私の話:出会い ①
一週間に一、二度の更新予定です。
水曜日は、楽しみだ。
「ねえねえ、聞いてよ。私新しい彼氏出来たんだー」
某大学校内、その教室に入った途端聞こえて来た声に、私――観月つくしは思わずそちらに目を向けた。何ということはない、大きな声だったから興味を引かれただけで、ありふれた会話がそのまま耳に入って来る。
「ふーん、どんな相手?」
「この前知り合った社会人。別に好きでもなかったけど、まあまあかっこよかったからいっかなーって」
「ホントに軽いよあんた」
甲高い声で話し続ける横を通って既に席に座る友人の元へ向かうと、彼女はこちらに気付いて片手を軽く上げた。
「よ、つくし」
「亜紀、おはよう」
「うん。……朝っぱらからあの子達元気だよねえ」
友人である亜紀の隣に座ると、彼女は頬杖を着いて先ほどから騒がしく話している女子達に目を向けた。その彼氏とやらの写真を見せているのか、携帯を除き込みながらきゃあきゃあと声を上げている。
「もうちょっと静かに出来ないもんかね」
「はは……そういえば亜紀は彼氏とどう?」
「ん、いつも通り」
若干いらついている亜紀を宥めるように話題を振ると、彼女は僅かに表情を緩めてそう答えた。高校の時から付き合っているという恋人とは上手く行っているようだ。
「そういえばさ、つくしは彼氏とか作らないの?」
「え?」
「全然そういう話聞かないじゃん」
教科書を机に出していると、不意に思いついたように亜紀がそう問いかけて来た。
「欲しいとか思わないの?」
「好きな人がいれば別だけど、無理にはいらないかな」
「じゃあちょっとぐらい気になる人とかいないの?」
「気になる……人、ね」
「ん? いるの?」
私が話そうか逡巡していると、教室の前方に既に待機していた教授が「始めるぞー」と声を上げたのでそのまま口を閉じる。亜紀がちらちらとこちらを見るが、私は首を振るだけに留めた。
いや、確かに気になる人がいるかと言えばいる。ものすごい気になる人が。
……だけど、その理由は言うに言えないのである。
授業が終わり、私は電車に揺られながらじっとその時を待っていた。帰宅ラッシュと重なるこの時間は乗客も多く、私は隣の人にぶつからないように気を付けながら、駅に到着して停車する電車の外を眺めた。
「あ」
……いた。
電車の扉が開いて降りた人数よりも多い人が乗り込んでくる。その所為で車内の奥に追いやられながら、私は乗り込んで来た中の一人をばれない程度に見つめた。
水曜日に毎週見かけるその人は、猫背の長身の青年だった。少々長い黒い前髪、同い年くらいの見た目の静かそうな印象の彼が、私が最近どうしても気になっている人なのである。
いや、少しだけ語弊がある。実際に気になってしょうがないのは彼自身というよりも……。
「だから、さっさと――」
長身の彼の更に斜め上、天井ぎりぎりに浮いている“それ”だった。
天使と聞くと、どんなイメージを思い浮かべるだろうか。私の場合、白い翼が生えていて白い服を着て、更に頭に輪っかが浮いている少年少女のイメージだ。そして頭の輪っかはないもののそのイメージ通りの金髪の少年が、今私の視線の先にいるものの正体だ。
少し前、今日と同じく水曜日の帰りにこの天使を見つけて以来、私は毎週隠れて彼らを観察してしまっている。最初に見た時は目が可笑しくなったと思ったのだが、いくら目を擦っても見ている光景は変わらないし、そして何故か周囲の人間もまるで気に留めていない。他人に無関心とかいうレベルではなく、あの天使がまるで誰にも見えていないようなのだ。
天使の男の子はいつも猫背の彼の傍にいて、よく何か話しかけている。車内のざわめきの所為で何を話しているのかは殆ど分からないが、そんな天使に対して彼はちらりと視線を送るだけで口を開かない。しかし天使を認識しているのは確かなようで、本当に私一人が幻覚を見ている訳ではないらしかった。
あの子は一体何なんだろう。見た目から天使だと思っているけど、合っていようが間違っていようが、あの子が普通の存在ではないことは言うまでもない。一緒にいる彼に聞けば分かるかもしれないが、全く見知らぬ他人にいきなり天使だのと尋ねられたら普通引くだろう。私も聞く度胸はない。
そうしていつものように、私は天使を乗客の間からちらちらと観察し続けていた。もうすぐ降りる駅に着いてしまう。また来週だな、と思いながら再度男の子を見上げた私は、くるりと首を動かした天使の動きに反応しきれなかった。
「……あっ」
ばちっと音が鳴りそうなほどしっかりと、私と天使の目があった。
「――お出口は右側です。ドアから手を離してお待ちください――」
と、直後停止する為に賭けられたブレーキで電車が大きく揺れた。いつもよりもやや急ブレーキでなおかつ意識が天使に向いていた私は大きくよろめいて隣にいるサラリーマンにぶつかってしまう。
「すみません……」
サラリーマンの男に睨み付けられて謝っていると、すぐに電車のドアが開いて人混みに押し流される。ちょうど降りる駅だったのでよかったと思いながら流れに乗ってホームに降り、私はそのまま少々早足で階段を上った。
あの男の子と目が合ってしまった。今まではこっそり観察していただけだと言うのに、来週同じ電車に乗ったらどう思われるだろう。
「待って……」
自分をじっと見る怪しい女だと思われたら嫌だなあ。嫌も何もその通りなのだけれど。これまでは水曜日になるのが楽しみだったのに、次の水曜日が少し憂鬱になった。
「おい……」
いやでも、いつも同じ時間の電車なのだから一本ずらせばいいだけか。でもあの不思議な男の子が一体何者なのか好奇心が疼いて、このまま会えなくなるのも……。
「待ってくれ!」
「わっ」
思考に耽っているといきなり背後から腕を掴まれて思わず声が出た。私は振り返り、そして恐る恐る顔を上げた。首が痛くなるほど上を向くと、そこにいたのは何と先ほど私が観察していた長身の青年……と、彼の後ろに浮く天使だった。
「あ、あの何か……?」
「これ、落としただろ」
出来るだけ天使を見ないように青年を見上げると、彼は手に持っていたものを私に差し出して来た。
「あ、定期」
それはまさしく、私が使っていた定期券のICカードが入ったケースだった。受け取って中を確認してみると確かに観月つくしと書かれている。多分電車から降りる時に人込みで落としてしまったのだろう。これが無ければ改札に行った所で困っていた。
「すみません、ありがとうございました」
「いや……」
「そこはいやじゃなくて、ちゃんとお礼に連絡先でも聞かないと」
「は?」
不意に聞こえて来た幼い声に下げていた頭を上げる。そして反射的に私はその声を発したであろう男の子を見上げ……先ほど同様に目を合わせてしまったのだった。
「あなた、やっぱり僕が見えるんですか!」
「え……」
「何だって?」
目が合った傍からぱっと表情を輝かせた男の子――天使が白い羽をばたつかせて嬉しそうにそう言うと、目の前の青年が驚くように天使と私を交互に見た。
「こ、こいつが見えるのか!?」
「え、あの……はい」
目を見開いて私を凝視した彼は、思い切り天使を指差しながら私に詰め寄って来る。僅かに身を引きながらも頷くと、彼ははっと我に返って慌てて私から距離を取った。
「悪い……」
「いえ……でも、その子一体」
私が天使を見上げると、彼は少し困ったような顔をして同じように天使に視線を送った。そしてそんな私達を見た男の子はやや大人びた仕草で小さく肩を竦めた。
「これも何かの縁です。お話しましょう」
この話はつくし、風真両視点からの話になります。