後編
「ど…どうして!?」
「……」
さっき、アパートの中に入って行ったはずなのに!一条千鶴はいつもの人形のような無表情でジッと私を見つめた後…やがて小さく口を開いた。
「何か用…?」
「あ…あの、えと…!」
動揺を隠せないまま、私は慌てて冷や汗を拭った。彼女の目。あの時と同じだ。まるで獲物を見つけた爬虫類の目。何だかとても嫌な感じがして、私は必死に言い訳を探した。
「その…一条さんと、話したくって」
「話…?」
表情を一切変えず、彼女はその場に立ちはだかっていた。地平線のすぐ近くまで降りてきた夕日が、長い影を作って私達の足元を覆った。私は勇気を出して声を絞り出した。
「あの…昨日のこと…」
「ああ」
納得したように、彼女は小さく頷いた。
「みんな、行方不明になったって…一条さんが、やったの?」
「ええ」
何のことはないように、彼女は首を縦に振った。
「フフ…あなた、面白い顔をしてるわね?」
「え?」
私は面食らった。こんなに流暢に喋る彼女の姿を、見たことがなかった。
「そんなに怖がらないで。私はあなたを取って食ったりしないわ」
「そ、そんな…」
彼女は微笑みを浮かべながら、すっと右手を頭の上にかざすと…
「ひっ!」
「私は、ね…」
…そのまま右手をスーッと前に下ろした。すると、まるで見えないジッパーがそこにあるかのように、彼女の「皮」が左右にぱっくり別れていって…
「いやああああああっ!!」
彼女の「中」から、何かが私目掛けて伸びてきた…。
一条千鶴は変わってる。
転校してから二週間が経った今も、そんな噂は止まることを知らなかった。その彼女は今日も淡々と、動じることなく教室で前を向いている。
「…筧ユカっていたじゃん」
「ああ。あの地味な女子」
「あの子、一条にやられたらしいよ」
私の方を見ながら、クラスメイトの同級生達が声を潜ませた。あの日、一条千鶴の中に棲む何かに捕らえられたまま、私は彼女の皮の中にいた。1年ぶりに喉を潰されて、助けを呼ぶことも、逃げることもできない。
きっと彼女は、一条千鶴は「何か」の蛹の殻みたいな存在なのだろう。ぐずぐずと体を溶かされながら、静かに「何か」に栄養を吸い取られていく。もう元の体の四分の一まで小さくなっても、私の意識は彼女の内側で保たれていた。「何か」は私を糧にしながら、その体を「殻」の中で成長させていく。
彼女の中身がこのまま大きく育ったら、きっといつか殻を破り「羽化」することになるだろう。
お願い、誰か彼女の変化に気づいて。
そう願いながら、私は一条千鶴の中でどんどん変わり果てていくのだった…。