俺の話:天使の力
「なあ宇佐美、今度四人でS大の大学祭行かねーか?」
俺が三波にそう声を掛けられたのは、講義が終わってすぐのことだった。
S大、観月さんが通う大学の名前に反応して顔を上げると、三波は大層楽しそうに笑っている。
「……四人?」
「俺と亜紀と、それからお前とあの子」
「あの子って言うのは……」
「勿論お前の大好きなつくしちゃん」
「……馴れ馴れしいからその呼び方止めろ」
三波の言葉に一瞬硬直してしまったが、諦めて息を吐いた。この前の一件で多分ばれるだろうなとは薄々感じていたが直球で言われると何とも言えない気持ちになる。
「ばれてるじゃねーか」と講義中空いた隣の席で居眠りをしていたソエルがぽつりと呟いた。
「確かに、亜紀が妬くかもしれないから変えるか」
「お前のそのどんな状況でも彼女命な所はある意味感心する」
「ある意味じゃなくても感心しろよ。でもまあ、お前が片思いねえ。最近微妙にイメチェンしてたのもその所為か? おまけに無理して甘い物食べるとか、ホント必死だな」
「……うるさい」
甘い物は大の苦手だ。だがアイスを迷っていた観月さんを見ていたら咄嗟に半分食べるとつい口にしてしまっていた。
ああそうだよ、必死だ。何が悪い。確かにあれは食べた後気持ち悪くなって正直後悔したが。
「亜紀には俺から伝えておくから。お前も観月さんに言っとけよ。俺はこれでもお前のこと応援する気なんだからな」
「どうだか」
絶対に面白半分でしかないだろう。
「ま、せいぜい“いい人”で終わらねえように頑張れよ」
そう言い残して三波は教室から出て行った。やつの姿が見えなくなるまで呆然と眺めていると、隣にいたソエルが「確かに」と声を上げる。
「それが一番可能性としては高そうだよな」
「……否定は、しない」
出来ない。
「うちの大学祭に? 勿論いいですよ」
水曜日。俺と観月さんは相変わらず一緒の電車になり、彼女が降りる駅の傍にある店で話をしていた。話題は勿論大学祭のことだ。
「私はいいんですけど、三波さんは大丈夫なんですか? 亜紀と二人じゃなくて」
「ああ。元々あいつが四人で行かないかって言ってきたんだ」
「そうなんですか」
一度しか会ったことのない観月さんに性格を理解されている時点であいつは本当にインパクトが絶大だと思った。……影が薄いなどと言われる自分とは大違いで。
「じゃあ時間は三波達とも合わせないといけないからまた今度、でいいか」
「はい、楽しみにしてますね」
「これはつまりダブルデートってやつですね!」
「ソエル……」
断られなくてよかったと安心した所で余計なことを言わないでほしい。とはいえ観月さんはあまり気にしていないようだ。嫌がられなかったことに安堵するべきか、もしくはまるで意識されていないことに嘆くべきか。
俺は目の前でアイスティーを飲む観月さんをそっと窺った。最近、水曜日は毎週こうして途中下車をして観月さんと話している。数か月前では到底考えられなかった状況に、俺は毎度のことながら幸せだな、と実感していた。今まで全く認識されていなかったというのに、今は観月さんと面と向かって話し、ましてやデートの約束のようなことまでしているのだから……死にそうだ。
「そういえば、私ソエル君に聞きたいことがあったんだけど……」
「僕ですか?」
きょとんとした顔で首を傾げてみせるソエルに、俺は小さく嘆息した。慣れて来た、とはいえ観月さんの前とそれ以外のギャップの差についていけない。俺の前だといつも命令口調の癖に。
「天使って普段何してるのかな、とかどんなことが出来るのかなとか。とにかく天使について知りたいんだけど、駄目かな?」
「僕達のことが知りたいんですね? 嬉しいです!」
観月さんは興味津々と言った様子でソエルを見る。確かにこんな不思議生物が居れば色々と知りたくなるのも分かる。そもそも色々と振り回されている癖に、俺はソエルのことを殆ど知らないのだ。
「僕達は普段、神様の使いとして働いています。大天使様……あ、僕の上司ですね。大天使様が神様の望みを受けて、それを僕達に割り振っているんです」
「上司って、なんか普通の会社みたいだね」
「近いかもしれませんね。今回みたいに未来が変わるのを防いだり、人間が幸せになれるように働くのが主な仕事です。たまに邪魔する悪魔と戦ったりもしますけどね」
「え、戦うの?」
「こう見えても僕、強いんですから!」
えへん、と胸を張るソエル。確かに見た目からは到底戦うことなんてできそうにない。が、いつもの威勢のいい柄の悪さを考えるとそうでもないか? と思い直す。
「あとはそうですね……あ、出来ることでしたか。僕は結構ベテランなのでやろうと思えば色々できますけど……そうだ、こんなのはどうですか?」
「うわっ」
口を閉じた傍から、突如ソエルが光に包まれて見えなくなる。強い光に一体何をするつもりなのかと身構えていると、数秒の後その光は収束し、そしてソエルよりも大きな形を作った。
「……は?」
「どうです、そっくりでしょう?」
光は人型に形作られ、そして眩しさを失ったかと思えばそこに居たのはいつもの天使の少年ではなかった。
まるで鏡写しのように、目の前いたのは俺だったのだ。
「う、宇佐美さんが二人!?」
「人間の姿になることも出来るんです」
俺の姿で、俺の声でそう言ってへらりと笑ったソエルは「あ、大丈夫ですよ。勿論他の人には見えていないので」と付け加えた。ちらりと周囲を一瞥するが、こちらに注目している人間は一人もいない。人間に化けても確かにその姿は見えていないらしい。
「すごいでしょう、風真」
「……頼むからその顔でへらへら笑わないで欲しいんだが」
俺が愛想良く笑っているなんて違和感しかない。鏡でも写真でもこんな顔をした自分など見たことないのだ。
と、不意にソエルが笑うのを止める。しかし次の瞬間にソエルが見せたのは、天使とは思えぬ悪意に満ち溢れた企み顔だった。とてつもない嫌な予感に慌てて制止しようとするが、俺の方を向いていたソエルが観月さんを振り返った方が早い。
俺にそっくりなソエルの手が、観月さんの両手を握ったのは次の瞬間だった。
「つくし、好きだ。付き合ってくれ」
思わず反射的にソエルを蹴り飛ばした。まるで容赦もしなかったその蹴りによろめいたソエルが通路を挟んだ隣のテーブルに軽くぶつかる。突然揺れたテーブルに座っていた客が驚いているが謝るにも謝れない。
「痛ってえなこの……風真、酷いですよー!」
「お、お前ふざ、ふざけんな」
変身を解いて元の姿に戻ったソエルが不満げに頬を膨らませているが、動揺してまともに頭が回らない。
何俺の姿で好き勝手やってくれるんだとか、そもそも何さりげなく観月さんの手を握ってるんだとか。言いたくても言葉にならない。
「風真が恋愛慣れすればこんな感じじゃないかなと思ってやってみただけじゃないですかー。ねえ、どうでしたつくしさん?」
「え?」
観月さんを振り返ったソエルに続いて、反応が怖いが俺もだんまりだった彼女に恐る恐る視線を向ける。
ぽかん、と俺達を見ていた観月さんは徐々に顔を赤く染めて「どう、って言われても……」と小さく呟いた。その表情にこっちまで動揺する。なんだこれ可愛い。
「意外に脈ありか……?」
「お前もうホントに黙れ」
ソエルの小声が観月さんに届いていないことを祈る。
「まあこういう変身だとか、この前も大学でやりましたけど後はテレポートなんかも出来ますよ」
「そういえばお前最初俺の部屋に勝手に入ってたしな……」
「そんなこともありましたねー。……さて、それじゃあ」
「ソエル君?」
「実体験、してみませんか?」
にこり、とソエル曰く営業スマイルを見せる。その瞬間俺は――もしかしたら観月さんも――先ほどと同じ嫌な予感に襲われた。
「おい、何をするつもりだ」
「せっかく天使がいるんですから不思議体験させてあげます!」
「え、ちょ」
「二名様、ご案内しまーす!」
輝かしい笑顔に寒気がした瞬間、ふわりと体が宙に舞うような浮遊感を覚えた。
「は」
目の前の景色が一瞬にして切り替わる。何が起こっているのか全く理解できないうちに、俺の体は落下していた。ぎし、と音を立てて体が何かに受け止められたかと思うと、俺はようやく現実に戻って来たように我に返った。
「え?」
唯一変わらなかった景色――目の前にいた観月さんも同じように落下した体を揺らしながら目を白黒させている。……と、思ったら突然「えええ!?」と大きな声を上げて周囲を見回した。
「私の部屋!?」
「な」
観月さんの言葉に今更になってようやく周りを見回した俺は絶句した。見たことのない六畳ほどの部屋。クローゼットや本棚、テーブルにベッド。ごく普通の一般家庭にあるような部屋だが――ここが、観月さんの部屋だと!?
そして自分の体を受け止めた物がベッドだったと理解した瞬間、俺は咄嗟に立ち上がろうとしてバランスを崩した。
「うわっ!」
「宇佐美さん!?」
そのままベッドの下に転げ落ちる。頭をカーペットに打ち付けて顔を顰めていると、観月さんが慌てた様子で傍に来た。
「大丈夫ですか!」
「……ああ。だけどここ」
「私の部屋です……あ、あんまり見ないで下さい! 散らかってるんで!」
「わ、悪い」
反射的に部屋の中を観察してしまって怒られる。二人揃ってあわあわとしながら部屋から出ると、ようやく冷静さを取り戻すことが出来た。
「私達、その……テレポートしたんですかね」
「みたい、だな。……って、ソエルのやつどこ行った!」
名前を呼んでもあの憎らしい天使は一向に姿を見せない。俺が怒ると知って逃げたのかもしれない。
「いないみたいですね」
「あいつ……! 観月さん、ホントにごめん。こんな勝手に部屋に入ることになって」
「宇佐美さんが謝ることじゃないですよ。びっくりはしましたけど」
先にお金払うお店で良かったな、と観月さんが思い出したように口にする。気にする所はそこなのか。最初にソエルと話していた時から思っていたが、彼女は随分順応性があると思う。
「ソエル君って、なんていうか結構いたずらっ子なんですね」
「いたずらっ子なんてそんな可愛らしいものじゃないと思うが……」
あいつ本当は天使じゃなくて悪魔なんじゃないだろうか。
観月さんの家には今家族は居ないらしく、緊張するのと同時に安堵した。いきなり部屋に現れたなんてどうにも誤魔化しようがないのだから。
今日一日のソエルの仕出かしたことに頭が痛くなりながら案内されて玄関に向かう。すると来たこともないはずのその場所に自分の靴があったことに驚くと同時に、今自分が靴を履いていないということにようやく思い至った。
「気を遣う所が違うだろうが!」
思わず声を上げると可笑しかったのか観月さんが笑っていた。
「観月さん、今日は本当にごめん」
「いいですよ、こんなこと普通は体験できないですから」
あ、皮肉じゃないですよ! と付け加えた彼女に少しだけほっとしながら再度頭を下げて外に出ると、どうやらマンションだったらしく更にエレベーターに乗ってエントランスへと向かった。
「そういえば道分からないですよね。駅まで送りましょうか?」
「いや、大丈夫だから――」
「あれ、つくし?」
ここがどこなのかは詳しく知らないが、小学校の学区であろうこの辺りなら少し歩けば道も分かるだろう。そう思い、そのまま帰ろうとした所で背後から声がした。
「お母さん」
彼女の言葉にぎくりと肩が上がった。恐る恐る振り返ると、そこには買い物帰りらしき中年女性……どう考えても観月さんの母親がきょとんとした顔で俺を見上げていた。
「お客さん? あ、つくしのかれ」
「し、失礼します!」
言い掛けた言葉を強引に遮って半ば走るようにしてその場を去った。振り返られない。どんどん距離を置く事にスピードは上がり、俺はぜえぜえと息を切らした所でようやく立ち止まった。
やってしまった。気まずさに思わず挨拶もなしに逃げてしまって、きっとあの人もなんだあの男はと思っただろう。
とはいえ今更戻ることも出来ないししたくない。俺は色々な意味で疲れた体を引き摺って歩き出し、そして少し進んだ所で顔を上げた。
「この辺に来るのも久しぶりだな……」
目の前に建っているのは懐かしい小学校。六年間過ごし、観月さんと出会った場所だ。
あの頃はただ遠くから見ていることしか出来なかった。いや、あの頃だけじゃない。ソエルが来るまでも同じように立ち止まっていた。
あいつが来て観月さんと知り合って、信じられないような日々が続いている。それについては感謝もしている。だが――
「帰ったら覚えてろよあの野郎……」
今日は絶対に許さん。