私の話:大学祭
大学祭当日、私は学校の正門前で亜紀と共に宇佐美さん達が来るのを待っていた。
「ところでよかったの? 私達も一緒で」
「何言ってんの。一緒じゃなかったら行かなかったわよ」
「……亜紀って三波さんのこと好きなんだよね?」
「まあ……何ていうか」
もごもごと言葉を濁す亜紀に生暖かい気持ちになる。何だかんだ言って仲が良さそうでなによりだ。
「何にこにこしてんのよ。そういうつくしだって結局宇佐美さんと一緒じゃん。この前は否定してたくせに」
「それは……」
若干不機嫌になった亜紀がそう言うと今度は私の方が言葉に詰まり、動揺してしまった。そうして思い出すのはこの間のことだ。
『つくし、好きだ。付き合ってくれ』
手を握られて真剣な表情で言われたあの言葉がまだ耳に残っている。……いや実際に言ったのはソエル君なのだけども。
あの後も出来るだけ普通に振る舞っていたものの、実の所結構動揺が後を引いていた。テレポートのいたずらの時は私以上に宇佐美さんが混乱していたのでまだ冷静になれていたが、彼が帰ってからひたすらお母さんに突っ込まれたのは本当に勘弁して欲しかった。
「亜紀―! 俺の天使! おまたせ!」
「誰が天使よ!」
亜紀から目を逸らしていると、ざわざわと騒がしかった人混みの中でも一際大きな声が嫌でも耳に入って来た。そちらを見れば案の定三波さんがぶんぶんと大きく手を振りながらこちらへ向かってきており、その背後には頭を抱えた宇佐美さんと本物の天使が呆れた顔をしている。
「ほんっと恥ずかしいからやめて。本当に」
「照れるなよ。事実だろ?」
「欠片も事実な所ないからね!?」
顔を覆うように項垂れた亜紀と心底楽しげな三波さんの対比を眺めていると、「本当にどうしようもないなこいつ」と呟きながら宇佐美さん達が私の前まで来た。
「つくしさん、おはようございます!」
「おはようソエル君、宇佐美さん」
「おはよう。待たせたのと……初っ端から騒がしくして悪い」
ソエル君には小声で返事をする。鬱陶しそうに三波さんを見る宇佐美さんに苦笑しながら、私は未だに噛み合わない言い合いをしている二人に声を掛けた。
「皆揃いましたから行きましょうか」
「ああ、そうだな。ほら亜紀、手」
「……なんで繋がなきゃいけないのよ」
ふん、と三波さんの手を振り払った亜紀はそのまま私の隣に来て歩き出す。不満げな三波さんがその亜紀の隣に並び、その後ろから宇佐美さん(とソエル君)が歩くという、普通に見たら少し妙な位置で大学祭を回ることになった。
「風真は何でつくしさんの隣に行かないんですか?」
「四人で横一列とか迷惑過ぎるだろうが」
背後から聞こえて来た声に三波さんが「何か言ったか?」と振り返ると、途端に宇佐美さんが何でもないと大きく首を振った。
「でもなんか言ってなかったか?」
「気のせいだろ」
「そうか?」
「あ、あの! そういえば気になってたんですけど、亜紀と三波さんってどうやって知り合ったんですか?」
咄嗟に話を逸らす為にそう言うと、今まで宇佐美さんに向いていた三波さんの顔がぐりんと勢いよくこちらを向いた。
「聞いてくれるか!」
「え」
「つくし、余計なことを……」
満面の笑みで張り切る三波さんに亜紀が溜息を吐く。どうやら話題を変えるのには成功したが、これはこれで面倒なことになりそうだった。
宇佐美さんが申し訳なさそうにこちらを見ているのがちらりと視界に映った。
「最初は俺が高校の入学式の日に一目惚れしてさー」
「……」
「この子が俺の運命の人だ! って思ったわけ。もう本当に可愛くて」
でれでれになりながら話す三波さんに、後ろから「まあ実際運命の人なんて神様は決めてないですけどね」と妙にドライなコメントがあった。そういえば個々人のことまで見てられないとか前に言ってたな。
「それから高校三年間ずっとアタックし続けて、ようやく卒業前にOK貰ったんだよ!」
「す、すごいですね」
三年も諦めなかった三波さんもすごいが、この勢いの彼に三年間も粘った亜紀もすごい。
「……滅茶苦茶しつこかった」
疲れたように呟いた亜紀が「ちょっと飲み物買いたい」と言って其処此処のテントで売られているペットボトルを指差した。飲まないとやってられないとのこと。勿論のことお酒ではない。
亜紀と私がアイスティー、三波さんがサイダー、宇佐美さんが緑茶を買った。それからまた高校時代の亜紀について語り始めた三波さんを完全に無視することにしたらしい亜紀は「どこ行きたい?」と私と宇佐美さんに出店一覧を差し出した。
同時に覗き込むと妙に宇佐美さんとの距離が近くなって緊張してしまった。何を意識してるんだ私は。考えないように目の前の文字に意識を集中させる。
「芸人とかバンドのライブとか見たいですか?」
「俺はどっちでもいいけど」
「あれは混みそうだよね。行くなら早めに場所取らないと」
「でさー、その時初めて亜紀が俺に笑ってくれて」
「……」
ぺらぺらと喋り続ける三波さんをちらりと見ると「あいつはいいから」とすぐに亜紀に言われた。同じく隣の宇佐美さんが頷く。
「でも一応私から聞いちゃったし」
「いいのいいの、聞いてなくても気にしないから。それより、ここ結構面白いらしいよ。どう?」
「お化け屋敷?」
「何でもオカルトサークルと演劇サークル、あと何だっけ……そうそう心理学部の人が協力して怖さを追求したんだって」
「へえ……」
確かに入口近くにもお化け屋敷の看板があったような気がした。こういう学園祭のお化け屋敷なんて正直怖くないだろうなとは思っていたが、少し興味を引かれる。
「まあ近くに行ってみて面白そうだったら入ってみようか」
「そうだな」
「じゃあそっち方面に行くってことで……ほら、哉太もう行くよ」
「ああっ、亜紀待てよ!」
「……本当に行くのかよ」
ソエル君が何か言ったような気がして宇佐美さんと共に振り返るが、しかし何でもないとばかりに首を振られただけだった。
お化け屋敷は二階建てのサークルの部室が集まる校舎を丸々と使って行われていた。
人気があるらしく並んでいる人も多い。傍まで行くと、きゃー! と女の子の悲鳴が外からでも聞こえて来た。
「ふーん、結構楽しそうね」
壁に貼ってあるポスターにはおどろおどろしい血文字で“呪われた学校”と書かれており、その下の説明によればただ順路に沿って歩くだけではなく謎解き要素もあるらしい。
「ところで怖いの駄目なやつっていたか? あ、勿論亜紀は怖ければ俺が守って」
「私は平気。二人は?」
「俺も大丈夫だ」
「私も平気だと思う」
そこまで怖いお化け屋敷に入ったことがないので何とも言えないが、ホラー映画も普通に見るし大丈夫だろう。
待っている間に何度も甲高い――たまに野太い悲鳴が聞こえ、前方に並ぶ人達がびくっと反応しているのが見える。恐怖心が薄れるという理由で一緒に入る定員は二人までだというので、当たり前だが特に相談するでもなく私は宇佐美さんと一緒に行くことになった。
「じゃ、お先に」
そう言って光の遮られた校舎の中へ入っていく二人を見送ると賑やかだった三波さんの声が無くなった所為か随分静かに感じた。元々宇佐美さんもそんなにしゃべる方じゃないのだ。だけど普段水曜日に話す時よりも少々気まずく感じるのは何故だろうか。
「あ、そえ」
「じゃあ僕はこの辺りで!」
そういえば先ほどから珍しくソエル君が黙っているからじゃないか。そう思って彼を振り返ったその時、妙に忙しない口調でそう言ったソエル君はどこかへ飛び立とうとする直前だった。
「どうしたんだいきなり」
「いやー、お化け屋敷といえばデートの定番じゃないですかー。だからお邪魔虫は退散しようかな、と」
「な、何言ってるのソエル君」
今デートなんて言われて宇佐美さんと二人にされるのは困る。……とにかく困る。
そう思って引き留めようと、後ろに並んでいる人達には聞こえないように小さな声を出した。
「ソエル君だってお化け屋敷なんてきっと初めてでしょ? 一緒に行こうよ」
「いつも嫌がっても着いて来るくせに今更何言ってんだ? まさか怖いわけでもないだろうに」
私と同じように宇佐美さんがソエル君を引き留めるようにそう口にすると、彼はその直後羽の動きをぴたっと止めた。
「え?」
ばたつかせていた羽が一瞬でも止まったことで落下しそうになったソエル君は即座に羽ばたいて体勢を戻したが、その顔はいつも笑顔ではなく妙に引きつっているように見えた。
そんなソエル君を見た宇佐美さんは、少し驚いたように目を瞬かせる。
「……まさかお前本当に怖いから来ないのか?」
「は、はあ!? そんな訳ねえだろうが! こんな子供騙しのちゃちなもののどこに怖がるってんだ!」
「猫剥がれてるぞ」
前からちらほら片鱗は見えていたけど、やっぱりソエル君ってそっちが本性なんだろうか……。
「……こほん。あのですね風真、僕は人間の恋愛促進の為にここに来ているんです。だからいつまでも僕に頼らずにそろそろ一人で何とかしてほしいと思っているんですよ。という訳でここには僕は絶対に入りませんからそのつもりで」
「……そうか」
「何ですかその憐みの目は!」
妙に優しげな宇佐美さんの表情に怒ったソエル君はそのまま背を向けてどこかへ飛んで行ってしまう。
「あいつ、悪魔と戦うとか言ってたけど大丈夫なのか」
「まあ怖さの種類って色々ありますから……」
「次の方、お入りください」
天使が見えなくなった空を見上げていると受付の女の子から声が掛かる。促されて足を進めると、予想よりも随分薄暗い空間だった。
「暗いので気を付けないといけないですね」
「ああ。……っいて!」
「宇佐美さん?」
「……頭ぶつけた」
言った傍から最初の障害物に差し掛かったらしい。宇佐美さんは背が高いので仕方がないけども。
「背が高いのって憧れますけど、大変でもありそうですね」
「そうだな、初めて行く場所だと特に気を遣う。あと映画館とか」
「学校でもずっと後ろの席だったとか?」
「……いや、高校入る前までは平均より小さかったから」
「意外ですね」
なんだ、思ったよりも普通に会話できた。ソエル君が居なくなってどうしようかと思っていたが、この分なら大丈夫そうだ。
「まずはあの部屋からみたいですね」
床に引き摺られたような血の跡が目の前の教室に続いている。結構リアルだなと思いながら私はその扉に手を掛けた。呆気なく扉は開かれ、そしてその先は――
「観月さん!?」
「あ」
何も考えずに一歩踏み出した瞬間、その先には……床が、無かった。
がくんと下に落ちていく体。直後右腕が掴まれて速度は一瞬落ちたものの、すぐに重力に従うように私の体はどこまでも闇に落ちていった。