私の話:クリスマスプレゼント
例えば。
ソエル君や三波さんに振り回されている時だったり、当真君や子供に優しくしている所だったり、犬に驚いて顔色を変えていたり、何も言わずに傘を傾けてきたり。
「うわああ……」
私はベッドの上で無駄に寝返りを打ちながら顔を覆っていた。
ぼうっとしていると気が付けば宇佐美さんのことばかり考えてしまって本当に自分の思考が手に負えない。正直言ってこんなこと初めてで、考えれば考えるほどいたたまれなくなってくる。
好きなのかな、なんて呑気に考えていたのが馬鹿みたいだ。宇佐美さんを前にすると本当に緊張して頭が真っ白になってしまうというのに。日に日にソエル君の視線が痛くなるのを感じる。あれだけ動揺してしまえばそりゃあ何かおかしいとは思われるだろうけども。
今まで好きになった人とか付き合っていた人にはこんな風になったことがなかったということを考えれば、亜紀の言っていたことは正しかったんだろうなと思う。そして思うと同時にちょっと謝りたくなっていた。高校の時付き合ってた二人、本当にごめん。
「宇佐美さんってどんな人が好きなんだろ……あ」
お試しの彼女とかじゃなくて本当に付き合えていたらな、という所まで考えてふと思い出した。そういえば前に宇佐美さんの好みの女の子について聞いた気がする。
そうだ確か……優しい人だと言っていた。
「……無理じゃん」
無理だ。絶望的に無理である。
「あんなに優しい宇佐美さんが優しいと思う基準ってどれだけハードル高いの……」
しかも本人は割と無自覚にやってそうな所があるから尚更だ。何? 女神様レベルの慈しみが無ければ駄目なのか。というか天使がいるなら女神様も実在しているんだろうか。神様はいると言っていなかったか。
「……そんなこと考えてる場合じゃない」
思考が可笑しな方向に逸れかけて慌てて修正する。私が優しく出来ることってなんだろう。優しく……プレゼントとか?
ピピピ、と携帯が鳴ったのはそこまで考えた所だった。電話なんて珍しいなと思いながら画面を見た私は、そこに表示されていた名前を見て瞬間固まった。
「宇佐美さん!?」
思わず携帯を投げそうになってしかし直後冷静になる。宇佐美さんと表示されているからと言って彼からとは限らないのだ。過去にはソエル君とか当真君からも掛かって来たし。
「……もしもし」
そう言い聞かせてせっかく多少は落ち着いたというのに、聞こえてきたのはソエル君たちよりもずっと低い声だった。
「うあ、はい! 観月つくしですっ!」
いやそれはそうだろう、と自分で名乗りながら思った。しかもなんでフルネームで名乗ったんだろう。自分の想像以上に混乱している。何かあったのかと尋ねられるが頑なに否定した。
「二十四日なんだが、何か予定ってあるか」
そうして切り出された用件に、私の頭はのろのろと回転し始めた。今月は十二月だ。つまり十二月二十四日、クリスマスイブ。
クリスマス……プレゼント。
「……ない、ですけど。あの! 宇佐美さんって何か欲しいものってありますか!?」
「え?」
「あああの、クリスマスプレゼントとか、何か欲しいものがあればって……」
先ほど考えていたプレゼントとクリスマスを足してイコール。そんな単純な式が頭の中に過ぎった私は咄嗟にそんなことを口走っていた。
しかし宇佐美さんは勿論私の意図を把握するわけもなく、そして僅かな間を開けてその要望を口にした。
「欲しいもの、とは少し違うんだが」
「はい」
「クリスマスの日、い、一緒に出掛けてくれませんか」
ふあ、と気の抜けた声が出そうになって直前に携帯を遠ざける。何を言っているんだこの人は! 私をこれ以上暴走させないで。
それにしても、欲しい物と聞いたのに物ですらないしそんな無欲な……。
「……ふふ」
「観月さん?」
「いえ。宇佐美さんらしいな、と」
でも彼らしいと言えばそうなんだよなあ、と私は少し笑いながら約束を取り付けて電話を切った。
そして、突っ伏した。
「物で釣ろうとした私が情けない……」
クリスマスイブ当日、とうとうこの日が来た。予定の十分前にそわそわしながら待ち合わせ場所へと向かうと、そこには既に宇佐美さんが立っていた。クリスマスの人込みの中だが、頭一つ抜け出ている所為ですぐに分かった。
「宇佐美さん! すみません、待たせてしまって」
「いや、さっき来たばかりだから」
本当だろうか。この人のこういう言葉は信じていいのかとちょっと首を傾げる。もしかしたら随分早く来ていたかもしれないのだ。幸い待ち合わせ場所は屋内なので寒くはなかっただろうけども。
と、ふと宇佐美さんを見て違和感を覚える。……ああ、そうだ。何かおかしいと思ったらいつも彼の頭の辺りにいるあの子がいなかった。
「そういえばソエル君はいないんですね」
「……ああ、あいつ最近忙しいみたいで結構いないんだ。クリスマスで駆り出されるとか何とか言ってた」
「なんかそうやって聞くと天使も人間とあんまり変わらないですね」
天使だし、今頃ソエル君は教会にでもいるんだろうか。ぽつりと呟いた私に、宇佐美さんは何とも言えない表情で「……多分、悪魔ぶっ飛ばしてると思う」と口にしたのだった。途端に想像の中のソエル君があの可愛らしい顔で銃器を持ち出して構え始める。……いや、実際にどうやって戦っているのかは知らないけど。
そんな話をしながら以前宇佐美さんと鉢合わせたことのある駅ビルへと入る。ここは色んなお店が入っているし、何より駅直結で行きやすいので好きだ。しかし日が日とあって非常に混み合っている。逆から来る人に流されないように歩いていると、「そういえば」と宇佐美さんがこちらを振り返った。
「観月さんは何が欲しいんだ?」
「手袋が片方無くなっちゃって。新しいの買いたいと思ってたんですけど……」
今日はお互いにクリスマスプレゼントを買うという話になっていたので「大丈夫ですか?」と尋ねると、宇佐美さんは勿論、と強く頷いた。
何だかプレゼント渡し合うなんてまるで本物の彼女になったみたいで、内心調子に乗ってしまいそうになるのを必死に堪える。
「宇佐美さんは?」
「前も言ったけど、本当に今日出かけてくれただけで十分で」
「駄目です! ちゃんと物にして下さい」
「……じゃあ、マフラーを」
先日の電話のやり取りを再び繰り返しそうになってきっぱりと反論した。宇佐美さんはもっと自分に対して優しくなるべきだと思う。
少したじろいだ様子の宇佐美さんを改めて見上げると、そう言えばマフラーをしていない。いつも電車で会う時はモスグリーンのものを巻いていた記憶があるのに。きっとここまで来るまで寒かっただろう。
「いつものマフラーしてこなかったんですか?」
「実は……今朝出掛けようとした時にノブナガの玩具になってて」
使い物にならなくなっていた、と心底力の籠った溜息を吐いた。飼い犬との関係は相変わらずらしい。
多少の違いはあれど手袋とマフラーなら大体同じ場所に売っている。気になる店から順に並んで商品を見ていると、私はつい隣が気になってちらちらと宇佐美さんを窺ってしまう。
あーもう、何で今まで自覚しなかったんだと思うくらい今の私は色々と駄目だ。ソエル君頼むから戻って来てくれないだろうか。
「観月さん?」
「はい!」
「……これとか、どうだろう」
ぼうっと考えていた所に急に話しかけられて大きな声が出てしまった。慌てて宇佐美さんの手元を見ると、そこには淡い赤色の手袋が差し出されている。手首の部分に控えめなリボンとファーが付いたそれは普通に可愛いものだった。
とはいえ決定打には欠ける。そう思いながら手に嵌めてみた瞬間、私の認識は一気に崩されることになった。
「ふわっふわだこれ……」
柔らかい毛で覆われた手袋の中は温かくて気持ちがいい。ずっと嵌めていたくなるような心地よさだ。
「宇佐美さんいい物選びますね!」
「いや、人気商品って書いてあったから……」
「人気なのも分かります。すごく付け心地がいいですから」
まだあまり見ていないけどこれにしよう。私の中で、ピンと来たものは大体外れないのだ。ちらりと値札を見るとそこまで高くはなかった。傍に陳列しているものとも大した差はない。
「観月さんはこれにするのか?」
「はい。……あ、もし高かったら自分で買うので」
「それは大丈夫だから。買って来るから貸してくれ」
「あ、待って下さい。宇佐美さんのマフラーも先に見ましょうよ」
私は手袋を抱えると宇佐美さんを引っ張って、一つ離れた棚に置かれているマフラーを見に行った。まず奇抜な色や柄の物を除いて、良さそうなものを探していると隣にいた宇佐美さんが一つのマフラーを手に取った。紺色の特別特徴のないものだ。
「これで」
「え、いいんですか?」
私が言うことではないがあまりにあっさりと決めたことに驚いた。……が、よく見てみればセール品と書かれた棚にあったもので、更に“レジで30%OFF”という札が付けられていた。
「……宇佐美さん、絶対に値段で選びましたね?」
「そんなことは……」
じっと目を見ていると気まずそうに逸らされた。沈黙は肯定とはよく言ったものだ。
「前も言いましたけど、宇佐美さんはちゃんとおしゃれすればかっこいいんですから勿体ないですよ。……あ! いや別に普通の状態を貶してる訳じゃないですからね!」
「あ、ああ。ありがとう」
彼は少し困惑するように、しかし照れたような表情を浮かべた。宇佐美さんは何というか、本当に自分に対して無頓着だ。
私は一度宇佐美さんをじっと見てからマフラーに向き合った。どんなものが似合うだろうか。前に着けていたモスグリーンのマフラーは普通によかったけど、似たようなものだと芸がない。
「あ」
一通り見終わりかけたところでふと一つのマフラーに目を留めた。私はそれを手に取ると、宇佐美さんの首元へとそれを向け「どうですか?」と尋ねる。オレンジ色をベースに少し赤や茶色を取り入れた暖かそうなものだ。生地の触り心地も悪くない。
「いやこれは、俺にはちょっと派手じゃないか」
「明るすぎるオレンジでもないですし、宇佐美さん暗い色の服多いですから差し色にいいんじゃないですか?」
試しにちょっと着けてください、と言うと少し戸惑いながらも巻いてくれた。鏡で彼も自分の姿を眺めてから「可笑しくないか?」とこちらを窺って来る。
「はい、似合ってると思います。たまにはこういう色もどうですか?」
「……観月さんがそう言ってくれるなら」
鏡の前の自分を見て宇佐美さんがふっと微笑んだ。……何なんだ、何なんだこの人は。こんな人なんで他の女の子が放っておくんだ。
赤くなりかけた顔を見られたくなくて「じゃあ買ってきます!」と私は思わず逃げるようにマフラーを奪ってレジへと走ったのだった。
「ありがとう」
「私も、ありがとうございます」
お互いマフラーと手袋を購入して渡し合うと、気恥しくて二人して小さく笑った。プレゼント交換なんていつ以来だろうか。
「宇佐美さん、この後ってまだ時間大丈夫ですか?」
「ああ。どこか行きたい所があるのか?」
「前の通りのイルミネーション、今日は少し特別らしいんです」
「じゃあそれまで……映画とか。確か隣のビルに入ってたよな」
イルミネーションまで時間が空いてしまうのでどうだろうと思ったが、宇佐美さんはすぐにそんな提案をしてくれた。ソエル君が居ない今、いくら好きだと言っても宇佐美さんとの会話は何時間も続けられるくらい私の心に余裕がないし、気の利いた話題もそんなに出せない。映画というのはいい選択肢だった。
この後の予定も決まった所で私達はエレベーターに乗り込んで一階のボタンを押した。他に乗っている人は居らず、先ほどまで人混みで騒がしかった喧噪が一気に遠のいて静かになる。
「見たい映画ってありますか?」
「今って何やってたか……観月さんは好きなジャンルとか――」
ガコン、と何かに引っかかったような音がしたのはその時だった。
「え?」
何が起こったのか理解する前に、突然目の前が真っ暗になる。エレベーター内の照明が落ちたのだと理解したのは数秒経ってからだ。そしてそこまで分かってすぐに、先ほどまで感じていた浮遊感が無くなっていることに頭が追いつく。
エレベーターが止まっているのだ。
「……故障?」
何も見えない中で、私は小さく呟いた。




