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(2)裏切りの思い出


 イルディが帰った後、ディーナは二階の私室で、昼間の依頼を思い出して机の上に両手を組んでいた。


 思わず溜息が出る。


 座っているのはソファだが、この部屋には一階の応接間とは違い、華美なものは何もない。


 白大理石に見える机も、本当はよく似た紛い物だ。


(もう、金になるものは全て売ってしまった)


 一階に飾ってある絵画や壷にだって、本当は精巧な紛い物が幾つもまざっている。残った本物を全て手放せば、もう借金を返すあてはなくなるだろう。


(だから、今回の話を断る理由はどこにもないんだけど……)


 やはり躊躇(ためら)ってしまう。


「まさか、王の籠絡(ろうらく)とはね――……」


 ふうとため息がこぼれた。


 今までも、貴族や金持ちならいくらでも騙してきた。


 男を騙して、多少の金を取る事に罪悪感など感じなかったし、向こうもディーナが金を目当てに相手をしていることぐらい気がついていただろう。


(だけど、今回はさすがに相手が違う)


 それだけに、組んだ白い手を見つめて、ディーナはまた溜息をもらした。


 けれど、さっきからのディーナの様子に、さすがに心配になったらしい。


「お嬢様!」


 側で見ていたエルナが真っ青になって口を開いた。茶色の髪を後ろに纏めた姿は一見大人っぽいが、ディーナと同じ十八歳だ。ディーナの家が破産した後も、母親が生前ディーナの乳母だったからと、使用人の中でたった一人残ってくれた感謝してもしたりない存在だ。


「私は反対です! 寵姫なんて言っても、所詮愛人じゃありませんか!? それなのに遠い国の、しかも見ず知らずの相手に――」


「エルナ」


 きっと扉の向こうで、イルディとの話を聞いていたのだろう。真っ青になっている姿に、ディーナは困ったように笑いかけた。


「でも、悪い話じゃないわ。相手は国王だというし。そこらの富豪の(めかけ)に比べたら何倍もましな話のはずよ」


「だからこそです! 相手は国王陛下ですよ。ほかの男を(だま)したりするのとはわけが違います! ご不興を買えば、どんな目にあうか――」


 叫ぶエルナの手は震えている。


 確かにエルナの言う通りだろう。いくらロリコンとはいっても、相手は絶対権力者だ。王が自分の言動を気に入らなければ、それだけで死刑にすることもできる。


「でも――」


「そうだよ、姉さん」


 だけど、ディーナが続きを言いかけた時、扉が開くと、隣りの部屋にいたはずの弟が姿を現した。


 年は十四になったばかり。弟のキュードだ。


「僕も反対だよ。もう、こんなことはやめようよ」


「何を言っているの?」


 キュードの言葉に思わず瞳を(またた)く。


「だったらどうやって借金を返していくの? それに、お前が行っている学校の学費だっているし――」


「僕も学校をやめて働くよ! 二人で真面目に働いたらいいじゃないか!」


「馬鹿を言わないで! お前ぐらいの年で、ちゃんとした学校も出ていない子供に、借金を返すどんな働き口があるというの!」


「だったら、この家を売り払ったら!」


 けれど、叫んだキュードにディーナは薄く笑った。


「屋敷さえ持たない身分になったら、それこそ学校はお前を通わせてはくれないわ。このオーリオでは富裕層か、そうでないかの身分はうるさいもの」


 もし屋敷を失い、学もない姉弟となれば、後は、安い市場や日雇いぐらいでしか働き口がないだろう。しかも一生だ。日銭を稼ぐのが精一杯の暮らしで莫大な借金を背負ったままとなれば、残された道は間違いなく破滅しかない。


「でも姉さんには、ほかにいくらでも自分の妻になってほしいという話が来ているんだし! わざわざこんな話にのらなくても、申し込んでくれた中の一人を選んで結婚したらいいじゃないか」


 その方が絶対に幸せになれるよとキュードは叫んでいるが、ディーナははっきりと振り返って笑う。


「冗談! お断りよ!」


 そして、成長期を迎えたばかりの細い弟の姿を見つめる。同じ青灰色の瞳だが、短い茶色の髪に包まれたキュードの表情はどこかまだあどけない。


「あんな男達なんて、私が借金まみれと知ったら全員逃げ出すわよ! 社交界の悪の華と名高い私を、誰が落とせるかって勝手に遊んでいるだけなんだから」


「そんなこと……。きっと本気の人だって……」


「男なんてお断り! 私は誰も信じないの!」


(そう、あの夏の日から!)


 立ち上がったディーナの瞳の奥には、まだこの屋敷に物が溢れていた十四の昔が甦った。


 あの頃、まだディーナは今の郊外の別荘ではなく、このオーリオ国の都に住んでいた。


 広い豪華な屋敷は都の高級住宅街の一角に広がり、父の招いた貴族の子供達がよく整備された緑の芝生の庭に遊びに来ては、ディーナを取り巻いていたものだ。


 その中の一人に、彼がいた。


「ルディオス!」


 父が商売の為に親しくなったのだろう。オーリオで下役人をしているという貴族の子供だが、彼が毎日遊びに来るたびに、ディーナは料理人に焼いてもらった菓子を籠いっぱいに入れて、急いで芝生を走っていった。


 周りには、幾人もの子供がいるがほかには目もくれない。


 視線の先で、薄い金の髪を翻しながら振り向いたルディオスの栗色の瞳が、笑った拍子に太陽の光に澄んでいるのを見ただけで、どきどきとして足が速くなってしまう。笑いながらルディオスが手をあげた。


「おう! 遅いから、朝着替えるついでに髪まで外して探しているのかと思ったぜ!」


「どうやったら髪まで取り外せるのよ!」


 咄嗟に言い返すが、ルディオスは涼しい顔だ。


「なんだ、違ったのかー。そんな変なくくり方をしているから、てっきり髪が見つからず、慌てて鬘で誤魔化したのかと思ったのに」


「これは――!」


(ルディオスに早く会いたくて!)


 だから、急いで屋敷を飛び出して来たのだが、言い返すのにちょっとだけ足を止めたディーナの肩を、後ろから追いかけてきた乳母が慌てて掴む。


「ほら、お嬢様! だからおぐしを直しませんと」


「だってどうせ遊んだら崩れるし!」


「いけません! 淑女らしくなさいませ。またそんなドレスで走って! 人前でのたしなみをお考えなさいませ!」


 確かに言われたディーナの今の髪は、結い上げるのも邪魔だったので、簡単に紐で括っただけのものだ。


「いいじゃない! ルディオスは気にしないわよ!」


「ルディオス様がよくても、人は笑います。そろそろ化粧だってしてもおかしくはない年なのですよ!?」


「いいじゃないか。ディーナはいつか俺の妻になるんだから――」


 けれど、ルディオスは乳母から素早くディーナを奪うと、腕の中に包みこんで笑いかけた。


 いつも繰り返して言われた言葉だが、こうしてルディオスの腕に包まれながら言われると、どきどきしてしまう。


 ルディオスの薄い金の髪が、太陽の光に当たって眩しい。茶色の瞳が陽光に輝きながら自分を見つめているのに、ディーナは目を奪われた。


「第一、ディーナの良さはそんなところじゃないし?」


「本当に?」


 ルディオスの言葉に、ありのままの自分を認めてもらえたみたいで嬉しくなる。


「ああ。だから、大きくなったら、俺の妻になれよ? 俺なら、お前が化粧をしなくても、木登りが大好きでも何も文句は言わないぜ?」


「う、うん――」


 こんな風に言われると、赤くなってしまう。


 だけど、王子様のように端整な顔で微笑みかけられては、どうしたらいいのかわからなくて、まっ赤になってしまった顔を逸らした。


(しっかりしなさい! 私!)


 でも、本音ではルディオスならいいかなと、ちらりと見上げてしまう。だって、何度も言われ続けてきた言葉だ。


(こんなに私を好きだと言ってくれるんだもん)


 だったら、ルディオスとなら結婚してもいいかもと、王子様のようなルディオスの容貌を腕の中からそっと隠し見る。


 だけど、こっそり視線を上げたのに気づかれた。


「うん?」


 微笑んで尋ねて来る顔に、更に顔が赤くなってきて慌てて両手で隠す。


 けれど、その時握っていたリボンが指から流れた。


「あ……」


 見上げれば、手から離れたピンクのリボンは、吹いてきた夏の風に、側の緑の枝へと飛ばされていく。


「俺が取ってこようか?」


「大丈夫。私が登ってくるわ」


 目で追えば、風で一番下の梢に引っかかっている。だから、ディーナはレースがふんだんについたドレスの袖をまくり、慣れた手つきで木の瘤を掴んだ。


「お嬢様! そんな危ない!」


「平気よ!」


 木登りなんて何度もしている。


 だから平気と、節くれた幹に足をかけて登る。それなのに、今日に限って足が、昨夜の雨で濡れていたところを踏んでしまったのだ。


「あ――!」


 落ちる! と思った瞬間、幹を滑った体は、すぐ下にいたルディオスに受け止められた。


「おっと!」


「ルディオス!」


 どさっという音と共に、彼の手の中に落ちていく。だけど受け止めたディーナの重みに、ルディオスの体も一緒に地面に転がってしまった。


「いってー!」


「ご、ごめんなさい。大丈夫?」


 けれども、ルディオスはディーナの下敷きになりながら笑っている。


「お前、本当にはねっかえりだなあー! 嫁の貰い手がないぞ!?」


「なによ! ルディオスがもらってくれるんでしょう!?」


 思わず、言ってしまった。


 すると、ルディオスがディーナの言葉に目をぱちぱちとさせている。


 そして、にっと笑った。


「ああ――いいぜ」


 短い金の髪の奥で、整った顔が笑っている。ルディオスの表情に、ディーナは、やっと自分の言った言葉に気がついて口を抑えた。


 どれだけ頬が赤くなったか。でも、嬉しくて。だから、思い切り頷いたのだ。


「うん! なる! 私、ルディオスのお嫁さんに!」


 こんなにも私を好きだって言ってくれるルディオスのお嫁さんに。やっと自分の気持に気がついて、全身で抱きつくことで喜びを表した。


 それに回りにいたほかの男の子達が、ブーイングを鳴らしたことまで覚えている。


(それなのに、あの男!)


 ぎりっとディーナは、思い出した唇を強く噛み締めた。


 あれは十四の夏だった。父の経営していた商家の船団が、季節はずれに襲ってきた嵐に、公海で相次いで沈んだとの報がもたらされたのは。


 知らせが届いた日から、家には連日たくさんの取立て屋が押し寄せてくるようになった。父が不渡りを出す前に、少しでも金を回収しようとしたのだろう。


 沈んだ船に乗せていた商品の代金の取立てに、恐ろしい形相で人々が押し寄せてくる。荒々しい声でかわされる怒号が怖くて、ディーナは咄嗟に耳をおさえると、救いを求めるように裏口からいつもの庭へと飛び出していた。


「ルディオス!」


(怖くて)


 自分達がこれからどうなるのか。必死に走って、助けを求めるように、その日も庭に来ていたルディオスを探した。


 眩しい夏の日差しが池の水面をきらきらと輝かせている。汗ばむような陽気の中、ルディオスはいつもと同じように、池の側の木に凭れると、髪を振り乱して走ってくるディーナに、笑いかけながら手を振った。


「よっ! どうしたんだ、今日はやけにたくさんの人が来ているな!」


 ルディオスの笑顔にほっとした。だからいつもと同じようにルディオスの腕に飛び込むと、こらえていたものが堰を切ったようにディーナは泣きじゃくった。


「お父様の船が沈んだらしいの……! たがら、今家にすごい数の取立ての人達が来ていて……!」


「えっ?」


「怖いのよ……! どうしたらいいの、ルディオス」


 それなのに、次の瞬間ディーナの手はルディオスの腕に弾かれたのだ。


「ルディオス?」


「なんだ。金がなくなったのか。ちっ、それなら、今まで優しくしてやって損した――」


「ルディオス?」


(何を言われているのかわからない)


 それなのに、たった今まで優しそうだったルディオスは、見上げた視界の先で忌々しそうにディーナに舌打ちをしている。


「ルディオス……、私を好きだって言ってくれたわよね……? 私に妻になってくれって……」


 声が震えてしまう。けれど、ルディオスはひどくつまらないものを見つめるように、ディーナに視線をやった。


「そんなの嘘に決まっているだろうが。お前の家が金持ちで、生涯困らなさそうだから、優しくしてやっていたんだよ」


「なっ……!」


(今、言われたことが信じられない)


 それなのに、ルディオスは白金の髪をかきあげて、ディーナを嘲るように見おろしている。


「そうでなかったら、誰がお前みたいな女、本気で口説くと思っていたんだ? 髪はいつも暴れてぼさぼさ。十四にもなるのに、化粧っけのかけらもない。自惚れんなよ? 金の力がなければ、お前みたいな女誰だって御免(ごめん)だ」


「ルディオス――――!」


(よくも! よくもよくもよくも!!)


 けれど、ディーナが掴みかかろうとした手は避けられて、そのまま地面に転がってしまった。泣きながら草を掴んでいるのに、見上げた先では、今まで優しかったルディオスは、転んだディーナの姿を鼻で笑っているではないか。


「あばよ、ディーナ。まあ、もう会うこともないだろうがな」


「ルディオス――!!」


 引きちぎれるほど草を握り締めた。どれだけの涙が、玉になって頬から手の中の草に落ちていったか。


 あの時の悔しさを忘れることができない。


(だから私は、男がいくら金を積んでも欲しくなるような女になると決めたのよ!)


 きっとディーナは、前を見つめるように青灰色の瞳をあげた。


 だから借金取りから逃げる間、自分達を匿ってくれた父のなじみの高級娼婦に、必死に女性として美しく見える方法を乞うたのだ。


 借金の辛さはよく知っているからと――同情しながらも、化粧や、女性として美しく見える立ち居振る舞いについて細かく教えてくれたのは、彼女自身それが女性の武器になると身をもって知っていたからだろう。


(そうよ! 男なんて信用できない!)


 あの時、苦境に陥った途端、それまでディーナにちやほやしていた男の子たちも、みんな手のひらを返すようにいなくなった。


「財産目当てに私に群がった男の子達だって、金で私をどうこうできると思っている男達だってみんな同じよ! 全員信じることなんてできないわ!」


「姉さん……」


 きっぱりと顔を上げて言い切ると、横で弟のキュードが心配そうな眼差しを向けていた。


「でも、お嬢様……」


 エルナも不安そうにディーナの瞳を覗きこんでいる。


 けれどディーナの瞳は、さっきまで座っていたテーブルの上にもう一度落とされた。白い石で作られた簡素なテーブルの端には、たくさんの請求書が封書のまま置かれている。


「だけど、このままじゃあ本当に、借金の為に、娼館に身を売るしか方法がなくなるわね……」


 たった一つ残ったこの別荘にある物だって、ほとんどを売り払ってしまった。


(残ったものを全て売り払えば、後は、もう本当にこの身を売るしかなくなる)


 そうなれば、後はただ買われるだけの日々だ。


 金で。


 だからと、敢えてディーナは明るく笑ってみせた。


「そうなるぐらいなら、王の愛人の方がましよ。この体と美貌、できるだけ高く売りつけてやるわ!」


「姉さん……」


「お嬢様……」


「それに、この話を受ければ、エルナに久しぶりにお給金を払ってあげられるしね!」


 ディーナは心を決めて明るく笑ったが、二人は心配そうに見つめていた。



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