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俺の話:エレベーター

「何だ……?」

「故障かもしれません」



 突如として真っ暗になった視界の中で、観月さんの困惑する声だけが響いた。エレベーターが故障した? 何でよりにもよってこんな時に。

 ひとまず俺は手探りで鞄から携帯を取り出し、その明かりを頼りに開閉ボタンや階数ボタン、更には非常ボタンまで何度も押してみた。が、どれもこれもカチカチと単調な音を繰り返すばかりでまったく手ごたえがなかった。



「誰か、聞こえませんか!」



 どんどんと扉の部分を叩いてみるものの、やはり階の途中で止まっているのか反応はない。



「外に電話を……」

「ああ」



 仕方がないので電話をしようと暗い中では異常なほど眩しい画面に目を落とす。一瞬どこに掛けようか迷ったその時、画面の上部に表示されていた“圏外”という文字を見て俺は溜息を吐いた。



「……圏外だ」

「え?」



 身を乗り出すようにして画面を覗き込んでくる観月さんにそれを見せる。エレベーターの中は確か電波が届きにくいと聞いたことがある気がした。



「どうしようか……」

「待つ、しかないですかね。そのうち少しは電波が届くかもしれませんし、それにたくさん人が居ますから、すぐに誰か気付いてくれますよきっと」

「だといいんだが」



 こんな時にソエルが居れば、あのテレポートだとかで脱出できるのだが、今頃忙しく働いているであろう天使にそんなことを考えても仕方がない。

 大人しく待つしか俺達に選択肢はないのだ。いつになるか分からないまま立っているのも辛く、俺は壁際にもたれかかるように座り込む。段々と暗闇に慣れて来た目で、隣に観月さんが腰掛けるのが見えた。



「……それにしても、なんか急に寒くなってきたような」



 そう言われれば確かに冷え込んだ気がする。明かりが落ちているのだ、もしかしてエレベーターの外も電気が止まっていて暖房が切れているのかもしれない。



「手袋したらどうだ」

「あ、そうですね」



 寒そうに手を擦っている彼女にそう言えば、「買っておいてよかった」と呟きながらごそごそと荷物を漁り始めた。俺も持っていた自分の手袋を着けようとして……その前に先ほど貰ったばかりのマフラーを袋から取り出す。



「観月さん、これも」

「え?」



 この時期にこんな金属の箱の中に居たらどんどん体温を奪われてしまう。そう思ってマフラーを差し出すと、彼女は俺とマフラーを交互に見て「いいです」と俺の手を押し返した。



「それは宇佐美さんの物なんですから」

「だけど、手袋だけだと寒いだろ。俺は大丈夫だから観月さんが着けてくれ」

「でも」

「風邪引いたら大変だ。だから――」


「……ああもう、いい加減にしてください!」



 無理にでも彼女にマフラーを渡そうとした所で、突然観月さんがそう怒鳴った。目を吊り上げて怒る彼女に、俺はどうして怒られたのか分からずに困惑しか出来なかった。



「な、何をそんなに怒って」

「どうして宇佐美さんはいつもそうなんですか! そうやって人にばっかり優しくして、もっと自分のことを顧みて下さい!」

「そんなことないと思うが」

「あります! 大体この前その所為で風邪引いたのは宇佐美さんの方じゃないですか! こんな時期に雨に当たれば風邪を引くに決まってるのに」

「……」

「あの時だって半分ずつ濡れればよかったんです。それなのに何も言わないで自分だけ犠牲になって……」



 段々と声の勢いが無くなってしぼんでいく。俺はというと、言葉も出せずに黙り込むしかなかった。結局あの時の風邪の原因は気付かれていたし、そしてそのことに対して怒られ、心配させた。以前のことを後悔するつもりはないが、それでも今謝るべきなのは自分だということは明白だ。



「……ごめん」

「この前みたいに宇佐美さんの具合が悪くなったら、当真君たちだってまた心配するんですよ?」

「そう、だな。だけど、それで観月さんの方が体調を崩したら」

「じゃあこうしましょう!」



 まだ少し怒るような口調でそう言った観月さんは、俺の手からマフラーを取ると急にぐい、と顔を近づけて来た。

 動揺して息を詰まらせた俺に構わず、彼女はそのままマフラーを俺と自分自身の首に巻き付けたのだ。ある程度長さがあるものとはいえ、いつもよりもずっと近い距離に心臓が異常な速さで動いている。



「お互い妥協しましょう。半分ずつです」

「……分かった」



 ようやく怒りを収めたらしい彼女に反論する術はなかった。

 目は大分慣れたとはいえ暗い空間、おまけにこんなにも近くに意中の相手がいるとなれば、まるで落ち着くことなど出来はしない。


 一体どれだけの時間が経ったのか。体感としては既に数時間分くらいの気持ちだが、恐らく実際にはまだ十分程度なのだろう。学校のこと、好きな映画のことなど観月さんが話す内容にたどたどしく返事をしていると、不意に話が途切れた所で彼女が心配そうな顔でこちらを覗き込んだ。



「大丈夫ですか?」

「……ああ」



 心臓以外は。



「観月さんは、あんまり不安になったりしないのか?」



 先ほどから明るい声で話す彼女に今度は俺が問いかける。正直出られるのがいつになるのか分からないのに、観月さんはそんなに堪えていないように見えた。



「そりゃあ不安ですよ。でも……あの時と比べれば、大丈夫かなって思っちゃって」

「……ああ」



 あの時、という言葉だけですぐにその意図を理解した。勿論あのお化け屋敷の時の話だろう。確かにあの時は訳の分からない状況に追いやられて、下手をしたら死んでいたかもしれなかった。エレベーターの故障だって確かに滅多に遭遇することもないだろうが、あれに比べたら些か現実的過ぎることだ。そう思えば確かにちょっと安心する。

 あの状況を体感した二人だからこそ分かる感覚に俺と観月さんは場違いに小さく笑い合った。



「そういえば……」



 俺は鞄から先ほどしまった携帯を再度取り出した。少しでも電波が立っていないだろうか。短い時間でも通話出来ればいいのだが。



「――は」



 酷く眩しい画面に目を細めてみると、そこには未だに圏外という文字が書かれている。いや、そんなことよりも。



「宇佐美さん、どうですか」

「あ、ああ。まだ圏外だ」



 先ほどまでとは違う意味で心臓が音を大きくする。画面が彼女の視界に入る前に遠ざけると、俺はもう一度だけ視界の端でこっそりと画面を見つめた。

 この場所に閉じ込められてから、少なくとも十分は経過している。普通に話していた時間から考えても、確実に時間は経っているのだ。

 それなのに、画面の中の現在時刻は最初に電話を掛けようとした時から一切変わっていなかった。エレベーターだけでなく携帯まで狂ったのか? だがこんなにタイミングが重なるものか。



「……」



 その時俺の頭の中に過ぎっていたのは、奇しくも先ほどの話で出て来たお化け屋敷の件だった。結構な時間あの空間にいたはずなのに、外にいたソエル達からすれば“すぐに出て来た”と言っていた。

 時間の感覚が噛み合わない。それが今の状況と酷似している気がして思わず息を呑んだ。ただの故障だと思っていた。だがもしかして、これがあの時と同じような可笑しな空間に迷い込んでいたとすれば。



「どうしたんですか?」

「……いや、何も」

「でも急に怖い顔になりましたけど」



 彼女に何を言われようと俺は口を閉ざして首を振る。観月さんには絶対に気付かれてはいけないと思った。これ以上不安を煽るようなことは絶対に避けるべきだ。



「大丈夫だから。それより――」



 訝しげな彼女を見て話を変えようとすると、直後ぱっと目の前が明るくなった。



「あ」

「直った……みたいですね」



 突然明るくなった視界が眩しくてはっきりと目を開けていられないが、確かに照明は元の通りに付いているし、すぐにエレベーター特有の浮遊感を感じた。

 安堵しながら観月さんを見ると、彼女も同じタイミングでこちらを見た。明るいからこそ今の距離の近さに驚いてしまい、反射的に体を離そうとした。



「うっ」

「ぐ」



 ……が、勿論マフラーで繋がれていた為離れることが出来ない。おまけに観月さんも同じように離れようとした為、お互いに首を絞め合う結果になってしまった。



「悪い!」

「こっちもすみません!」



 慌ててマフラーを解いて立ち上がったところでちょうどエレベーターが止まり、その扉が難なく開かれる。そのことに彼女と顔を見合わせてお互い酷く安堵した。


 ざわざわとクリスマスの喧噪が戻って来る。楽しそうな人達の声がより心を落ち着かせていると、それらの声に混じるように妙に聞き覚えのある声が耳に入って来た。



「風真、つくし!」

「……ソエル?」



 ぱっと目の前に現れたのは、酷く焦った顔をしたソエルだった。クリスマスは忙しいと言っていたというのに、何故ここにいるんだろうか。

 首を傾げたところでソエルがはっと我に返ったように真顔になる。そして次の瞬間には、いつものようなにこにことした笑み――ソエル曰く営業スマイルを作った。忙しい。


 人混みで会話するわけにも行かないので歩き出しながらどうしたんだという目でソエルを見ていると、にこにこの笑顔のままで口を開いた。



「ちょっと時間が出来たので様子を見に来たんです。デートは順調かな、と」

「おい」

「ある意味順調ではなかったですよね……。あんなアクシデント起きるし」



 デートという言葉に小声で抗議したが、観月さんはそれには反応せずに少々疲れたような声でそう言った。まあ今の今まで閉じ込められていたのだから当然だ。

 そんな彼女を見たソエルは「何かあったんですね」と心配そうに観月さんを窺った。



「でも無事で何よりです」

「うん。あ、さっきの故障のことここの人に伝えておいた方がいいですよね。また壊れても困りますし」

「ああ、そうだな」

「いえ、そういうことなら僕がやっておくので、二人はこのままクリスマスデートを楽しんで下さい!」



 ソエルが? 他の人間に姿を見せるなと言われていると言っていたのに。そもそも詳しいことを言ってもいないのに何が起こったのは状況を理解しているのか?

 急に現れたことといい、何か隠しているとしか思えない。問い質すべきかと口を開こうとしたその時、ソエルの目がこちらを見た。



“後で説明する。今は俺の言う通りにしろ”


「……っ」



 突然頭の中に響いたソエルの声に息を呑む。何だ今の声は。お前そんな芸当も出来たのか。

 元々ソエルの声は俺と観月さんにしか聞こえていない。それなのにわざわざこんな風にテレパシーのようなことをするということは、観月さんにこのことを聞かれたくないのだろう。

 再び目が合ったソエルは強い視線で静かに頷く。俺は僅かに逡巡した後、観月さんに話しかけた。



「こいつがそう言うんだ。任せておこう」

「でも、ソエル君がどうやって」

「僕はベテラン天使ですからいくらでもやりようがあります。だから安心してください。それに、そんなことより僕は風真が無事にデートする方が重要ですから! ね、風真」

「……そうだな」



 畳みかけるように強い声でソエルが言うと、観月さんも困惑しながらも頷いた。少々強引だが、俺のサポートをするというソエルの使命を考えれば納得できない理由でもないと思う、多分。

 ビルの外に出た所でソエルが「じゃあ僕は色々とやることがあるので」とくるりと身を翻した。



「……あ、そうだ。つくしさん、風真。僕からクリスマスプレゼントです」

「え?」

「はい、受け取ってください」



 しかし何かを思い出したように再度こちらを向いたソエルはその小さな手から何かをこちらへ押し付けて来た。渡されたものを見れば、それは真っ白の羽だ。



「僕の羽です。もし何か僕に用事がある時はその羽を持って呼ぶか念じるかしてくれれば届くので。あ、これも他の人には見えないので気を付けて下さいね」

「ありがとう。綺麗な羽だね」

「……ありがとう」

「それでは、良いクリスマスを!」



 そう言ってソエルは今度こそその姿を空気に溶かす。……俺は、渡された羽をじっと見つめて、先ほど頭の中に響いた言葉の意味に思考を巡らせた。













「ただいま」

「おう、つくしとのデートはどうだった」



 映画とイルミネーションを見終えて、それから観月さんをマンションまで送ってから帰って来た。自室に入ると開口一番に机に座っていたソエルが楽しそうにそう言った。

 映画も面白かったしイルミネーションは勿論綺麗だった。周囲の雰囲気に呑まれて何だかお互い気恥しい感じもしたが、それでも十分に楽しかったと言える。



「……それよりも、さっきのこと説明してくれ」



 だが頭の片隅にはソエルに感じた違和感や何とも言えないもやもやが残り続けていた。それが気になってしょうがなくて、時折ぼうっとしてしまって観月さんには悪いことをしてしまった。

 ソエルが楽しげな笑みを消す。そして眉間に皺を寄せたかと思うと厳しい声で「実はな」と話し始めた。



「お前ら、エレベーターに閉じ込められてただろ」

「何で知ってるんだ」

「あれを直したのは俺だ」



 直した? ソエルがエレベーターを?



「直したというのは少々語弊があるが。……虫の知らせってやつだな。仕事中に何となく嫌な予感がして来てみればお前らが閉じ込められてた。周囲から隔絶された空間に」

「……隔絶された、というのは」

「何者かの力で空間が捻じ曲げられていたのを俺が元に戻した。つまり、この前のお化け屋敷と同じってこった」

「やっぱり、そうなのか」



 携帯の時刻が止まっていたことが頭を過ぎる。きっと圏外だってエレベーターの所為だけではなかったのだろう。



「……お前、気付いていたのか」

「ちょっとな。観月さんには言ってないが」

「好都合だ。つくしにはこのまま黙っていてくれ」

「どうしてだ」

「言っても無駄に不安にさせるだけだ。正直犯人にまるで見当がついていないからな。……最初は悪魔の仕業かと思ったんだが、この周辺にはいないらしい。じゃあ誰がやったかと言われても、現状心当たりがない」



 そういえばこの前会った別の天使……メルがそんなことを言っていた。あの時の話はそのことだったのか。



「この前と今回のことを踏まえると、俺がいない時にお前ら二人が狙われている」

「……だから、あの羽か」

「ああ。何かあった時はそれで俺を呼べ。今はそのくらいしか対策が出来ない。……悪い」



 ソエルが突然頭を下げる。どうして謝られるのか分からずに首を傾げ、ひとまず近づいて顔を上げさせた。



「どうしてお前が謝るんだ」

「二度もお前らを狙ってきたということは偶然じゃないだろう。ならその狙いはただの人間のお前らじゃなくてきっと俺だ。俺に恨みを持つやつの犯行の可能性が高い」

「だからって、それはソエルの所為じゃない」

「……ああ。だけど巻き込んだ以上責任は俺が取る。そうでなくても、人間を守るのは天使の仕事だ。お前もつくしも、俺が守る」



 いつもの作り笑いでもなく、悪だくみの表情でもなく、酷く大人びた真剣な表情でソエルはそう告げた。その強い言葉に、俺は黙って頷くしかなかった。






「ところでお前、結局告白したのか?」

「……あ」

「せっかくのクリスマスイベント逃すとかお前ふざけんな!」



 それからしばらくの間、俺はソエルに説教されることになった。


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