天使の話:罰
「改めて、本当に申し訳ありませんでした」
メルが消えた風真の部屋で、大天使様は改まって風真達に向き合い頭を下げる。
「こちらで出来得る限りのお詫びはさせて頂くつもりです。勿論それで許せとは言いませんが、どうかなんでも言って下さい」
「いや、そんなこと急に言われても」
風真は戸惑うように目を泳がせる。まあそうだろう、こいつがほいほい願い事を列挙するとは思っていない。
僅かに黙り込んだ風真は、しかし俺の予想よりもずっと早く口を開いた。
「……その前に、あの子、メルはどうなるんですか。処罰って言ってましたけど」
「後に開かれる議会で正式に決定されますが、人間を傷つけた罪は重いです。今までの前例から考えると、大方天界からの永久追放でしょうか」
「追放……」
「二度と天界に足を踏み入れることは叶いませんし、天使としての力も剥奪されます。勿論人間界に行く力もありませんので報復されることもないでしょう」
神の愛する人間を傷付ける罪は重い。過失ならともかくそれが意図的なものなら尚更だ。
……あいつは馬鹿だからそんなことすら知らなかったのだろうが。
「……そのお詫びっていうのは何でもいいって言いましたよね」
「ええ。こちらで叶えられることならなんでも」
「なら、メルの罰を軽くは出来ませんか。せめて、もう一度やり直せるくらいに」
「宇佐美さん……」
「また甘っちょろいことを。お前が考えそうなことだ」
何となく予想していたことだがやっぱりか。風真の顔を見ながら、俺は大きく溜息を吐いた。
「メルは、別に俺に対して悪意があってやった訳じゃ無さそうだし……」
「俺はそっちの方が問題だと思うが」
「それに俺はソエルのおかげで無事だ」
「結果論だろ。例えあいつに殺す気がなかったとしてもお前は心底苦しんだはずだ、さっきの今でもう忘れたのか」
比喩ではなく死ぬほど苦しめられた癖に、そんな相手が憎くないのかこいつは。見た目が子供だからって甘すぎやしないか。
呆れ切った俺の顔を見た風真が苦笑しながら小さく首を振った。
「忘れた訳じゃないし何とも思わないとは言わない。でも俺の所為であの子が取り返しのつかないことになるのは」
「自業自得だろ」
「だが……あ、そうか。あのお化け屋敷の時とかもメルの仕業だったんだよな。観月さんも怪我したし、俺だけで決めることじゃないか」
「え?」
「観月さんは、どう思う」
「私、は」
今まで殆ど話さなかったつくしが急に話を振られて口籠る。その表情は複雑なものだ。
つくしが考えていることは分かる。こいつは風真ほど甘くはないし、目の前であれほど苦しんだ風真を見ているのだから簡単に許せはしないだろう。風真だって立場が逆なら流石にこうは言わなかっただろうし。
「私は……宇佐美さんがそれでいいなら」
でもつくしは、逡巡した後結局そう言うに留まった。
「お二人がそう言うのならば検討しますが……本当にいいんですか?」
「はい」
即座に頷いた風真に少し遅れてつくしも頷くと、大天使様は「分かりました」と告げて俺を振り返った。
「私は天界に戻ります。ソエル、後は頼みましたよ」
「……はい」
大天使様の姿が掻き消えて行く。それを見送りながら、俺はこれからのことを考えて気が重くなった。
しばらく風真の様子を見て大分体調が落ち着いたのを確認すると、俺はつくしを家までテレポートさせた。
「それじゃあ俺は帰るから」
「……ソエル君」
「どうした?」
「私、ソエル君には悪いんだけど……メルちゃんのこと、すぐに許せる気がしないよ」
そのまま戻ろうとすると、風真の前に居た時よりもずっと深刻な顔をしたつくしがぽつりと呟いた。
「本当はね、あの時反対しようと思ったの。だって宇佐美さん、いつも自分のことを二の次にして……あんなに辛そうだったのに」
「それが普通だ、風真の方がおかしい」
すぐに、と言っている時点でいつかは許そうという気があるつくしも大概だとも言うが。
風真はお人よしだ。誰にでも優しくするし、俺に怒ることもあるがそれだって心の底から怒りを抱いているとは思わない。……その甘さが、いつか悪い方向に向かわないだろうかと危惧することもある。
「じゃあどうして頷いたんだ?」
「一番辛かった本人が納得して言ってるのに、そんなの口出し出来る訳ないよ……。それにメルちゃんが追放されたら、宇佐美さんはずっと気にすると思ったから」
そうだろうな、と思う。あいつはそういうやつだ。だからこそ、許せない自分と許した風真を比較してつくしは苦しんでいるのだろう。
「つくし」
「うん」
「お前はそれでいい。メルを許せないのは当たり前だし、それを間違いだと思わなくていい。風真のやつが底抜けのお人よしなんだ。つくしはその分しっかりあいつを支えてやれ」
「ソエル君……」
「じゃあな、つくし。俺はまだやることがあるから」
「あ、待って! ソエル君、助けてくれて本当にありがとう!」
「……」
つくしの言葉に何も返すことなく、俺はテレポートして部屋から姿を消した。
「悪い、な」
発端は俺だったのに。メルがああしたのは全部俺がきっかけだったというのに。
だからこそ、感謝の言葉なんて俺が受け取るものじゃない。
天界へ戻った俺は、その足ですぐに大天使様の元へと向かった。
「ソエル、早かったですね」
彼女の執務室までたどり着くと、そこでは酷く慌ただしい――メルの件だろう――様子の大天使様がくるりとこちらを向いて微笑んだ。
「ちょうどよかった、手伝ってほしいことが」
「大天使様、その前に話があります」
「……」
天界の牢獄。他に誰も収容されていないその暗く静かな場所で、私は一人膝を抱えて俯いていた。
『おいお前、大丈夫か』
あの時、悪魔にずたずたに引き裂かれて痛くて怖くて、そんな時に手を差し伸べてくれたのが先輩だった。あの時から、私の世界は変わった。……変わり過ぎてしまった。
ソエル先輩が好きだった。だから少しでも役に立ちたかった。未熟だと言われても、先輩に追いつきたくて必死だった。
だけど、勝手に暴走した挙句嫌われた。いや嫌われたなんてものじゃない、軽蔑されただろう。あの冷たい視線を思い出すと怖くて体が震えてしまう。
「天使失格……そう、だよね」
……結局私は、この期に及んでも人間のことを考えていない。自分のことで頭がいっぱいになっていて、これじゃあ見放されるのは当然だと自嘲した。
「おい」
先輩の声が聞こえる。こんな所にいるはずがないのに、耳が可笑しくなったのかな。
「おい、聞いてんのか。メル!」
「え?」
幻聴とは思えないほどの大きさで再び聞こえていた声にはっと顔を上げた。そして鉄格子を挟んで向こう側にいるその人を見た瞬間、私は思わず自分の目を疑った。
どうして先輩がここに。
「せ……」
先輩、と呼ぼうとしたけど呼べなかった。呼ぶ資格なんて、ないと思った。
先輩の表情は先ほどと同じだ。厳しい表情で、酷く冷たい目。
「もう一度だけ聞く。お前は自分がしたことを分かっているか」
「……」
笑っていた先ほどとは違い、私は無言で小さく頷いた。
いくら先輩の役に立ちたいと焦ったからって、冷静になればすぐに分かるはずだ。もし同じように先輩が誰かに危害を加えられたら、たとえ大天使様でも……神様でも許せないなんてこと。そんなことだって、私は気付きもしなかった。先輩に突き放されて、ようやく理解したのだ。
でも今更そんなことを言ったって無意味だ。やったことは変えられないし、先輩だって私を信じることはないだろう。
先輩は何も言わない。それどころかそのまま私に背を向けた。このまま出て行くのかと思った直後鉄格子が揺れ、先輩は立ち去ることなくそこに寄りかかる。
「昔」
背を向けられて表情が見えないまま、先輩は淡々とした声を出した。
「初めて会った時、お前悪魔の攻撃でぼろぼろだったよな。……人間を庇った所為で」
「……」
「天使なんて見ることも出来ない、だからお前に助けられたなんて分かりもしない人間の為に、お前は必死だった」
天使として生まれ変わって初めての戦場、力だけはあったけど剣も術もろくに使いこなせなくて悪魔に怯えていた。だけどそんな時、巻き込まれたのか悪魔に襲われている人間が目に飛び込んで来た。そして、咄嗟に庇ってしまった。
「お前さ、天使として選ばれる魂の基準知ってるか」
「いえ……知りません」
「ひとを幸せにしたいっていう気持ちがあるかどうか、だとさ」
先輩の背中が鉄格子から離れる。そして僅かに横顔が見えた。
「お前にもまだそれが残ってるって、少しは期待しといてやる」
「せ、先輩!」
立ち上がり呼び止めた私に構わず、先輩はそのまま羽ばたいて外に出て行こうとする。その姿が完全に見えなくなる直前、妙に聞き慣れた舌打ちが微かに耳に入って来た。
「……俺も、甘っちょろくなっちまったな」
「メル、あなたに罰を言い渡します」
「……はい」
一週間ほど牢獄で過ごした後、私は大天使様に連れられて彼女の執務室に居た。
「今後百年間の懲役……監視付きのただ働きですね。勿論天界以外に移動することは禁じます」
「え?」
「不満があっても勿論聞きませんよ」
「いえ、そうじゃなくて……軽く、ないですか」
牢獄から出てここに来るまでに自分の噂が飛び交っているのはよく聞こえた。そのどれもが永久追放されるだろうと話していたのだ。
「あなたが罪を犯したのは天界中の天使に伝わるでしょう。楽に過ごせるとは思えませんが」
「でも……追放じゃ、ないんですか」
「それは、人間のお二人とソエルに感謝しなさい」
「え?」
「あの方達にはあなたの罰を軽くしてほしいと頼まれました。そしてソエルは、自分にも責任があると自ら罰を望みました。その分だけ、あなたは救われたということです」
ソエルは三十年給料全額カットですよ、と大天使様が苦笑する。
風真さん達と、先輩が。
「メル、あなたは自分の罪を理解していますか?」
「はい」
今度ははっきりと言葉を返す。すると大天使様の表情から微笑みが消えた。
「はっきり言います。今あなたがそう言っても、それは誰も信じません」
「……」
「ですからこれから百年、周囲に信じてもらえるように真摯に行動しなさい。一人一人、少しずつでも信頼されるような天使になりなさい」
「……はい」
「では、さっさと仕事を始めましょう。怠けている暇など与えませんからね」
そこまで言うと、大天使様は再び微笑んだ。彼女がこういう顔をする時は本当に容赦がない。……だけど、それに安心している私がいる。
私、また戻れるかな。何も考えずに、人間を助けられたあの頃に。
大量の仕事の書類を渡されながら、私はそれを掴む手に強く力を込めた。
……いや、あの頃のようになるんだ。




