俺の話:初デート
「もしもし、つくしさんですか? はい、僕ソエルです! えっとそれで、明日って暇ですか? ちょっと風真に付き合って欲しいんですけど……はい……あ、そうですか。前日に言うなんて急過ぎましたよね、すみません。謝らないで下さい……はい、また時間のある時によろしくお願いしますね。それじゃあ」
「てめえがさっさと誘わねえから断られたじゃねえか! いい加減にしろ!」
俺から奪った携帯で電話をしていたかと思うと、すぐに電話を切ってソエルはそう怒鳴った。観月さんと知り合ってから三日後の、土曜日の夜のことだ。
水曜日家に帰ってからずっと、日曜日に観月さんを誘えと何度も何度も口を酸っぱくして言われていた。……が、そんなにいきなりデートなんて出来るか。水曜日には会えるのだから、ひとまず一週間は心の準備が欲しかった。
「ったく、このヘタレ野郎め。俺の計画が台無しだ」
「もう少し待ってくれてもいいだろうが……」
「お前に合わせてたらあっという間に半年経っちまうっつーの! 大体つくしに振られたら次の女探さねえと行けないんだからな」
「他のやつなんて冗談じゃない」
「だったら俺の言うこと聞けっての……」
はあ、とソエルが大きく溜息を吐くのを見て少し罪悪感が沸いた。そもそもソエルは普段口が悪いが見た目は弟よりも年下の少年なのだ。そんなやつに溜息を吐かせてしまった上、一方的過ぎるとはいえアドバイスを尽く否定した。
観月さん以外の人を今から好きになるなんて無理だ。少なくとも、振られたとしてそんなすぐに乗り換えられたら初恋なんて引き摺っていない。だったら確かに、ソエルがくれたこれは大きなチャンスなのだ。
「……悪かった、もう少し頑張ってみるから」
「その言葉、嘘にしたら問答無用で“矢”打つからな」
「……努力する」
「しょうがねえから、俺も少しお前に合わせてやる。という訳で風真、お前明日は空けとけよ」
「観月さんは用事があったんだろ?」
「いいから。分かったな?」
「……ああ」
俺は強く言われるままに頷いた。
ちなみに後で部屋を出た時に、当真に「兄ちゃん最近部屋で独り言言ってんの?」と突っ込まれたのは余談だ。……もう少し小声で話そうと心に決めた。
翌日、俺はソエルに連れ出されて外に居た。
「つくしにアタックするより、とりあえずお前自身を先にどうにかするべきだと判断した。……つまり、その野暮ったい髪の毛と服を変えるからな」
そう言われて、家に出る前から髪にワックスを付けさせられた。いつもよりも視界が開けていて落ち着かない。
「おい、もっと背筋伸ばして歩け。背高いのに猫背だとだらしなく見えるんだよ」
分かった、と返事代わりに少し上体を起こした。こう言ってはなんだが無駄に背が高い為色んな場所で頭をぶつけることが多く、気が付けば無意識に頭を屈めるようになってしまっているのだ。
「……そういえば」
駅ビルに入りながら、俺はふと沸いた疑問を口にする。勿論周囲に聞こえないくらいの声でだ。
「どうして観月さんはお前が見えるんだ?」
今まで一か月ソエルと一緒に過ごしてきたが、ソエルが見える人間など一人も見たことがなかった。なのに観月さんがソエルを見ることが出来るのは、もしや彼があらかじめ何かしたのかと思ったのだ。
自分の姿を見せて興味を持たせて俺との接触を図る。ソエルが考えても可笑しくなさそうだ。実際観月さんはこいつに興味津々だったのだから。
しかしソエルは肩を竦めて首を振った。
「基本的にサポート対象以外に姿を見せることは禁止されている。騒ぎになっても面倒だからな。あの女に俺が見えたのは……相性が良かったんじゃね?」
「……相性?」
その言葉が何となく引っ掛かってソエルを見ると、「嫉妬してんじゃねえよ顔歪んでるぞ」と指摘された。別に嫉妬なんかしてない。
「たまにいるんだよ、波長が合うっつーの? 天使が見えるやつ」
「そう、なのか」
「例えば……霊感あるとかいうやついるだろ? あれは幽霊と波長が合ってるから見えるんだ。天使と波長が合うやつは天使が、悪魔と波長が合うやつは悪魔が見えたりする。まあ滅多にいないし、いても天使なんて基本的に会わないから本人も気付かないけどな」
だったら観月さんにソエルが見えたのは本当に偶然だったのか。そう思いながらエスカレーターを上がると、目の前一面に様々な服がずらりと並んでいた。このフロアはメンズファッションだけを取り扱っているらしく、目が回りそうなほどたくさんの服があった。どうにもおしゃれというものが苦手な俺には場違いでしかない。
試しに一番目立つ所にあったマネキンに近付いて値札を見る。これは。
「……高い」
「その金であの女を釣れるんなら安いもんじゃね?」
「嫌な言い方をするな」
ソエルの言動に思わず顔を顰めた。
「とりあえず適当に選んで試着してみろよ」
「適当にって……どれだけ数があると思ってんだよ」
「ったく、仕方ねえなあ。俺がある程度見繕ってやる。それでいいだろ」
「……ああ」
……何だか、今日のソエルはやけに優しく感じるんだが気のせいだろうか。不思議に思って小声でそのまま伝えてみると、彼は嫌そうに顔を歪めた。
「お前が努力するっつったんだろ。それで俺の言うことを聞き始めた。なら別に怒ることもねえよ」
「そう、か……」
意外にまともだったなんて至極失礼なことを考えてしまったのと同時に、今までの扱いに少し反省した。
「半年過ぎると追加ボーナス貰えねえんだよ。だからお前が言うこと聞かねえと困る」
……反省、撤回してもいいだろうか。
何着か服を買い終え、そして買った服をそのまま着てから店を出た。
薄手のインナーにカーキの上着、細身のジーンズに人生で初めて身に着けたストール。普段とまるで違う服装にこれで大丈夫なのかと不安になりながらエスカレーターを降りていくと、足を着けた先に見覚えのある人を見つけて思わず目を見開いた。
「観月さん」
「ん? あ、ホントだ。つくしだな」
……前から思っていたがソエル、慣れ慣れしくないか。
そんなことを思いながら少し離れた場所で友人らしき女の子と話している観月さんを見る。周囲の喧噪で何を話しているかは分からないが、何故か女の子が観月さんに頭を下げている所だった。
今は邪魔しない方がいいだろうと考えていると、直後そんな俺の思いを完全に無視したソエルが「つくしさーん!」と大声で彼女の名前を叫んでいた。
「あれ、そえ……宇佐美さん」
いくらソエルが大声を出そうが、聞こえるのなんて俺と観月さんくらいしかいない。友達と向き合っていた彼女がはっと顔を上げてこちらを見ると、ソエル、と言いかけて俺の名前を呼んだ。
「……」
邪魔をしてしまったのは確かだが、勿論このまま何も言わない訳にはいかない。俺は少し躊躇いがちに彼女の近くまで行くと、頭を下げていた女の子が顔を上げて「つくしの知り合い?」と首を傾げた。
「ああ、えっと」
「この前少し知り合って、ね?」
「そうなんだ。私、つくしの友達です」
はきはきとした印象の女の子がこちらを見上げるのに、俺は無意識に首を傾けた。どこかで見たことがあるような気がするのだがどうにも思い出せない。もやもやする。
「友達といるのに邪魔をしてしまって」
「いや、私はもう別れる所で……そうだ、宇佐美さん? でしたよね。これから暇ですか?」
「大丈夫ですが」
「私これから急用が入っちゃって、代わりにつくしの相手してもらえませんか?」
聞くと、もう少し遊ぶ予定だったのだが家族にごたごたがあって帰らなくてはならなくなったという。「ラッキーですね風真!」と猫を被ったソエルが嬉しそうに言うが、とりあえず今は黙っていてほしかった。
「俺はいいですけど……」
窺うように観月さんを見ると、彼女がこちらを見る前に「そっか、ならつくしのことお願いします!」と再び頭を下げた。
「つくし、ホントにごめんね」
「だからそんなに気にしなくて大丈夫だって」
「今度埋め合わせするから、それじゃ!」
そう言って一度腕時計に目を落とした彼女はつくしさんに片手を上げて急ぎ足で駅に繋がる通路へ駆け込んでいった。
彼女の背中が人混みで見えなくなると、観月さんは少し申し訳なさそうな顔をして俺を見上げて来る。
「すみません宇佐美さん、一度断ったのに。今からでも大丈夫ですか?」
「ああいや構わないけど……友達、残念だったな」
「僕としてはつくしさんが風真と一緒に居てくれるのは嬉しいです!」
「ソエル、お前なあ」
そんなにこにこ顔で言うな。観月さんにとっては予想外なことだったのに。
しかしそんなソエルを見た彼女は、少し嬉しそうに笑い返していた。
「そういえば……この前会った時とは随分雰囲気が違いますけど、休みの日はそんな感じなんですか?」
「違いますよ! 風真が余りにも自分の見た目に疎いので、僕が頑張って変身させてあげたんです! つくしさん的には前と比べてどうですか?」
「勿論こっちの方がかっこいいと思うよ。宇佐美さん、髪も服も今の方がずっと素敵です」
「……あ、ありが、とう」
かあ、と一気に顔が熱くなる。言葉に出来ない衝動で叫んでしまいたい。お世辞だとしても、かっこいいって、素敵って。
「ほら、僕のセンスに掛かればこんなものですよ!」
「……」
確かにソエルに対して感謝したい気持ちはある。だからこれが全部置かれていたマネキンそのままの服だということは心の中にしまっておいた。
ひとまずこのまま立ち話をするのも、ということで再びエスカレーターに逆戻りした俺と観月さんは上の階にあるカフェチェーン店で少し話をすることにした。
カウンターでそれぞれ飲み物を頼んで席に向かい合うと、途端に少し緊張し始めてしまった。苦し紛れに先ほど過ぎった疑問を口にする。
「……そういえば、さっきの観月さんの友達って」
「亜紀のことですか?」
「亜紀さんって言うのか」
名前を聞いても思い出せない。恐らく俺は名前を知らなかったんだろうが、だとしたら一体どこで見たのだろうか。
考え込んでいると、観月さんはちょっと申し訳なさそうな、何というか複雑な表情を浮かべた。
「あの……亜紀は彼氏がいるんで紹介するのはちょっと」
「そ、そういう意味じゃない! ただどこかで見たような気がして」
「え、すみません」
咄嗟に強く否定してしまってから我に返って動揺する。観月さんが悪い訳ではないのに謝らせてしまった。
「風真、こんなに可愛い彼女が目の前にいるのに浮気とか最低ですよー」
「だから違う……!」
「というか、ホントの彼女じゃないからね? ソエル君」
苦笑する観月さんの何気ない言葉がぐさりと心に来て、俺は心を落ち着ける為にアイスコーヒーを一口飲んだ。
「じゃあ宇佐美さんはどういう女性が好きなんですか?」
「え?」
「いえ、亜紀は無理ですけど他の子なら紹介できるかもしれません」
好きな女性、そんなものは目の前にいる。
「……優しい人が」
見ず知らずの人間を甲斐甲斐しく保健室に連れて行ったり、仮とはいえ恋人になれなんて無茶苦茶な頼みを引き受けてくれるような、そんな人が。
「でも紹介はいいですから」
「そうですか?」
「ちなみにつくしさんはどんな男性が好きですか? 今後の参考に教えてください!」
「そうですね……話が合う人とか」
「成程」
うんうんと頷いたソエルがちらりとこちらに視線を送る。「だとよ、頑張って話合わせろ」と目が言っていた。
しかし実質会うのが二回目の彼女のことなど殆ど知らないも同然だ。好きなものも嫌いなものも、普段何をしているのかも、全然。
観月さんが飲んでいる甘ったるそうなクリームの入ったカフェラテを見る限り甘いものは好きそうだが……俺は逆に甘いものが大の苦手だ。話の合いようがない。
「つくしさんの頼んだもの、美味しそうですね」
「甘いよ? 飲んでみる?」
「はい!」
おいちょっと待て何をしている。
何の躊躇いもなく観月さんが差し出したそれを受け取ったソエルは、そのまま嬉しそうにストローをくわえてずずっとカフェラテを飲んだ。
止めることも出来ずにソエルを凝視していると、ソエルは「おいしいですねこれ!」とはしゃいだ声を上げてカフェラテを観月さんに返す。そして、彼女に見えない角度で何故かにやりと笑ってこちらを見た。
……お前、俺の味方じゃなかったのかよ。
「俺が運ぶー!」
「あ、こら待ちなさい!」
思わずソエルを胡乱な目で見ていると不意に喧騒に混じってそんな声が聞こえて来た。特に気になることはない、小学生らしき少年がトレーに飲み物を二つ乗せて運んでいたのだ。しかし、その足取りは妙に早い……というか走っており、俺がそちらを見た時にはもう殆ど目の前にいた。
がっ、と俺達のいるテーブルの端にトレーをぶつけ、少年が転んだのは次の瞬間だった。
「あ」
ばしゃん、という音と共に足が濡れた感覚がした。慌てて立ち上がると、少年が運んでいた飲み物――多分ジュースだ。べとべとする――がジーンズに思い切り掛かり、その傍で少年が痛そうに顔を上げるのが見えた。
「いって……あ」
少年が状況を理解したように目を大きく見開く。そしてほぼ同時にき、と怒ったように彼はこちらを見上げたのだ。
「俺のジュースが! お前ベンショーしろよ!」
「はい?」
「なんだこのガキ」
驚いていた観月さんがぽかんと声を漏らすと同時にソエルが猫を被るのも忘れたように冷たい声で毒づいた。
俺がどうしたものかと思いながら少年の体を起こして立ち上がらせていると、「すみません!」と彼の母親らしき女性がこちらへ血相を変えて駆け寄って来た。
「本当にすみません……だから待ちなさいって言ったでしょうが!」
「でも俺のジュースが」
「あんたの所為でしょうが! 本当に、すみませんでした。ほら、あんたも頭下げなさい」
「痛いってやめろよ!」
母親が少年の頭を押さえて無理やり下げさせる。
「いえ、俺は大丈夫ですから気にしないで下さい。ちょうど着替えもありますし」
「でも」
「それよりその子の膝、擦りむいているので手当した方がいいです」
騒ぎを聞きつけたのか店員がモップを持ってやって来るのが見える。何度も何度も謝られて少し困っていた所に片付けに来てくれたのでこれ幸いと「着替えてくる」と観月さんに伝えてその場を離れた。
「お前なんで怒らねえの?」
一緒に着いて来たソエルは、苛立った表情で開口一番にそう言った。
「怒る?」
「せっかく買った新しい服汚されて、弁償とか意味分かんねえこと言われたら普通怒るだろうが。……それともあれか? つくしの前だからあえて怒らなかったとか」
「別にそういう訳じゃないが」
まあ確かに、せっかく観月さんにかっこいいと言われた服を汚されたことは残念だ。だがどうにも……あのくらいの子供に怒るのは苦手だった。弟と同じくらいだし、それに。
「俺、子供に泣かれそうになることが多いんだよ。見下ろされてるのが怖いのかあんまり笑わないからか分からないが。だから余計に怖がらせたくないんだ」
今の少年は怖がる素振りを見せなかったのでちょっと嬉しかった、というのは苛立ったソエルには流石に伝えなかった。
「……ふうん、お優しいもんだな」
皮肉なのか何なのか、ソエルはそれを最後に黙ってしまった。
先ほど着替えたばかりの服にもう一度着替える。朝来ていたジーンズは、種類は同じジーンズだと言うのに、買ったばかりの上の服と合わせると妙に不格好に見えた。