前編
一条千鶴は変わってる。
彼女が転校してきた初日から、そんな噂がもうクラス全体に広がっていた。都会の方からやってきた彼女は、田舎の高校には不釣り合いなほど「はいから」だった。すらっとしたモデルのような体型に、鼻筋の整った透き通るような美しい素肌。彼女の美貌にクラスの男子達は色めき立ち、女子達は衝撃を受けた。教室で彼女が初めて挨拶をしている時、私も口をあんぐりと開けたまましばらく彼女に見とれてしまった。ドラマでしか見たことのないような美少女が、目の前に立っていた。
ところが、だ。
一条千鶴は、絶望的なくらい愛想がなかった。いや、私に言わせれば、表情すらない。教室ではただ椅子に座って朧げに前を見つめているだけで、人形のように動かない。友達が何を訊ねても、聞いているのかいないのかわからない顔をする。時にはこちらの話を無視することさえあった。男子達には、むしろそれが余計魅力的に見えたようだ。しかし、私達の間では違った。
「なんか感じ悪いよね」
「お高く止まってるのかしら」
「私達とは、仲良くする気もないってワケ?」
そんな噂が、半日も立たない内にそこらじゅうで囁かれることになった。クラスでは割と目立たない、地味な私から見ても彼女の「変わってる」っぷりは異常だった。何せ一日中、ほとんど前を見ているだけで動かない。たまに休み時間に少し立ち上がるだけで、教室には妙な緊張感みたいな空気が生まれるほどだった。彼女の一挙手一投足を、男子達は皆見とれるように目で追った。
当然、今まで男子達の注目を集めていた、ピラミッドの頂点にいたような女の子達は気分がよろしくないようで、彼女がそんなグループに目をつけられるのは時間の問題だった。
一条千鶴が転校してきて、一週間くらい経ったある日のことだ。
放課後、忘れ物を取りに教室へ戻る途中、私は信じられないものを目撃した。
「…一条さん!?」
茜色に染まった階段の踊り場で、例の転校生が無残な姿で転がっていた。全身傷だらけで、雪のように白かった肌には、真っ赤な血と殴られたような青あざがくっきりと浮かんでいる。美しかったその顔はパンチを受けたボクサーのように、最早性別の区別がつかないくらい腫れ上がっていた。
ピラミッドの頂点にやられたのだ、と私は悟った。血気盛んな女子集団が、片田舎特有の物理的洗礼を浴びせたのだろう。ボロボロになった彼女の姿に、私は背筋がゾッと凍った。
「大丈夫!?」
「……」
私が慌てて駆け寄った時、彼女は、一条千鶴は何も言わなかった。ただその目は…右目はもうすでに出目金のように腫れ上がっていて、見えなかったが…私にこう語りかけていた。
触るな。
その目を見た瞬間、私は蛇に睨まれた蛙のように体が動かなくなった。彼女は床に這いつくばったまま、ズルズルと血の跡を残しながら廊下を這って進み出した。しばらくすると、彼女に気がついた何人かの生徒達の悲鳴が聞こえてきた。しかし、誰も怖がって彼女に触れようとはしない。私もただただ呆然と、蛇のように地を這う彼女の後ろ姿を見つめることしかできなかった。そのまま一条千鶴は、よろよろと壁に手をつけ立ち上がり、正面玄関から薄紫色になった外へと消えていった。
あの時の、彼女の目。
私は一条さんは人形のように大人しい、物静かな少女だと思っていた。だけど、あの目は…初めて見せた、彼女の感情が込もった目つき。それは、怒りだった。理不尽に虐げられた者が見せる、目に映るもの全てを恨む負の感情。
その日、ベッドの中でそれを思い出してしまい、私は思わずブルっと体を震わせた。