48.私はまだ恋を知らない…はず
天空神殿6日目。
神官長いわく、私とサラの体調が万全ではないため帰すわけにはいかないらしい。
そんな嘘か本当かわからない理由のため、私はサラとシグレとの3人で色黒バイオレンス主催の修行をしていた。
「絶対神官長、嘘ついてるよ。私元気いっぱいだからいつでも帰れるのに」
「そうだね。でもリディアも人のこと言えないんじゃないかな、嘘はダメだよ。修行しているんじゃなくて、修行から逃げてるでしょ?」
「ぐふ」
天空神殿の図書館の例の秘密の部屋で身を隠す私たちは、ええ。サラの言う通り、修行をしているというよりは修行から逃げていると言えるのかもしれない。だがしかし私は思う。これもまた修行のうちの一つだと。
鬼教官の修行から逃げる(儀式成功したんだからもう修行は勘弁)というのもれっきとした修行だ。
「ねーシグレ~って、どうしたのそんな顔して」
仲間が欲しくてシグレに微笑みかければ、いつも笑顔な私の癒しはムスッと顔を顰めていた。めずらしい。
「もしかしてきのうサラにおやつとられたこと思い出して腹立っちゃった?」
思い出し笑いならぬ、思い出しイライラとか?
するとサラがにこやかに私に訂正をいれる。
「リディア。言っとくけど、君が俺のおやつを奪ったから俺はシグレのおやつを奪ったわけで。シグレもシグレで先生のおやつを奪ったわけだから、先生以外は誰もこの話にいら立ちは覚えないと思うよ」
「あーソウダッタケー」
「…先生のこと、あまり信用しない方がいいですよ」
「へ?」
のほほんと雰囲気を一気に壊す言葉に私は唖然、サラは年長者らしく穏やかな笑みを浮かべた。
「そういえばシグレはきのう古狸さんたちに呼び出されていたね。そこでなにを聞かされたの?」
「彼は過去に神に一生をささげた身でありながら、一人の女性と駆け落ちをしようとしたことがあるんです。神官にあるまじき行為です」
「駆け落ち!?あのガブちゃんが!?え、成功したの!?」
なんだなんだと嫌にドキドキしていたら、それは楽しいドキドキに変わった。リディア、ゴシップだーいすきっ!
興奮する私を見てサラがふきだす。おい、失礼なやつだな。
「リディアはほんとうにおもしろいね。駆け落ちが成功したのであれば、今ガブナー先生は天空神殿にはいないよ」
「どうして?」
「あれ。知らなかったの?神官は神に一生を捧げるから、結婚すると…っていうか契りを交わすと破門になるんだよ。もう天空神殿はおろか教会に足を踏み入れることはできない」
「……へー」
「よくわかってないのはわかったよ」
私のなんとも言えない表情を見てか、サラは私が理解していないと判断したようだが、おいおいぼうや、なめるなよ。
こちとら前世持ちの精神年齢20歳+10歳だ。神に一生を捧げるとか、契りを交わすとか、ザハラさんが天空神殿を追放された理由を考えると否応にもわかってしまうんですよ。今日まで気づいていなかったのにわかってしまったんだよ。それでもってなんとも言えない表情になったんだよ!
「で、ガブちゃんはどうなったの?」
やけくそ気味にシグレにつめよれば、さきほどまでのしかめっ面はどこへやら。シグレは真っ赤な顔で眉を下げると私から視線を逸らす。なぜ?もしかして私、めっちゃ怖い顔をしてた?気を付けよう。
「け、結局は先生の片思いだったんです。先生の想い人であった女性には愛する人がいたそうですよ。駆け落ちは成立しませんでした」
ガブちゃんの片思い。その言葉にしょんぼりと肩が下がってしまう。
自分が誰かを好きになったとしても、相手が自分に対して同じ気持ちを抱いてくれるかどうかはわからない。報われない想いもあるのだ。
「まあ情報源が古狸さんのようだし、この話が真実かどうかはわからないけどね。でももしこの話が真実であったとしたら俺は先生のことを尊敬する。神官の身でありながら愛する人を見つけ、その想いを行動に起こした先生はとってもかっこいいよね」
こういうときサラは17歳なんだなぁと思う。精神年齢とか関係なく、この世界で私よりも7年多く生きてきた人の言葉。上っ面だけではなく中身がある。
私は…どうだろうか。
「私はよくわからない」
シグレはガブちゃんを信用できないと言い、サラは尊敬すると言う。
そもそもの話、恋をしたことがない私はガブちゃんの気持ちもわからない。
私も誰かを恋愛的な意味で好きになる日が来るのだろうか。その恋は、報われる?それとも報われない?
誰かの顔が浮かんで、消えた。もうその顔は思い出せないし、思い出そうとも…思わない。
「とりあえず今の私がこの話を聞いて思うのは、ガブちゃんを動揺させられるアイテムをゲットだぜ、ラッキーってことだけかな」
ガブちゃんに追いかけられたり、腕をひねられそうになったら、「そういえばガブちゃんって駆け落ちしようとしたことあるんでしょ?」と動揺させてその隙に逃げよう。
フフフと笑う私を見て、サラがふきだす。今日2回目だね。
「プッあはは。リディアらしいね」
「……。」
「シグレ、リディアに同意してもらえなかったからってそうむくれないで」
「なっ!私は別にむくれてなどいない!」
私の回答に複雑な表情をしていたシグレだったが、いまはサラにからかわれ激怒している。たぶんサラはわざとシグレを怒らせたのだろう。複雑な感情を忘れられるように。さすが兄弟子だ。うちのエルとは大違い。
「意外とシグレみたいなのがガブちゃんみたく恋をして駆け落ちするのかもね~」
2人のというかシグレの一方的な喧嘩を眺めながら、なにげなく発した言葉にシグレが青ざめた。
「そんなっ!リディア様やめてください!私は神官としての誇りを持っているので、けっしてそのようなことは…」
「あはは。それは言えてるね」
「サラ!貴様は黙れ!」
「ぷふふ。貴様って、その言い方。シグレってばガブちゃんそっくりだよ」
「う…あっ」
「まあきっとシグレなら大丈夫だよ。こんなにかわいい女の子に駆け落ちしてくださいって言われて断る男はいないよ」
「「……。」」
なぜか静寂に包まれ、怪訝に首を傾げた私は次の瞬間に青ざめた。否、私だけではない。サラとシグレも少し顔色を悪くした。
静寂に包まれたからこそ、私たちは気づいてしまったのだ。
部屋に近づく慣れ親しんだ静かな、しかし怒りのこもった足音に。
「貴様ら!こんなところに隠れていたのか!」
思った通りの人物が扉を開けたのは私たちが青ざめた直後だ。
「ゲェ!ガブちゃん!」
「リディア、貴様のせいでサラとシグレまでさぼり癖がついてしまったらどうする。どうしてくれる?」
静かな怒りを放つ色黒バイオレンスを目の前にした場合、人はどのような行動をとるべきか。答えは一つ。
「そういえば!ガブちゃん、昔駆け落ちしようとしたんでしょ!」
「は!?」
ガブちゃんが動揺したすきに私は2人の手を掴み走り出した。
よほど驚いたらしいガブちゃんの横を私たちはなんなく通過することができた。
「2人とも逃げるよ!」
「あはは。リディア、さっそくだね」
「リ、リディア様っ」
言ったよね。逃げるのも修行の一つなんだよ。
しかし私はそのあとすぐにガブちゃんに捕まり結果腕をひねられた。2回目の動揺作戦は成功しなかった。う、うわーん。




