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(5)ヒント

(だめだわ。どうやったら、陛下ともっと親しく話ができるのかしら……)


 今夜も、王の机の近くで返書の束に判子を押しながら、ディーナは思わず唸ってしまっていた。


 夜間にここへ持ってこられるのは、大半が貴族からの私信に近い内容だ。重要な政務に関わる案件は、昼間政務官が常駐する執務室でされているので、本来王の自由時間であるはずのここへ持ち込まれることはほとんどない。


 それでも、ごく一部急ぎの案件として持ち込まれるものもあるし、先日のように非公式の相談も行われるから、気を抜くことができない。


(ここに来て、二日がたったけれど……)


 届く書面の貴族の関係を頭に入れるだけで一苦労だ。しかも差出人によって、王室省からは、用件だけ伝えて返事だけでいいもの、必ず王に直接目を通してもらうものなど細かく指示がわかれている。


(確かに、まずこれを把握することが大切なんでしょうけれど……)


 しかし、届く手紙の整理だけで国内の貴族のバランスがなんとなく掴めて来る。


(自分で言い出しておいてなんだけど。本当に私が、こんな仕事をして大丈夫なのかしら?)


 どうやら、言葉だけでなく、本気で王はディーナをオリスデンの官吏に育てるつもりらしい。


「ところで、ディーナ。今夜は陛下は?」


 夜によく王の相談にのっている政務官の一人であるディオニクが、ディーナの近くの空いた机を見つめて声をかけた。


「さあ――私が来た時には、もうおられなかったのですが……」


(そう言えば、この政務官は急ぎの用件で来ていたはずなのに)


 けれど、ディーナが答えた瞬間政務官の瞳がくわっと開いた。


「衛兵! 陛下がまた逃げたぞ!」


 バンと扉が開くと、音と同時に、部屋の前にいた護衛達が叫んでいる。


「またアグリッナ様のところか!?」


「あれだけ夜ストーカーしたら、殴られるとわかっていてなんで行くんだ!?」


「すぐに連れ戻せ! 明日の朝議で、また貴族に陛下の頬に巨大な手のひらの痕を見られて、新しい武勇伝を増やされたいのか!?」


 ばたばたと物々しい足音が続く。


 けれど、衛兵たちが階段を駆け下りようとした瞬間、階段にアグリッナが小柄な背筋を凛と伸ばして現われた。アグリッナの後ろには、既に頬に大きな痕をつけた王の姿が続いている。


「お騒がせして申し訳ありません。陛下が迷子になっておられたのでお連れしました」


 側のイルディがにこっと笑って誤魔化しているが、どう見ても迷子の護送には見えない。


「皆様、お手を止めさせて申し訳ありません。どうぞ通常の業務をお続けくださいませ」


 貫禄を感じさせる気品でアグリッナが言うと、そのまま王を連れて部屋へと入った。そして、扉が閉まるのと同時に、くるりと後ろを振り返る。


「それで今宵は何を悩まれて、陛下は私のところまでふらふらと来られたのです」


 アグリッナの瞳はごまかしは許さないと、小さいながら射抜くような迫力で王に迫っている。


「だから――」


 見つめてくる青い瞳に、後ろについてきていた王の背が僅かに後ずさった。


 だけど、目はアグリッナから離さず、ほぞほぞと口ごもっている。


「イリノルアのクレール殿下からパブリットの侵攻が年々広がっているから、同盟国としての軍備の強化を願い出られたんだが……」


「軍事強化が今回の来訪の真実だったのですね。それで長年親交のある国相手に、陛下は何を悩んでおられます?」


「助けてはやりたいんだ……。このままじゃあイリノルアが数年の内に危なくなることもわかっている……!」


「ならば、助けてやればいいではありませんか?」


 けれど、辛そうに王は瞳を閉じた。


「だけど、今でも遠方に派遣される兵士には負担をかけている! それにオリスデン全体にだって負担がかかる……!」


 次の瞬間、ぱあんと凄まじい音が部屋中にこだました。


 ディーナが息を飲んだ瞬間、王の頬にははっきりと赤い手のひらが刻まれて、驚いたようにまだ手を振り上げているアグリッナを見つめている。


「しっかりなされませ! 陛下が人前で、うろたえた姿を見せてどうされます!?」


「アグリッナ……」


「第一悩むところが違っております! イリノルアは、我が国への貴重な食料供給国。軍事と商工業で発達した我が国には、なくてはならない穀倉地帯です! 失えば、我が国がパブリットと全面対決をする前に間違いなく致命的なダメージを負います! ならば陛下が悩まれるのは、唯一つ! どうすれば兵士への負担を軽くできるのか、それだけでしょう!?」


 アグリッナの叫びに王が、琥珀の瞳をぱちぱちと瞬いている。


「費用の問題は、我が公爵家が持っている金山の採掘権を王家に十年間格安で貸与いたしましょう。採掘期間中に、軍事費を(しの)げる産業をオリスデンに興し、国民に負担をかけない方法を模索してください」


「アグリッナ――、助かる」


「礼には及びません。我が公爵家にも、王家にとっても得な話なだけです。開発権をお貸ししますから、まだ見つけたばかりの鉱山の手入れを十分にしてくださいませ」


 そして、後ろにいるイルディを振り返った。


「お疲れのご様子なので、イルディを陛下の手伝いにおいていきましょう。イルディ。ディーナもまだ不慣れです。お二人の相談にのってやって下さい」


「はい」


 身を屈めたイルディの姿を確認すると、アグリッナは一度ディーナの方を振り向いた。そして、手紙を広げている姿を見て、ゆっくりと優しく微笑む。


「頑張ってください。わからなければ、いつでも相談にのりますよ」


「はい、アグリッナ様」


(なんだか、陛下がアグリッナ様に惚れこむ気持ちがわかったわ)


 まさに胆力が違う。


(深層の令嬢というよりも、まさしく王妃になるべく生まれてきたような方よね……)


 けれど、好きな人は別という。


(うーん。人の心は思い通りにはならないものよね)


 私もだけどと、ディーナは心の底に掠めた面影を無理矢理忘れようと、瞳を伏せた。


 けれど、この間にもディオニクは王が承認印とサインをすませた書類を持って、急いで退出していく。


 入れ替わりに、一人の女性がいつもの侍女に代わって、王の部屋の扉を叩いた。


 この間リオス王子の元で見た二フネリア嬢だ。着ているドレスが胸を強調した扇情的なデザインなところを見ると、そういう目的で送られてきたのだろう。


「陛下。お茶をお持ちしました」


 にっこりと誘惑する笑みを浮かべている。


「ああ、ありがとう侍従に渡しておいてくれ」


 けれど、王は一瞥しただけで振り返ろうともしない。けれどニフネリアは、めげずに明るい瞳を開いている。


「はい、実は私も、リオス殿下から陛下のお手伝いをするようにと申しつかってきたのです」


「それはありがたいが、どれだけの知識を身につけてきた? 王の部屋の勤務となると、さすがに通常よりは上のレベルが求められるが」


「もちろん、一般教養は全て修めました! 特に算学や宮廷礼法は得意ですし――!」


 頬を高潮して必死にアピールしているが、振り返りもせずに王は笑っている。


「それは頼もしい。ではぜひ次の官吏登用試験を受けるのを勧める。オリスデンは領土拡大のお蔭でいつでも人手不足だ。有能な人材は、常に募集しているから、王室省に行って必要書類をもらってきてくれ」


「はい――」


 軽くあしらわれてしまった。振られた王の手に、残念そうにニフネリアは礼をして退出していくが、扉を出る寸前にディーナを睨みつけるのは忘れない。


(うーん。やっぱり、徹底して寵姫を作るつもりはないのね?)


 これには思わず、横で見ていたディーナも引き攣ってしまう。


(でも、相手も手をこまねいている気はないということよね?)


 だとしたら、一刻も早く王と親密になる必要があるのに、さっきから少しもそのチャンスがない。


(どうしたら、いいの!?)


 深刻な政治の話をとてもアグリッナのように纏めることはできない。それ以外で、王に今よりも近づく方法となると――。


 けれど、思わず額に手をやって悩んだディーナの側で、イルディが小さく苦笑を浮かべた。


「やれやれ。陛下もかわいそうなことを。彼女達はどうせリオス殿下に命じられてきているのですから、もう少し優しく断られてもいいでしょうに」


「イルディ」


 けれど、王の見上げた視線は面白くなさそうだ。


「私は、お前が文官になるのを楽しみにしていたんだぞ。登用試験も案の定トップで通ったから、新官の地方回りの間に功績を積み上げたら、俺の近くで使ってやろうと待っていたのに。まさかアグリッナの方につくとは――」


「私も、王家の学校に通わせていただいた当時から陛下のことは大変尊敬しております。ですが、私には十二人の弟妹がおりますので」


「えっ――!?」


 思わず、側にいたディーナの方が驚いて声をあげてしまった。


(十二人!?)


 いくら貴族とはいえ、さすがにそれは多くないだろうか?


「それは知っている。だけど、将来私に仕えるつもりだと言っていただろう? それなのに、なんでアグリッナの片棒を担いで、私に別の恋人を勧めているんだ!?」


「陛下が私を、十二人の弟妹を養えるだけの俸禄で迎えてくださるのなら、いつでも私は陛下のために死力を尽くします」


「よし、わかった! 今すぐ私とアグリッナが結婚できる妙案を持って来い! そうしたら、オリスデン王の十年来の悲願を叶えた実績で、お前が望む高禄で雇ってやる!」


「何もそんな不可能領域にあえて挑まなくても――。今の公爵家の給料で、どうにか弟妹を学ばせてやることもできますし」


「お前な! 私の恋を不可能と言い切る時点で臣民としての、お前の忠誠心はどうなんだ!?」


 しかし、イルディはいつもと同じしれっとした顔をしている。


「もちろん、私は陛下を尊敬しております。どうしてその気持ちをお疑いになるのでしょうか?」


 けれど、王はぶすっとした表情で片肘をついている。


「そうか? どうせお前のことだから、私のことを変人とか思っていそうなんだが」


「そんな陛下を変態だなんて国王反逆罪になるようなことを思っているわけがないじゃありませんか?」


「よりによって変態か!? しかもしっかりと思っているんだな!?」


 思わず王が身を乗り出しているが、イルディはいつもと変わらない表情を浮かべている。


「いいえ。人の体型や年齢で隔てを設けない素晴らしい方だと思っております」


「褒めているが、実は幼女でもいけるのかと言外にけなしているからな? その褒めるふりをした本音をどうにかしろ!?」


「とんでもありません。我が王は、人を見かけで判断されず、内面を見抜く方だと常々吹聴しております。ただ性別だけはこだわりがあられたようで、そこをお伝えすると、話している方がみんな涙して喜ばれるのだけが不思議なのですが」


「喜ばれている時点で、間違いなくお前のは悪口だ!」


 まったく――と王は、小さく息をついた。


「ロリコンと言いたいのならはっきりとそう言え!」


「いえ、足りないので必ずストーカーの武勇伝も加えて、王のハンティング能力の高さを伝えるように勤めております」


「だから、なんでそういらん情報まで付け加えているんだ!?」


 けれど、そこで不意にイルディがディーナの方を向いた。


 それに、王の視線もディーナの方を向く。


「まったく。お前が連れてきてくれた新しい部下にまで、そんな間違った情報が伝わってしまうじゃないか」


 王の顔は小さく苦笑している。


「おや、そうでしたか? 彼女は有能ですから、迂闊に間違った判断はしないと思いますが」


 イルディの見下ろす視線に、ディーナも小さく頷いた。


「申し訳ありません。陛下。私もお側近くお仕えするまではお噂に誤魔化されておりました。まさか本当は、陛下は幼女趣味ではなく、被虐趣味だったなんて――。誤解しており、申し訳ありませんでした」


「何でだ!? なんで、よりによって更に変な方向に誤解しているんだ!?」


「だって、アグリッナ様に二度も叩かれて嬉しそうになさっておられますし――。私、陛下を理解するために必要なことがわかりました。尽くすより愛の鞭だと! これからは寵姫候補として、陛下のお望みにそうように誠心誠意努力して見せます!」


「いらん! そんな容赦がないのは、アグリッナ一人でいいから! 妙な誤解で私に更に変な性癖の噂を付け加えないでくれ!」


「では、せめて言葉に愛の鞭を!」


「それはイルディ同様私で遊ぶ宣言だからな!? 頼むから、ストーカーだのロリコンだの、被虐趣味だのこれ以上武勇伝を付け加えないでくれ!」


「残念です。私も陛下の癒しになりとうごさいますのに」


「癒しで、愛の鞭という言葉を出す女は初めてきいたぞ!?」


 けれど、王は堪えきれなくなったように苦笑している。


「まったく――変な女だ。さすがイルディとアグリッナが連れてきただけある」


(あら。今、少しだけど陛下との距離が縮まった?)


 だとしたらと、ちらっとイルディを見上げた。


(やはり、さっきのはサインだったのだ)


 今、苦笑の中からディーナを見つめている王の瞳は、間違いなくさっきよりも親しみをこめたものに変わっている。まるで友人との他愛ないふざけあいをしたかのように――。


 お蔭で、その後は少しだがぽつぽつと王の個人的な話なども、イルディを交えて出てきた。


 だから、王が席を外した時、ディーナはそっとイルディの長い袖を引っ張ったのだ。


「さっきはありがとう」


 さりげないヒントを、会話をすることで見せてくれた同僚を見上げてにっと礼を言う。


「陛下はああいうやり取りがお好きなのね?」


 それに、イルディは微かに笑みを浮かべて振り返った。


「はい。陛下は王太子時代から人からかしずかれてきましたから。容赦のない本音での会話を、殊更好まれます」


(それにしては、容赦がなさ過ぎた気もするけれど)


 それはきっと、長い間に王とイルディの間に、信頼関係が出来ているからなのだろう。


(私は男なんて大嫌いだけど)


 でも、仕事仲間としてなら、イルディを信頼してもいいのかもしれない。


(とにかく、これでやっと第一歩)


 ほっと、自分の前で笑顔を浮かべだした王が椅子に座るのを見つめた。


 やっと、少しだけ懐を開くことができた。くだけた笑みを浮かべる王は、今までよりもずっと自然な様子でディーナの前に座っている。


(私は、何としても、この王をこれまでの男達同様私の虜にして、アグリッナ様の婚約を、無事破棄に導かねばならないのだから)


 でも――と、ふとディーナは首を少し傾けた。


(アグリッナ様が、この陛下をおいて好きな男ってどんな人なのかしら)


 あのアグリッナ様のことだから、私のように変な男にひっかかることはないでしょうけれどと、ディーナは今日の手紙を優先順位ごとにわけながら、紙で切った指先を舐めた。


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