66.変わる震え
現在私はロキに手を引っ張られながら孤児院の中を歩いていた。そしてその前をセスが歩いている。
たぶんマザーの部屋に向かってる。
言っておくが反撃開始といってもすぐに行動に移すわけではない。私は頭が回る系の天才美少女ヒロインだ。短絡的な行動はしない。ドヤァ。
当然のことながら、私が幻覚にかかっていると思い込み油断しきっているセスの頭をぶん殴ったりとかもしない。したいけど。めっちゃしたいけど我慢する。
私のするべきことは大きく分けて3つ。
1つは不老不死の薬を作っているマザーひいてはこの孤児院の破壊。
2つは顔えぐられ事件の真相解明とそれに伴う然るべき対応。
3つはロキを助けること。
なんで1つだったはずの目的が3つに増えたのか。めんどくさいから全部ジークのせいってことにして。
これら3つの目的を達成するために、私は幻覚にかかったふりをして流れに身を任せるべきだと判断したのだ。
もし殺されそうになったとしてもロキを連れて、エルかジークの元へ瞬間移動すればいいし。
「……っ」
唐突にロキが私の手を強く握りしめた。
つないだ手に汗を感じる。いつのまにやら私たちは一つの部屋の前で立ち止まっていた。
その部屋の扉には『マザーの部屋』と書かれたプレートがあって。私もロキの手を強く握りしめた。
「マザー、セスだよ。入るね」
セスがノックを3回して扉を開ける。
うぅ。心臓が破裂しそう。
今の私は幻覚にかかっているのだ。幸せそうな感じでぼーっとしなければならない。幻覚。ぼーっと。幻覚…と頭の中で唱え続け、表情筋をだるんだるんのゆるゆるにする。
が、
「ああ。ロキ。セス。よく来てくれたわね。彼女を連れてきてくれてありがとう」
体が硬直する。
私をうっとりとした顔で見つめるマザーは、いつもどおりのマザーだ。しかしその外見はいつもの彼女とは大きく異なっていた。
カーテンを閉め切った暗い部屋の中。
ゆったりと椅子に腰かけるマザーの肌は劣化した壁のようにぼろぼろに崩れており、つややかで美しかった黒髪は痛み軋み、唇はひび割れていた。
豊満だった体は見る影もなくやせ細り骨が浮き出ている。
ただ彼女の瞳だけが、キラキラと夢見る少女のように輝いていて。怖い。
そしてなによりマザーの周りには闇色に染まった蝶――闇の精霊が舞っていた。
数は多くないけれど、今まで見てきた闇の精霊なんて比にならないくらいにその蝶は真っ黒だった。
……これはやばい。
ロキが震える脚で部屋の中へと入り、当然彼女に手を引かれている私も部屋の中へと入ることになり、セスが扉を閉める。
予想外のマザーの姿や闇の精霊に頭が真っ白になる。
流れに身を任せるとかいってられない。一時撤退を考え瞬間移動をしようと守り人形の気配を探す。けど、この状況のせいか、焦って集中できなくて、なかなかうまく探せなくって。
「うふふ。美しい顔。これで私はまた美しくなれ…」
「さ、さわらないで!」
「あら?」
やってしまった。舌打ちをする。
守り人形の気配を探るのにばかりに気がいって、椅子から降りて目の前まで来ていたマザーに、彼女が伸ばした手に反応してしまった。
私の失態のせいでロキはさらに顔が青くなったし、セスは眉間にしわを寄せてロキをにらんでいる。
こうなったら仕方がない。切り替えて行こう!
「あんたたち!私とロキに近づかないでよね!」
「…まあ!うふふ」
ロキを守るように私の背に隠してマザーとセスから距離を取る。そんでもってにらみつける!威嚇しまくる!
そんな私を見てマザーは驚いたように目を瞬かせたあと、にこりといつものように笑った。
「睨んだ顔もとても美しいわね。それに幻覚にかからなかったなんて。活きがいい。うれしいわ」
「活きがいいってなによ!私、魚じゃないんですけど!」
エルがこの場にいたら「突っかかるのはそこか!」と言いそうな私とマザーのやり取り。一方でセスは冷たい目でロキを見ていた。
「…へー。ロキ、俺を騙したのか。お前ってけっこう馬鹿だよね。俺が言ったこと忘れた?孤児院の子供たちがどうなっても…」
「セス。いいのよ。ロキを怒らないで。ロキ、私は怒っていないわ。いい子だから戻っていらっしゃい」
「っマザー!なんでロキばっかり」
仲間割れとか好都合。
マザーとセスがやいやい言っている間に私は縄をほどいて震えるロキの手を握り締めた。
「ロキ安心して!あなたは私が助けてあげるから!」
「ヒメ…」
「でもちょっと今は不利な感じだから逃げよう!」
「……。」
え。いや、あの。ロキ?顔色をさらに悪くするのやめてくれない?逃げるって言葉が嫌だったのかな?だけどさ。この状況だったら逃げるっていう選択肢しかないよね。
だったら幻覚にかからなかった時点でセスをやっつけて逃げとけって話だけどさ!?流れに身を任せちゃったんだもの仕方がないよね!
「とりあえずいまのうちに…」
ロキの手を引き私は扉へと走る。
が、
「いまのうちってなーに?逃がすわけないよね」
当然扉の前にはセスが立つ。
まさしく「ここを通りたければ俺を倒せ!」的な状況。
くっそ~。やるっきゃない。
私は魔法の薬やらなにやらが入っているポシェットに手を突っ込んだ。
/////☆
「うぉりゃああ!」
「どれだけ投げても俺には当たらないよ」
私&ロキVSマザー&セス。だけど実質私VSセスな現在。
私はセスを倒すべく、眠り薬やらしびれ薬やら、とにかく手持ちの薬をセスに投げまくっていた。当たりませんけどね!
ちなみにロキはマザーに怯えてか震えて動けない。マザーは微笑んでいるだけで何もしない。いいんだか悪いんだかって感じ。
「よそ見してて大丈夫?」
「大丈夫、なわけないでしょ!」
距離を詰めて私に蹴りをかましてきたセス。私はギリギリそれを躱す。
セスは戦い慣れ…というか喧嘩には慣れていないようで動作が少し遅い。日々エルと取っ組み合いの喧嘩をしている私にとっては強敵ってわけではない。頑張れば躱せる。
だけど…
「その怪力って魔法…?」
私が躱したセスの蹴り。蹴りが勢い余ったのだろう。彼の足は私が先ほどまでいた場所にあった鉄製のテーブルを崩壊させていた。鉄をへこませるとかじゃないよ。崩壊させていたんだよ。
ふつうに考えて、蹴りくらいで鉄は崩壊しない。これができるのはミルクくらいだ。ハハハ。
顔を引きつらせながら眠り薬を投げる私を見て、セスはにっこり笑顔。ちなみに薬は躱された。
「これから死ぬ人間に教えたところで意味ないでしょ」
「死なないから教えてほしいなぁ~」
「やだ~」
まあ実際、セスの怪力なんてどうでもいいんだけどね。彼の気をそらすために話しかけただけだし。まあ向こうも私の作戦に気づいているからまともに取り合わないのだけど。
笑顔で私が薬を投げて、笑顔でセスがそれを躱す。
そんな応酬の中でセスがロキを視界の端に捉えた。
震えるロキを見てセスの顔がゆがむ。
「ほんとお前ってかわいそうだよね。子供たちを守るために汚れ役ばかりしているのに当の本人たちからは恐れ妬み嫌われている。まあ俺がそうなるように仕向けたんだけど」
ロキの肩がびくりと震えた。
私とやりとりをしていたのにセスがロキに精神攻撃をしかけたものだから私も驚く。
「セス。ロキをいじめないでちょうだい。前から言っているでしょう?」
「っなんでマザーはこいつばっかり特別扱いするの?俺の方が絶対にあなたの役に立っているのに」
「前も言ったでしょう?ロキは私と同じなの。さあ私のかわいいロキ、こちらへ戻ってきなさい。あなたのことは私が守ってあげる。言うことを聞かなくても許してあげる。だって私はあなたを愛しているんですもの」
そう言って笑うマザーの視線の先にあるのはロキ…じゃなかった。ロキの顔の傷だ。
ロキは唇を噛みしめてマザーから後ずさる。
もうさっぱり意味が分からない。
「っこの偽善者!」
「やば…」
マザーに気を取られていて反応が遅れた。
私と対峙していたはずのセスは、進行方向をロキに変えて彼女につかみかかろうと足を踏み出していた。
『光の蝶!』
とっさに光の蝶をセスに向かって飛ばせばセスは焦った様子で私の光の蝶から距離を取った。
そのすきに私はロキの前に立つ。
ちなみにセスへの脅しもこめて光の蝶数匹が私の周囲を舞っている。これで彼はそう簡単に私とロキの元へは近づくことができないだろう。
人には無害な私の光の蝶。だけどそんなことを知らないセスは光の蝶を警戒する。光の蝶でロキを守っていればセスは手出しできない。さすが私頭いい。
そんな優秀な私に敵わないと悟ったからか(絶対に違うと思う。byエル&ジーク)、セスは私ではなくロキをにらみつけた。
が、次の瞬間にはロキをにらみつけていたその顔は不敵な笑みに変わっていた。そんな彼の視線の先にあるのは私だ。私を見たりロキを見たりと忙しいやつ。
「…なによ」
にらめばセスはそれはそれはいい笑顔で言った。
「ヒメ、いいことを教えてあげる。あんたが守っているそいつ。守る価値ないよ」
「は?」
「ロキのことだから今日に至るまで何度もヒメを逃がそうとしたでしょ。でもねロキは本気であんたを逃がす気なんてなかったんだよ」
「ちがっ。私は…」
「お前は黙ってろよ。聞いたでしょ、ヒメ。真実だからロキはこうやって慌てて否定したんだ」
「……っ」
冷たく言い放ったセスに異を唱えたのはロキだ。
だけどセスには敵わない。ロキは口をつぐんでしまう。
「…どうでもいいけど、結局セスはなにがいいたいわけ」
「さっきも言ったよね。俺はあんたにそいつが守る価値のない人間だってことを教えたいんだよ」
セスはとても楽しそうだ。
「どうせ死ぬし、ヒメには俺とロキがどんな仕事をしているか教えてあげる。いいよね、マザー」
マザーがにこやかな笑みでうなずいたのを見てセスは語り始めた。
ロキは自分の服をぎゅっと握りしめた。
「マザーには週に2回、美しい少女が必要なんだ。俺たちの仕事はこの森に迷い込んできた美しい少女をマザーの部屋へ運ぶこと。今日のあんたみたいにね」
生唾を飲み込む。週に2回。美しい少女。思い当たるのはジークから聞いた話。
こりゃあマザーが顔えぐられ事件の犯人で間違いないね。
「だけどロキは馬鹿だから仕事がうまくできないんだ。あいつ、マザーに渡すべき少女を逃がそうとするんだよ。で、俺がロキが逃がした少女を捕まえて孤児院へと連れ帰るんだ。連れ帰った後は抵抗されないようにロキの幻覚魔法を少女にかけてマザーの元に運ぶの。なんで逃がそうとするんだろう。ほんと無駄手間。…あ、俺がいいたいことわかった?」
「わかるわけないでしょ」
答えたらセスに鼻で笑われた。ムカツク。
まあヒメは見るからに馬鹿だから仕方ないよねって顔に書いてある。再度言おう。ムカツク。
「ようするにだよ。ロキはわかってるんだ。自分が女の子を逃がしても俺が捕まえるって。結局逃げられないって。それがわかっていてロキはヒメを逃がそうとしたんだ。変に希望を持たせてひどいよね、逃げられないってわかってるのに」
「……なるほど」
セスの言っていた意味がようやくわかった。
私の言葉に満足したのか、はたまた私の言葉を聞いたロキが唇を噛みしめうつむいてしまったからか、セスは満面の笑みだ。
「仮にロキが逃がした少女が逃げ切った場合、代わりに孤児院の子供の誰かをマザーに渡すことになっているんだ。どちらにしたって誰かが死ぬことになる。なのにロキはいい子ぶりたいから、無駄なあがきをするんだ。わかったでしょ、ヒメ。こいつは偽善者なんだ。守る価値なんてないよ」
こちらにおいでと言うかのようにセスは私にむかって手を差し伸べる。
少し考えて私はセスの元へと足を踏み出した。一歩、また一歩と。
そうしてセスの目の前に立ったときだ。
「ロキ、お前は誰のことも救えないんだよ。いい加減自覚しろ」
私とセスからはるか遠くで佇むロキに向かって侮辱の笑みを浮かべた。
そんな彼に対して私は拳を引き、そして突き出した。狙うは顔面!
「…は!?」
だけど躱された。残念。
私はやれやれと肩を下げながらロキの方へと戻る。
「いや、はあ!?どうして…」
セスもロキも驚いた顔で私を見ていた。なぜだ?首をかしげる。
「いやだって。ロキから離れたらロキのこと守れないし、不意打ち躱されたからにはセスから距離とりたいし。ねえ?」
同意を求めてロキに笑いかけるが彼女の顔は驚いた顔のままだ。
え、なんでそんな宇宙人を見るような目で見られなきゃいけないの。リディアちゃん泣くよ。
「そ、そういうことを言ってるんじゃないよ!俺の話を聞いてなかったのか!?なんでまだロキを守ろうとして…」
ぴーぴーとセスがうるさい。
うるさいと言えばで思い出す。
そういえばさっきセスのやつ、ロキが誰も救えないとか言っていたな。あれ、すごくうるさかったしむかついた。
「ちょっとセス!少なくとも私はロキに救われたわよ!」
「はあ!?いや、なんでこの流れで突然。ていうか救われたってなに?あんた自分のおかれている状況わかって言ってる?」
もちろんわかっているとも。
「ロキが私を逃がそうとして頑張ってくれたから、今私はここであんたたちと対峙している!」
「なによ…それ……意味、わかんない」
これはロキの言葉だった。まさかの味方側からの意味わかんないコール。
ちょっと落ち込むけど、疑問に思うから首をかしげるよね。
「なんで?私は何回もロキに救われたよ。心を救われた」
マザーからの熱烈な視線にたじろいでしまったときも、私を街に置いていったときも、今日逃げろと言ってくれたときも、全部私のことを想ってロキは行動してくれた。そんなロキのやさしさに私は何度も助けられた。
最終的にはセスが捕まえる?マザーに渡すことになる?逃がしても無駄?仮に少女を逃がしても、孤児院の子供が犠牲になる?
…そんなのやってみなきゃわからないじゃない。
もしかしたら逃がした女の子はセスから逃げきるかもしれない。女の子が逃げても孤児院の子供は死なないかもしれない。
もしかしたらを信じて行動するロキは、守る価値のある人間だと私は思う。
「ていうか価値とかどうでもいいのよ。そもそも、大前提がおかしい。セスのほうこそ馬鹿なんじゃないの?いじめる相手が間違ってんのよ。悪いのは美しい少女によだれを垂らすマザーじゃん」
にこにこ笑顔のマザーをにらめば、彼女はやはり笑顔のまま。だけど顔がまたぼろりと崩れた。
「ロキは子供たちを人質に取られているから嫌々力を貸してるってのに。そんな中で必死に私みたいな子を助けようとしてあがいているのに。なんでロキが悪者になんなきゃいけないのよ!」
私の背後でロキの体がびくりと震えた。
「私この孤児院に来てから何回もロキに救われてきた。詳しいことはわからないけど、孤児院の子供たちが今生きていられるのだってロキのおかげなんでしょ?さっきセス、言ってたよね」
私が言うさっきは、草むしりしていた時のさっきのことだ。
セスの目が細くなる。
「……へー。聞いてたの?てことは、最初から幻覚にはかかってなかったんだ」
「あとさ。セス、死ぬ前に教えてあげるーとか言ってたけど、私こんなところで死ぬつもりないから」
私はポシェットの中をあさり、目当てのものを見つけた。
「超人じゃないんだから救えない人だっている。自分の力が足りなくて犠牲になってしまう人もいる。でもそれでもロキはあきらめなかった。助けようとした。あがいた!だから今私や孤児院の子供たちは生きているの!」
「…っヒメ」
青ざめていたロキの頬に赤みがさす。
セスは吐き捨てるように笑った。
「どうでもいいよ、そんなこと。俺はヒメを殺してロキに「ほらやっぱりお前は誰のことも救えない」って言うだけだから!」
「だから私は死なないって言ってんでしょーがッ!」
一瞬の隙を私は逃さなかった。
感情的になったセスに向かって、さきほどポシェットの中から見つけ出した豚のお守り人形――光の魔力の込められた人形を投げつける。
そして拳を引いた状態で瞬間移動。
「――っな!?」
突然目の前に現れた私を見て目を見開くセスの顔に向かって拳を突き出す。
「あんたのその歪んだ性根!あとで必ず矯正してやる!」
今度は成功した。
私の正拳突きは顔面クリーンヒット。
セスは背中から倒れて気絶した。というか眠った。実は拳の中で眠り薬握っておいたんだよね。でもってセスをぶん殴った後で手を開いてばっちり眠り薬を吸わせたのだ。
セスは片付いた。
残るは…と思ったところで、私は自分の袖をひっぱる存在に気が付いた。
振り向けばロキが私の袖を握り締めていた。
その手は震えていて、だけどこの震えは怯えによる震えではなかった。
涙をためた瞳が私を映し弧を描く。そしてその瞳はマザーを映した。
「ロキ。私の元へ戻ってくる気になったのかしら?」
なにをどう考えてマザーはそういう結論に至ったのだろうか。
マザーはずっと変わらずにこやかに笑い続ける。
だけどロキは変わった。彼女の体はもう震えていない。
「マザー。私はあんたの元へはいかない」
ピシッ
笑顔だったマザーの顔にひびが入った。




