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(1)戦闘開始!


 次の日の夕方、ディーナは与えられた小部屋で着替えていた。


 王宮で公爵令嬢のおつきの者用に用意された一室だ。使用人とはいえ、ほかの侍女達とわけて、離れた場所に部屋を与えられたのは、やはり任務のためなのだろう。


(でも、すごく立派な部屋だわ)


 見渡しても使用人用とは思えない部屋は、ここがアグリッナの為に用意された一角だからなのか、与えられた任務のためなのかは知らない。寝室と一緒になった部屋の壁は柔らかな翡翠の色に塗られ、白い扉と天井が、窓から入ってくる夏の風に爽やかな印象を与えている。


 そっと窓を開くと、ロマノウンの街中を流れるラーレ川の水面がきらきらと輝いているのが見える。夏の香りのする光景に、ディーナは化粧で整えた姿のまま、大きく一度息を吸った。


(さてと!)


 ぱんと気合を入れるように、両手で自分の頬を叩く。


(戦闘開始だわ!)


 気合を入れるのと同時に、閉めていた白い扉が叩かれる。


「支度はできましたか?」


 アグリッナの尋ねて来る声に、振り返ったディーナのドレスは、オリスデン伝統に則ったデザインの衣装だ。軽やかな白い生地で作られたドレスには、金糸銀糸で刺繍が施され、布の下からディーナの肢体の美しさを見事に浮かび上がらせている。温暖なオリスデンの気候に合わせてあるのだろう。首元が広く開いた広袖のデザインは、空気を取り込んで涼しいのと同時に、女らしいラインが強調されてひどく優美だ。


 百合の花を逆さにしたような曲線を描いて流れる裾を優雅に引きながら扉に近づくと、ディーナは微笑んで扉を開けた。


「はい。お待たせしました」


「さすがによく似合っていますね。急いで私のお抱えのデザイナーに作らせた甲斐がありました」


「はい、アグリッナ様のご好意に感謝しております」


(本当に驚いた)


 昨日王の前から退出した後、いきなり仕立て屋を呼ばれたと思ったら、採寸されて、今朝には仮縫い、そして昼過ぎには納品されたのだ。


(さすが、公爵家)


 密かに感嘆したのだが、アグリッナは満足そうに広げた扇を揺らしている。


「かまいません。私が雇った者を冒涜したことは、私を冒涜したのも同じです。見返してやらなくてどうしましょう。それにお前が私の予想よりも美しくなってくれたことにも満足です」


「はい、必ずご期待に応えてみせます」


(アグリッナ様のためだけじゃない! これは最早私の戦いよ!)


 深く下げた頭を持ち上げると、アグリッナは嬉しそうに笑っている。美しいが笑う顔は、やはり年相応の勝気な娘のものだ。


「では、行きましょう。今宵は、訪問されている隣国イリノルアの王子を歓迎する舞踏会です。ここでなんとしても陛下を射止め、昨日の雪辱を果たすのです!」


「はい」


 元気よく答えると、ディーナは、アグリッナとイルディの背中に続いて、まだ不慣れな王宮の廊下を歩いていく。


「イリノルアは、昔から我が国と深いつきあいがあります。ですから、王子と王は顔馴染みですし、舞踏会と言っても、堅苦しいものではありません」


 前を行くアグリッナの言葉に頷きながら、ディーナは王宮の広い大階段を下りた。


 そして一階の奥へと進み、華やかな衣装に身を包んだたくさんの人が出入りしている大広間へと入っていく。


 けれど、アグリッナと一緒に入ったディーナを見つめて、誰もが一瞬息を飲んだ。


 中には大理石の床の上にずらりと多くの人がいる。天井では、昼の日差しにシャンデリアがきらきらと眩くきらめいている。それなのに、高貴なオリスデンの衣装に身を包んだ誰もが、将来絶世の美女になるだろうアグリッナと、その背後を守るように立っているディーナの姿に目を奪われて振り向いているではないか。


「誰だ、あれ?」


「さあ――、見たことがないが……」


 囁き交わす声は、故郷のオーリオで聞き慣れたものだ。


 だからこそ、周り中を魅了するように、ディーナは極上の笑みを浮かべて、周囲に視線を流した。


 ディーナが目を流すだけで、何人かの視線があった男達が、顔を赤くして、なんとか近づけないかと隣りに囁きながら、足を踏み出そうとしているのがわかる。


(大丈夫。男なんて、どこでも同じよ)


 だから、こちらを見つめている男達にわざとにこっと笑いかけた。


(さて。普段なら、ここで反応をみて仕掛けるところだけど)


 今日はターゲットが違う。


 だから、自分に熱い眼差しを送っている男達から視線を流し、そのまま大広間の奥の人波を眺めた。


 息を飲むほどの贅を尽くされた広間には、高位貴族らしき上質の衣や騎士服、イルディが纏っているのと似た長衣を着た人たちがひしめき、見渡す限りの人波だ。しかし、談笑している人たちの塊が、少し遠巻きにしているところに、今日の獲物である王が隣国の王子らしき人物と向かい合って談笑している。


(大丈夫。衣装や建物が立派でも、中身はみんなただの男だわ)


 そして、更に視線を流した。


 すると、人波からこちらを見つめている視線の中に、一つだけ違う種類のものを感じるではないか。


 感嘆ではない。むしろ敵意を感じる視線に、そっと目線を流すと、たくさんの貴族の中から昨日のリオス王子が、一人の老臣を連れてディーナを見つめているではないか。


 老臣が後ろに連れている二人の女性は、昨日王の部屋で出会った令嬢達のようだ。


「あれがドレスレッド侯爵です」


 イルディの言葉に、ディーナはリオスの後ろにいる老獪さを感じさせる人物を見つめた。教えられたドレスレッド侯爵は、長い白髪を肩の下まで伸ばし、まるで鷲のような眼差しでディーナを見つめている。


「アグッリナ様のラノス公爵家が台頭してくるまでは、オリスデンで三本指に入る有力貴族でした。ですが、アグリッナ様の父君に宮廷での地位を抜かれ、訴訟問題で領地を奪われ」


「それで恨んでいるというわけね」


「はい。今回リオス殿下をたきつけて、ご自分の縁戚を王に近づけようとしているのも彼の入れ知恵でしょう」


「なるほど。それであのご令嬢達が王を射止めることで、ドレスレッド侯爵はご自分の復権を狙っているというわけね」


「はい」


 頷くイルディに、ディーナはそっと扇を広げた。そして、扇の奥からこちらを睨みつけてくるリオスの後ろにいる二人の女性を観察する。


 一人は、細い華奢な手足に、薄黄色のドレスを纏い、長い亜麻色の髪を柔らかく背中に流している。可憐な雰囲気がどことなく、アグリッナを連想させないこともない。それに対して、もう一人は、胸は男好みの丸味をもって目をひくが、大人びた顔立ちの割にどこか幼い表情が、近づく男達から大切に守られて育てられてきた深層の姫君であるのだろうと見破れる。


(あれなら、たやすい)


 これまでに請け負ってきた破談依頼の相手達の婚約者候補達を思い出して、ディーナは嘲るようにこちらを貴族然と見つめている姫君たちの姿に、扇の陰で薄く笑った。


「あちらのアグリッナ様と同じ亜麻色の髪の姫が、ドレスレット侯爵の妹の娘のダーネ嬢。それから、もうお一人の褐色の髪の姫が、侯爵の従兄弟筋になるニフネリア嬢です」


「王がアグリッナ様を溺愛されているから、似た雰囲気を持つ姫と、男に好まれそうな姿の姫を揃えてきたというところなのね。でも、先に舞踏会に来ていたのなら、どうして王のところへいかないのかしら?」


 ディーナの言葉に、彼女らに視線もやらずにいたアグリッナが、凛と背中を伸ばしたまま答えを返した。


「おそらく殿方が誘うのがこういう場での慣例だからでしょう」


「なるほど」


(では、なんとしても彼女らよりも先に、王とのダンスを勝ち取らねばならない)


 それだけで、居並ぶ貴族の目には、ディーナが王へのそういう候補なのだと印象つけることができる。


 けれど、周りの女性達の声が、急にざわめくのを感じた。


「うん?」


(なにかしら?)


 驚いて声がしたほうを振り向くと、さっきまで遠くにいたはずの王が、隣国の王子を連れたまま、真っ直ぐにこちらへとやってくるではないか。


「アグリッナ!」


 顔中に笑みを湛えて、豪華な金髪で近づいてくる姿に、ディーナの方が驚いた。


「遅かったな。来てくれるのは今か今かと、ずっと入り口を見つめていたぞ!」


(それをもてなしている相手の王子の前で言っちゃうんですか!?)


 それなのに、隣国のイリノルアの王子は優しげな面持ちに苦笑を浮かべているだけだ。


 早足で歩いてくる二人に向かって、アグリッナは丁寧に膝を折って礼をした。


「お待たせして申し訳ありません。イリノルアのクレール殿下もお久しぶりでございます」


「お久しぶりです。アグリッナ嬢。すっかりお美しくなられましたな」


「ありがとうございます。殿下もこの度は、近々ご結婚予定の姫をお連れとか。また後で、きちんとご挨拶させてくださいませ」


「はい、喜んで。ぜひこれを機会に、未来の王妃様にも我が妻とのよしみを結んでいただきたいものです」


 クレール王子の穏やかな笑みと共に紡がれる言葉に、僅かにアグリッナの顔が曇った。けれど、言葉が途切れるのを待っていたように、王がアグリッナに向かって手を伸ばしてくる。


「ずっと王子達も踊るのを待っていてくれたんだ。アグリッナ、私と踊ってくれるだろう?」


(最初のダンスはパートナーと。それはここでも同じなのね)


 だからこそ余計に意味は重く、相手に選ばれることが大事だ。


 けれど、差し出された手に、アグリッナは小さく首を振った。


「申し訳ありません。実は朝、少し足首をひねりまして――。こんな無様な足では、おもてなしの席でのお相手はできないので、今日はご容赦くださいませ」


「そ、そうか……。歩くのは大丈夫なのか?」


「はい。歩くことぐらいはできますので」


 そして、にっこりと笑いながら王を見上げた。


「ですから、今日は私の代わりに――」


 そこまで言いかけた時だった。


「なるほど。では、急遽アグリッナの代役が必要ですな」


 突然リオス王子が歩いてくると、自分の後ろに連れていた二人の姫を手で指し示している。


「いずれも劣らぬダンスの名手です。どちらでも、王である兄上の相手を務めるのに遜色はありません。どうか一曲お相手をしてやってください」


「なっ――――!」


 リオスの示す手の先には、二人の姫が選ばれるのを待つように礼をしている。令嬢とリオスの様子に、アグリッナの手が白くなるほど扇を握り締めた時だった。


 王の前に、真珠色の手がおもむろに差し出されたのは。


 天井から吊るされたシャンデリアの明かりに、光を弾くように輝く白い腕が、広間の全ての人の視線を奪って王の前に掲げられる。


「私」


 ゆっくりとディーナは笑った。薔薇のようだと讃えられる笑みで。


 ディーナの仕草に、大広間にいた全ての人達が息を飲んでいる。


「オリスデンの作法に不慣れですの。だから失敗してアグリッナ様に恥をかかせないかと内心怯えておりました」


 投げた言葉に、王の視線がディーナの青灰色の瞳を捕らえる。王の瞳が自分を映したのを確認して、更に華やかに笑う。


「でも、失敗しても陛下がお相手なら、どなたも笑えませんわ。ですから、アグリッナ様のためにも、どうか私のオリスデン宮廷デビューをエスコートしていただけないでしょうか?」


 琥珀色の瞳とじっと視線が絡み合った。


 ディーナの瞳の先で、王の瞳が困ったように揺れている。


「それに私ならば、アグリッナ様に対する不義にも当たりませんわ」


 微笑んだディーナの言葉に、王の瞳がふっと苦笑に伏せられた。


「アグリッナの知り合いにそうねだられては断ることもできない――」


 王の笑いながらの言葉には、どこかやられたという響きが混じっている。


 だけど、頷きながらディーナの手を取った王の掌に、周りの人波がざわりと揺れた。


 二人が歩いていく後ろでは、リオス王子が悔しそうに見つめている。けれど、ディーナは憎々しげに爪を噛んでいる姿を横目でちらりと見ながら、更に無邪気な笑みを浮かべていく。まるで、本当に嬉しくて堪らないように――。


「光栄ですわ。オリスデン王にお相手をいただいたなんて、私の一生の誉れになります」


 華やかな笑顔を振りまくと、そのままディーナは、王に並ぶようにして、たくさんの人の目を浴びながら、大広間の中央へと進んでいった。


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