中編
一条千鶴は変わってる。
そんな噂は、彼女が転校してきて一週間も経つ頃には、瞬く間に学校全体に広まっていった。何より一番私達を驚かせたのは、例の暴行事件の次の日のことだった。あの日、ボロボロのまま帰宅する彼女の姿を、何人もの生徒が目撃していた。もうしばらくあの美しい顔を拝むことはないだろう。誰もがそう思っていた。
ところが、だ。
次の日登校してきた彼女の姿に、私は目を丸くした。
あれほど腫れ上がっていた顔には、傷一つ残っていない。擦り傷に打撲の痕だらけだった体にも、何の痕跡も見当たらなかった。まるで何事もなかったかのように白い肌を皆に見せつけながら、彼女はいつものように自分の机に座った。
一体どうなっているんだろう。昨日の出来事が嘘だったみたいに、彼女はピンピンしている。それに、不思議なことはもう一つあった。クラスの女子のリーダー格だった、ヤンキー集団がその日は全員欠席していたのだ。
担任の話だと、昨日から全員連絡が途絶えているらしい。教室は騒然となった。彼女を…一条千鶴を襲ったのはそいつらの仕業に違い無い、というのが私達の暗黙の結論だったのだ。その全員が、行方不明になるなんて…。蜂の巣を突いたかのように、ヒソヒソ話は大きな唸りを上げて校舎の至る所から噴出した。
「あいつがやったんだよ」
「一条さんが復讐したんだ、きっと」
「でも、どうやって?」
私達が噂話に夢中になっている間、彼女は相変わらず自分の席に座り、ジッと前だけを見つめていた。やはり彼女が少し身動きするだけで、教室には必要以上に緊張感が走った。
「一条さんって実は、物凄い武闘家らしいよ」
「家がそっち系の人達らしいよ」
「妖怪か化け物か…人間じゃないのかも」
真しやかな噂話が、その日は一日中机の下で飛び交った。そんな声が彼女の耳に届いているのかいないのか、一条千鶴は澄ました顔でいつも通り過ごしていた。
私は迷った。彼女が一体何者なのか…私には分からなかった。ただ、彼女が自分を痛めつけた連中にどうやって復讐したのかとか、そんなことはどうでも良かった。ただ、昨日彼女が見せたあの目を、私は思い出していた。
あの目を、私はよく知っている。ただただ怒りに飲まれて、視界の何もかもが歪んで見えるあの目つき。鏡の中で、何度も会った目だ。私も昔この学校に来る前は、スクールカーストの一番下にいた。ただ私は、あの時逃げることしかできなかった。一条千鶴は違う。彼女はきっと戦ったのだ。一体どんな方法を使ったのかわからないが…私にとっては、その選択肢自体驚くべきことだった。
その日、私は放課後彼女をこっそり付けることにした。一条千鶴のことが、もっと知りたかった。ただ、どんな風に声をかければいいのかわからない。声をかけてどうすればいいのかも、友達を作ったことのない私にはさっぱりだった。右も左も数キロ先まで田んぼが広がるあぜ道を、彼女が真っ直ぐ進んで行く。学校から西のこちらの方面に、私は行ったことがなかった。彼女に気付かれないように、慎重に私は足を運んだ。
やがて彼女は道の端に建てられた、小さなアパートの中に入って行った。周りには民家の一軒もなく、大きなブナ林がアパートの背中を覆っている。途中空き地の壁に身を隠しながら、私はその様子を少し離れてジッと見守っていた。一体何のために、私はこんなことをしているのだろう。結局、声をかけることもできなかった。軽くため息をつき、諦めて帰ろうとしたその瞬間だった。
「ひっ…!」
私は思わず飛び上がった。私の後ろに、いつの間にか一条千鶴が立っていた。