69.巣立ちと旅立ち
不覚だった。
魔法の薬の勉強をし始めたころに師匠から薬が効きづらい体質の人もいるという話を聞いていた。おそらくセスはそういう体質の人間だったんだ。
私の眠り薬の効果が切れ目覚めたセスはずっと機会をうかがっていたのだろう。結果、彼は私たちがマザーと対峙しているすきに離脱し、今この場に子供たちを連れてきた。十中八九、私たちの妨害をするために。
「セ、セスの言った通りだった」
「マザーをいじめないで!」
「ぼくたちのお母さんを傷つけないで!」
子供たちは泣きながらに訴えてくる。
当然だ。まだ年端も行かない幼い子供たち。真実を知らない彼らは大好きなマザーがいじめられているようにしか見えないのだろう。
彼らの不安や悲しみが黒い蝶となって実体化し始める。
そんな子供たちに囁く悪魔はセスだ。
「ヒメも、エルもレインもみんな悪いやつだったんだよ。でも一番の悪者はロキだ。あいつは俺達からマザーを奪おうとしているんだ」
当然子供たちはセスの言葉を信じる。
「ロキのばか!」
「ロキなんて大嫌い!」
「死んじゃえ!」
「…っ」
セスは子供たちの言葉の暴力でロキが傷つけられているのを見て笑っている。ジークが守るようにロキの前に立っているからまだマシだが、それでもロキの心はボロボロだ。
あんな野郎の思い通りになるなんて嫌だ。
だから私は決断する。
できればこの手は使いたくなかった。けどこれ以上ロキが傷つけられるのなんて耐えられない。
気が付けば子供たちの感情は黒い蝶になって私たちへと向かってきていた。
「リディア、あれ浄化できるか?」
「…無理」
「そうか」
耳元で囁くエルの言葉に首を横に振る。
光の卵の維持とマザーの闇の精霊を浄化するので私は精一杯で、私は子供たちの闇の精霊を浄化することはできない。
でもそれは、光の魔法での浄化は無理って話。
無理と言いながらも顔は笑っている私を見て、エルも笑った。
この笑みは「失敗してもおれがなんとかしてやる」という意味です。私の兄弟子超カッコイイ!
だから私は頑張れる。
「知らなかったんだから仕方がないよねなんて言葉私は大嫌いなのよ!」
懐から取り出したのはきのうの夜エルに渡されたボイスレコーダー的な魔法道具だ。師匠の言質もとった高性能の優れもの。
「バカ餓鬼ども!自分たちがロキに守られていたってことを知りなさい!そしてあんたたちの大好きなマザーの本性も知りなさい!ついでにセスがクソ野郎だってのも知ってしまえ!」
実は草むしりの場にいたあのとき、セスに眠り薬を投げるときに一緒にこのボイスレコーダーの録音ボタンを押しておいたのだ。
つまり今までの会話全部この中に記録されているってわけ。
私は再生ボタンを押した。
『もう一度言うよ。縛って。…別に俺はどうでもいいんだよ。ヒメを助けようが助けまいが。助けた場合彼女の代わりに孤児院の子供の誰かが死ぬことになるってだけだし。覚えてるだろ。君が今みたく躊躇したばかりに君に懐いていたラビが犠牲になったことを』
『ああ。勘違いをしているみたいね。セスや他の子供たちもかわいがってはいるわ。でも彼らは私の体の一部のようなものだもの。私の意をくんで動いてくれる私の手足。だけどすぐに切り捨てることができる。そんな彼らを可愛がりこそすれ、愛情は抱かないでしょう?』
『私のかわいい娘…ロキは健気だから。子供たちから嫌われているのに彼らを私から守ろうとしていたの。前にロキがちょっとおいたをしちゃったとき、代わりに子供たちに罰を受けてもらったことを気にしているみたいで』
流れる言葉に子供たちの瞳が潤み始める。
「うそ…そんな。嘘だよね」
「マ、マザー」
彼らは私の光の卵に閉じ込められているマザーに否定の言葉を求めるが、マザーはなにも言わない。
次に彼らが見たのはセスだった。結果として彼らが求めた答えをセスは与えられなかった。というかセスはもうこの場にはいなかったのだ。やつは逃げた。
真実を知った子供たちは涙を浮かべながらその場に膝をつく。
闇の精霊は力を失い霧散した。
かわいそうだけどこれが現実だ。
私にも、エルにも、ジークにも、そしてロキにもなにもできることはない。
私はそう、思っていた。
けど。違ったらしい。
「顔をあげなさい」
「ロキ……」
子供たちの前にロキが立っていた。
彼女はまっすぐな瞳で子供たち1人1人を見る。
「はじめに。謝罪をさせて頂戴。あなたたちがマザーに騙されていることを知りながら、あなたたちがマザーのことが大好きなのを知りながら、私はなにもできなかった。なにもしなかった。あなたたちから大好きな人を奪ってしまってごめんなさい」
そして彼女は深々と頭を下げた。
当然子供たちは戸惑う。
「な、なんでロキが謝るの?」
「僕たちさっきの声を聞いたから全部わかったよ。ロキが僕たち守ってくれたのわかったよ!」
「むしろ私たちが謝らなきゃなのに。今までひどいこといっぱい言っちゃった」
「ごめん、ロキ。ごめんなさいぃぃ」
「私たちのこと嫌い?嫌いだよね。でも、嫌わないでほしいの。わがままいってごめんなさい。でも、でもぉぉ。うぅぅ」
今度はロキが戸惑っていた。
子供たちは泣きじゃくりながらロキにすがりついて離れない。
そんなロキに助け船を出したのはジークだ。
「お前のほんとうの気持ちを言ってやれよ。好きなら好き。嫌いなら嫌い。お前けっこうひどい目に遭ったからな。こいつらの顔も見たくない、話したくもないってんならおれがお前の言葉を代弁してやるぞ」
「え。いや、あの…」
助け船ではなかったね。ジークらしいけど。
当然のごとく混乱したロキは助けを求めて私を見てきた。えー。私もうまいこと言えないんだけど。
「ヒメ…」
「う、あ、えっと…うん。私もジー…レインと同じ意見。ロキはずっと心の声を押し殺してきたと思う。だからもう、素直に自分の気持ちを言ってもいいんだよ」
目の前の子供たちより年上だから気を使うとかは、今は必要ない。
ロキの正直な気持ちを伝えるべきだ。
気持ちが伝わったのだろう。ロキは静かにうなずいた。
そして子供たちを見る。
「はっきり言って、私はあなたたちに嫌われて傷ついたわ」
「ご、ごめ…」
「でも!あなたたちがいたから私は今日まで生きてこられたの」
子供たちは驚いたように顔をあげた。
彼らの瞳に映ったのはやさしい顔をしたロキの姿だった。
「はじめてあなたたちと出会ったのは私が6歳のときだったわ。そのときの私は家族同然に育ってきた人たちを亡くしたばかりで、孤独だった。そんなときにあなたたちがやってきた。小さくてやわらかくてあたたかくて。私よりもとっても弱い存在。あなたたちが私の家族となると知って、心に空いていた穴が少し埋まったの。今度こそ家族を、あなたたちを守りたいと思った。それが私の生きる原動力になった」
ロキは子供全員を両手いっぱいにやさしく抱きしめる。
「嫌いになんて、なれない。だってあなたたちは私の家族だから」
子供たちは涙を浮かべながら力いっぱいにロキに抱き付き、ロキもそんな彼らを強く抱きしめ返す。
もらい泣きしてしまいそうな光景だった。
ロキが幸せそうでよかった。
ジークも感動に目を潤ませている。エルは…うん、いつもと変わらない。まあそういう男ですよ、彼は。
「…ヒメ、お願いがあるの」
「うん。なに?私にできることならロキのお願い叶えるよ」
「私、マザーと話がしたいの」
「マザーと話ね。はいはい、おっけ……はい?」
うん、リディアちゃん感動的な気持ちがどこかへ吹っ飛ぶくらいに驚きました。
「おい、大丈夫なのか」
驚きすぎて使い物にならない私の代わりにエルがロキに問う。
ロキはうなずいた。
「私はもう大丈夫。ヒメが今張っている結界?ごしでいいからマザーと話がしたいの。いいかしら?」
「……マザーとなんの話をするか聞いてもいい?」
ロキが大丈夫と言うのなら大丈夫なのだろう。
だけどやっぱり心配でロキに聞いてしまう。
「別れの挨拶よ」
ロキは眉を下げて笑った。
ふっきれたとは言えない、ふっきれるわけがない苦しいものを感じる笑顔。
ならば…
「わかった。ロキが決めたことなら私は止めない。でも1人ではいかせないから。万が一もあるし、私たちもついていくけど、いい?」
「ええ。ありがとう、ヒメ」
//////☆
マザーが閉じ込められている光の卵は、マザーが絶え間なく出し続ける闇の精霊のせいで真っ黒だった。
これじゃあマザーと話がしたくてもできない。
『光の蝶』
光の卵の中に光の蝶を送り込んで浄化する。
マザーの心の闇が静まったのかさきほどよりかは浄化に時間はかからなかった。
「……マザー」
そしてロキは光の卵の中でうずくまるマザーを見つけた。
ロキの声にマザーは顔をあげる。
よく見れば、マザーは顔に傷があるというだけで美しい顔をしていた。というよりも、顔は変わっていなかった。
パリンっと音が鳴って顔が崩れたし、マザーが「見るなァ!」なんて叫んでいたから顔も変わったのかと思っていたが、いつも通りのマザーの顔だ。ただ傷があるだけ。
だけどマザーは私たちから顔を隠す。
なぜだろう。
疑問に思うけど今はそんなことどうでもいい。
「私はあなたを愛して…」
マザーは懲りずにロキにそう言っていた。
でも今ならわかる。ゆがんでいるし、ロキを苦しめるものだったけど、たしかにマザーはロキを愛していたのだ。ロキを娘のようにかわいがっていたのだ。
ロキもそれをわかっていたのだろう、マザーを見る彼女の瞳はいろんな感情に揺れている。
「あなたがあなたなりに私を愛してくれていたのは知っていた。それが本心であることも」
「ロキ…」
その言葉にマザーの瞳が輝く。
だけど次の言葉でその輝きは消えた。
「でもごめんなさい。あなたの愛はいらない。だってあなたは私から大切な人たちを奪った人間だから。あなたのことを哀れには思うけど、でも許せないの」
「……っ」
ロキの瞳から涙がこぼれた。
「さようなら、私のもう一人のマザー」
そうしてロキはマザーから背を向け歩き始めた。
そんな彼女の背を見ていたマザーの瞳からも涙が一滴零れ落ちた。
感動。とまではいかないけれど、一件落着。あとはアース率いる夏の国の騎士団が来るのを待つだけ。
と、なりそうなところでならないのが現実というものだ。
「そう。ロキは独り立ちをしたのね。お母さん、うれしいわ。でもさみしい。私はもう必要ないのね。まあそれならそれでいいのだけれど…」
こぼれた涙を手で拭うとマザーは晴れやかな顔で私を見て言った。
「ねえ、ヒメ。あなたの身体、私にくれないかしら?」
「は?」
体力面や精神面でかなり疲れていたのもあるけれど、きっと動揺したのがいけなかった。
パリンッ
光の卵は最悪なタイミングで解けた。
すべてスローモーションのように見えた。
マザーが恐ろしい形相で私に手を伸ばし、エルが私を守ろうと私の前に立とうとするけれどとてもじゃないが間にあいそうにはなくて。
光の卵が解けたことに気づいたロキが私の元へ向かおうとして、でもそんなロキを抱きしめるようにしてジークが止めて。
イケメンに抱きしめられてときめかない女の子はいないわけがなくて、世話焼き委員長の頬が桃色に染まり、うわ三角関係じゃん。ジークがラブコメの主人公みたいでムカツクとか、こんなときだけど思ったりして。
そうしている間にもマザーの手は私のすぐ目の前にあって。
エルはギリギリ私に届かなくて。
マザーの手が私の肩に触れる。すぐ目の前に彼女の顔がある。私の体は恐怖で動けない。
そうしてスローモーションは終わった。
「あなたの身体は私が貰うわ」
マザーが私の首筋にかみついたと同時に、私の意識はそこで途絶えた。




