言っておきながら、2つ3つと増えて強欲な女だ。いいだろう。俺がお前の願いを叶えてやる。その代わりに前は俺の下僕となれ」
「わかりました」
「契約は成立した」
掌には黒々と輝くクロユリの印があった。




