俺の話:クリスマス準備
「もうすぐクリスマスだなあ」
「……そうだな」
大学の講義の空き時間、クリスマス特集が組まれた雑誌を見ながら呟いた三波に、俺は顔を上げることなく相槌を打った。
最近毎日同じことを言っている気がする。顔を見なくてもにやけているのが分かってしまう。
「あー楽しみ。そういえばお前は観月さんとどうなんだ?」
「別に、特には」
「クリスマスに約束とか」
「……してない」
そんなあからさまな日に約束なんて取り付けられていたらさんざんソエルに怒られていない。
「俺は亜紀とラブラブデートだ!」
「だろうな」
「早く当日にならねーかなー。何せ付き合って初めてのクリスマスだし」
そういえばこいつ卒業間近でようやくOKされたんだったな。熟年夫婦のような息の合った夫婦漫才のイメージが強いのでもっと長く付き合っている気がしていた。三波が調子に乗るから言わないが。
特に返事をしなくても三波はそのまま惚気を語り始める。いつも通りの彼女の可愛さをしつこく語る男に一度だけ顔を上げて肘を着いた。こんなに煩い男に付き纏われた彼女の高校三年間については同情したいが、何だかんだ別れない所を見るとこいつのことちゃんと好きなのだろうなと思う。
「ただいまー。つっかれたー」
再び手元に視線を落とした所でそんな声が聞こえてもう一度顔を上げる。どうやらどこかへ行っていたらしいソエルが戻って来たようだ。
返事は出来ないので目だけ合わせて頷くと、別の方を向いていたのに気付いた三波が「ちゃんと聞けよ」と不機嫌そうな声を上げた。もう聞き飽きたんだが。
「そういやあ、お前観月さんといつ知り合ったんだ? 高校が一緒だったとか?」
「いや……小学校の時に」
「あ、そんな前からなのか」
「はあ!? 風真、お前そんな話初耳だぞ!」
「……あ」
そういえば結局ソエルには言っていなかった気がする。観月さんと話をしていた時もこいついなかったし。こちらを非難するような天使の視線から逃れるように俯いて本のページを捲る。
「じゃあ幼馴染ってやつ?」
「そんなんじゃない。話したこともほぼなかったし……そもそも向こうは覚えてすらいない」
「へー、何年越しだよ。すげえな」
「再会したのはついこの前だけどな」
「じゃあ尚更頑張らねえとな。俺も亜紀へのクリスマスプレゼント何にするか考えねえと」
「それより先にレポートの内容考えた方がいいんじゃないのか」
「……は? レポート」
三波はきょとんとした顔でオウム返しにそう呟くと、ぎぎぎ、とぎこちない動きで俺の手元を――図書館で借りた本からレポートの参考になる部分と出典をメモっている――見た。
「提出期限、今年最後の授業……クリスマス直前だぞ」
「さっきから何やってるかと思えば! 教えろよ!」
「だから教えただろう」
「頼む宇佐美! 写させてくれ!」
「却下」
レポート丸写しなんてしたらバレるに決まってるだろうが。
頭を抱えた三波を置いて立ち上がる。そろそろ次の講義に行かなければ。鞄に本を詰め込んでいると三波が恨みがましい目でこちらを見て来る。完全な逆恨みだ。
「宇佐美の鬼! 悪魔!」
「はいはい」
「優しくない!」
こんなことで優しくしてどうする。溜息を吐きながら、俺は煩い三波をスルーして歩き出した。……背後からのもう一つの視線を感じながら。
「何で俺にそんな大事なこと言わなかったんだよ!」
「だから、言い忘れてたんだ」
その日の帰宅後、部屋に入った途端にようやく会話が出来るようになったからか、ソエルが今までの鬱憤を爆発させるようにそう言った。
「もっと早く知っとけば最初から近づきやすかったし、俺だって色々と策を練られたっつーのに」
「観月さんは俺のこと覚えてないって言っただろうが」
「よくよく考えれば名前を知ってたのもその所為か。あんな顔写真もないパスケースですぐに誰が落としたのか分かってたもんな。最初から疑問に思うべきだった」
「……」
「まあいい、今更何言っても仕方ねえし。それより本題だ」
「本題?」
ソエルはそれだけ言ってきっぱりと俺を責めるのを止めると、定位置のように俺の机の端に腰掛けて酷く真剣な表情を作った。
「さて風真、もうすぐクリスマスだ」
「お前もか」
先ほどの三波の言葉が過ぎって思わずそう口にする。
「あのな風真、お前結構呑気にしてっけど分かってんのか? もう期間は半分なんだぞ。半年過ぎれば俺はもう手を貸せない。だからお前、クリスマスにつくしに告白しろ」
「こく」
「タイミングとしてはちょうどいいだろう。これからどうなるにせよ、そろそろお前の気持ちぐらい分からせてやった方がいい。案外上手く行くかもしれねえし」
「おい……おい、ちょっと待て」
頭がいっぱいになって何も考えられない。冷静になろうと頭を抱えて大きく息を吸った。
俺が、観月さんに告白する……。
「む」
「無理とか言わせねえ。俺がいつまでも見てられると思うなよ。だからこそ俺がいないタイミングでやってみせろ」
「いないって」
「クリスマスだ。最近俺ちょくちょくいないだろ、この時期は天使も忙しいんだよ。クリスマスに駆り出されるやつらも多いし、俺も別の仕事がある」
ソエルはこの時期に浮かれる人間を狙って漬け込もうとする悪魔を排除する役目だという。クリスマスの頃は特に忙しくなるらしく、ここにはいられないだろうとのこと。
「だから、お前自分のことは自分でどうにかしろ。帰ってきたらどうなったか聞くからな」
勘弁してくれ。そう言いたくても結局言葉には出さなかった。その直後に付け加えられたソエルの言葉に息が止まってしまったからだ。
「ほかのやつがつくしとクリスマス仲良く過ごしてもいいのかあ? それなら何も言わねえけどな」
「……」
数日後、俺は自室で悩みに悩んだ挙句携帯の画面をじっと睨み付けていた。ソエルはいない。ついさっきまた別件の仕事らしくどこかへ行ってしまった。
本当に情けない、と溜息が出た。ソエルにあれだけ発破をかけられても、まだ行動を起こせていないのだから。
観月さんが好きだ。まともに知り合って昔よりもずっと好きになっていた。だからこそ、クリスマスに――いや、他の時だって――彼女が他の誰かと過ごすなんて嫌に決まってる。
「押せ」
震える右手を左手で押さえてなんとか画面に触れようとする。押せ、押せ……押した!
とうとう観月さんに電話がつながってしまう。そこまでして今更別に直接電話にしなくてもメッセージアプリでもよかったのではないかと気付いた。が、その時には既に無常にもコール音は途切れてしまっていた。
「……もしもし」
「うあ、はい! 観月つくしですっ!」
緊張で頭が真っ白になりながらなんとか声を出したのだが、けれど観月さんはというと俺以上の大混乱が声だけでも十分伝わってくるほどの動揺っぷりだった。
勿論観月さんに掛けたのだから彼女が出るのは当たり前で、一体何があったのかと冷静になって来た。
「な、何か御用でありましょうか!」
「いやその……観月さん、何かあったのか」
「何でも! 何でもないですから! いや本当に」
「そ、そうか」
勢いに押されて黙り込む。何かあったのは確かだろうが、追及しても答えてはもらえないだろう。
観月さんのおかげで何だか気が抜けてしまって、俺は自然と本題を切り出すことが出来てしまった。
「二十四日なんだが、何か予定ってあるか」
「にじゅう……く、クリスマスですか」
「ああ」
「……ない、ですけど。あの! 宇佐美さんって何か欲しいものってありますか!?」
「え?」
「あああの、クリスマスプレゼントとか、何か欲しいものがあればって……」
いきなり話が飛んで一体何の話かと思ったが……。俺に欲しいものを聞くということは、つまり俺にクリスマスプレゼントを渡そうとしてくれている?
流石に自惚れではないと思う。他に解釈の仕方もない。
「欲しいもの、とは少し違うんだが」
「はい」
「クリスマスの日、い、一緒に出掛けてくれませんか」
緊張が戻ってきて思わず敬語になったし声が震えてしまった。だけど何とか言うことが出来た。ソエルやったぞ、とあいつがいる訳でもないのに思わず心の中で思う。
しかし、俺の言葉に観月さんは黙り込んだ。駄目だったか!? 下心でも見えてしまっただろうか。心臓に悪い沈黙に冬だというのに手に汗が滲む。
「……ふふ」
「観月さん?」
「いえ。宇佐美さんらしいな、と」
それはどういう意味だ。彼女の意図が分からずに首を傾げる。小さく笑い続ける観月さんは先ほどまでの混乱も鳴りを潜めたように感じた。
「勿論いいですよ。でも、クリスマスプレゼントは別のものにしてくださいね」
「いや、俺には十分なんだが。というか、そういう観月さんこそ何か欲しいものは」
「いえ、私も十分なので」
「だが……」
お互い譲り合うようにいやいや、と言葉を繰り返す。それがだんだん可笑しくなって来て、ついつい笑いを溢してしまう。
「キリがないですし、じゃあ当日に一緒にプレゼント選びませんか?」
「ああ、それがいいな」
観月さんの提案に頷く。彼女の好みも分からないし、下手に選ぶよりも喜んでくれるだろう。
それから当日にどこに行くかなどを話し合って通話を終えた。携帯から手を離した瞬間どっと体に疲労感がのしかかってベッドに倒れ込む。
「クリスマス、約束できた」
ソエルから言われた告白にはまだまだ遠いが、それでも全力を尽くした。他の誰でもなく、俺とクリスマスを過ごしてくれるのだ。改めて実感するとにやけそうになって腕で顔を覆った。
誰かに言ってしまいたくてつい三波に伝えてしまうと、レポート片手に「はいはい」と流された。俺はいつも惚気聞いてやってるのにこいつめ。




