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(10)御前裁判


 四日後の昼過ぎ、ディーナはやっと冷たい石牢から出された。


 ここに連れてこられた時と同じように、兵達に周りを取り囲まれて、湿った石段を昇らされていく。


 久しぶりに見る太陽の光が目に眩しい。四日間、髪さえも梳かさなかった姿で周りを見回すと、隣りでは同じように引き立てられているイルディが、全身に藁屑を纏わせていた。


「来い、こっちだ!」


 けれど、乱暴に縄を引っ張られていく。


「どこにいくのかしら?」


「きっと、陛下が回復して略式の裁判が始まるのでしょう」


(裁判)


 聞いた言葉に、ごくりと唾を飲んでしまう。


「国王暗殺など、正式な法廷にかけられれば間違いなく死刑案件です。ですが、こうして陛下の御前で、王の御威光の元に開かれるということは、まだ陛下の私情が左右する余地があるということです」


「だとしたら、陛下はまだ私達を信じてくださっているのかしら?」


(私が出したお茶で、あんなに苦しそうにされていたのに……)


 あの時の王の血にまみれた姿を思い出すと、胸が痛くなる。


 けれど、衛兵に左右を囲まれて入った謁見室で、周りを見回して息を飲んだ。


 イルディと引き立てられて、座らされた謁見室にはオリスデンのたくさんの高官が並び、もう事態が秘密裏に処理できる範囲を超えていることを示している。


 ひそと隣りと噂話をしながら、ディーナを見つめている大臣達の視線に背中が凍りそうになる。見回せば噂話を交わしている中には、ドレスレッド侯爵の姿もあるではないか。ルディオスと並んで元凶とも言える顔に、悔しくて座らされた大理石の床から精一杯睨みあげた。けれど、隣りでは、同じように座らされたイルディが、真っ直ぐに背筋を伸ばし続けている。


(イルディ……)


 縛られながら、あげている顔はいつもと同じで、ひどく冷静だ。


 その顔に、ディーナも嘲るドレスレッド侯爵の視線を振り切って前を向いた。そして真っ直ぐに顔をあげた時、横の扉からふらつきながら王が入ってきたのだ。


「兄上、しっかりしてください」


 まだ足取りが覚束ない王の体を隣りから支えているのは、リオス王子だ。


「陛下」


 けれど、背の高い王の姿が、リオス王子の肩を借りても倒れそうな様子に、反対側から心配そうにアグリッナが駆け寄った。


「まだ、動かれるのは無茶です。必要なら、お部屋にみんなを集めますから――」


 王に駆け寄る顔は、今までに見たことがないほど白い。いつもは隙がないようにしている化粧や髪さえ乱れて、何日間も寝ていないようだ。きっと王が倒れたと聞いて、慌てて公爵邸から駆けつけてきたのだろう。


「触るな、魔女の娘が! お前が連れてきた者のせいで、兄上がこんなことになったのだろう!」


 それなのに王に伸ばした手は、ふらつく体に届く前に、睨みつけたリオス王子によって遮られる。


 びくっと、アグリッナの手が震えた。


 しかし、白い手が震えながら引っ込められる前に、王がアグリッナの手を取ると、支えにするように持ったのだ。


 そして、ゆっくりと周りを見回す。


「大丈夫だ。もう、これだけよくなった」


(少しも元気そうには見えませんけれど!?)


 無理をして笑っている王に、思わず心の中で盛大につっこんでしまう。


 それでも、いつもより白い顔で笑っているのは、側にいるアグリッナの泣きそうな顔に、これ以上心配をかけたくないからなのだろう。


 そして、前よりは細くなった面差しで、ディーナを見ると笑いかけた。


(陛下……)


 微笑んでくれる姿に、胸の中に熱いものがこみあげて来る。


(私が飲ませたお茶のせいで、こんなことになったのに。まだ信じてくださっている……)


 だからこそ、無理を押して、御前裁判を開いてくれたのだろう。


 そうでなければ、刑務官に尋問させて、拷問でもなんでもすればよい。しかし、ディーナとイルディを誰にも傷つけさせないように、ここに呼び出してくれた――。


 胸に熱いものを感じながら、ディーナは王がリオス王子に支えられながら、ゆっくりと玉座につくのを見守った。


 横では、心配そうにアグリッナが王の手を支え握っているが、こちらに向けた顔は、さっきよりも白い。きっと、自分の信じていた部下二人の裁判にどうしたらいいのかわからないのだろう。


 じっとディーナ達を見下ろしているアグリッナの様子に目をやりながら、王は玉座の背にもたれると、ゆっくりと一度息を吐き出した。


「さて、ディーナ」


 出した声は少しだけ掠れている。きっと血をたくさん吐いたときに、喉を痛めたのだろう。


「今日、ここに呼んだ用件はわかっていると思う。私は、お前が持って来たお茶を飲んで倒れたわけだが……」


「兄上、誰何など無用です。この女が兄上に毒入りのお茶を持って来たことは、侍従たちの証言から明白です。飲ませたのも、自らお茶を淹れたのもね!」


 だからさっさと死刑にしろといわんばかりのリオス王子の視線に、必死にディーナは縛られたまま王を見上げた。


「恐れながら! 私は陛下に毒などもっておりません!」


「今更、何を! お前が兄上に渡したお茶に毒が入っていたことは、御典医の診断でも明らかだ!」


 リオス王子の言葉に後ろにいた白い長衣を着た人物が深く頷いている。きっと、彼が王を治療している御典医なのだろう。


「確かにそのお茶を陛下に渡したのは私です! ですが、用意したのは私ではありません! 私は、陛下のお部屋にお届けするように言われただけなのです!」


「ほう――、誰に」


 リオス王子の言葉に、きつく唇を噛む。


(駄目だわ、ドレスレッド侯爵とは言えない)


 ちらりと後ろを見る。けれど何の証拠もない。ルディオスがやったということさえ。


「メイドの女の子に……陛下のお部屋の前の廊下で、頼まれたのです。誰か陛下のお部屋にいる女性に渡すように頼まれたと話していたので、きっと侍女の方を探しているのだと思い――」


(今から思えば、あれは私のことだったのだ……)


 陛下の部屋に侍女は少ない。よく出入りしているのは、最近では必然的にディーナだ。


(少し考えればわかることだったのに!)


 まんまとルディオスとドレスレッド侯爵の駒にされてしまったことが悔しい!


「ふん、そんな言い訳が通用すると」


「リオス」


 けれど、叫びかけた弟を、王が横から制止した。


 そして、ゆっくりと体を前に倒し、ディーナを見つめる。


「私の部屋の前で、頼まれた。それはどんなメイドだった?」


 見つめてくる王の琥珀色の瞳に必死に記憶を辿る。けれど、この数日怒りと共に何度も思い出した顔なだけに、たやすく記憶の縁から浮かび上がってきた。


「茶色の髪に、大きな青い瞳でした。髪を後ろで一つに結わえ、大きな黒いドレスを着ていました」


(だめだわ! これだけじゃあ、どこの誰かもわからない!)


 絵でも描ければ違うのかもしれない。しかしこの特徴だけでは、王宮には同じ髪と目の色のメイドなど何十人といるだろう。


 それなのに、王は目を瞑ったディーナの前で、侍従から一枚の紙を受け取ると目を落としている。


「今言ったメイドの風貌は、私の部屋の前で護衛していた衛兵達の目撃証言と一致する」


「えっ!?」


 驚いて頭を上げた。


「衛兵達の証言、またディーナが宮殿に帰ってきてから出会った者たちの証言によると、ディーナが私の部屋の前まで、件の茶器を持っていなかったのは確かだ。そして、私の部屋の前の廊下で、証言した通りのメイドから茶器を受け取っている姿が目撃されている――」


「ですが、それは、疑われないように、この女が事前に頼んでいたのかもしれないじゃないですか!」


 必死にリオス王子が隣りで言い募った。


 けれど、王は、束ねられた紙をぺらりと捲る。


「厨房にも確認したが、その日ディーナ、もしくはラノス公爵家に関連する者から、お湯の申請はなかったそうだ。夏場だからな。自分で飲む水以外の申し込みは特にない。それに部屋の暖炉を使用した形跡もなかったそうだ」


 宮殿では、暖炉の薪を配られない夏場は、お湯一杯を沸かすのにさえ、厨房の手を借りなければならない。


 そこをつかれて、ぐっとリオス王子の手が握りこまれた。


「それに、(くだん)のメイドも事件の後、すぐに王宮を出ている。誰が王室省に手を回したのかは知らないが、貴族の一介の使用人にできる範疇を越えているだろう」


「だけど、それでこの女が無罪とは……」


 悔しそうに唇を噛んでいる。けれど、まだ言い募るリオス王子の姿を見つめて、今まで黙っていたイルディが口を開いた。


「陛下に申し上げたきことがございます」


 あげられたよく知っている冷静な面に、王の琥珀色の瞳が不思議そうに寄せられた。けれど、イルディの真っ直ぐな瞳に、王が訝しそうに口を開く。


「かまわん。申してみよ」


「はい。実は、十日前に、私がディーナに渡して陛下に届けさせた菓子で、陛下が体調を崩されたとお聞きしました」


(だからなんで、それを今言うのよ!?)


 あまりのタイミングに思わず、びっくりして目を剥いてしまう。けれどイルディはしゃあしゃあとしている。


「兄上、本当ですか!?」


 案の定、リオス王子が目を大きく開いた。


「あ、ああ、まあ……」


 けれど、王はまっ赤になって、詳細を言いたくないようだ。


 まさか、王もここでその話を暴露されると思っていなかったのだろう。自分に媚薬がもられた話をどうしたものかと、ひどく歯切れが悪くなっている。


「御典医!」


 けれど、王の様子をリオス王子は誤解したらしい。すぐに、後ろにいた医師を呼びつけると、叫んだ。


「本当か!? 本当に、兄上に、以前にも薬物がもられていたのか!?」


「はい……。陛下から、御内密にするようにという話だったので、公にはしませんでしたが、確かに十日ほど前の夜に、陛下から解毒剤の処方を頼まれました」


「貴様! 一度、ならず二度までも!」


「けれど、それはアグリッナ様の元に届けられたリオス殿下からのものだったのです」


 イルディの視線に、瞬間、リオス王子の言葉が止まった。


 代わりに、王が顎に当てていた手を、面白そうに下げていく。


「ほう――。それは、どういうことだ?」


「私にも詳しいことはわかりません。ただ、アグリッナ様の元へ、リオス殿下から王家の食卓に招く資格がないお詫びにと、陛下のお好きなお菓子のお届けがございました。ですから、私は、これは遠まわしにアグリッナ様から陛下へ差し入れするように渡されたのかと思い、丁度お部屋へ行くディーナに持たせたのですが、後で陛下が体調を崩されたとお聞きしまして、青くなった次第にございます」


(嘘つき! 思い切り利用させてもらうと言っていたくせに!)


 あの件を利用すると簡単に聞いてはいたが、あまりの二枚舌に、ディーナの方がひきつる気分だ。


 しかし、イルディはいつもと同じ表情で、王を見上げ奏上を続けている。


「これはリオス殿下がアグリッナ様になんらかの薬を盛るのを企んだのか――。それとも、陛下のことをよく存じている私なら、アグリッナ様から陛下に好物のお菓子を渡すと踏まれて、渡されたのか。真意はわかりませんが、今回の毒殺の犯人がわからない以上、陛下には申し上げた方がよいと思い言上いたしました」


「リオス――――」


 王が、困ったようにこめかみを押さえている。


「ち、違う! 俺が、兄上を毒殺なんて! それに、いくら嫌いだからって、アグリッナに毒をもったりもしていない――!」


「今すぐ、部屋を探させればわかることだ。リオス――なんてことをしてくれた」


「違う! 俺は、絶対に兄上に毒なんかもっていない!」


 けれど、王の命令でリオスの部屋に走っていった衛兵達は、すぐに細い小瓶を一つ持って戻ってきた。


「陛下、ございました! 箪笥の新しく畳まれた服の間に、包むように隠されていました!」


(それ絶対に、入れたのはあの眼鏡をかけた弟!)


 確か、今は侍従の見習いをしていると洗濯物が積まれた部屋で言っていた。


 けれど、出てきた証拠に、周りの貴族はみんなさっと顔色を変えている。


「違う、俺じゃない!」


「リオス、残念だ――――。まさか、お前が私に薬物をもるとは」


「兄上! 信じてくれ! 俺は、絶対に兄上の毒殺なんて企んでいない!」


「まさか、リオス殿下が――」


 けれど、ざわつく貴族達の中、リオスはさっきまでディーナを囲んでいた衛兵に左右を抱えられると、そのまま部屋から引きずり出されたのだ。

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