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(8)アグリッナの恋人


 老婆の言葉を聞くや否や走り出したアグリッナの背中に、必死にディーナは手を伸ばした。


 手の動きと同時に、足もアグリッナの背中を追って、園遊会のテーブルの中を飛び出していく。


「アグリッナ!?」


 走り出したディーナに気がついて、後ろで王も叫んでいるが、前を走るアグリッナの足が止まる気配はない。


 走っていく細い背中は微かに震えて、顔は両手の中に埋められている。


「アグリッナ様!」


(なんてこと!)


 歯噛みしたい気分だ。


(何をやっているの、私! アグリッナ様を傷つけさせないために盾の役割になろうと思ったのに!)


 それなのに、まんまと相手の計略に嵌ってしまった!


(しかも、よりによって王国の滅亡を予言されてしまうなんて!)


 これではますますアグリッナに対する周りの目は厳しくなってしまう。母親の血だけではない。国を滅亡させる魔女なんて烙印を押されれば、もう王との関係はどうやっても取り返しがつかない。


(いえ、王とだけじゃないわ! アグリッナ様のお立場だって、これからどれだけ辛いものになるか……!)


「アグリッナ様!」


 だから、心から焦って、震えている細い背中を追いかけた。けれど、アグリッナが足を緩める気配はない。


 ただ、中庭の緑の芝生を走り続けると、足を止めることなく広い池のほうへと向かっていく。


(まさか、このまま飛び込んでしまわれるおつもりじゃあ……!)


 そこまで短慮な方ではないと思う。しかし、人は限界まで追いつめられたら何をするかわからない。


 だから、必死に走る踵に力を込めて、緑の芝生を走る足を早めた。


「おっと!」


 急に横の茂みが揺れて、質素な貴族の服を纏った腕が出てくると、走るアグリッナの体を受け止めたのである。


「離しなさい! 私は、今誰にも顔を見られたくないのです……!」


「そんなぐしゃぐしゃの顔をされているのに? ほおっておけるわけがないでしょう」


 そう言うと、突然出てきた男は、強引にアグリッナを自分の方に向かせて両手で肩を抱きしめている。


「あんな占いを気にしないでください。俺は、この国の王妃に誰よりもふさわしいのはアグリッナ様だと思っているのですから」


(あ、あれは!)


 さっき回廊でアグリッナに薔薇を渡していた男だ。出てきた相手の姿に気がついて、駆け寄るディーナの目が丸くなった。


 けれど、取り乱したアグリッナは涙にあふれた顔をあげると、泣きじゃくりながら叫んでいる。


「無理です……! もう絶対に、誰も私を認めない……! いいえ、最初から認めたくなかったのですから……もう、いやです……!」


「そんなことはありません。占いなんて所詮当たるか外れるか博打みたいなものなんですから。賭け事が大好きな俺に言わせれば、今回の占いは絶対に外れますよ。アグリッナ様以上にオリスデンの王妃にふさわしい方なんている筈がない」


「そんなことを言ってくれるのは貴方だけです……! 私は、もう誰にも望まれない王妃になんてなりたくない……!」


「俺がついていますよ? 俺は、アグリッナ様のためならどれだけ尽くしても後悔はありません。きっとお側でお助けしますから」


 励ます言葉に、アグリッナが涙に溢れた瞳を上げた。


「――そんな風に、私に言ってくれるのは貴方だけです」


「アグリッナ様」


 けれど、アグリッナの見上げる頬に手を添えている男の顔を見つめて、ディーナは息を飲んだ。


「どうか、心無い噂に負けないでください。俺はいつでもあなたの側にいますから――」


 男の手が、アグリッナの頬の涙を拭っている。


 それを瞳に映した瞬間、ディーナの走る足に力がこもった。


「アグリッナ様!」


 叫ぶのと同時に、公爵令嬢の小柄な体を男の手からもぎ取る。


 そして、じっと男を見つめたまま、アグリッナを自分の体の中に抱え込んだ。


「ディーナ?」


「アグリッナ様、今のでお化粧が乱れました。きっと人前で見せたい姿ではないと思います。一度お部屋でお化粧直しを」


 その言葉を腕の中にアグリッナを隠しながら、抱きしめていた男を威嚇するように、早口で告げる。


「え、ああ……」


「占いなどお気になさいますな。私は、もっと信憑性が高いと言われた占い師でさえ、詐欺なことを十分に存じております。だから、どうかお心を乱されず――」


「ディーナ」


 けれど、アグリッナを今も見ている男から目も離さずに告げる。しかしアグリッナの肩を抱きしめる手の強さに、ディーナの本気が伝わったのだろう。驚いたようにアグリッナは溢れていた涙を止めると、自分を守ってくれている女性を見上げた。


「イルディ! 早くアグリッナ様をお部屋で休ませてあげて!」


 けれど、これ以上ここに公爵令嬢をいさせるわけにはいかない。だから、ディーナは後ろから走ってきた姿を見つけて、急いで言葉をかけた。


「さあ、アグリッナ様。こちらに――」


 差し出されてくる仲間の手を信じて、腕の中の姿を託す。


「アグリッナ!」


 後ろから王が追いついてきた声もする。けれど、まだ顔を伏せたままアグリッナは小さな声で呟いている。


「申し訳ありません。今は、あんな話の後ですから、陛下の側に立つのはご容赦くださいませ」


「私はあんな話は信じないぞ! 貴方が国を滅ぼすというのなら、私が国を捨てる!」


「陛下――、どうか、今は……」


 何も考えられないというように小さく呟くアグリッナの横で、イルディが焦っている王に小さく頭をさげた。


「陛下。今はアグリッナ様も動転なさっています。だから、どうかディーナの言う通り、一度お部屋でご休息を」


「あ、ああ……」


 後ろで、三人の声が宮殿へと遠ざかっていく。


 けれど、ディーナはそのまま時間が停止したように、目の前に立つ男を見つめ続けた。


「よう。話には聞いていたけれど、もう一人の寵姫候補ってお前だったのか」


 忘れられない容貌が、記憶の中より大きくなって今目の前にいる。自分の前に立つ姿が信じられなくて、ディーナは吹いてくる夏の風に黒い髪を乱しながら、青灰色の瞳を開き続けた。


「久しぶりだな、ディーナ。なんだ、俺のことを忘れたのか?」


「――ルディオス……!」


 忘れることもできない。それだけ少女時代の憎い思い出の全てを詰め込んだ幼馴染の面影を、ディーナは吹いてくる風の中で穴があくほど見つめた。

 


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