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(2)嵌った罠


 次の日の朝、ディーナは纏めた手荷物をもちながら、アグリッナの後ろについて階段を降りていた。中庭に続く大理石の階段は、表の大階段に比べればまだ人の目が少ない。


「目立たないように、イルディが宮殿の南側に馬車の用意をさせているはずです」


「そう、ありがとう」


 静かに頷くアグリッナの顔は、まだ白い。


 さすがに昨日の騒ぎの中で、アグリッナが宮殿を出るのは、噂に更に燃料を投下するだけというイルディの判断で、今日陽が昇ってからにしたのだが、今でも中庭から遠巻きに見つめている貴族達の視線が痛い。アグリッナの帽子を被った外出支度に、遠くから様子を窺いながら、広げた扇の陰でひそひそと囁いている。


(アグリッナ様……)


 どれだけお辛いだろうと、痛ましく見つめてしまう。けれど、ディーナの視線の先で、真珠色の顔を伏せていたアグリッナは、一階の通路に入ると静かに口を開いた。


「ディーナ」


 静かにかけられた呼び声にどきっとする。


「は、はい」


「こんなことになってしまい申し訳ありません。本当は私が貴方の後見をする筈ですのに――」


「いいえ、そんなことはご心配しないでください!」


(御自分が大変な時に、私の心配なんて!)


 本当は、誰よりも辛いのはアグリッナ様なのに。と、思わず叫びそうになってしまう。


 けれど、静かにアグリッナは振り返った。見上げてくる青い瞳は、昨日の涙に濡れていたものよりは、今はだいぶ落ち着いているようだ。


「ですが、こうなれば貴方だけが頼みです。どうかドレスレッド侯爵が、陛下に彼女達を近づけるのを阻止してください。イルディは置いていきますから……。どうか、お願いします」


「アグリッナ様……」


 囁くように嘆願された言葉に、胸が痛くなる。


「お任せください。絶対にあんな奴らを陛下に近づけさせたりしません」


(何があろうと!)


 アグリッナの気持を傷つけて笑っている男達を許す気にはなれない。


 けれど、ディーナの返事にアグリッナは、はっきりとほっとした表情をした。


「よかった……。貴方が陛下の側にいてくれるのが、何よりも心強いです」


「アグリッナ様」


(やはり、アグリッナ様は、心のどこかで陛下のことを大切に思われているのではないかしら?)


 今は、周りの声が大きすぎて、自分の中の微かな気持ちも届いていないようだが。だから、思わずディーナは公爵令嬢の美しく整った顔を凝視してしまった。


 けれど、足を踏み出そうとしたとき、横の通路から突然驚いた声が飛んでくる。


「アグリッナ様!」


「ルディオス!?」


 ぎょっと突然現われた姿に叫んでしまう。


 しかし、ルディオスは額に汗を滲ませた、まるで慌てて走ってきたという姿でアグリッナの前に出ると、まだ整わない息でじっと見つめている。


「驚きましたよ。さっきアグリッナ様が宮廷を出られるとお伺いして! あんな予言なんか信じる価値がないのに!」


(ええ! ルディオスの言葉と同じくらいね!)


 思わず後ろで絶叫したくなってしまう。けれど、アグリッナは心配そうに見下ろしてくるルディオスと瞳を合わせると、少しだけ悲しそうに微笑んだ。


「私は一時、宮廷を下がるだけです。少し――疲れました。貴方のお心遣いをありがたく思います」


「くだらない占いで、陛下がアグリッナ様をお見捨てになる筈がないじゃないですか! 今出て行ったら、それこそ周りに、陛下が占いを信じたととられて不利になりかねません! だから――」


 ぎゅっとルディオスが、アグリッナの両手を取ろうとした。


「俺がお側でお守りしますから」


「だからお帰りになられるのです!」


 けれど、ルディオスの両手がアグリッナの手を取る寸前に、ディーナが二人の間に駆け込んだ。


 そして、ぎっとルディオスを睨みあげる。


「アグリッナ様がお帰りになられるのは、あの占いに対して不快感を示すためです! ロット攻略の最大功労者であるラノス公爵家と王家との間に、亀裂を生じさせるつもりなのかと周りにはっきりとお示しになるために!」


 そして、一瞬の隙に思い切り足を踏みつけてやった。


「いっ……!」


 長いドレスに隠れているから見えはしない。けれど、一瞬固まったルディオスの顔を確かめて、ディーナはさっとアグリッナの方を振り返る。


「さっ、アグリッナ様。早く参りましょう」


(そうでなくても、ここは人目が多すぎる)


 このろくでなしだけではない。出かける様子のアグリッナに、周りが扇で隠しながら、ひそひそと眺めてくるのがかまびすしい。


 ちらりと周囲を見渡して、もう一度足が腫れあがるほど踏みつけてやったルディオスに視線をやった。


「ディーナ……てめえ……」


 小さく呻いているが、かまってやるつもりはない。


「さあ、アグリッナ様。参りましょう」


 小柄な背中を押すと、少しだけ驚いていたアグリッナが、ほんわりと笑った。


「ええ――ありがとう。また、お会いしましょう」


(アグリッナ様)


 本当に、このろくでなしを信じておられるのだと思うと哀れになってしまう。


(きっと、幼い頃に王との婚約を決められて、ほかの男に接触なんてされてこられなかったんでしょうね)


 ましてや、あの噂だ。宮廷でのアグリッナの孤独は想像にあまるものがあっただろう。


 辛い境遇で優しくされて、心を絆されないはずがない。


(そう考えると、この最低のろくでなし男が、余計に許せないわ)


 きっと、アグリッナの心の隙には陛下が入るはずだった。


 煮えくりかえる(はらわた)を我慢できずに、どんどん歩いていくが、やはりもう一度ルディオスを蹴っておくべきだったかもと振り返ってしまう。


 けれど、ルディオスはこちらを忌々しそうに振り返りながら、もう歩きだしていた。ただ、歩いていく先で、ルディオスを呼び止めている姿に、思わず視線が止まる。


(うん?)


 いつの間に見ていたのだろう。遠くから、出て行くアグリッナの姿を見つめていたドレスレッド侯爵が、ルディオスの方へと近づいていくのだ。そして何か声をかけたが、すぐに二人の姿は通路の角を曲がって、振り返ったディーナからは見えなくなってしまった。


(なんで、あの二人が?)


「ディーナ?」


「ああ、はい。いえ、なんでもないです」


(そうだ。今はとにかくアグリッナ様のことが先だ)


 首を振って思いなおすと、外へと向かう足を速めた。


 宮殿の南側は軍務省の建物がひしめいている。それだけに軍隊での実力を知られているラノス公爵の令嬢を奇異な目で見るものはおらず、むしろ衛兵に見守られるようにして南側の広場へと出ることができた。


「アグリッナ!」


 すると待っていた亜麻色の髪の男性が、腕を広げるようにして駆け寄ってくる。年は四十前後、精悍な顔つきだが、青い瞳は慈しむようにアグリッナを見つめている。


「嫌な思いをしたね。さあ、屋敷に帰ろう」


「お父様――」


 ぎゅっと抱きしめてくる腕に、はっきりとアグリッナの顔に安堵が浮かんだ。


「アグリッナ」


 見つけた婚約者の姿に、公爵の後ろでイルディが用意した馬車の側に立っていた王が、白い顔のまま急いで駆け寄ろうとする。けれど、次の瞬間、ラノス公爵が娘を抱きしめたまま王にぎっと鋭い青い視線を投げかけたのだ。


「陛下! 今回の不吉な占いは聞きました! まさか、くだらない占いでアグリッナとの婚約を破棄されるおつもりですかな!?」


「とんでもない! 私は、生涯アグリッナ以外の妻を娶るつもりはない!」


 未来の舅からの厳しい誰何に、王が胸に手をあてて必死に訴えている。心からの表情を浮かべる王の姿を、歴戦の猛者である公爵はじっと見つめた。


「ならば結構です。私は陛下が、アグリッナを生涯誰からも守ると誓われたからこそ婚約を許したことをお忘れなく」


 三人の様子に、後ろから見つめていたイルディがいつもの仏頂面で口を開く。


「破れば、王家と戦争ですか?」


「いや! 陛下には頭を丸めて生涯独身を貫いてもらう!」


(やる! 絶対にこの公爵!)


 なぜか有無を言わさない迫力が、ディーナにそう感じさせる。本当に婚約破棄となれば、自分の娘の名誉のために、たとえ王の体を一生寝たきりにしても独身を貫かせるだろう。実質的な意味で。


「そんな心配は無用だ。そもそも私は、アグリッナだけに純潔を捧げているんだから」


(ここでその台詞もどうなのよ……)


 だけど、王の言葉にアグリッナは悲しそうに微笑む。


「ありがとうございます。ですが、どうか陛下は私のことより、国のこと、そしてご自分の幸せをこそ考えてくださいませ……」


 そして静かに、イルディが開けている馬車へと乗り込んでいく。


「アグリッナ様!」


 閉められていく扉にディーナは急いで駆け寄った。隣りには王もいる。


「ディーナ。ありがとう。陛下、どうか私が留守の間は、ご心配事はディーナにご相談くださいませ。頭の良い彼女のことですもの、きっと一緒になって考えて陛下を支えてくださいますわ」


 微笑みながら言い残すと、寂しそうに、もう一度王とディーナを交互に見つめる。そして馬車を出すように言った。


「アグリッナ様!」


 遠ざかっていく馬車の背を見送り、ディーナは離れていくアグリッナに呼びかけた。


 けれど、アグリッナを乗せた馬車は、公爵の馬と連れたって宮殿の門へと遠ざかっていく。


「アグリッナ様……。どれだけ悔しいかしら。あんな占いにはめられて……」


 そんな詐欺一つで、宮殿を追われるように出て行かなければならない。


「大丈夫。きっとなんとかできます」


「ええ、そうね。でも、どうしたらいいのか――」


 悲しくて、悔しくて考えもつかない。だから、側に立つイルディが差し出した手を、少しだけ縋るように持った。


 その様子を、側に立つ王が目を開いて見ているなんて、思いもしないで――。



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