幕間 天界にて
報酬の高さと追加ボーナスに釣られて人間界へ降り、そして担当の人間――宇佐美風真を最初に見つけた時、俺は思わずガッツポーズをしていた。
電車という人間が作った乗り物の中で風真は一人の女を窺っていた。その女に向ける視線に熱を感じ、察しの良い俺はすぐさま風真がその女に惚れていると分かった訳だ。
半年以内に任務を達成できれば追加ボーナス! 別に達成しなくてもお咎めもない気が楽な任務だ。神様は人間の意志を尊重したいし、そもそも今回は先行的に仮実施しているだけなので本当に嫌がられたら無理に続けなくてもいいと言われている。
が、ボーナスが貰えるに越したことはないし俺は完璧主義だ。何より好きな女がいるなら何が何でもくっつけてやろうと思った。
……のだが、風真の野郎は抽選に選ばれるに非常に相応しい人間だった。簡単に言うと消極的で臆病で奥手なやつだったのだ。俺がどれだけ言っても話しかけることもなく、ただ少し離れた所から見ているだけ。このストーカー野郎め。
どうしたものかと頭を悩ませて一か月、とうとうその時が来た。風真があの女――観月つくしの落とし物を拾ったことが転機だった。おまけにつくしは何と天使が見える希少な人間で、これはもう勝ったな、と確信した。
絶対に逃がすものかと、思わず人を恋に落とす“矢”だとか何とか咄嗟に口から出まかせ言って風真の退路を塞いだ。実際の所半年過ぎた所で勿論そんなことなどしない、というか出来ない。確かに俺が悪魔と戦う時には弓を使うが、俺はあくまで天使であってキューピッドじゃねえし。
とにかく風真とつくしを近づけることに成功し、ちょいちょい口を挟んだり時に天使の力を使ったりしながら二人を見守っていた……のだが、ここに来て厄介なことになった。
「つーわけで、調査頼みます」
「分かりました。あなたは引き続き任務を継続しなさい」
上司である大天使様――美人だが怒ると怖い――に話を終えた俺は小さく溜息を吐きながら久しぶりに戻って来た天界で少し休もうと、自宅近くの木の上……人間界を見下ろせるその場所で目を閉じた。
この前風真と共に訪れた大学祭。そこで二人が入ったお化け屋敷でその異変は起こった、らしい。風真の話ではいきなり変な場所に落とされ、そしてその後は……正直怖くて思い出したくない。ともかく普通のお化け屋敷ではなかったという。
「俺はソエルがまた何かやったのかと思ってたんだが……」
少々こちらを疑う目で風真にそう言われたがふざけんな。こちとらそんな怖いの頭の中で計画するだけで無理だ。泣いていたつくしの気持ちがよく分かる。
他のやつらの話を風真が聞いたところ、やっぱりお化け屋敷の内容は全く違ったという。これは確かに何かの力が働いていると考えていい。
一つ間違えばもしかしたらもっとやばいことになっていたかもしれない、と顔の切り傷に触れながら告げた風真の言葉が過ぎる。こんなことをやらかすのは、と考えた所で真っ先に思い浮かんだのは、躊躇いなく人を傷付け利用することを楽しむ悪魔の存在だった。
人間界に召喚された悪魔が何らかの意図をもって――あるいは意味などないのかもしれない――風真達を陥れた。その可能性に、俺は一度天界に戻って近辺に悪魔が存在しないか上司に調査してもらうことにしたのだ。
風真達が悪魔と関係があるとは思えないが、俺にはある。今まで何度も悪魔をこてんぱんにしてやったこともある俺を恨んでいる悪魔が行動を起こしたとしても可笑しくはないのだから。
「せんぱーい!!」
「げ」
唐突に聞き覚えのある煩い高い声が聞こえて来たのはその時だった。
「帰って来たなら言って下さいよ!」
「お前に会う前にとっとと帰ろうと思ってたんだがな……」
頭の痛くなるやつが来た、と俺の目の前に飛んで来たそれを見て見せつけるように大きく息を吐いた。
俺よりも僅かに外見年齢の低い、くるくるとした金髪を揺らして笑顔を見せる同族の女。勝手に俺を先輩と称して追い掛け回すそいつはメルという名前の天使だった。
「暇ならまた一緒に人間の映画見ましょうよ! 面白いの見つけたんです」
「断る」
メルの趣味は人間界の映画鑑賞だ。まだ未熟なこいつの雀の涙のような給料はほぼ全てそれらにつぎ込まれている。しかし俺は何があっても見ないと決めていた。何しろホラーものがトラウマになった原因はこいつが無理やり見せた映画の所為なのである。
「えー見ましょうよ、先輩もきっと気に入りますって」
「見ねえつってんだろ。……それよりメル、お前は最近悪魔が出たって話聞かねえか?」
「悪魔ですか? 聞いたことないですけど」
「そうか……」
「何かあったんですか?」
「ちょっと悪魔に妨害されてるかもしれねえから」
犯人が悪魔だという保証はないが、いるのなら見つけておいて損はない。
メルはきょとんとして目を瞬かせていたが、しばらくすると急に好戦的な目になった。しまった、余計なこと言ったか。
「先輩の邪魔をする悪魔なんて私がやっつけますよ!」
「あーはいはい」
「聞いてます? 悪魔なんて私の力でぶっ飛ばしてやるんですから!」
意気込むメルに適当に返事をする。そういえばこいつ戦闘狂だったな。
メルは天使としての力は強いがコントロールも戦術もまるで未熟だ。以前悪魔にやられそうになっていた所をうっかり助けてしまった所為で、先輩先輩と追い掛け回される羽目になった。
「私、先輩の役に立ちたいんです」
「その前にさっさと天使として一人前になってほしいもんだな」
「う……」
「とにかく俺は戻る。お前も真面目に仕事しろよ」
「……はーい」
不貞腐れたメルを置いて、俺はそのまま人間界へと飛び込んだ。
「風真……っと」
人間界の風真の自宅まで戻るとやつはリビングのソファで寝ていた。まだ夕方だというのに。そういえば今日は休みの日だったか、とカレンダーを眺めていると、風真の弟がぱたぱたと駆け寄って毛布を掛けた。
と、その時玄関の方から物音がする。「ただいまー」と風真の母親がリビングに入って来ると、眠っている風真を見て少し驚いた顔をした。
「母ちゃんおかえり」
「ただいま。……珍しい、風真がこんな時間に寝るなんて」
「兄ちゃん最近あんま寝れてないみたいだったけど」
多分あのお化け屋敷の所為だろう。つくしほど顔には出していなかったが、それでも十分恐怖体験をしたのだ。夜眠れなくなってもおかしくない。というか俺だったらそうなる。
「なーんか、最近兄ちゃん変だよな」
「そう?」
「母ちゃんは鈍いんだよ。絶対何か隠してるって!」
この弟は存外鋭い。そう思いながら風真の傍まで行くと、二人の話し声で目が覚めたのか風真がゆっくりと目を開け、俺を見た。
「ああ、帰って来てたのか。そえ」
「何さらっと言おうとしてんだ!?」
思わず風真の口を手で塞ぐ。何が起きたかよく分かっていない顔をしたやつはここがリビングで傍に弟と母親がいることを理解してようやく我に返った。
「あ」
「風真、何か言った?」
「い、いや何でもない。おかえりって言っただけだ」
「……」
母親はそれで納得したようにキッチンの方へ消えて行ったが、弟は不思議そうにじっと風真の方を見ている。
「毛布、当真が掛けてくれたのか?」
「うん」
「ありがとな」
ぽんぽんと頭を撫でる風真に弟はしばらく黙っていたが、そのままリビングから出て行った。
「お前、もっと弟を見習えよ……」
「?」
何を言われたのか分かっていない様子の風真に大きく肩を落とす。寝ぼけていたとはいえ頼むからもっとしっかりしてくれ。恋愛だけじゃなくサポートするこっちの身にもなれ。