私の話:恋愛過激派
水曜日だ。……水曜日なんだよなあ。
「はあ」
「つくし、あんたどうしたの?」
「別に……」
講義が始まる前の休憩時間、私は机に突っ伏して溜息を吐いていた。亜紀が不思議そうに尋ねて来るが、説明する余裕などない。というか自分でも説明しにくい。
「なんか哉太も気にしてんのよ」
「三波さん? でも最近会ってないけど」
「宇佐美さんが言ってたんだってさ、あんたの様子が可笑しいって。自分が何かしたんじゃないかって落ち込んで鬱陶しいからちょっと話聞いてみてって言われて」
「あー……」
そうか、亜紀ではなく宇佐美さん経由か。この前も挙動不審な態度を取ってしまったし、そりゃあ不思議に思われても仕方がない。
「宇佐美さんが何かしたとかそういうのじゃないって言っておいてよ」
「そんなの自分で言いなさい。っていうか、本当に何かあったの? 別に言いたくないならいいけど」
「……聞いてもらってもいい? 何て言うか、自分でも上手く言えないというか、よく分かってないんだけど」
何だか一人でもだもだやっているのに耐えられなくなって来てそう言うと、亜紀は黙って頷いた。
特に何か大きなことがあった訳じゃない。ただ小さなことが積み重なって耐えられなくなる、私のいつもの現象だった。
「宇佐美さんが優し過ぎてどうしよう……」
「は?」
この前の傘の件もそうだが、それより前からだっていつも宇佐美さんは優しい人だった。お化け屋敷の時もその後も気遣ってくれていたし、当真君に向ける目は当然優しい。ましてや苦手な犬だって力づくで突き放さない。この前お見舞いに行った時も「兄ちゃん何だかんだ言ってノブナガのこと見ててくれるんだよなー」と当真君が溢していた。
宇佐美さんは優しい。それだけの話で、一体何を悩んでいるのか私にもよく分からない。ただ何か彼と顔を合わせ辛くて挙動不審になってしまうのだ。
「よく意味が分からないんだけど」
「何か、うわあってなって恥ずかしくなるというか、自分でもよく分からない」
「……はあ。あんた、それただ、宇佐美さんのこと好きなだけじゃない?」
「……好き?」
「うん」
私が、宇佐美さんを好きになった?
「いやいやいや、それはないでしょ」
「なんでそんなに否定するのよ」
「だって」
宇佐美さんと私はあくまで協力者というかそんな感じで、私は彼に本物の彼女が出来るまでの準備期間の役目なのだ。
それに、何で今までの話で急に好きだとかいうことに繋がるのだろうか。そう疑問を口にすると、亜紀は何故だか非常に呆れたような表情を浮かべた。
「好きな人に優しくされたら嬉しくなるものでしょ」
「嬉しいのかな、私」
それに私自身に優しくされなくてもよく分からない気持ちになるんだけど……。
「……つくし。一応聞くけどさ、あんた初恋はまだとかそんなことないよね?」
「そのくらいは勿論!」
「ちなみにいつ?」
「小学校の時にクラスで一番かっこよかった男の子だったかな。名前は忘れたけど」
「じゃあ今まで彼氏は?」
「高一の時と高三の時に一人ずつ。最高半年しか続かなかったけど……」
「その時は今みたいな気持ちにならなかった訳?」
「全然なかったはず」
「優しくされても?」
「うん。というか、初恋の子は別に殆どしゃべったことなかったから優しくされたこともなかったし」
彼氏の二人に至っては逆に元々友達からの付き合いだったので気が軽く、そんなに優しく接させた記憶もない。
そこまで言うと、今度は私以上に亜紀が頭を抱え始めてしまった。
「亜紀?」
「……言いたくないならいいけど、別れた原因は?」
「振られた。……なんか二人とも同じこと言われて」
色々言われたが、要は愛されていないと。私なりに好きだったと思うし普通に付き合っていたと思うのだがどちらにもそう言われて振られたのだ。
「あんたもしかしなくてもその二人、告白して来たのは向こうでしょ」
「うん、よく分かったね」
「……頭が痛い」
「え、何かごめん」
亜紀が疲れたように大きく溜息を吐く。こんな風に疲れさせているのを三波さんが知ったら怒られそうだな、と考えていると「つくし」と名前を呼ばれた。
「あんたの今までを全部見て来た訳じゃないから絶対とは言えないけどさ」
「うん」
「つくし……今まで本気で誰かに惚れたことないんじゃない?」
「本気……」
授業が終わり駅についても亜紀の言葉がずっと頭の中に残っていた。
考えてみれば確かに、初恋の子に関しては「○○君かっこいいよねー」と他の女の子と騒いでいるのが楽しかったので本気じゃなかったと言われれば頷くしかない。
そもそも本気で好きって世間一般ではどの程度まで行けばそう認められるんだろう。ふとそう思って途端に頭の中に浮かんだのは初対面の時からずっと彼女への愛を叫び続けている姿しか見ていない三波さんだったが……あれは普通からもかけ離れていると私でも断言できる。あの人が一般例だったら多分私は一生基準を満たすことはできないと思う。
……そこまで考えて今更なことを思う。私、実は宇佐美さんにアドバイスできるほど恋愛偏差値高くなかったのでは。
「一番線に電車が参ります。黄色い線の内側までお下がり下さい――」
そこにいつもの時間の電車が来る。宇佐美さんが乗っているであろう、電車が。
顔を合わせ辛いのであれば一本ずらせばいいのだが、約束はしていないにせよいつもこの時間に会うし、そもそも私の挙動不審の理由が宇佐美さんが何かした所為ではないということは言っておかなければならない。
電車がホームに滑り込み、停車する。そしていつもの車両に乗り込むと、つり革を持ってソエル君と共にいる彼を見つけた。
「観月さん」
「宇佐美さん……あの、この前はすみませんでした。何か色々変で」
「いや、ただ俺が何かしたのかと思って」
「宇佐美さんは何も悪くないですから!」
「じゃあつくしさん、何があったんですか?」
ひょい、とつり革で遊んでいたソエル君が宇佐美さんと私の間に顔を出す。気遣うような言葉とは裏腹に「さっさと吐け」という副音声が聞こえる気がするのは気のせいだろうか。
車内の喧噪に紛れるように、怪しまれない程度の声でソエル君に答える。
「ちょっとね、あの時は私が情緒不安定だっただけだから」
「……ふーん」
「ソエル、あんまり観月さんを困らせるな」
「別に困らせてなんて無いですよー」
羽をぱたぱたと動かして心外だとむくれるソエル君は普通に見たら非常に可愛い。いや、割と隠しきれていない本性を垣間見ていてもやっぱり可愛く見えた。
そこから宇佐美さんと二人で大学のことや家のことを話す。顔を合わせにくいとは思っていたものの実際に話すと普通に会話は進み、私は内心ほっとした。時折当真君の話になったりすると優しい顔をする宇佐美さんに心が乱されたが、曖昧に笑って嵐が去るのを待った。
「そういえばこの前三波のやつが――」
宇佐美さんが言い掛けた時、電車のブレーキがかかり少し体がよろめいた。いつもこんな場所で止まるっけ、と思いながら窓の外を見ると普段は通過するはずの駅で電車は止まっていた。
アナウンスを聞くと、どうやら近くのホールでコンサートか何かがあったらしく特別に停車するということだった。確かにホームには沢山の人――殆どが若い女の子だ――で溢れかえっていた。
車両のドアが開いた瞬間、ホームに居た人達がどっと押し寄せるように中に入って来た。いつも割と混んでいるものの今日はそんな比ではない。一気に体を押されて車両の隅に追いやられてしまう。
「観月さん、大丈夫か」
「はい、でも……無理しなくても」
壁際で手すりを掴み、必死に私が苦しくならないように僅かに隙間を取ってくれる宇佐美さん。しかしかなり押されているようで手すりを掴む手が小さく震えているのが見えた。
「もう少しこっち来て大丈夫ですよ」
「いや、でも」
「まあまあつくしさん、ここは風真にかっこつけさせてやって下さい。つくしさんの為に頑張っているんですから」
「……お前は黙ってくれ」
ようやく扉が閉じると空いていた入口近くに人が動いて少しだけ広くなったように感じた。宇佐美さんも少し余裕が出来たようで、硬かった表情を緩めて小さく嘆息する。
「宇佐美さん、ありがとうございます」
「俺が勝手にやったことだから、そう言われると」
困ったように目を逸らした彼にこちらも色々と困った。こんな追い打ちをかけるように優しくされたらせっかく取り繕っているものが全て崩れそうで堪らない。
顔を見られたくなくて同じように目を逸らすと、視線の先ににやにや笑っているソエル君がいた。
「そ、そういえば誰のコンサートだったんですかね? 女の子が多いみたいですけど!」
慌てて話題を逸らす。先ほどの駅で乗って来た女の子達はさっきからずっとおしゃべりに興じており、いつもの車内よりもずっと騒がしい。
「ちょっと調べてみるか。あの駅だと近くのホールは確か……」
宇佐美さんが少し考えた後鞄に手を伸ばす。携帯を取り出そうと、彼は持っていた手すりを一旦放して鞄の中を漁る。――その瞬間だった。
私の目の前、宇佐美さんの背後に突如それが現れたのは。
「せんぱーい!」
「なっ」
直後、宇佐美さんの体がこちらに傾いた。手を離していたその時にいきなり背後に現れたものに背中を押されたのだ。咄嗟に手すりを掴み直したものの、至近距離で彼の顔を見てお互い瞬時に顔を背けた。
「わ、悪い」
「いえ……大丈夫ですから」
ばくばくと煩い心臓を押さえる。こ、これ、もしかしなくても、亜紀の言った通りなのか!?
「お、お前何でここにいる!?」
「勿論、先輩に会いに来たに決まってるじゃないですかー!」
……と、聞こえて来た声に冷静さを取り戻す。そもそも今しがた、私は宇佐美さんの背後で目を疑うようなものを見たのだ。
恐る恐る顔を上げた先には、酷く困惑した様子のソエル君と、そしてくるくるとした金髪の……背中に羽を付けた少女が浮いていたのだった。
女の子の、天使だ。
「というのは半分嘘で、大天使様からの伝言を預かって来ました!」
「ああ、あれ調査結果出たのか」
「……ソエル、さっきから何独り言を」
「え?」
宇佐美さんの声に天使の女の子から視線を彼に移すと、酷く不思議そうにソエル君を見て首を傾げている宇佐美さんがいた。宇佐美さんには女の子が見えていない……?
「宇佐美さん、あの子見えてないんですか?」
「あの子?」
「あ、これは失礼しました! 見えるようにしますね!」
女の子はそう言うとすぐに淡い光に包まれた。そして数秒後、それが消える。私には特に変わった所はなかったのだが、目の前の彼は「うわっ」と大きな声を出しかけて慌てて手で口を押えた。
幸い車内が煩かったのでそれに気を取られている人はいなさそうだ。
「ソエル以外の、天使」
「申し遅れました。私、メルと言います。ソエル先輩の後輩なのです!」
「……勝手に名乗ってるだけだろうが」
女の子――メルちゃんはにこにことソエル君を見ている。が、対照的にソエル君は煩わしそうに顔を歪めていた。仲がいいのか悪いのかよく分からない。
「んで、調査結果は」
「はい。大天使様によると、周辺に悪魔の反応はないそうです!」
「……そうか」
「大丈夫ですよ! いざとなれば私が悪魔なんてめっちゃくちゃにしちゃいますから」
調査結果とか悪魔とか、一体何の話をしているのか分からない。宇佐美さんを見上げても、彼も首を傾げているだけだった。
「報告は了解した。という訳でとっとと天界へ帰れ」
「酷いです。せっかくだから人間界でデートしましょうよー」
「誰が。それに俺は任務中だ」
「ちょっとくらいいいじゃないですか。ねえ、宇佐美風真さん、観月つくしさん」
「え、名前」
「知ってますよ、先輩に関係することなら何でも!」
「「……」」
「はあ……」
にっこり、と晴れやかな笑みでそう言ったメルちゃんに私も宇佐美さんも沈黙した。ソエル君はというと、重たい重たいため息を吐いた。
「め、メルちゃんって……」
「はい?」
「ソエル君のこと好きなの?」
「勿論です! 先輩に危害を加えるようなやつがいたら、八つ裂きにして鍋でぐつぐつ煮込んじゃうくらいには!」
「……」
か、過激だこの子……。
「もうどうでもいいから帰れよお前。とっとと帰らねえと大天使様にこってり絞られるぞ」
「む、それは嫌です。大天使様怖いし。それじゃあ先輩……それと人間さん達、また今度!」
「う、うん」
元気よくそう言ったメルちゃんはそのまま光に包まれて姿を消す。途端に騒がしい喧噪が思い出したかのように耳に入って来て、なんだか急にどっと疲れたような気分になった。
「……なあ、ソエル」
「今は話しかけるな……」
頭を抱えたソエル君が苦々しい声を出す。いつも飄々としているソエル君を困らせるメルちゃんってある意味すごい子だ。
三波さんといいメルちゃんといい、恋愛過激派のインパクトが強すぎる。私はちらりと宇佐美さんを窺って、そして気付かれないように小さく息を吐いた。
……好き、なのかな。




